瞳の奴隷⑤
「ノエル危ないッ!」
宙に浮いたビー玉程の大きさを持つ水玉が、そのまま弾丸と化してこちらに迫る。
「――ッ!」
弾かれるように横へ跳び退き、間一髪の所でそれを躱した。けれど、安心している暇はどうやらなさそうだった。階段の下に目を向けると、既に二つ、三つと新たに水の弾丸が浮かび上がっていたからだ。
「な、何なのよこれ……ッ!?」
「少なくとも歓迎できそうにないものって事だけは確かだね。レイチェルさんはボクの後ろに隠れてて。ノエル、どうする?」
「とにかく階下に出ましょう。危険だけれど突破して、誰かしらに助けを呼ばないと。こんな事態、私達だけではどうにもできないわ」
「オッケー、でもその前に――っと!」
再び放たれた水の弾丸を、ポーラが岩の盾で防ぐ。弾丸は天井の方へ逸れ、小さな穴を穿って消えた。直後、岩の盾にもヒビが入り、あっという間に二つに割れてしまった。ポーラの土魔法でも完全には防ぎきれない――ポーラの曇った表情を見てもそれは明らかだった。私は内心の焦りを抑えつつ、一足先に一階廊下へ飛び出す。学生や観光客がまばらに歩いているだけで、頼れそうな人は見つけられなかった。とはいえ、ぼさぼさしてはいられない。私の踵のすぐ後ろには既に、新たな風穴が穿たれていた。
「皆さんッ! 急いでこの付近から避難をッ! 何者かによる魔法の攻撃が行われていますッ!」
二次的な被害を防ぐべく、あらん限りの声で避難を呼びかけながら、一番近くの教室のドアに手をかける。自分達の安全は勿論だけれど、周囲の人々も守らなくては。また、逃げた人が警備の方や警察に早く連絡してくれるはず、という期待もあった。
「ごめんなさい、緊急事態で――」
教室の中に飛び込んだ私を真っ先に歓迎したのは、中に居た人達からの怪訝な視線――ではなく。
光を反射し冷たく輝く水の球だった。
「――ッ!?」
読まれていた、のか――頭の中は混乱する一方で、身体の方は素早く廊下へ跳び退き。反射的に風の魔法で壁を作ろうとする。
直後、衝撃が左半身を襲った。視界の中の風景が勢いよく吹き飛び、その中を紅い雫が飛び交う。やがて背中に二度目の重い衝撃が走り、ようやく風景の変遷は終わった。
「ノエルうううううぅぅぅぅッ!」
左肩を撃たれ、なす術なく床に転がる私の元へ、ポーラが血相を変えて走ってきた。それからやや遅れて顔を真っ青にしたレイチェルさんも続く。そして、こちらに突っ込んでくるのは二人だけではなかった。
「駄目よッ! こっちに来てはいけないッ!」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ!」
「後ろから来ているのよッ! 次はあなた達が狙われているッ!」
そう言った時には既に、二人はもうそばにまで来ていて。そのさらに背後からは、蛇のような細い軌道を描きながら、いくつもの水の弾丸が押し寄せてきていた。
「ポーラッ!」
私の叫びに呼応して、彼女は雄たけびを上げながら振り返り、振り向きざまにお守りの中の土をばらまく。そして大量の岩の盾を生み出し――
「――うああああああッ!」
その岩の盾もろとも、私の隣に背中から叩きつけられた。それに巻き込まれるように、レイチェルさんも悲鳴を上げながら倒れこむ。
「ポ、ポーラッ! レイチェルさん!」
「ぐううああッ、くそったれッ! こいつ本気だ! 本気でボクらを始末するつもりだッ!」
激昂しつつ、ポーラは再び岩の盾を作ろうとする。けれど、盾の錬成される勢いが明らかに落ちていた。
「無理よポーラ! 相手の水の威力が強すぎる! またさっきみたいに力で押し負かされてしまうッ!」
「そんな事分かってるよ! でもどうしようもないだろ! せめて魔法の元手になる土でもあれば……くそッ! また来るッ!」
降ってきた雨粒が逆再生されているかのように、再び水球が水浸しの廊下から浮かびあがってくる。何か、手はないのか――必死に周囲を見回す。混乱し逃げ惑う生徒達、或いは困惑して立ち止まりこちらの様子を見る人達。既に誰かが飛び出していったのか、開け放たれたままの廊下の窓に勝手口の扉。
「ポーラ! 魔法の元手があれば防げそう!?」
「え!? その自信はあるけど、でもそもそも土がないんだ、どうにも、」
「分かったわ。それなら私が用意する」
私は即座に開いている窓の向こうに身を乗り出す。そして、出店の立っていないグラウンドの地表に、魔法で強力なつむじ風を発生させた。当然、砂埃が空高くまで舞い上がる。その大量の砂を、風の流れに乗せて校舎の中まで引き寄せた。
「どう? これだけあれば充分足りる?」
目元を右手で覆い、窓の方から顔を背ける。ポーラはこちらに力強く笑みを向けてくれていた。
「ああ――充分以上だよッ!」
彼女の右の拳が力任せに床に叩きつけられ。その右腕に、荒れ狂う砂嵐が吸い込まれるように集まっていく。そして次の瞬間、廊下の床から天井まで、一面を塞ぐ堅牢な岩の壁が目の前に現れた。
「……来いよ」
静かな一声。それがまさしく呼び水となって。
直後――怒涛。壁の向こうから、一瞬の静寂を打ち破ったのは、文字通り音の怒涛だった。嵐と暴動と銃撃とが一緒くたになってなだれ込んできているかのような。それは、私にしがみついたレイチェルさんの悲鳴さえ聞こえなくなる程の勢いだった。
やがて――どれくらい経っただろう? 一瞬のうちに、それまでの暴音が静まりかえった。後には、ひび割れた岩壁からぼろぼろと崩れる音だけが残る。
「……いかれてる」
頬を伝う汗を気にも留めず、ポーラは壊れゆく岩壁をきつく睨みつけていた。その奥の方から、いくつもの慌ただしい足音が聞こえてくる。
もう学園祭どころではなさそうね――震えて私に縋り付くレイチェルさんの手をそっと握りながら、私は廊下の喧騒を眺めていた。
◇
「――ちょっとちょっと! 皆大丈夫!? なんなの、何事なのよ!?」
近くの教室に避難した私達の元に、どたばたと駆けつけてきたのはロイさんだった。
「あちこち怪我しちゃって、痛くない? 大丈夫? ああこんなとこまで擦り傷できちゃって」
「ロ、ロイさん、ボクは別に平気ですってば。心配しすぎだよ」
「そりゃ心配もするわよ、あんな魔術テロみたいな目に遭ったんだから。とりあえず三人とも応急処置でもしないと」
ロイさんはポケットから、一体どこに入っていたのか、包帯や消毒液、傷薬などを次から次へと机の上に出し、遠慮するポーラをやや強引に手当てし始めた。こんな時でも我が道を行くロイさんの姿が、今はとても頼もしく見えた。
「さっき学校の先生が救急隊と警察に連絡してたから。もうちょいしたら来るはずよ」
「そうですか……他に襲われた人はいませんでしたか?」
「少なくとも私の取材した限りじゃ他にはいなかったわね。ま、水道管が破裂してたりだとか、施設の被害はあったようだけど」
レイチェルさんの手に絆創膏を貼りつつ、ロイさんは私の問いにそう答えた。それからふっと表情を険しいものに変える。
「ただ、あの騒ぎの中で逃げ惑ってた人達の中に、挙動の怪しい子がいたわね」
「……ロイさんにも、見えていましたか」
「当然よ、私は将来有望なゴシップ記者……って、ノエルちゃんにも見えてたの? あんな状況の中で?」
「ええ。はっきりと見てはいませんけれど」
打開策を探すべく周囲を見回した際、視界に入った逃げる人達の姿。その中に、何故か私達の様子の方をやたらと気にしている人がいたのだ。飛んでくるかもしれない水の弾丸の方ではなく、私達ばかりを見ていた子が。それは――
「その子は、そばかすが特徴的な、小柄な女の子ではありませんでしたか?」
私の言葉に真っ先に反応したのはレイチェルさんだった。それも仕方のない事ではあるが。ロイさんはそんな彼女に視線を向けつつ、私の言葉に頷く。
「あの状況下でよくそこまで見てたわね……そこは置いといて。確かにその子は、ノエルちゃんの言った通りの特徴の子だった」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。まさか、近くにいたというだけでドロシーの事を疑うっていうの?」
「そういう訳ではありません。ただ……先程のあのあまりに正確すぎる猛攻。あれは、余程の魔法の訓練を受けたような人でない限りは、現場近くにいて直接標的を見ていられる人間でなければまず出来ない芸当です。とすれば犯人は、どこかの物陰に潜んでこちらを監視していたか、あるいは逃げ惑う人々の中に紛れてこちらを狙う、という手段を取るはずです」
「……そうね。理には適ってる。でも私には、ドロシーを疑う事はできないわ。あの子は違う。犯人じゃない。大体その理論なら一番あなた達の近くにいた私にだって当てはまるでしょう」
静かだけれど強い語気でそう言うレイチェルさん。正直、驚いた。彼女がこれほど強い意志をぶつけてくるような人だとは、今までの印象からは思いもよらなかった。
「まあまあちょっと落ち着きなさい」
と、昂るレイチェルさんをロイさんが宥めた。
「私はなにも、そういう挙動の怪しい人が一人しかいなかった、なんて一言も言ってないっしょ」
「というと、他にも何人かそういう人がいたという事ですか?」
「何十人も、が正解よ、ノエルちゃん」
さすがにその返答には目を丸くせずにはいられなかった。ロイさんは淡々と話を続ける。
「一目散に逃げ出すでもなく、君達の置かれた状況の方ばかり気にして、明らかな困惑の視線を向けてた人達……そうね、あの時廊下にいた人の内、大体三分の一くらいはそんな感じだったかな。中にはグラウンドの方からわざわざこっちに駆けつけてきた子もいたくらい」
「駆けつけて、って。要するに野次馬……とも違うんだよね、今の話の流れだと」
「そうねポーラちゃん。で、その内の一人が私の知り合いでさ。よくオカルト絡みの記事ネタくれる子なんだけど。さっきの騒動中、その子が血相変えて私のとこに来たのよ。『わしらの学校に誰ぞ邪教徒がおる。それが此度の件で確定されてしもうた』ってね」
そう言って彼女はポーチの中から、一枚の紙切れを取り出した。そこには異様に崩れた字体でこう記されていた。
宴の最中に 贄を踊らせり
肉の贄らを 引き裂きませり
さあさとくと ご笑覧あれ
読み終えて、私もポーラも、そしてレイチェルさんも言葉を失う。異常性、ただそれだけが色濃く伝わる文面。
「警察の捜査はまだだから、迂闊な事はあんまし言えないんだけどね」
さながら動物の死骸を見かけてしまったかのような表情で紙切れを見ながら、ロイさんが口を開いた。
「靴箱とか、机の中とか、あるいはそれ以外か……あの時妙な挙動をしてた人達は、この変な紙を手にしてたのよ。ちゃちな悪戯だろうと思って、すぐゴミ箱に捨てたって人が大半みたいだけど。それでも、うっすらとこの文面は覚えてたみたいね……少なくとも、私が取材した五人はそうだったわ」
「それで、ただの悪戯ではなかったと気付いた人達が、まさかと思いこちらを見ていた……そういう事でしょうか?」
「たぶんね」
ロイさんの話を聞き終え、私は軽く目を閉じる。やけに儀式じみた最初の事件、そして呪詛めいた言葉に絡めたかのような今回の襲撃。犯人の目的は一体何なのか。少なくとも一つ確実に言える事があった。
「この犯人には事件を隠そうという意思はない。それだけは間違いなさそうですね」
それどころか、わざわざ犯行予告じみた怪文書を学校中にばら撒いている辺り、むしろ犯行を見せつけたがってさえいそうだった。悍ましく歪んだ形での自己顕示。
「なんていうかさ。単に復讐が目的っていう奴より、よっぽどたちの悪い感じだね、この犯人」
ロイさんの持つ紙切れに冷たい視線を向け、ポーラは深くため息をついた。事件を起こす事が目的ではなく、手段となっている。もしこの犯人がそういうタイプの犯人だとすれば。
「――まだ事件は続きそうだな」
重い声と共に教室に入ってきたのは、眉間に深い皺を刻んだベイカーさんだった。マイヤーさんの姿はない。おそらくは別行動で捜査をしているのだろう。
「ともかく三人とも、それほど大した怪我もなくて良かった」
私達の顔を見て、ベイカーさんはふっと表情を緩める。けれどそれはごく一瞬の事で、すぐに硬い表情に戻った。
「君達ももう知ってるかもしれないが。ここの生徒、及びイベント関係者、計34名が今回の事件の予告らしき文章を目にしたと供述している。もっとも、それを置いた犯人の目撃者はいなかったが……」
「先日の殺人事件との関連性はありそうですか?」
「警察としては、まだグレーという判断だ。が、無いとも断言できないな。先の事件の混乱に乗じた愉快犯……にしてはあまりにも今日の攻撃は苛烈すぎる。全くびっくりしたよ、君達が襲われたという現場の有り様を見た時は。銃撃戦の最中の紛争地帯さながらだったからな……本当によく無事でいられたもんだ」
「ノエルの機転のおかげ、だね」
「ポーラが土壇場で踏ん張ってくれたからよ」
「んー、そうかな?」
「二人のおかげよ。私がこうしてここに無事でいられるのは」
レイチェルさんは包帯の巻かれた手をさすりながら、こちらに微笑みを向けた。その体はまだかすかに震えていた。
「もし私一人であんな事に巻き込まれていたら、今頃どうなってたか。考えただけでもぞっとするわ。本当にありがとう」
「だが……水を差すような事を言うが、まだ安心はできない」
ロイさんが先程見せてくれた紙切れと同じものを手に、ベイカーさんは窓の外を鋭く睨む。
「個人的な推測だが、こいつは『バートリーⅡ世』と同じタイプの非常に厄介な犯人だ。事件を起こす事自体を愉しみ、事件を見せつける事を愉しみ……とすれば、また君達が狙われる可能性は高い。既に狙われた人間はなにかと注目の的だ。歪んだ自己顕示欲を持った奴からすれば、格好の獲物と言えるだろう」
「確実に注目を集められますからね……」
そして次の犯行は更に過激化する。センセーショナルな事件であればあるほど、世間もマスメディアもより一層注目するからだ。そんな危険ないたちごっこになってしまえば、次こそ命の保証はない。
「全く。私に報道させたいんなら、もっとお気楽な事件にしてもらいたいもんだわ」
ロイさんの深いため息が教室に響く。私は肩の傷に軽く触れながら、爽やかすぎるほどに快晴な外を睨みつけていた。




