瞳の奴隷④
――一週間後、学園祭当日。
「うわぁ、さすがに凄い賑わいだなあ」
バウム高校の正門に吸い込まれていく、まさしく怒涛のような人々の流れを見て、ポーラは開口一番そう言った。元々の生徒数だけでも二千人超というマンモス校である事に加え、繁華街中のスイーツ店が軒並み出店を出すなど、今や街ぐるみと言っていい一大イベント中なのだ。この活気は当然のものだろう。とはいえ。
「……ノエル、ちょっと腰引けてない?」
「うう……それは仕方ないでしょう」
こういう人混みが苦手な私にとって、これは試練だった。けれどここで尻込みしていては、夢のスイーツパークにはとても辿り着けない。だからといってそうそうすぐに人に慣れられるはずもないし……そう葛藤する私を見かねてか、ポーラが小さく笑いながら、ぽんと私の肩に手を乗せた。
「大丈夫だって、ボクがついてるんだから。それに、ほら」
彼女が視線を送る先には、ちらほら私達と同じ制服姿の女の子達がいた。
「あの様子だと、良く知ってる友達も結構来てるんじゃないかな? 全く見ず知らずの人ばかりって事はないんだから、リラックスしていこうよ」
「そ、そうね。そうよ、道行く人は皆良く知ったクレープだと思い込めば大丈夫よ、大丈夫」
「んー、なんかちょっと言いたかった事がずれて伝わってるような……ま、いっか。とにかくその意気だよ」
決意を固めた私は、ポーラの隣にぴったりくっついて校門をくぐる。その途端、ふんわりと甘そうな匂いが体を包んだ。
「お、入ってすぐにもう屋台があるんだ。それじゃ早速食べ歩きといこっかなー」
「それもいいけど、まずはレイチェルさんと合流しないと」
「あ、そうだったね。えっと、待ち合わせの場所は確か校舎の――」
「――やあやあ失敬失敬」
予定していた合流場所に向かおうとしたその時。聞き覚えのある、なんだかトラブルを持ち込んできそうな声が聞こえてきた。その方を見てみると、両手にそれぞれチュロス三本とアイスクリームとクレープを器用に持ったロイさんの姿があった。
「げーっ、ロイさんっ!?」
「……ポーラちゃん、仮にも先輩の私に対してその失敬な態度はなにかな? 奢らせちゃうよ? 強制的にたらふく奢らせちゃうわよ?」
「あーっ、いえいえ滅相もないですロイ先輩! そんな先輩に奢ってしまうだなんて名誉はとてもボクらなんかには似合わないです、先輩!」
「わざとらしさもここまでくると一つの芸術みたいなもんね……まあいいや、この件はせいぜい来月号の新聞記事にするくらいで許してやろう」
「ロイさん、それ俗に言うペンの暴力じゃないでしょうか?」
「ふんっ、暴力に屈する弱い奴が悪いのよ! 力は力! 力こそ力!」
そこいらの暴君も真っ青になりそうな暴論を立てつつ、ロイさんは豪快にチュロスをひとかじり。
「……あー、しみるわぁ、このしつこいくらいの甘々さ。で、ノエルちゃん達もやっぱスイーツ目当て?」
「はい。ここの生徒の方とつい最近仲良くなって。それで、おススメのお店を紹介してもらうという話になったんです」
「おやおやそいつは……良い話を聞かせてもらったわぁ」
くっくっ、と露骨に低い声で笑い、ひたひたと彼女はこちらに歩み寄ってきた。これはどうも、言わなくてもいい事を喋ってしまったようだ。
「い、言っておきますけど、今日はロイさんの取材には協力できませんよ?」
「大丈夫大丈夫、別にそんな事頼まないから。ちょっとだけ、ちょっとだけ付いて行くだけだから」
「うわぁまるで信用できない事言ってる」
私とポーラは軽くロイさんから後ずさる。しかし彼女は逃がさんとばかりににじり寄ってくる。今日ばかりは静かに豊かにスイーツを楽しみたいのだけれど……彼女はきっとそんな事は許してくれないだろう。あの獲物を狙う狩人の目を見れば一目瞭然だ。
「ほらー、この私の優美な食レポが聞けるまたとないチャンスなんだから。連れてかないと後悔するぞ? んー?」
「ボクらは食べたいだけですからっ。待ち合わせの時間もあるし、これで!」
ポーラが無理矢理話を切り、そのまま私の手を引いて反対側へ走り出す。しかし、その直後。
「残念だったわね――それは残像よ」
「うええっ!?」
気付けばロイさんは目の前に立っていた。走って追いかけてきたのではない。本当に瞬間移動のように、いきなり目の前に立ちはだかってきたのだ。
「ロイさん、本当になんでもありですね……」
「神出鬼没は新聞記者の特権だって前も言ったじゃない」
ふっと不敵な笑みを浮かべる彼女からは、何かよく分からない貫禄のようなものが醸し出されていた。これはもう逃げ切るなんてできそうにないか。そう諦めかけた時だった。
「――やれやれ、そこの問題児さんはまた騒ぎを起こすつもりですかね?」
これまた聞き覚えのあるシニカルな声。人混みの間を縫ってやって来たのは、揃ってげんなりした表情を浮かべたベイカーさんとマイヤーさんだった。そんな二人の顔を見た途端、ロイさんが叫んだ。
「げーっ、イヤミなポリ公!」
「……あのなロイちゃん。警官を真正面にしてそんな事堂々と言う奴があるか」
ついさっきも聞いた覚えがあるやりとりの流れに、私は苦笑いするほかなかった。
「というか、嫌味だなんだと言うが、私はそんな嫌味な性格していないからな。そんな事を君に言った覚えもないし」
「おや、警部? なにか言外に私への当てつけが混ざっているようですが、気のせいですかね?」
「当てつけもなにも事実でしょーよ! 失敬なイヤミ警部補さん!」
そんな捨て台詞と合わせて、マイヤーさんに向かって思いっきりベロを出して。ロイさんは大股歩きで校内に去っていった。そんな彼女の後ろ姿を見送った後、マイヤーさんは困り顔で肩を竦めた。
「随分と私も嫌われてしまったものですね」
「前回の補導の時に、よっぽどキツイ皮肉でも言ったんじゃないだろうな? マイヤー君」
「まさか。私が皮肉を言うのは警部に対してくらいのものですよ」
「……一応、私は君の上官なんだが?」
「だからこそでしょう。上司を諫めるのも部下の仕事ですから」
「そんな事ばかり言っているから嫌われるんだろうに……やれやれ、全く」
ベイカーさんはけれど、あまり満更でもなさそうにかぶりを振って小さく笑う。それはそうと。
「あの、補導というなかなか聞き逃せない単語が今出てきませんでしたか?」
恐る恐る私がそう尋ねると、マイヤーさんは真顔になった。怖い。
「彼女はたびたび記事の為と称して、立ち入り禁止の廃病院などの危険な場所に侵入してましてね。まあどこから上手く入っているのやら……それでその度にうちの署が補導してきつく言い聞かせているんですが」
「まあのらりくらりとかわしてくれる訳なんだよこれが。神経がやたら図太いのか単に鈍いだけなのか、そもそも何言われても堪えてるって様子がない。もっとも、よっぽど無茶な場所には行かないから、そこら辺の節度はあるんだろうが」
「最低限の節度、だけではねぇ……我々の仕事をいたずらに増やすのはやめて頂きたいものですよ、ええ」
マイヤーさんは額を押さえ、ベイカーさんは感情の無い笑い声をこぼす。もしここにリッターさんもいたら、ロイさんへの愚痴だけで軽く一時間は話せそうな雰囲気だった。私もポーラももう笑うしかない。
「……とはいえ。殺人犯なんかよりは、余程かわいらしいもんなんだがな」
憂いを帯びた視線が白い校舎に向けられる。辺りの賑わいを乗せて流れる風は嫌に冷たかった。
「警部、そろそろ行きませんと」
「ああ、そうだな。それじゃノエルちゃん達。たっぷりお祭りを楽しんでくるんだぞ」
ベイカーさんは朗らかにそう言い残すと、私達の前を通り過ぎていった。マイヤーさんも軽くこちらに一礼した後、その背中の後についていく。
「……かなり、大変みたいだね」
普段より小さく縮こまったベイカーさんの背中姿を見て、ポーラが低い声でそう呟いた。その声は小さかったけれど、どうしてか辺りの喧騒よりも目立って聞こえた。
◇
「――あ、丁度良いタイミングで来たわね」
待ち合わせ場所である校舎二階の食堂に着くと、レイチェルさんがすぐに声をかけてきた。
「予定より開店準備に遅れてた店があってね。そこが丁度オープンしそうなのよ」
「へえ、そりゃホントにベストタイミングじゃん」
「そこは何のお店なんですか?」
学園祭のパンフレットを鞄から取り出しつつ尋ねると、レイチェルさんはパンフレットの左上、グラウンドの一角を指さした。
「クレープ専門店よ。そこは去年の準優勝のお店でね。私としては、今年こそ王者にした……じゃなくって、なってもらいたいのよ」
「な、なるほど」
「もちろん味は保証するわよ。特にノエルさんなんか超の付くほどの甘党みたいだし。ここの甘味は一味違うのよ。期待しておいて損はないわ」
「そんなにハードル上げちゃって大丈夫? ノエルはともかく、ボクは結構厳しめの意見も言っちゃうよ?」
にやりと意地悪く言うポーラに対し、レイチェルさんは余裕の表情を返していた。
「まあ楽しみにしておいて。それじゃあ早速向かいましょう。人気店だから行列ができるのも早いのよ」
颯爽と先導する彼女に続いて、ポーラも軽い足取りでついていく。さらにその後から私も食堂を出て。
「……あれ?」
ふと、背中に視線を感じて振り返る。そして、食堂の一番奥――縮こまるように隅の席に座っていた少女と目が合った。
「……ッ!」
彼女は――ドロシーさんは何かを言いたそうに口を開き。けれどすぐに目を逸らして、反対側のドアから慌ただしく飛び出していってしまった。
「……今のは」
「おーい、ノエルー」
訝しがっていると、大分距離の離れた所からポーラの呼ぶ声が聞こえてきた。私は慌てて二人の元まで走る。
「どうしたのさ、あんな所で立ち止まって」
「ごめんなさい。食堂の奥に、確かドロシーさん? 彼女がいて、こっちを見ていたから」
「あら、あの子もいたのね。それなら一緒に行こうって誘えばよかったかしら」
レイチェルさんはややばつが悪そうにそう呟く。とはいえ、仮にもし誘っていても、彼女のさっきの様子では、おそらく一緒に来る事はなかっただろう。
「ま、学園祭を楽しんでたら、またどっかで会えるでしょ。その時にでも誘っちゃおうよ」
「……そうね」
ポーラの言葉に頷きつつ、私はドロシーさんの表情を思い返していた。険しい、というよりも何かを怖がっている、というような表情に見えた。どうしてそんな顔を私達に向けていたのか……考え込みそうになったところで、慌ててかぶりを振る。
「早く行かないと行列になるかもしれないんでしたよね。ごめんなさい、急ぎましょうか」
せっかくのお祭りなのだから、それを楽しまなくては損だろう。そう思い直し、慌てて前に歩き出す。
それがまずかった。
「きゃっ!」
前をよく見ていなかったせいで、危うく向こうからやってきた人とぶつかりそうになってしまった。慌てて横に避けて、その人に頭を下げたけれど。
「……ちっ」
バウム高校の制服を着崩した彼女は、そんな露骨な舌打ちを吐き捨て、さっさとすれ違っていった。
「……うわぁ、嫌な感じ」
金髪をなびかせ荒っぽく去っていった後ろ姿にポーラが小声でそうもらした。私は曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
「はあ……仕方ないわね、あの子も。まあ今は荒れているのもしょうがないんだろうけど」
レイチェルさんは何か思うところがあるのか、苦い表情を見せる。
「あの、今の人は?」
「ジュリア・マクベス。こないだの事件で殺された子の友人なの。つまり、まあ……ドロシーの事をいじめてるグループの一人って事ね」
「なるほど……」
「あんまり関わんない方がいいって事は良く分かったよ」
「そうね、今はそれが良いと思う」
ポーラの言葉にレイチェルさんも頷く。確かにそれが賢い選択ではあるのだろう。けれど。
「……なーんか、おせっかい焼きたそうな顔してるね? ノエル」
「えっ? そ、そんな事ないわよ? ドロシーさんの事が気にならないと言ったら、それは嘘になるけれど」
「ふうん?」
「な、なに。なんでそんな意味ありげに笑うの」
「いや、初めて会った時から、ノエルって変わってないんだなって。良い意味で、だよ」
それは褒められているのだろうか。今は深く考えるのはやめておこう。
「せっかくのスイーツ巡りに水を差されてしまったわね。気を取り直して行きましょうか」
レイチェルさんの言葉に頷き、私達は一階へ続く階段を降りていう。下に近付くにつれ、甘い匂いが濃くなっていった。
「おおー。いい匂いだね。うん、どんどんお腹が空いてくるなぁ」
「ポーラは朝からずっとお腹すいてたんじゃない?」
「そりゃそうだよ。だってこのために朝ご飯抜きにしてきてるんだからね」
「そんなに気合入れて来てたの? そう……これはポーラさんの為にも、私も絶品のお店を紹介――いたっ!」
階段の踊り場まで来た時。急にレイチェルさんが左手を押さえて立ち止まった。
「どうかしましたか?」
「ったた……いえ、大丈夫よ。何かで切っちゃったのかしらね。うっかりしてたわ」
「大丈夫ですか? って、結構血が出て――」
瞬間、頬を何かが掠めた感覚。次いで、その軌跡に沿うように、温いものが頬を伝い落ちた。
指で拭うと、その指先は真っ赤に染まっていた。
「違う……二人とも違う。切ったんじゃない……ボクらは今、撃たれたんだ」
喧騒が遠のき、代わりに早鐘を打つ鼓動の音が煩く耳を震わせる。
奇妙な揺らめきが一つ、階段の下から浮かび上がってきたのは、丁度その時だった。




