瞳の奴隷③
大通りにしとしとと降る小雨を虚ろに眺めながら、レイチェルさんは小さく息を吐いた。
「まあ、あの子はその印象通り、とても大人しい子なのよ。家が近所って事もあって中学生の頃から良く見てたんだけど……少なくとも私が知る限り、ドロシーがいじめに抵抗したり、誰かに助けを求めてるような所は見た事がないわね」
「そっか……」
抑揚のない声で呟くポーラは硬い表情を浮かべていた。それはおそらく私も同じだっただろう。
レイチェルさんの話によれば、彼女、ドロシー・メインさんは中学生の頃から何かと因縁をつけられる事が多かったそうだ。貧困というからかいやすい家庭状況に、彼女自身の大人しい性格。嫌な言い方をするなら、彼女は格好の獲物だったという事なのだろう。そしてその状況は、彼女が高校に進学してからより一層ひどくなった――そうレイチェルさんは語った。
「いじめっ子連中の横の繋がりが膨れ上がったおかげでね、まあ連中が付け上がったのよ」
「ははっ、だろうね」
ポーラは分かりやすく乾いた声で笑った。
「浮いてる子を叩いてた方が、そういう連中は一つにまとまりやすいし楽だもんね。冷静に見れば、情けない話でしかないのにさ。おまけに仲間も増やしやすいし、憂さ晴らしにもなるし……」
「嫌な一石二鳥よね、全く」
話を締めくくり、レイチェルさんとポーラは揃って深々とため息をついた。
「色々と苦労しているみたいね……あなた達も」
「あはは……」
何とも言えず、笑ってごまかすしかなかった。それから話題を最初の話に戻した。
「ともかく、今朝の被害者の子が人から恨みを買いやすい人だった、というのは間違いないですね?」
「ええ。ただ……素人考えだけど、私は怨恨による犯行の線は薄いんじゃないかと思ってるのよ」
「というと?」
「死体の状況よ。あまりにも異常だったでしょう」
その言葉に、今朝の凄惨な現場の風景を思い出す。晒し者のように磔にされた半裸の死体……確かに、単純に恨みからというだけの理由での犯行とは思いにくい、凝った状況ではあった。と、黙考しているとレイチェルさんが何かを思い出したのか口を開いた。
「そうだ。異常さというと、あの警部補さんが変な事言ってたわね」
「え? マイヤーさん、まだ他にも事件について漏らしていたんですか?」
「だ、大丈夫なのかなぁ、それって……」
私は困惑を顔に出すのを隠せず、ポーラは心配そうな表情を浮かべていた。思えば最初の事件の時もそうだったけれど、その几帳面そうな外見に反してかなり緩い人ではあった。けれど、そう気軽に捜査情報を漏らしたりしてもいいのだろうか。
「きっと二人を頼りにしてるからじゃない?」
不安になる私達に、レイチェルさんはそう笑いかけてきた。
「その変な話をしてきた時も、できればお二人にも伝えておいてほしい、みたいな事を言ってたもの。それだけ信頼されてるって事よ、あなた達の頭脳と行動力がね」
「そう、なんでしょうか?」
「ま、そう言われると悪い気はしないけどねー」
「ふふっ。それはさておき、その警部補さんが言っていた変な事というのは――」
マイヤーさんの語ったという話によると、死体に着せられていたバスローブの内ポケットの中に、不気味な物が二つ入れられていたそうだ。それは血塗れになったネズミの頭部。とはいえ本物ではなく、ぬいぐるみから千切り取られた物だったそうだ。それらは切断面に至るまでびっしりと血を塗りたくられて入れられていたのだという。
「……なんでまたそんな物が」
話を聞き終え、ポーラはまず一番に頭に思い浮かぶだろう疑問を口にした。けれど、当然ではあるがレイチェルさんは首を横に振るばかりだった。
「犯人が相当に異常者だって事だけは分かるけどね。ただ、そのネズミのぬいぐるみの件もあってか、警察はカルトだとかそういう団体絡みの可能性も視野に入れてるらしいわ。何らかの儀式なんじゃないかって」
「カルト……ですか」
ふいに、胃の中身がせりあがってくる感覚に苛まれた。それを無理矢理に抑えようと、テーブルの下で腹部を押さえ込む。気休め程度にしかならなかったけれど、少なくとも表情にまでその感覚が表れる事はなかったようだ。
「……ありえなくもない、ですね。決めつけるには早いですけれど」
「そうね……まあ、そもそもの情報自体が少ないから、ここでああでもないこうでもないって言ってても仕方ないわね」
さて、とレイチェルさんはそこで話を終えると、すっと席を立った。
「暗い長話はこのくらいにして。そろそろ何か食べない? せっかく私が奢るんだから、二人も遠慮しないで色々取ってきて、」
そう言われたのと同時に、ポーラのお腹が正直な反応を返した。
「もう、ポーラったら」
「仕方ないじゃんか、お腹は減るもんなんだからさ! ほら、皆も早くバイキングコーナーに行くよ」
「はいはい」
顔を赤くしたポーラに引っ張られ、私とレイチェルさんもコーナーへと向かう。そしてそれぞれ、思い思いにパンやケーキを取ってテーブルに戻ってきた。のだけれど。
「……ええと。どうして二人ともそんなに私のお皿を見つめてるんですか?」
なぜか二人がやたらと私の取り皿を凝視してくるのである。レイチェルさんは驚愕の表情を、ポーラはいたたまれないという表情を浮かべて。けれど私にはその理由が分からなかった。ただ普通に、このお店のルールに従ってパンケーキに自分流のトッピングをしただけなのだけれど。
「えーと。ノエル、あのね?」
反応に困っていると、横からポーラが口をはさんできた。
「確かにここのバイキングは、パンケーキとかスポンジケーキとかにトッピングを好きなようにできるってルールだよ。だからそれ用の生クリームだとか果物だとか、色々あった訳だし。うん、好きなようにしていいんだけどさ……なんでそんな白一色のパンケーキにしちゃったのさ」
彼女の言う通り、私が持ってきたのは山のように――世界最高峰の雪山ばりに大量の――真っ白な生クリームで覆われたパンケーキだった。とはいえ、ただそれだけの事である。
「えっ、駄目?」
「駄目じゃない、いや駄目じゃないとは小野運だ。けどその、もっとこう他にも……あったじゃん? 色々あったじゃん?」
「だってクリームの方が甘いもの」
「……もう甘いとかそんな次元のものじゃないと思うわよ? これじゃパンケーキじゃなくて、『ホイップクリームにパンケーキを添えて』、みたいな別種の料理になってしまってるわ」
「えー……」
レイチェルさんからも(おそらくは)不評の言葉を頂き、私は深い悲しみに包まれた。甘いは正義、という考え方は女子にとって普遍の考え方だと信じていただけに、そのショックも大きかった。
「そんな事言われても、大の甘党なんだから仕方ないじゃないですかぁ……」
「……甘党? この体たらくで甘党を名乗るとな?」
「へっ?」
レイチェルさんの様子が一変した。眼鏡のレンズ越しに、きわめて鋭い眼差しがこちらに飛んでくる。
「これは由々しき事態ね。スイーツの嗜み方も分かっていないというのは乙女としての不幸だわ。これはみっちりと本物のスイーツの味と魅力を教える必要がありそうだわ。スイーツを愛してやまない乙女の一人として、避けられない宿命ねこれは」
「え、ええ、と。レイチェルさん?」
「という訳だから。あなた達、来週行われるうちの学園祭に来なさい。今日の事件で延期にこそなったけど、行事の内容自体は変更されないという話だったから」
彼女の誘いを受けて、私はバウム高校の学園祭について思い出していた。確か、アーケード街中のカフェやスイーツ店が軒並み出店を校内に出し、その年の新商品でしのぎを削る……そういう催しが開かれているはずだ。去年、一昨年と家に届いた学園祭の告知チラシにそんな内容が書かれていたように覚えている。と、同じ事を思い出したのか、ポーラが手をぽんと叩いた。
「確か『スイーツ通り王者決定戦』だよね? ボクも一度行ってみたかったんだよねー」
「そうそう、それよ。お忍びで来てるあなた達の学校の生徒さんにも毎年好評だって聞いたわよ」
「あー……分かる気がします」
もちろん私達の女学院の方でも学園祭はある。けれどお嬢様学校という事もあってか、良くも悪くも生真面目なもので、そういった華々しいイベントはあまり行われないのだ。いくらいい所のお嬢様といっても、やはり遊びたい盛りという事なのだろう。
「今年も何十店舗と軒を連ねる予定だそうから。私で良ければ、おススメのお店、案内するわよ? 大丈夫、本当に美味しい一流のとこだけ紹介するから」
「それじゃあ……お願いしてもいいですか?」
当然よ、とレイチェルさんは朗らかに笑った。のだけれど、なぜかその直後に真っ黒な笑みを浮かべる。
「その代わりによ……あなた達には、王者決定戦の最期に行われる投票イベントで、私が一番ひいきにしてるお店に投票してもらうわよ」
「え?」
「王者になったお店からはね、イベント参加者の全員に商品券が配られるの。この一大チャンスをみすみす逃す手はないと思うのよね」
「なるほど、そういうのもあるんだ。でも……うーん、いいのかなぁ? これって要するに、裏工作みたいなものじゃんか?」
ポーラの常識的な問いかけに、レイチェルさんはさながら冷徹なマフィアの如き表情を見せる。
「甘い。甘いわねぇポーラさん、何を甘い事を言っているのかしら。甘いのはスイーツだけで十分なのよ。いい? 世の中勝てば官軍なのよ。それに、勝ち馬に乗れさえすれば、二人だっておいしい思いができるのよ? 別にお店に迷惑を掛けようという話じゃないし。悪い話じゃないでしょう?」
「それもそうだね……ボクとしても、おいしいお店の商品券は欲しいし。ノエルはどう?」
「ううん、そうね。欲しいか欲しくないかと聞かれれば、欲しいけれど」
「じゃあ決まりだね。ボクらもレイチェルさんの案に乗るって事で。おいしいところは頂いちゃおう」
「いいわねぇポーラさん、分かっているじゃない。こういうのは取ったもん勝ちよ」
二人は揃って悪い笑みを浮かべる。その様子を私はなんとも微妙な顔で見る事しかできなかった。絵に描いたなんとやら、にならなければ良いけれど。
「……でも、正直ほっとしたわ、二人とも乗り気になってくれて」
と、レイチェルさんはどうしてか安堵の表情を浮かべてそう言った。
「学校の友人にも何人かこの誘いをかけてはいたんだけど。委員長がそんな事言うなんて意外ー、とかなんとか言われて、ことごとく断られてたのよね。意外とは何よ全く」
「それはたぶん、さっきのように悪い顔をして話を持ち掛けてたからじゃないでしょうか……?」
「実際悪だくみなんだし悪い顔の一つや二つするわよ」
「ええー……」
確かにそれはそうかもしれないけれど。変なところで正直な人なんだなぁ、とつい笑ってしまった。
それからは、ごく他愛もない話や学園祭当日の予定について話し合ったりして。あっという間に楽しい時間は過ぎ。すっかり空も暗くなった頃、私達はレイチェルさんと別れたのだった。




