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良和の時間 その6 初めての時間

今回はちょっときわどいです。

 次の朝。良和は携帯の着信音で目を覚ました。発信者は沙紀だった。時刻は8時くらい。窓の外はどんよりと曇っている。良和はまだ眠いまぶたを擦りながら電話にでた。

「……おはよう」

「……うん、おはよう」

 二人の声はどことなくまだ暗い。

「今日のことなんだけど……」

 今日はまだ夏休みだ。二人は会う約束はしていたが、どこに行くかは決めていなかった。沙紀はそれについて何か提案しようとしているらしいが、良和はそれを遮ってしまった。

「ゴメン!実は、今日中に片付けないといけない仕事があることを思い出したんだ」

 良和はどうしても今日はデートと言う気分になれなかったので、仕事なんて嘘をついてしまった。

「そっか……それじゃ、仕方がないね……会うのはまた今度にしよっか」

 電話の向こうの沙紀の残念そうな顔が良和の目に浮かぶ。罪悪感の棘がチクチクと良和の胸を刺した。

「ゴメンね」

 そういって良和は電話を切った。が、昨日のことは頭から離れないまま、何をするでもなく、テレビを付けっぱなしにして、その日はぼーっと一日を過ごしていた。


 辺りがもう暗くなってきたころ、ふたたび良和の携帯が鳴った。沙紀からだった。とりあえず電話に出る良和。

「あ、立花さん、もう仕事終わった?」

「う、うん。大丈夫だよ。ありがとうね」

 仕事なんて元々なかったから、良和は適当に相槌を打っていた。

「じゃあ、よかったらこれから一緒に夕食でもどうですか」

「うん、いいよ。どこにしようか」

 夕食くらいなら大丈夫かなと思っていた良和だったが、沙紀から思いがけない提案が舞い込んできた。

「あの、わたし、おいしいパン屋さん知っているんで、買って帰って一緒に食べませんか」

「うん、いいね。どこで食べようか」

「立花さんのうちにお邪魔しちゃダメですか?」

 一瞬時間が止まる。

「うち?伊藤さんがうちに来るの?」

 良和の頭は急速に回転しだした。確かに結婚後は沙紀は良和のアパートに一緒に住むことにしている。間取り図も見せていて、この部屋は何に使う、というような相談もしていた。だが良和は沙紀をまだ家に上げたことがなかった。女性が一人で男性の家に上がるということは、何があってもおかしくないわけで、逆に良和にはそこまでする勇気がなかった。

 そんな沙紀がうちに来る。これは良和が一樹に追いつく大チャンスだった。昨日のことがあったとはいえ、良和の沙紀への気持ちは変わらなかったのだ。

「大丈夫だよ。うちの場所は分かるよね?」

「はい!じゃあ、私がパンと後何か食べるものを買っていくので、待ってて貰えますか」

「うん、悪いね。じゃあ、待ってるね」

 電話を切ると、良和は大急ぎで部屋の掃除を始めた。沙紀が来るまで一時間くらいだろうか。女性が上がれるような部屋にするまでの時間は一応あった。


 ピンポーン!

 良和の部屋の呼び鈴が鳴る。

「はーい」と言って良和が玄関を開けると、紙袋いっぱいのパンと大きなバッグをもった沙紀が部屋に入ってきた。

「お待たせ~」

 といいつつ部屋の中を見回す沙紀。なんとか掃除は間に合った。変なものは残していないはずだ、と再確認する良和。

「やっぱり広いですね!これなら二人で住むのにも十分ですね」

 良和は2LDKのアパートを格安で借りている。とはいっても一人暮らしなので、10畳のリビングにテレビやらベッドやらソファやらを集約している。

「ちょっとおかずを切り分けちゃうので、キッチン貸してくださいね。あ、立花さんは座っていてください」

 沙紀は部屋の真ん中にあるローテーブルの上に皿やパンを並べると、持ってきた大きなバッグから取り出したエプロンを身に着け、ハムやチーズを食べやすいように包丁で切り始めた。トントントンと音がする。良和はこの光景をかつて体験していたことを思い出し、ああ、あのころに戻れるんだなと感慨に浸っていた。

 沙紀はおかずを皿に乗せ、テーブルに並べる。そしてバッグを開けると、「じゃーん」という声と共にワインを取り出した。

「今夜は飲みましょ!」

 沙紀は良和の隣に座った。二人はワインで乾杯し、まったりと食事を楽しんだ。パンは沙紀のいうとおり、とても美味しかった。たまにはこういう夕食もいいもんだ、と良和は昨日のことなど忘れたかのように気が楽になっていた。

 食事が一段落ついたころ、言い出す機会を待っていた沙紀が、少し良和によりかかりながら、今日来た本当の目的を伝えた。

「あの、立花さん……」

「何?」

「……今日、ここに泊ってもいいですか」

 良和のワインを飲む手がピタリ止まった。

「も、もちろんいいよ」

 良和の声は裏返っていた。沙紀は一人暮らしなのでよくあるアリバイを作る必要はないし、婚約者なので倫理的にも問題ないだろう。

「よかった。わたし、実はお泊りセット持ってきたんです。今からお片付けしますので、立花さんは今のうちにお風呂に入ってくださいね。

 沙紀はそう言って空いた皿を持ってキッチンへ向かった。


***


 良和はベッドの上にいる。気持ちが逸る良和は、湯船には浸からず、結局シャワーで済ませてしまった。今は沙紀がシャワーを浴びている。あのバスルームのドアの向こうに一糸まとわぬ沙紀がいる。そういえば前にも未来の沙紀とこんなことになったっけ……あのときは結局できなかったんだよな、でも今日こそは!と良和は決意を固めていた。

 バスルームのドアが開いた。部屋は薄明りにしているが、良和にはバスタオルを巻いた沙紀がはっきり見えた。心の中でガッツポーズした。バスタオルがはだけないように手で押さえながら良和の待つベッドへと沙紀がやってきた。失礼します、といってシーツの中に入る。薄明りの中、恥ずかしそうに赤くなっている沙紀の顔が良和には見えた。

 だが次の瞬間、沙紀の言葉がまた良和を硬直させた。

「エヘヘ、ここで寝るの、久しぶりだね」

「……久しぶり??」

 良和は沙紀の言葉の意味が理解できなかった。沙紀がここに来るのは今日が初めてだと思っていたが、前にも来たことがあるのだろうか?思い出せない。そういえばプロポーズしたことも思いだせないのだが、同じときにここに来たのだろうか?

 良和の思考が続く。

 沙紀がプロポーズという言葉を出したのは、良和のタイプスリップが終わった数日後だった。タイムスリップしているとき、この部屋には未来の沙紀がいたから、今の沙紀は来れないはず……。

 いや違う!

 良和は2017年の未来に行っていたので、2016年の今のこの部屋には……2017年の良和がいた!

 つまり、未来の良和がどうやってか沙紀をこの部屋に連れ込んで、プロポーズしたんだ!信じがたい話だが、これなら辻褄があう。

 良和は長年の疑問が一気に解けた気がした。

 ただ良和にはもう一つ気になることがある。沙紀がここで寝たということは……未来の良和は沙紀と「やって」しまったのだろうか?良和は慎重に言葉を選びながら鎌をかけてみた。

「……あのときの僕……うまくできたかな?」

 沈黙の後、沙紀が顔を赤らめて答える。

「すごく……上手だった。びっくりしちゃった」

 やっぱり!良和は頭の上にガーンと巨大な石が落ちて来たのを感じた。

「あれから……立花さん……誘ってくれないから……今日は思い切ってわたしから来ちゃった」

 沙紀はキャッといってシーツに潜ってしまった。未来の良和は床上手で、元彼と別れたばかりの沙紀を物にできるほど「やり手」になっているということだ。あれは来年の4月だから、あと半年ちょっとって僕はそんな風になるんだろうか?良和には信じられなかった。

 しかも!今まで沙紀が処女かどうか気にしていた良和だが、気にしていたときは沙紀はすでに未来の自分と経験済みということなので……昨日から悩んでいたことが一気にバカらしくなってしまった。

 それより!今はこの続きを何とかしなくては。今日、上手にできなければ、きっと沙紀はがっかりするだろう。良和に新たな課題が降りかかった。

 沙紀がシーツから顔を出すと、良和は今まで何度も頭の中でシミュレーションしたように行動し始めた。まず沙紀の髪をなでる。沙紀が目を閉じる。良和も目を閉じ、そっと沙紀の唇にキスした。良和にとっては実にこれがファーストキスだった。だがキスの味も分からないまま良和は次に取り掛かる。バスタオルの上から胸のふくらみをなでると、沙紀が「あ」と吐息を漏らす。そのままタオルをずらしていくと、沙紀の白い肌が露わになる。良和は沙紀の首筋にキスすると、そのまま舌を下の方に伸ばしていく。沙紀が両腕を良和の背中に回し、ギュッと抱きしめる……。


「あ」

 良和はその一言を発すると動かなくなってしまった。

「どうしたの?」という沙紀の問いかけにも答えなかったが、暫くして上体を起こし、うなだれながら、残念な結果を告白した。

「ゴメン……終わっちゃった……」

 その言葉を沙紀は咄嗟に理解できなかったようで、タオルを身体に巻きなおして暫く考えていたが、やがて理解したようで、とクスクスと笑い出した。良和にはそれがとても惨めだった。穴があったら入りたいとは正にこの状況だ。

「ゴメン……幻滅した?」

 沙紀はまだ笑っていた。

「ごめんなさい、笑うつもりはないんだけど、おかしくて……でも」

 沙紀の表情が変わった。

「何だかほっとしちゃった」

「……何で?」

「だって前の立花さん、すごく上手だったっから、逆にいろいろ遊んでいるんじゃないかって不安もあったの。でも今日の立花さんを見て……やっぱり立花さんは思った通りの立花さんだなって」

 沙紀が良和を馬鹿にしているのではないのは分かるが……良和はなんだかやるせない気持ちになった。

 沙紀はそんな良和の頬にキスし、微笑んだ。

「だから、これから、二人で上手になって行きましょうね!」

 その言葉が良和を勇気づけた。

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