良和の時間 その5 花火の時間
何故だか分からないまま結婚が決まった二人。
立花良和と伊藤沙紀の結婚準備は、トントン拍子で進んでいった。お互いの両親への報告、式場の予約、招待する人への報告など。沙紀が早く式を挙げたいというので、結婚式は半年後の9月になった。沙紀は結婚退職し、専業主婦となることとした。また、通勤の便と経済的理由から、結婚後はしばらくは良和のアパートに住むことに決まった。こうなることは良和はすでに一年後の世界にタイムスリップしたときに知っていたが、今の沙紀に言っても信じてもらえないだろうからだまっていた。にもかかららず、二人の結婚生活は自然と良和がかつて体験した未来に向かって進んでいった。
結婚準備とは別に、沙紀は頻繁に良和をデートに誘った。映画、美術館、水族館、動物園と、おおよそ落ち着いてデートできるスポットは一通り制覇した。沙紀は行く先々で必ず二人の写真を撮った。どうやらスライドにして披露宴で見せるらしい。いきなり婚約したことは沙紀も気にしているらしく、その埋め合わせに交際を急いで進めているように良和には見えた。もちろん、沙紀とのデートは良和にはとても楽しいものだったので、そのことは良和にも都合がよかった。
ただ、すべてがうまく行っている訳ではなかった。特に良和はいくつか問題を抱えていた。
まず、報告した人がみんな、口をそろえて二人を「釣り合っていない」と言うことに辟易していた。自分でも釣り合っていないとは思っていたが、人に言われるとムカッと来た。特に沙紀の母親に「前の彼の方がいいと思うんだけどねぇ」と言われたときは、沙紀の親とはうまくやっていけないのではないかと心配になった。沙紀と元彼とはいつの間にか別れたらしいのだが、元彼は沙紀の親に会ったことがあるらしく、そのときたいそう母親に気に入られていたらしい。かろうじて沙紀の父親に「わしはあいつよりお前の方が好きだ」と言われたことで救われた気分になった。ただ、この件は、一通り報告を終えることで自然と収束していった。
次に、良和はいつ沙紀にプロポーズしたか、全然分からないままだった。それとなく沙紀にかまをかけてみたが、のらりくらりとはぐらかされてしまった。かといって「プロポーズした覚えはない」とは言えないので、良和はもやもやした気持ちを抱えながら沙紀との交際を続けて行った。
もう一つ。良和は、交際数ヶ月経っても、沙紀と関係をもつどころかキスすらできなかった。別に沙紀に拒否されているわけではないのだが、きっかけがなかった。タイムスリップしていたときは沙紀の方から頬にキスしてくれたりしたが、結婚前の沙紀はそこまで積極的ではない。かといって良和の交際経験値は中学生ほどしかなかったので、良和の方からリードするという勇気もなかった。そのため、結婚を数ヶ月後に控えている二人だが、極めて健全な交際を続けていた。二人で呼び合うときも、結局、式までは「立花さん」「伊藤さん」と会社での呼び方に合わせるようになった。
良和にはもう一つ気になることがあった。沙紀は……すでに男性を経験済みなのだろうか?もちろん25歳という年齢で、交際経験もあるわけだから、経験済みでも全然おかしくない、ただ、ひょっとしたら清い交際のまま別れたのでは、という淡い期待もあった。良和は別に処女信仰者ではなかったが、結婚相手が自分以外と結ばれていたとしたら、あまりいい気はしなかった。
そういう微妙な交際を続けながら、月日は流れ、結婚一ヶ月前となった。
その日は二人の数少ない夏休み。良和は沙紀にA市の花火大会に誘われた。街の中央を流れる川の河原で行われる、ちょっと大きめの大会だ。夏と言えば海へ山へと繰り出したいところだが、ウェディングドレスを着るのを控えている沙紀は日焼けしたくなかったので、屋内か夜の活動がメインとなった。そのメインイベントの花火大会だった。
「立花さん、おまたせ」
駅で沙紀を待っていた良和は、その声で沙紀が来たことを知り、振り返った。思わず目を見張った。
そこには、浴衣姿の沙紀がいた。水色の浴衣で朝顔の模様があり、手には団扇をもっている。まるで湯上りのようで、良和の鼓動を高めるには十分だった。しばらく沙紀の姿に見とれていた。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ、伊藤さん。じゃあ、行こうか」
良和は恥ずかしそうに手を差し出す。沙紀はそっと手を繋ぐ。男なら浴衣姿をほめるべきだが、良和は照れくさくてそういう気の利いた言葉を掛けることができなかった。
辺りはもう暗くなっており、花火を見に来た人込みで溢れていた。 二人は無言で出店の屋台の間を通り、会場へと向かう。
「あ、始まったよ!」
沙紀が指さす方向を見ると、火の玉がひゅるると夜空へ駆け上り、やがてバーンという音とともに巨大な花となり四方へ散らばった。
「きれい……」
「うん」
良和は、花火と、花火の光に照らされる沙紀を交互に見ていた。花火を見ていた沙紀も、良和の視線に気づくと、良和ににっこり微笑みかけた。
(今日はいい雰囲気だ……もしかしたらキスくらいできるかも)
否応なしに良和の期待が高まった。
二人は道端の縁石に腰掛け、手を繋いだまま次々と上がる花火を見続けていた。
「きれいだったね!」
花火大会が終わり、駅へを向かう二人。辺りは人込みで、とてもキスできる状態ではなかった。どこかに人のいない場所はないか、良和は考えたが、そのような場所が都合よく見つかるはずもなく、今日はここまでかな、とあきらめかけていたところだった。
「沙紀!」
突然の声に驚き、二人は振り返った。
そこには、沙紀と同じくらいの年齢の男がいた。すらっとしたスタイル、ばっちり着こなしたおしゃれな服、アイドルのような顔立ちで、いかにも女にモテそうな、良和が苦手なタイプの男だった。その男が沙紀の名前を呼んでる。しかも呼び捨てだった。そのことから、その男が沙紀とただならぬ関係であることが分かる。沙紀も良和も立ちすくんでいたが、その男は沙紀に近づきながら叫び続けた。
「沙紀!どうしたんだよ!電話も出ないでメールの返事くれないで!」
「一樹……くん」
沙紀がその男の名前を口に出した。
「一樹くん……もう終わったのよ、あなたとは」
なるほどこの男が沙紀の元彼らしい。噂通りのイケメンだった。
「沙紀、君は誤解しているよ。あの人とは何でもないんだ。本当に」
一樹が沙紀の手を取ろうとするが、沙紀はそれを振り払う。沙紀も声を荒げ始めた。
「何でもないって、キスしてたじゃない!」
「だからそれは……」
「それより、わたしはもう他の人との結婚が決まっているの。もう元には戻れないのよ、わたしたち」
「それだ!俺もそれについて、どうしても沙紀と話したかったんだ。何だよ結婚って!僕と会わなくなってから、まだ半年も経ってないじゃないか!」
「……あなたには関係のないことよ」
「関係なくなんかない!まさか沙紀、僕と別れたからって、ヤケになって適当な男と結婚するんじゃないだろうな!一生を棒に振るぞ!」
「ヤケになんかなってないわ!」
適当な男と呼ばれた良和は、事態を呆然と見ていたが、少しずつ状況がつかめてきた。沙紀が元彼と別れた原因は、元彼の浮気らしい。それにしても、本当に沙紀はヤケになって良和との結婚を選んだのだろうか。そうだとするとプロポーズをOKしてくれたことも腑に落ちるのだが……それは良和にとって面白くないことだった。それに、良和がまだ沙紀を「伊藤さん」としか呼べていないのに、一樹が容赦なく沙紀を呼び捨てにすることにも腹が立っていた。良和はとにかくこの場を収めようと口を挟んだ。
「あの……すみません」
「何だ君は!」
沙紀が「あなたは巻き込まれないで」という表情で良和の袖を引っ張ったが、良和は続けた。
「僕が伊藤さんの婚約者です。あなたと伊藤さんに何があったかは知りませんが、伊藤さんは今は僕の婚約者です。僕たちのことはほっておいてくれませんか」
良和にしては冷静に言い切った!沙紀が見直したように良和を見上げている。しかし一樹は良和のことは無視して沙紀に言い放った。
「何だこの男は!みるからにうだつの上がらない貧乏人のオタク中年予備軍じゃないか!」
一樹の言葉の刃が良和の心臓にグサグサと突き刺される。一つ一つの言葉を否定できないのが良和には辛かった。
「こんな男、沙紀には釣り合わないだろ!どうせストーカーみたいな気持ち悪い方法で沙紀に近づいたに決まってる!騙されるな沙紀!」
「そんな、ひどいこと言わないで!!」
沙紀が声を上げて否定してくれたが、沙紀もかつて良和に同じことを言っていたので、良和は苦笑いするしかなかった。
「まあいいだろう。今日は男らしく身を引こう。だがな、俺はいつか必ず沙紀を取り戻すからな……覚悟しておけよ!」
覚悟しておけ……だけは良和に向けられた言葉で、捨て台詞のように聞こえるが、この言葉が今後良和と沙紀の人生に大きく影響することを二人はまだ知らなかった。
そして一樹は、つかつかと良和の方に歩み寄ると、良和の胸倉をつかみ、とどめの一撃を言い放った。
「いいか君、沙紀の『初めての男』はこの僕だ。君が沙紀とどんな関係を築こうが、一生僕に追いつくことはできないんだよ!」
「バカー!!!!バカ!!バカ!!バカ!!」
沙紀が手にしていたハンドバッグを振り回し、一樹の背をバンバンと叩く。一樹もさすがに「イテイテ」と逃げ出した。
「行こ、立花さん」
沙紀が良和の手を引いてその場から離そうとしてくれたが、良和は一樹の言葉に硬直してしばら動けなかった。
良和と沙紀は黙ったまま家路についた。良和の頭には一樹の「初めての男」という言葉がずっとリフレインしていた。沙紀が処女ではない……彼氏がいた以上そいうこうこともあるとは思っていたが、いざそれがはっきりすると良和は平常心ではいられなかった。沙紀が浴衣の下に潜ませているう白い肌……胸のふくらみ……そして、愛し合っているときの表情……良和が体験したことのない世界を、あの男は土足で踏み荒らしていたのだ。もちろん、良和と沙紀が付き合う前の話なので、良和には彼を責める権利はなかったが、かと言ってはいそうですかと納得するだけの度量も良和にはなかった。
無言で電車を乗り継ぎ、二人はいつしか沙紀のマンションの部屋の前についていた。沙紀が顔を上げて良和に声をかける。
「今日はありがとう……立花さん。今日は楽しかった。花火……きれいだったね」
「うん、ぼくもありがとう……」
一樹のことにはあえて触れないでいるつもりだったが、二人の間の静寂が、沙紀の口を動かしてしまった。
「あの人に言われたこと……気にしてる?」
一瞬の間の後「き、気にしていないよ」と取り繕う良和だったが、思いっきり気にしているのは誰の目にも明らかだった。
「ごめんね」
沙紀の目から涙が溢れそうだ。
「伊藤さんが謝ることないよ!悪いのはあいつなんだから!」
「で、でも……わたし……あなたが初めてだったら、よかったのに……」
「大丈夫大丈夫、また明日!」
と言って良和はその場を後にしたが、逃げ出したという方が正解だった。
その夜、良和は、むしゃくしゃして眠れなかった。ベッドのマットにこぶしで何度も八つ当たりした。が、衝撃はむなしく吸収されるだけだった。
全八回の予定です。




