良和の時間 その3 タイムスリップの時間
翌日。
良和がタイムスリップしているという事実を確認するため、良和と沙紀は二人で電車で会社に向かった。電車は少々混雑していたので、沙紀が「車内ではぐれないように」と良和と手を繋いでくれた。良和が大人になってから女性と手を繋ぐのは実はこれが初めてだったので、意外な役得だった。傍からはバカップルに見えたかもしれない。トンネルに入り、携帯電話を確認する良和と沙紀。カレンダーは2017年。もうすぐタイムスリップするはずだ。
ふといつもの頭痛が良和を襲った。頭痛が回復した良和が携帯を見ると、2016年になっていた。やっぱりここでタイムスリップしていたのだ。
「やっぱり……あれ?沙紀さん?沙紀さん?」
良和と手を繋いでいたはずの沙紀がいなくなっていた。沙紀はタイムスリップできないのだろうか?だとすると沙紀だけ2017年の会社に向かったことになる。しかし、2016に戻ってしまった今となっては、もう2017年の沙紀とは連絡の取りようがなかった。
良和がよく観察すると、来ているスーツが違うものになっていた。定期券の有効期限も2016年に戻っていた。どうやら、タイムスリップするのは身体だけで、服や持ち物はスリップ先の年にあるものに置き換わるようだ。
良和が会社に着くと、やっぱり2016年の沙紀がいた。この沙紀は結婚前の沙紀なんだと理解していても、ついつい意識してしまう良和だった。
その日の夜、良和が頭痛を乗り越えて帰宅すると、携帯のカレンダーは2017年になっており、やっぱり沙紀が家で待っていた。良和はほっとした。
「ただいまー、沙紀さん、帰ってたんだね」
「おかえりなさい。あなた」
良和は沙紀の両肩に手を乗せ、興奮気味に伝えた。
「やっぱりタイムスリップしているよ、僕!2016年と2017年を行き来できるんだ!……って、信じてもらえるかな?」
少しの沈黙の後、沙紀が答えた。
「信じるわ、あなた」
突拍子もない話だと思うのだが、沙紀は意外と素直に受け入れてくれた。また、その理由も説明してくれた。
「実は、あの後……電車であなたが頭痛でよろけた後……あなたから教えてもらったの」
「僕から?」
良和はちょっとびっくりした。
「あなたの言う、2017年の良和さんから教えてもらったの」
沙紀の話はこうだった。
沙紀はトンネルで携帯電話のカレンダーを確認していたが、ずっと2017年のままだった。ただ、一緒にいた良和は駅に付いた後、近くの喫茶店に沙紀を連れて行った。そこで自分は「2017年の良和だ」と沙紀に告げ、トンネルで2016年からタイムスリップしてきたことを沙紀に説明した。どうやら沙紀と手を繋いでいた2016年の良和は、トンネルの中で身体だけ2017年の良和に入れ替わったらしかった。昨日良和が沙紀から貰ったお弁当も、そのまま2017年の会社に行くので、2017年の良和が食べたようだ。
2017年の良和は沙紀と結婚したときのことをつぶさに知っていた。良和が沙紀をだます理由もないので、突拍子もない話ではあるが、沙紀は良和を信じることにしたのだ。
2017年の良和は、当然2016年に何が起きていたか記憶していた。そして沙紀にタイムスリップは一週間ほどで終わることを告げたのだった。
「だから心配しなくていい、と言ってくれたの。ちょっと安心しちゃった。でも一年前、あなたがタイムスリップしていたなんて、全然気づかなかった」
一週間……このタイムスリップはもうじき終わるということだ。元に戻るのはうれしいが、もう少し結婚生活を体験していたい気もする良和だった。
そういえば……良和には気になることがあった。
「ところで、2016年の僕は沙紀さんと付き合ってもいないんだけど、僕たちは半年後に結婚するんだよね?一体何があったの?沙紀さんには別の彼がいたみたいだけど」
「それは……彼と別れて、あなたがプロポーズしてくれたから、お受けしたんだけど……」
「それはそうなんだけど、正直、今の僕が2016年の沙紀さんに突然プロポーズしても、OKしてくれるとは思えないんだよね。沙紀さんは僕のどこが気に入って結婚してくれたの?」
沙紀は良和のよいところを思いだそうとしたようだが、突然頬を赤らめて動揺してしまった。
「そ、それは……恥ずかしくて言えないから、あなた自身で考えて一年前の私にアピールしてほしいな!」
恥ずかしい? 良和には意味が全然分からなかった。今の状態で2017年で結婚しているということは、このまま自然の成り行きに任せていれば結婚できるということだろうか。でも良和はどうしてもこの結婚を成功させたかったので、もう少し2016年の沙紀に自分をアピールすることにした。
「それじゃ、沙紀さんの好みとか、趣味とか、教えてくれないかな? その情報を元にがんばってみるから」
「まあ、それくらいなら」
というわけで、その日は、沙紀から良和への講義で一日が終わった。
***
翌日。今日は金曜で週末だった。
2017年の沙紀からいろいろ情報をもらった良和は、さっそく2016年の沙紀にアピールしだした。
まずは会社で沙紀の好きな紅茶を入れ、沙紀の趣味の小説の話題を振ってみた。会社では「沙紀さん」と言わないように注意が必要だ。
「この紅茶、伊藤さんの好みなんじゃない?それと伊藤さんの好きな筒井健吾の小説、今度僕も読んでみようと思うんだけど……」
良和にとってはさりげなくアピールしたつもりだったが、これは逆効果だった。
「立花さん、どうして私の好みを知っているんですか?」
「え、それは色々と……」
良和は返答に困っていると、沙紀の言葉の刃が良和を貫いた。
「調べたんですが? ストーカーみたいで、気持ち悪いです!!」
ガーン!と、良和は頭に思い衝撃を受け、凍り付いた。沙紀はむくれて良和の顔も見なくなった。結局良和はその日仕事が手につかなかった。
その日の夜、トボトボと帰宅した良和は、ことの成り行きを2017年の沙紀に説明した。沙紀はけらけらと笑っていた。
「そんなことしたら、逆効果よ。あなたはあなたのままでいいのに」
「そんなこと言ったって……笑い事じゃないよ!これでもし僕たちが結婚できなかったら……」
良和は頭を抱えている。沙紀は気にしていないようだ。
「大丈夫よ。だって今わたしたち結婚しているし、未来は変わっていないってことでしょ?」
「そうかもしれないけど……もしかしたらこの未来はパラレルワールドかもしれないし」
「……パラレル?」
良和は沙紀に説明した。良和のいた2016年と、沙紀のいる2017年が、並行世界として別々の未来を迎える可能性もあるのだ。
「ま、確かに、わたしは良和さんにそんなこと言った覚えはないし、少し違う世界なのかもね」
「でしょ、でしょ、あーどうしよう!」
良和は髪の毛をかき乱した。
「きっと大丈夫よ。一年前のわたしがあなたの良さを知ったら、絶対プロポーズに応じるって。自分で言うんだから間違いないと思うわ」
正直、良和には沙紀の慰めが心に響いていなかった。自分のどこが良くて沙紀が結婚してくれるのか、さっぱり理解できないからだ。そんな良和をよそに、沙紀は話題を変えた。
「それより、明日は花山公園の桜を見に行かない?今満開なんだって。きっと綺麗よ!お弁当作るから、一緒に食べましょ」
花山公園というのは良和の家の近くにある大きな公園で、桜の名所でもある。良和も会社の行事で何度か行ったことがあるが、当然デートで行くのは初めてだった。いつも食べ損ねている沙紀のお弁当を食べたいということもあり、良和はOKした。
翌日。花山公園は一面の桜で、とても綺麗だった。あちこちで花見をしている人たちがいるが、広い公園なので、良和たちは問題なく花見のポイントを確保することができた。レジャーシートを敷き、沙紀が作ったお弁当を並べて、二人で食べる。花も綺麗だが、沙紀のお弁当も絶品だった。しかしそれよりも、少々おめかしした沙紀が一番かがやいていたと良和は思う。どうやって結婚できたのかは分からないままだったが、良和はこの未来を絶対に守ろうと心に決めた。
ポカポカした陽気につつまれ、少々のお酒が入ったこともあり、二人はシートに寝ころび、手を繋いで満開の桜を見上げていた。
「ねえあなた、来年は三人で来れたらいいね」
「三人?」
「わたしと、あなたと、わたしたちの赤ちゃんと……」
「……そうだね。僕にとっては再来年だけどね」
「そうでした、そうでした」
赤ちゃん……沙紀はまだ妊娠していなから、これからすぐできたとして、来年の今ごろは産まれているはずだ。僕が親になる……名前は何にしようか……良和たちは、自分たちの未来像を想像して、幸せな気持ちになっていた。
ふと、良和は寝ころんだまま沙紀の顔を見つめた。沙紀も良和の顔を見ている。二人とも少し気持ちが高まっていた。沙紀がそっと目を閉じる。これはキスのチャンスなのでは!?良和の鼓動が早くなった。良和は、沙紀の手を取ったまま、そっと顔を沙紀の唇に近づけて行った……。
「おーい、立花じゃないか!あ、伊藤さん、久しぶり~」
聞きなれたイヤーな声に邪魔され、良和たちははっと我に返り、起き上がった。声の主は、良和の悪友、加藤とその仲間たちだった。良和の知らない一年後の加藤だったが、加藤は何年経っても加藤だった。もう夕方ではあるが、仲間たちと花を見ながら酒を飲みに来たようだ。
「何だよ、邪魔すんな!」
良和は加藤を拒絶したが、加藤には通じなかった。
「いいじゃんかよ、酒も持ってきたし。みんなでぱーっとやろうぜ!お、つまみあるじゃん!いいねぇ」
折角の花見の席は、うるさい宴会になってしまった。
良和と沙紀は、やれやれ仕方がないなと、お互い見つめ合った。
***
日曜日。沙紀に誘われるがままに、二人は近所の居酒屋「鳥元」で夕食を取った。鳥元はまあ普通のこじんまりした居酒屋で、女性が一人では入りづらい店だが、焼き鳥が絶品で、沙紀はこの店をとても気に入っていた。週末は必ず二人でこの店に来るのだそうだ。なんでも良和と沙紀の思い出の場所だそうだが、どんな思い出なのかは沙紀は良和に教えてくれなかった。
そして月曜の朝。いつものようにお弁当を持って、沙紀が良和を見送る。行ってらっしゃいのキスを頬にしてもらった後、沙紀は良和の耳元で囁いた。
「ねえ、あなた。今日はもう大丈夫だから……早く帰ってきてね!」
良和はすぐにその言葉の意味を理解し、心臓が飛び出そうになった。一週間前、あの日になった沙紀にお預けをくらって、そのまま夫婦生活の機会を逸していたのだ。良和は結局記憶喪失ではなかったのだから、うまく行けば今夜が良和の初体験ということになる。順番がおかしくないか、という気もするが、据え膳食わねばなんとやらということで、良和はやる気満々だった。
しかし、その後に襲いかかってくる不幸の存在を、このとき良和はまだ知らなかった。




