29、期末テストとスケッチブック
転校して二回め、また休んでしまった。
学校へ来るなり、先生に呼び出され何を言われたかというと。
「悪いが、夏休みは補習だ」
とのことだ。
うん、わかってた。わかっていたんだ。
ちょうど、休んだ間は期末テストの期間で、それでもって紅花はそれも受けなくてはいけない。
そして、放課後、テストを受けさせられた。
本来なら、他の生徒とは違う問題をつくってからやるらしいのだが、紅花に親しい友だちがいないことを理由に、そのままのテスト問題を配られた。
うん、確かにそうだけど、腹が立つ。
それでもって、普通に休むことなく来ていた古床を見て、恨みたくなった。
一週間ぶりに入ったお風呂で、ぽろぽろと散弾銃の弾の破片がこぼれ落ちた身にもなってもらいたい。
テストも放課後だけじゃ間に合わず、休日返上になった身にもなってもらいたい。それでもって監督の先生、ごめんなさい。土曜日、お世話になります。
憂鬱な気持ちで顔をあげる。
半分くらい勘で書いたテストの答案を先生に渡した。
やっと帰れる。
先生に「さようなら」と頭を下げて、靴箱へと向かう。まだ、日は高いので、外では運動部が部活をしていた。
靴に履き替え、つま先をとんとん打ち付けていると……。
「紅ちゃん」
「うわっ!」
お約束のように、いつのまに颯太郎が立っていた。
「心臓が止まるからそんな風に出てくるのやめてくれる?」
「止まらないでしょ」
うん、止まらない。
しかし、むかつくのでぺしっとおでこを叩いておいた。
「テスト終った?」
「明日、あるの」
「教えようか?」
「やめて」
別に勉強は好きじゃないけど、そんなズルをすると、絶対若ママが怒るのでやらない。
若ママが迎えに来るまで少し時間がある。
「……ねえ、あのあとどうなったか教えてくれない?」
紅花は気を失ってあれからの記憶がない。兄さんたちにあらましを聞いたけど、一番詳しいのは颯太郎だと思う。
「……逃げたんじゃないかな」
ちょっと言い淀んで颯太郎が口を開いた。
颯太郎が話してくれたのはほとんど兄さんが言ったことと一緒だった。ただ一つ付け加えることがあった。
「あの家の近所におじいさんが住んでるんだけど」
ごみ出しとか文句を言っていた偏屈そうな人のことだろうか。
「たぶん、あの人がいたおかげで、被害者はあれでも減ったほうだと思う」
「……どういうこと?」
「知ってたんじゃないかな。あの家の住人がおかしいことに」
あの一帯は、再開発が失敗したとかで急激に過疎化が進んでいた。
でも、何十年も前にいた兄妹のことを覚えている人が残っていたのだと。
「……」
いっそ一週間前に戻りたい。
そうして、学校をさぼることなく、写生大会にがんばるのだ。たとえ、現代アートと言われようとも、甘んじて受け入れよう。
そうすれば、きっと紅花は何も知らずに平和に過ごしたのだろう。
颯太郎は一人でもうまくやってくれて、はた迷惑な古床は無事助け出されるだろう。
「……紅ちゃん」
「なに?」
颯太郎が少し俯いていった。
「僕は、紅ちゃんほど、他人のために身体をはれないよ」
「!?」
紅花の思考を読み取ったかのような台詞だった。
「で、でも」
井戸でみんなを助けたときは……。
「骨くらいすぐくっつく。そういう構造だから。でも、紅ちゃんみたいに死ぬことを前提とした消耗戦はできない」
颯太郎の目は、いつものアーモンド形のくりくりとしたものではなく、瞳孔が縮まっていた。ゆえにより獣のように見える。
「助けられたら助ける。でも、そこに順位があるんだ」
可愛い顔して、現実的なことを口にする。
それくらいわかっている。颯太郎にできることとできないことがあるのだってわかる。彼だって撃たれたら死ぬ、それは十二分にわかっていたはずだ。
紅花の血で不死者になろうとも、その不死身の効力は与えた血肉に比例したものだ。怪我して再生するほどに、その血肉は消費されていく。
それなのに、勝手にショックを受けるのは、紅花の身勝手だろう。
「……ねえ。なら聞いてもいい?」
「なに?」
「それなら、最初から誰も助けなきゃいいじゃない? 危ないし、誰かに感謝されるものなの?」
井戸のときといい、吸血鬼のときといい、白い家のときといい、颯太郎に利益が生まれることはない。肝心の助けられた本人は忘れているくらいだ。
颯太郎はそれに対して、くすっと笑う。
「それ、知りたい?」
「なによ、教えなさいよ」
余裕の表情をした颯太郎に、紅花はむっとした腕組みをして、つま先をかつかつ鳴らす。
そのとき、携帯が震えた。
着信を見ると、若ママからだった。もうすぐ到着するという連絡だ。
「お迎え?」
颯太郎は、首を傾げながら靴を履きかえる。そして、玄関をでていく。
「ちょっと!」
「明日、テストが終わったら、うちに来てよ。そしたら、教えてあげるね」
颯太郎は目を細めると、さっさと出て行ってしまった。
なんなのよ。
そんなのここで言ってしまえば、早いのに。
紅花はむっとしながら、いつもの待ち合わせ場所に向かうことにした。
翌日、テストが終わったのは、午後三時を過ぎたころで、家に帰りついたのは四時過ぎだった。
「ちょっと、お隣さん行ってくる」
若ママにそう伝えて紅花は、日高家を目指す。ニャーベラスのミケも散歩に付き合うといわんばかりに、一緒に外に出た。
猫の外飼いはよくないと言われているけど、少なくともミケが他の獣に襲われたりすることはない。たぶん、クマくらいなら一匹で倒せるらしい。
ご近所に迷惑をかけているようなら却下だけど、生憎、ここらのご近所は日高さんちが一番近く、その次の家までミケの縄張りじゃないから大丈夫だろう。
日高家に向かうと、車は一台もなかった。
猫耳の颯太郎ママは、買い物にでもでかけているのだろうか。他の家族も帰っていないようだ。
呼び鈴を鳴らすと、颯太郎がシャツに短パンといった実にリラックスした格好ででてきた。
向こうがそんな格好なら、紅花も制服のままで行けばよかったかなと思った。着替えてしまったものは仕方ない。
「紅ちゃん、あそこ。前に土とりに来たときのはなれわかる?」
「うん」
「外からまわって、ちょっと持ってくるものがあるから」
わかった、と紅花は外からまわっていく。
庭には前と変わらずのどかに鶏が草をついばんでいた。
そういえば。
一昨日の鶏の丸焼きを提供してくれたのは、日高家だと聞いた。
「やっぱ若鶏は美味しいわ」
若ママがおいしそうに食べているのを思い出すが、もしかして、こいつらの仲間じゃないだろうか、と紅花は思わず観察してしまった。
そういえば、数減っているような……。
いや、気にしないでおこうと、離れに急ぐ。
颯太郎は、勝手口から出て来たらしく、サンダルを履いていた。その手にはスケッチブックを挟んでいる。
「ちょっとこっちに上がってて」
「わかった」
颯太郎は、スケッチブックを離れに置くと、一度母屋に戻り、麦茶とえびせんべいを持ってきた。一応、おもてなしする気持ちがあると、受け取っておこう。
「それで何なの?」
紅花は離れに上がり、座布団の上に座る。
「まず、これを見て」
颯太郎からスケッチブックを受け取った。
「意味わかんないんだけど」
そういってぺらぺらとめくる。
最初の一枚は、黒いクレヨンでぐちゃぐちゃになにか描かれていた。
次の頁は、クレヨン画だけど、なにか手足のようなものが描いてある、動物だろうか。
その次は、クレヨンから鉛筆に進化していた。それでも、何の動物かまだ判別できない。
一枚、一枚絵が上達しているのがわかった。
絵の下に、日付が小さく描かれていて、そこだけ颯太郎が書いたものじゃないとわかる。
三つくらいのころから始まり、それが年に数回の頻度で描かれている。
絵の上達とともに、それが何の動物であるかわかった。
「これって、虎?」
「わからない」
白い虎だ。いや、実際は白いかどうかわからないけど、少なくとも白黒以外の色がないため、黄色いかどうかもわからない。
白い虎と思ったのは、おそらく颯太郎のことを無意識に思い出したからだろう。
絵はどんどん写実的になっていく。
「虎だけど、虎じゃない」
二足歩行だ。その骨格は獣のそれと違う。
「獣人?」
「近いと思う。でも……」
もう一枚頁をめくる。そこには、肉を引き裂かれた人間の姿があった。下手に絵が上達しているだけに、妙におどろおどろしい。絵に恐怖がにじみ出ている。
どこかで見たような気がした。どこでだっただろうか、と紅花は首を傾げる。
「こんな大きな獣人は今のところ見たことない」
『人』というには大きすぎる。引き裂かれた人間を対比して考えると、四メートルを軽くこえている。
『巨人』と言われる人たちでさえ、紅花の知る限りでは成人で三メートルほどだ。
「これが何なの?」
「これが、いつか僕を殺す獣だよ」
颯太郎は淡々と言った。
「引き裂かれているのは僕、場所や日時、それはまちまちだけど、僕の最後はすべてこの虎に殺される。これでは、食われて終わる」
「……嘘?」
「ほんと」
何度も夢で見た。
夢で見るたびに、それを描きとめた。
自分がどんな生き物に殺されるか、確認するために。
「おばあちゃんがそうしろって言ったんだ。なにか、なにか糸口があれば、それを覆すことができるかもって。嫌だけど、夢を見た日はこうやって忘れないように絵に描くんだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! アンタも獣人でしょ! それに、半分くらい不死者なんだから、そう簡単に……」
それを聞いて、紅花はハッとなった。
いま、颯太郎は「食われて終わる」といった。
それは……。
「安心して。殺されることには変わりない。食われて終わるようになったのは、この日からだよ」
そう言って日付を見せる。
日付は、紅花が颯太郎を不死者にした翌日だった。
「この日の夢で、ようやくこの虎に傷をつけることができた。それでも、致命傷には程遠かったけど」
「……」
紅花はスケッチブックの最初の一枚を見る。
こんな小さいときから、彼は自分が殺される恐怖と戦っていたのだろう。
「最初は怖くて仕方なかったよ。だから、おばあちゃんに相談したんだ」
「うん」
「そしたら、なんでもいいから手がかりを探せって。助かることに最善を尽くせって」
「うん」
紅花は同意した。同情じゃない。紅花もまた、彼と少し違う形で自分の死期を悟ることができる。そこに、自分が不死者である要素があるぶん、いくらかマシだろうが。でなきゃ、発狂していただろう。
「この虎が何なのか探すけど、見つからない。お父さんの書斎の中にそれらしきものはないんだ。母さんだって知らない」
そう言って、颯太郎は床に置いてある本をめくった。『虎人』と書いてある頁を開くが、颯太郎の絵とはかなり雰囲気が違う。
あれ?
これって?
「……獣王」
ふと口にした。
以前、一度だけ定期健診の際、見た絵に似ていることを思い出した。
「獣王?」
「えっと、知らない?」
「うん、それっぽいのはあったとおもうけど」
そういえば、どこか遠回しに言っていた気がする。誰だったろうか、あのとき、教えてくれた研修医は。
「……めん」
紅花が首をぶんぶん振りながら、思い出そうとすると、ぼそりと小さな声が聞こえた。
「なに?」
「……ごめん」
なぜ颯太郎が謝るのだろうと紅花は思う。
「なんで?」
「だって、僕がやっているのは、結局打算だから」
人助けじゃない。それを助けることで、自分の経験値が増える。未来を変える要素を増やしているだけにすぎないと。
「だから?」
「だからって言われても。紅ちゃん、僕のこと助けてくれたのも……」
「いや、あれはあれ」
別に、助けなくていいならしたくなかったけど、仕方なかった。しなかったら、それはそれで後悔していただろう。
彼が言いたいのは、彼が善人だから紅花が助けてくれたのではということだろう。
「……ねえ、私が善人しか助けないとかいうタイプだったら、古床さん、もう三回死んでるんだけど」
「……」
「そういうのやめてくれる? らしくなくて気持ち悪いわ。いつもどおり小魚かじってなさい」
そういって紅花は麦茶を飲んで、えびせんべいを颯太郎の口に突っ込んだ。
「そんなに罪悪感あるなら、もっと私を敬いなさいよ。私、麦茶より紅茶が好きだし、おせんべいよりクッキーが好きなの」
「……えんひょひまふ(善処します)」
口いっぱいにえびせんべいをつっこまれたまま颯太郎が言った。
「それから、あんまりいきなり後ろから現れないで。びっくりするから」
「了解」
「それと……」
紅花は少しにやっと笑う。
「ちょっと、耳触らせて」
そう言って、紅花は颯太郎の身体を倒すと、ふにふにの耳を触った。
それでもって。
「……う」
「なに?」
「なんでもないから!」
耳を引っ張ると、颯太郎は大人しくなった。
紅花はふんっと鼻を鳴らすと、庭の端っこを見た。
そこにはほんの少しだけ、申し訳程度にベニバナが植えてあった。




