第1話:【朗報】粘着質すぎる彼氏、洗剤で洗えばワンチャン落ちる説
新章始まりました。
『粘着質すぎる彼氏、洗濯機で洗ったら「好き」だけ残らないかな?』
全10話で毎日投稿していきます
「紡ちゃん、今どこ? 会社出た? 駅から家までの道、不審者出てない? あとね、今日の紡ちゃんの匂いが残った服、抱きしめながら待ってるよ」
スマホの画面に躍り出た通知の数を見て、私は深い、本日何回目かも分からない溜め息をついた。
画面上のメッセージ件数は「24」。うち、着信履歴が3。わずか十五分の残業中に積み上がった、愛という名の泥粘土である。
「……はぁ。顔は最高にタイプなのになぁ」
画面をスワイプし、待ち受け画面を見る。そこには、私がソファーで口を開けて間抜けに眠っている写真が表示されていた。ちなみにこれ、ランダムで切り替わる100枚スライドショーである。全部、私が無防備に寝ているか、油断してラーメンをすすっている写真だ。どこで撮った。
私の彼氏、城山粘理27歳。フリーのイラストレーター。
顔は塩顔爽やか系イケメンで、背が高くて、手先が器用で、料理もうまくて、何より私のことが大好き。
条件だけ並べれば「理想の彼氏」そのものだ。
——ただし、致命的に「粘着質」であることを除けば。
家に着き、鍵をガチャリと開けた瞬間だった。
「ツムちゃぁぁん!!」
ぬるりと、まるで巨大なトリモチに絡みつかれたような感覚。
ドアを開けて1秒で、粘理が私の全身に抱きついてきた。勢いよくではなく、ねっとりと、体全体の接地面を極限まで増やそうとするような抱きつき方だ。
「粘理、重い、重いって。靴脱がせて」
「やだ。十五分も連絡なかった。紡ちゃんがどこかの男に拉致されたかと思って、俺、もう心臓が破裂しそうだったんだよ?」
「残業だってLINEしたでしょ。ほら、離れて。上着脱ぐから」
なんとか彼を押し剥がそうとするが、私の体に腕を回したまま離れようとしない。首筋に粘理の鼻先がすりすりと寄せられる。
「あ、今日の紡ちゃんはちょっと排気ガスの匂いがする。会社の近くの工事現場通ったでしょう? あと、微かに知らない男のトワレの匂いがする……誰? 誰とすれ違ったの?」
「怖っ! 匂い察知能力どうなってんの!? 営業の佐藤さんがすれ違いざまに挨拶してきただけ! ほら、離れて!」
彼の胸をえいやと押して、ようやく物理的な距離を作る。粘理は捨てられた子犬のような、しかし瞳の奥にはギラギラとした暗い執着を宿した目で私を見つめていた。
「佐藤さんね……メモした。明日からその佐藤さんのシフト調べて見張りに行く」
「やめて!? 犯罪だからねそれ!? 本当にやめて!?」
私は頭を抱えた。
文房具メーカーの商品開発部で働く私は、根っからのロジカル思考で、整理整頓と清潔さを何よりも愛する人間だ。デスクの上のペンは常に平行に並べたいし、洗濯物は寸分の狂いもなく角を揃えて干したい。
対する粘理は、ドロドロとした情念を絵にぶつける天才肌。そのドロドロが私という個人に向けられた時、私の平穏な日常は一気に侵食される。
どこに行くにもGPS共有は当たり前。
スマホのパスコードは彼の誕生日にさせられ、私の抜け毛を見つけると「宝物」と言って透明なピルケースに保存する。
好きだ。顔も、声も、二人でココアを飲んでいる時の優しい笑顔も、私の好みを完全に把握している気配りも、全部全部、心から愛おしいと思っている。
だけど。
だけど、この肌に纏わりつくような、湿度100%の「粘着質」だけが、どうしても私を息苦しくさせるのだ。
「粘理、ちょっとお風呂入ってきて。私、ご飯の準備するから」
「えー、紡ちゃんと一緒に入りたい」
「だーめ。今日は一人で入って。はい、着替え!」
脱衣所に彼を押し込み、パタンとドアを閉める。
ふう、と大きな息を吐き出し、私は脱ぎ散らかされた彼の部屋着を拾い上げた。
粘理のパーカー。彼の匂いと、少し湿った体温が残っている。
ぎゅっと握りしめると、愛しさと同時に、ずっしりとした重みが手に伝わってきた。
「……ほんと、重いなぁ」
私は洗面所に向かい、全自動洗濯機の蓋を開けた。
洗剤投入口に、いつもの液体洗剤を注ぎ込む。青い液体が、すうっと吸い込まれていく。
粘理の着ていた服をぽいと槽に放り込み、蓋を閉める。
スタートボタンを押すと、ウィーンというモーター音とともに、水が給水され始めた。
カシャカシャ、グルグルと、洗濯槽の中で衣類が舞い踊る。
水と洗剤の泡に揉まれながら、服についた汗や皮脂、目に見えない汚れが洗い流されていく。
透明だった水が、徐々に濁り、そして最後には綺麗にすすがれて、真っ白な泡とともに消えていく……。
私は洗面台の鏡に映る、疲れ切った自分の顔を見つめた。
「ねえ、洗濯機さん」
ぽつりと、声が出た。
「この子の服じゃなくて……粘理本人をこの中に入れて回したら、どうなると思う?」
ぐるぐると回る洗濯槽の裏側を見つめながら、妄想が頭を駆け巡る。
もしも、人間の性質すらも「汚れ」みたいに洗い流せるとしたら。
この洗面台にある強力な漂白剤や、超濃縮の界面活性剤を使って、粘理のあの重すぎる執着、ドロドロした束縛癖、粘着質な部分だけを、ゴシゴシと綺麗に洗い落とせたら。
そしたら。
泡と一緒にあの「ネバネバ」が排水溝に流れていって。
残るのは、私が大好きな、優しくて、爽やかで、私を真っ直ぐに愛してくれる「綺麗な粘理」だけになるんじゃないのかな。
「紡ちゃん? どうしたの、洗濯機の前でフリーズして」
ハッと振り返ると、風呂上がりで濡れた髪をタオルで拭いている粘理が立っていた。
湯気とともに、ほのかに石鹸の香りが漂う。やっぱり顔が良い。濡れた前髪から覗く瞳は綺麗で、思わずキュンとしてしまう。
……でも。
「紡ちゃん、今『やっぱり俺の顔ってカッコいいな』って思ってたでしょう? 分かるよ、紡ちゃんの目の動きで。ねえ、俺のことどれくらい好き? 1から10で言ったら、100くらい好き?」
ねっとり。
風呂上がりだというのに、彼の纏う雰囲気が一瞬で「粘着モード」に切り替わる。
粘理は私の腰に腕を回し、濡れた髪を私の頬にすり寄せてきた。冷たいような、温かいような、ぬめりとした感覚。
「ねえ、紡ちゃん。明日のお休み、どこも行かないで俺だけを見ててよ。スマホも電源切ろう? ね?」
耳元で囁かれる甘い声。
普通ならときめくシチュエーションなのかもしれない。けれど、今の私には、まるで足元から泥が這い上がってくるような圧迫感しか感じられなかった。
「……粘理」
「なあに、紡ちゃん?」
私は彼の胸に手を当て、そっと押し返した。
そして、グルグルと音を立てて回り続ける洗濯機をチラリと見やる。
「明日さ。久しぶりに銭湯行かない?」
「銭湯? 家のお風呂じゃダメなの?」
「たまには大きなところで、思いっきり体をゴシゴシ洗うのもいいかなって。……私、粘理の背中、壊れるくらい力いっぱい洗ってあげる」
私の言葉に、粘理は「えっ、紡ちゃんが背中洗ってくれるの!?」とパッとお花が咲いたような笑顔を見せた。
「行く! 行くよ紡ちゃん! 俺、紡ちゃんに洗ってもらえるなら皮膚が擦り切れてもいい!」
嬉しそうに抱きついてくる彼を抱き返しながら、私は心の中で静かに、狂気じみた決意を固めていた。
服じゃダメだ。表面だけ拭いても意味がない。
明日、まずは第一段階。
銭湯の強力なジェットバスと、サロン用のスクラブ洗剤を使って——彼の「粘着質」を、物理的にどこまで洗い落とせるか試してみよう。
もし、洗剤で彼の執着が落ちるのだとしたら。
私は迷わず、彼を洗い続けるだろう。
だって私は、彼を愛しているのだから。
粘着質が取れて、「好き」だけになった彼を、完璧に愛したいのだから。
脱衣所に響く洗濯機の脱水音が、まるで私の企みを祝福するように、激しく高らかに鳴り響いていた。




