第3話:鳴り響く内線、仕組まれた(?)奇跡
「はぁ……。何度見ても、やっぱり本人だよねぇ……」
月曜日の午前10時。中堅インテリアメーカー『プレジール・ファニチャー』のオフィス。
紬は自席のデスクで、毎月定期購読している建築・デザインの専門業界誌『商店建築』を開き、完全にフリーズしていた。
スタイリッシュにレイアウトされた巻頭ページ。
『今、最も空間を鋭く切り取る20代の異才――建築デザイナー・瀬尾航平』
そこには、モノトーンのタイリッシュなシャツを腕まくりし、巨大な建築模型の前で凛とした笑みを浮かべる瀬尾の姿があった。
「緒方さん、それ先月出たやつでしょ? その瀬尾ってデザイナー、今めちゃくちゃモテモテらしいよ。大手の『帝都設計』の若手エースなんだって」
隣の席の同僚、ミカがコーヒーカップを片手に覗き込んできた。
「やっぱり……有名なんだね」
「有名どころじゃないって。名だたるハイブランドの店舗コンペを勝ちまくって、業界じゃ『若手の神童』扱い。あーあ、こういうハイスペックなイケメンと一回でいいから仕事してみたいわ。あ、そういえば緒方さん、大学のサークルが一緒だったんだっけ?」
「うん。でも、私の記憶にある瀬尾くんは、いつもジャージ姿で『先輩、模型の接着剤が指にくっつきました……』って泣きそうになってた不器用な後輩だったんだけどね」
「嘘でしょ!? 何そのギャップ、最高すぎるんだけど!」
ミカが黄色い悲鳴をあげるのを苦笑いで流しながら、紬はそっと誌面の瀬尾の写真に触れた。
あの結婚式での衝撃的な再会から、まだ2日しか経っていない。
拓海に浴びせられた罵詈雑言は、瀬尾の鮮やかな登場とあの真っ直ぐな言葉によって、今ではすっかり綺麗に洗い流されていた。
(先輩は、100点満点の優しさを配れる人――)
思い出すだけで、仕事中だというのに顔がカッと熱くなる。
その時、紬のデスクにある有線電話が、けたたましく鳴り響いた。
「はい、企画開発部の緒方です」
『あ、緒方先輩? ――良かった、席にいらっしゃった』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、少し低くて、けれど耳に心地よい、まさに今考えていた人物の声だった。
「え……っ? 瀬尾、くん?」
『はい、瀬尾です。急にごめんなさい。今、プレジールさんの1階受付にいるんですけど……少しだけ、お時間いただけたりしますか?』
「ええっ!? うちの会社にいるの!? なんで?」
『ちょっと、近くまで仕事で来てまして。……あはは、アポなしで突撃するなんて、さすがに迷惑でしたよね』
受話器の向こうで、瀬尾が恐縮したように笑う。その少し気まずそうなニュアンスは、大学時代の「瀬尾くん」そのままだ。
「ううん、全然迷惑じゃないよ! 今すぐロビーに降りるね!」
紬は慌てて受話器を置くと、手鏡で前髪を整え、オフィスの外へと走った。
◇
1階の商談ラウンジ。
ガラス張りの明るい空間のソファに、背筋をピンと伸ばして座っている瀬尾の姿があった。
黒のシックなセットアップをスマートに着こなした姿は、完全に『一流の建築家』のオーラを放っていて、社内の女性社員たちが遠巻きにチラチラと視線を送っている。
「瀬尾くん!」
「あ、緒方先輩!」
紬の声に反応して立ち上がった瀬尾は、一瞬で顔をパッと輝かせた。
「急に押し掛けてすみません。これ、差し入れです。先輩、仕事中によくブラックコーヒー飲んでましたよね。近くに美味しい自家焙煎の店があったので」
手渡された紙袋には、まだ温かいテイクアウトのコーヒーが2人分入っていた。
「わあ、ありがとう。……っていうか、よく覚えてたね。私がいつもブラックだったこと」
「忘れるわけないですよ。僕が居残りで泣きそうになってる時、先輩がいつも自販機で缶コーヒー買って、私の隣に置いてくれたんですから。あの時のコーヒーの味、僕の人生の原点です」
瀬尾はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。
拓海には「ヨレヨレだ」「老けた」と否定され続けた過去の日常が、瀬尾の中では「人生の原点」として美しく保管されている。
チーン。
紬の心の中で、新しいカウンターが小気味よい音を立てた。
『好みを覚えてくれている、優しい肯定(+50点)』
「ふふ、大袈裟だなぁ。あ、そうだ。これ、今さっきデスクで見てたんだよ」
紬は持ってきた『商店建築』をテーブルに広げた。瀬尾はそれを見るなり、「うわっ!」と顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。
「勘弁してください先輩! 自分で見るのも恥ずかしいのに、先輩に見られるなんて公開処刑です……!」
「何言ってるの、すっごく格好いいよ。私の知ってる瀬尾くんが、こんなに立派なデザイナーになってるなんて、本当に誇らしいもん」
「格好いい、ですか……?」
瀬尾は指の隙間から、上目遣いで紬を見つめた。
「先輩にそう言ってもらえるのが、どんな賞を獲るよりも一番嬉しいです」
「もう、すぐそうやって口が上手くなって。大学の時はもっと口下手だったのに」
「口先だけじゃないですよ。本心です。……それに、昨日の浅井さんの件、その、大丈夫でしたか?」
瀬尾の目が、すっと真剣なものに変わる。
「うん。連絡も全部ブロックしたままだし、あの人の言うこと、もう私には1ミリも響かないから。昨日、瀬尾くんが私の代わりに怒ってくれたおかげだよ。本当にありがとうね」
「……良かったです。本当に、良かったです」
瀬尾は心底安心したように、胸を撫で下ろした。
それから、彼は手元のブラックコーヒーを一口飲むと、居住まいを正し、自分のビジネスバッグから、一冊の重厚なレザークラフトのファイルを取り出した。
「先輩。今日は、半分はプライベートで先輩に会いに来ましたけど……もう半分は、本気の『商談』に来ました。……いえ、『プレジール・ファニチャーの緒方紬さん』に、オファーをしに来たんです」
「え……?」
瀬尾の纏う空気が、一瞬でプロのそれへと切り替わる。
紬は思わず背筋を伸ばした。
「これを見ていただけますか」
瀬尾がテーブルに広げたのは、現在、都内で開発が進んでいる超大型複合商業施設の内装プロジェクトの、極秘の企画書だった。
「僕がチーフデザイナーを務めている、最上階の『プレミアム・コワーキングラウンジ』の計画書です。コンペを勝ち抜いて、空間デザインと、そこに配置するすべての家具の選定・開発の全権を、僕が握っています」
紬は渡された資料をめくった。
洗練された美しい3Dパース。光と影が計算し尽くされた、息をのむような美しい空間デザイン。その中に配置されている、いくつかのスタイリッシュなチェアのデザインに、紬の目が留まった。
「これ……っ、私が去年企画した『シルフィ・シリーズ』のオフィスチェア……?」
「はい。ですが、既存の製品をそのまま置くつもりはありません。この商業施設のコンセプトである『凛とした温かさ』に合わせて、素材やファブリック、背もたれの曲線をマイナーチェンジした【特注のコラボレーション家具】として、プレジールさんと共同開発したいんです」
瀬尾は真っ直ぐに、紬の目を見つめた。
「身内贔屓で持って来た話じゃありません。僕のチームで、国内外のあらゆるオフィス家具メーカーの製品を検証しました。その結果、機能性を保ちながら、使う人の身体を最も優しく包み込む導線を作れていたのが、緒方先輩の作った家具だったんです。デザインの意図を120%理解して、空間に命を吹き込んでくれるのは、先輩しかいません」
(私の仕事を……ここまで、見てくれていたんだ……)
拓海には「見た目を整えるだけの楽な仕事」だと切り捨てられた、紬の血と汗の結晶。それを、瀬尾は完璧なデータとリサーチ、そして何よりプロとしての圧倒的なリスペクトを持って、100点満点以上の価値として目の前に提示してくれた。
「瀬尾くん、これ……本当に、私とやりたいと思ってくれたの?」
「はい。このプロジェクトのパートナーになってくれるのは、緒方先輩、あなたしかいないと思っています」
公私混同ギリギリの、けれどこれ以上ないほど誠実なオファー。
瀬尾の真っ直ぐな瞳を受け止めながら、紬の胸は、企画者として、そして一人の女性として、激しく、熱く鼓動していた。
お読みいただき、本当にありがとうございました!
もし「面白かった!」「もっと読みたい!」と思ってくださったら、ぜひ作品への応援をお願いいたします。
画面下部にある、
・【ブックマークに追加】
・【★★★★★】(ポイント評価)
をポチッと押して応援していただけますと、次回作や第二章?の執筆エネルギーが100倍になります!
皆様の評価一つ一つが、作者の何よりの支えです。
感想やレビューなども、一言でも大歓迎です!




