第6話:決別と清算
蓮くんのアパートで温かい朝を迎え、私の心には不思議なほど澄み渡る覚悟が宿っていた。
昨夜、私はすでに動き始めていたのだ。大学時代の友人で、本当に「本物の弁護士」として事務所を開いている女性――彩香に連絡を取り、状況をすべて打ち明けていた。
『真由、よくぞ目を覚ましたわ! 賃貸契約があなた名義なら不退去罪や占有の件で攻められるし、借用書がなくてもLINEの履歴や口座の引き落とし履歴で損害賠償の請求骨子は組み立てられる。速攻で追い出しましょう!』
頼もしすぎる彩香の助言を受け、私は仕事の有給を取得。彩香と、私の荷物運びを手伝ってくれるガタイの良い男性友人二人を伴い、意を決して自室へと向かった。
「真由、大丈夫? 奴が暴れたら私たちが即警察呼ぶし、男手もあるからね」
「うん。ありがとう、彩香」
鍵を開け、ドアを押す。
部屋の中は相変わらず荒れ果てており、智樹はソファで昼過ぎの陽光を浴びながら、スマホをいじっていた。
「あ? ……なんだよ真由、帰ってきたのか。昨日いきなり飛び出してさぁ、連絡もつかねえし……って、誰だお前ら!?」
ぞろぞろと入ってきた私以外の三人に気づき、智樹が跳ね起きる。
「初めまして、竹内智樹さん。私、真由の代理人を務めます弁護士の司法担当、藤崎彩香と申します」
彩香が名刺をスッと突き出し、冷ややかな笑顔を向けた。本物の弁護士の名刺と、重圧感のある立ち振る舞いに、智樹の顔が引きつる。
「べ、弁護士……? 何言分だお前! 真由、何の真似だよこれ!」
智樹は私に矛先を向けようと一歩踏み出したが、私の前にガタイの良い友人が立ちはだかり、その鋭い視線に気圧されて足を止めた。
「智樹。今日であなたとは終わり。この部屋から出て行ってもらいます」
私は震える声を抑え、しっかりと智樹の目を見つめて告げた。
「はあ!? 急に何言ってんだよ! 俺たちの仲だろ!? 親が死んで大変な俺を見捨てる気か!?」
「大変? 冗談はやめなさい」
彩香がファイルから数枚の書類を取り出し、テーブルの上に叩きつけた。
「あなたが両親の遺産数千万円をたった1年で競馬・パチンコ・風俗・別の女性への貢ぎ物で使い果たした証明、および『弁護士事務所勤務』という経歴詐称の事実関係、すべて調査済みです。さらに、真由の口座から勝手に使われた生活費・家賃の補填分、合計二百八十万円の返還請求書です」
「な……ッ!?」
智樹の顔から一気に血の気が引いていく。
「な、なんでそれを……! 嘘だ、俺は勉強のために人脈を作ってて……!」
「嘘をつくのはそこまでにしなさい。あなたが『ミサキ』という女性をはじめ、複数の女性に『遺産の手続きで手持ちがない』と偽ってお金を借りている件も、必要であれば各所に連絡を取って集団で被害届を出しますよ?」
彩香の毅然とした一撃に、智樹の言い訳は完全に封じられた。
化けの皮が剥がれた智樹は、次に「泣き落とし」へとシフトした。
「ま、真由……! 悪かった! 俺、どうかしてたんだよ! 親が死んで寂しくて、ギャンブルに逃げちゃって……! でも真由を愛してるのは本当なんだ! 真由がいないと、俺、本当に生きていけないんだよ!」
智樹は床にひざまずき、私に向かって手を伸ばそうとしてきた。情けない涙を流し、すがりついてくる。
かつての私なら、この姿に毒され、「私が助けてあげなきゃ」と手を差し伸べていただろう。
けれど、今の私には、その涙がただの「保身のための演技」にしか見えなかった。
頭の中に浮かぶのは、自分を「扱いやすいカモ」と呼び、嘲笑っていた彼の姿。そして、昨夜私の傷を心から痛むように包み込んでくれた、蓮くんの真っ直ぐな瞳だ。
「触らないで」
冷酷なまでに静かな声で、私は彼の手を跳ね除けた。
「『あなたなしじゃ生きていけない』なんて、嘘。あなたは私がいないと生きていけないんじゃなくて、『自分の代わりに金を出して、面倒を見てくれる便利なカモ』がいなくなると困るだけでしょ」
「真由……!」
「自分の人生の責任を、他人に押し付けないで。私はもう、あなたの母親でも、金づるでも、サンドバッグでもないの」
智樹が息を飲んだ。彼の瞳に、初めて「本当に捨てられた」という絶望が色濃く浮かび上がる。
「契約書に基づき、本館の鍵は回収します。あなたの私物はすべてこのダンボール三箱に詰め込みました。今すぐこれを持って退去してください。応じない場合は、不退去罪で即座に警察を呼びます」
彩香が容赦なく宣言する。友人二人も智樹にじりじりと圧力をかける。
智樹は悔しそうに歯を食いしばり、顔を真っ赤にして叫んだ。
「覚えてろよ! 30のババアが調子に乗るな! お前なんか一生幸せになれねえからな!」
負け犬の遠吠えのような捨て台詞。
昔なら傷ついていたかもしれないその言葉も、今の私にはただ哀れにしか聞こえなかった。
「おあいにく様。あなたと切れたことで、私はこれからいくらでも幸せになれるわ。さようなら、智樹」
友人に両脇を抱えられるようにして、ダンボールを抱えた智樹が部屋から追い出される。
ガチャリ、と玄関の鍵が閉まった瞬間、部屋に静寂が訪れた。
「……終わったわね、真由」
彩香がフッと肩の力を抜き、微笑んだ。
「うん……終わった。みんな、本当にありがとう……!」
部屋を見渡す。智樹の荷物がなくなった室内は、驚くほど広くて、明るく見えた。
胸の中にあった重い澱が、すっきりと消え去っていくのを感じる。
お金の返還については彩香が法定手続きを進めてくれることになり、共通の友人たちにも智樹の虚言と借金癖についての事実が周知された。彼の嘘のネットワークは完全に崩壊し、もう二度と私や私の周囲に近づくことはできない。
私はその日のうちに、この部屋の解約手続きを進めることに決めた。
こんな場所、もう未練なんて一ミリもない。
スマホを取り出すと、LINEに一通のメッセージが届いていた。
『真由さん、無事に終わりましたか? 無理しないでくださいね。お店で温かいスープ作って待ってます。 蓮』
画面を見つめる私の口元に、自然と笑みがこぼれた。
狂気の共依存から抜け出し、私は自分の足でしっかりと立つことができた。
私を搾取し、泥沼に引きずり込もうとしたクズな男との決別。
それは、私を心から大切にしてくれる「本物の愛」へと踏み出すための、最高のスタートラインだった。




