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【10話完結オムニバス】理不尽な男を捨てたら、理想の溺愛に出会いました。〜大人のリベンジ愛短編集〜  作者: かぶんす
「私がいないとダメ」は嘘でした。 30歳無職のクズヒモ男を捨てたら、推しの年下ミュージシャンに全力で溺愛されています。

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第5話:逃げ込んだ先の温もり

夜の街に飛び出したものの、行くあてなんてどこにもなかった。


手持ちの荷物は、通勤用のバッグひとつだけ。

スマホと財布、会社のIDカード。そして――ポケットの奥に大切にしまっていた、あの小さなライブのフライヤー。


寒風が容赦なくコートの隙間を吹き抜けていく。

智樹に怒鳴られた記憶、化けの皮が剥がれ落ちた恐ろしい顔、そして「30にもなって売れ残りの女」という罵倒が、頭の中で何度も何度もリフレインしていた。


悔しくて、情けなくて、惨めで。

今まで自分が注いできた愛情や時間が、すべてドブに捨てられていたという事実に、膝がガクガクと震えた。


(どこに行けばいいんだろう……)


ビジネスホテルを探そうとスマホを取りかけたとき、画面に映った時刻は22時半を回っていた。

ふと、先週行ったあの路地裏の居酒屋――『酒処 ひろ』の温かい明かりと、出汁の香りが脳裏をかすめる。


(蓮くん、まだバイトしてるかな……)


迷惑になるかもしれない。見ず知らずの客が、こんなボロボロの状態で押し寄せるなんて迷惑に決まっている。

そう頭では分かっているのに、吸い寄せられるように私の足はあの路地裏へと向かっていた。今の私には、あの場所の温もりだけが、唯一の救いに思えたのだ。



暖簾をくぐると、ちょうど最後の客が出ていくところだった。


「あ、いらっしゃい……って、真由さん!?」


テーブルを拭いていた蓮くんが、私を見るなり目を見開いた。

カウンターの奥にいた店長さんも、私の姿に驚いて手を止める。


「真由さん、どうしたんですか……? すごく顔色が……」


「あ、ごめんなさい……もう閉店ですよね。すみません、間違えて来ちゃって……すぐに帰ります」


自分の浅はかさに気づき、慌てて引き返そうと背を向けたその時。


「待ってください!」


素早い足音が近づき、私の手首が優しく掴まれた。

振り返ると、蓮くんが心配と焦りの混ざった真剣な眼差しで私を見つめていた。その手は温かく、凍え切っていた私の肌にじんわりと熱が伝わってくる。


「帰さないです。そんな顔して一人で帰せるわけないでしょう」


「蓮、奥の座敷使わせてもらえ」


店長さんが静かに言った。


「看板はもう落としたから、ゆっくりしていきな。暖かいお茶でも淹れてやるからさ」


「店長さん……すみません……」


私は崩れ落ちるように座敷の畳の上にへたり込んだ。



「どうぞ。あたたかい緑茶です」


蓮くんが目の前に湯気の立つコップを置いてくれた。店長さんは「俺は片付けしてるから、気にせず話しな」と言って、厨房の方へ下がってくれた。


湯気を手で包み込むと、緊張の糸がぷつりと切れた。


「私……本当に、馬鹿だったんです」


ポツリと漏らした言葉を皮切りに、溢れ出したら止まらなくなった。


智樹との再会。弁護士を目指しているという嘘。両親が亡くなって家に転がり込んできたこと。私の給料を当てにし、遺産をギャンブルと女で食いつぶしていたこと。今日、部屋で彼の本音を聞いてしまい、逃げ出してきたこと――。


「『私がいないとダメになる』って思ってたんです。私が彼を支えてるんだって……でも違った。私はただの金づるで、カモで……彼に利用されていただけだったんです」


ボロボロと大粒の涙が溢れて、テーブルの上に水たまりを作っていく。

声がしゃくりあげて途切れ、呼吸が苦しくなるほど泣きじゃくる私を、蓮くんは途中で口を挟むことなく、静かに静かに聞いてくれていた。


否定もせず、軽蔑もせず、ただただ深い温もりを宿した瞳で私を受け止めてくれていた。


「……情けないですよね。30歳にもなって、こんな分かりやすい嘘に騙されて。自分勝手に『支えてあげてる』気になって……全部、私のひとりよがりだったんです」


顔を覆って泣く私に、蓮くんが静かに立ち上がり、隣に腰掛けた。


そして、迷いのない手で、私の背中にそっと手を添えてくれた。


「真由さん。自分を責めないでください」


「え……?」


涙で歪む視界の先で、蓮くんの顔がすぐ近くにあった。

彼の瞳には、怒りと、そして溢れんばかりの愛おしさが揺れていた。


「真由さんは何も悪くないです。悪いのは、真由さんの優しさに付け込んで、傷つけたその男です」


「でも、私……」


「ひとりよがりなんかじゃない。真由さんはただ、大切な人を真っ直ぐに信じて、全力で支えようとしただけじゃないですか。その優しさは、誰にでも持てるものじゃないです。すごく綺麗で、誇るべきものです」


蓮くんの手が、背中を優しく撫でる。

その手の温もりが、智樹の罵詈雑言でズタズタに傷ついた私の心を、ゆっくりと補修していくようだった。


「でもね、真由さん」


蓮くんの声が、少し低く、切ない響きを帯びた。


「あなたのその優しさは、そんな奴に使うものじゃないです」


「……蓮くん……」


「自分の足を引っ張る奴のために、真由さんが泣く必要なんてない。真由さんの優しさは、ちゃんと感謝して、真由さんを大切にしてくれる人に使うべきなんです」


直球すぎる言葉が、胸の奥深くに突き刺さる。


智樹は一度だって、私に「ありがとう」と言ってくれなかった。私の犠牲を「当たり前」だと思い、要求をエスカレートさせるだけだった。

けれど、目の前にいる年下の彼は、私の愚かな行動を「綺麗な優しさ」だと肯定し、泣いている私を全力で守ろうとしてくれている。


「僕、居酒屋で真由さんに初めて会ったときから……ずっと気になってました」


蓮くんが私の目を真っ直ぐに見つめて言った。


「いつも疲れた顔をしていて、誰かのために無理をしていて。でも、僕のライブに来てくれたとき、僕の歌を聴いて流してくれた涙を見て……この人を、心から笑わせたいって思ったんです」


「……っ」


「だから、もうあの男のところには戻らないでください。……僕が、真由さんを守りますから」


彼の言葉には、嘘や計算なんて一切なかった。

ライブハウスで聞いた彼の歌声と同じ、どこまでも誠実で、泥臭く真っ直ぐな想い。


麻痺していた私の心に、温かい血が巡っていくのが分かった。


「……ありがとう、蓮くん」


涙を拭い、私は小さく笑った。久しぶりに、自分の意思で笑えた気がした。


「もう、絶対に戻らない。私、あの人との関係を全部清算する」


「はい。手伝えることがあったら、何でも言ってください。僕、力仕事くらいしかできませんけど」


照れくさそうに微笑む蓮くんの姿に、胸がキュッと熱くなる。


共依存という暗い泥沼にハマり込み、自虐と絶望の中にいた私を救い出してくれたのは、完璧な王子様なんかじゃない。

夢に向かって不器用に進む、真っ直ぐな瞳をした年下の男の子だった。


「……今日、ホテル探すよ」


「ダメです。こんな時間だし、危ないですから。……うち、来ますか?」


「えっ!?」


驚く私に、蓮くんは顔を真っ赤にしながら慌てて手を振った。


「あ、変な意味じゃないです! 僕の部屋、ボロいアパートですけど、僕は押し入れで寝ますから! 真由さんを一人でホテルに行かせる方が心配で……」


その必死な弁明がおかしくて、私は思わず「くすっ」と声を上げて笑ってしまった。


「ふふ、ありがとう。じゃあ……お言葉に甘えようかな」


毒に侵されていた私の世界が、少しずつ、色を取り戻し始めていた。

今夜から始まるのは、過去を清算し、本当の「幸せ」を掴むための私の新しい物語だ。

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