7話 陰なる勇者候補
陰なる勇者候補を知っているか。
それは二か月前のとある夜、災竜のプラージャが消滅した日を境に現れた伝説の名だ。
姿も名も一切が不明。分かっていることはただ一つだけ。魔族が人を襲うとした次の瞬間に、それは現象となって現れるということ。
とてつもない速度で〝何か〟が通過したと思えば、次の瞬間魔族の姿が跡形もなく消え失せる。現場に残されていたのは、衝撃波によって壊された家屋などの物と、魔族が引きずられたであろう跡のみ。
その〝何か〟に恐怖する者は多かったが、人々を魔の手から救っていることには違いない。いつしか人々は、この現象を引き起こしている〝何か〟をこう呼び始めた。
魔を、その頂点である魔王を倒してくれるかもしれない、つまりは勇者候補。しかし影も形も掴めぬ――陰なる勇者候補――と。
陰なる勇者候補とは一体何者なのか。その正体とは。
人に限らず魔族でさえも、いま世界中は、その話題で持ちきりだった。
その〝何か〟は今宵も現れる。魔族が人を襲うとした、次の瞬間に――。
魔族の襲来とは、一般の人にとっては絶望の襲来と同義だ。
戦闘経験もろくにないただの人間が、人を喰らって成長した魔族に勝てるはずがないからだ。
深夜、何の前触れもなくやってきた、無数の魔族と一体の大魔族からなる魔族の襲来。
幸いにも、少し離れた場所に駐在していた騎士軍が駆けつけるも――大魔族に太刀打ちできるのは、勇者候補クラスのみ。ただの騎士では、成す術はなかった。
助けに来た騎士軍が一方的に蹴散らされる光景を見て、その村に住む男は絶望していた。
(もう、だめだ……)
目の前には、三メートルを越える大型の大魔族が、丸太のような腕で騎士数人をまとめて薙ぎ払っている。
「小せぇ村だが、餌となる人間は豊富だなぁ! ぎはは! こいつらを全員喰らって、俺こそが次の四天王になるんだ!」
災竜のプラージャが消滅したことにより、この大魔族のように「我こそが」と考え、人が襲われる事件がここ最近で頻発していた。
その白羽の矢が、今宵自分達の村に突き刺さってしまったのだ。
(このままでは全員、死んでしまう……)
いいのか見ているだけで。ただ死を待っているだけの、そんな最期で。
どうせ死んでしまうなら、いっそのこと、
(せめて子供や、女達だけでも逃がすんだ……!)
男はそう考え、せめてもの時間稼ぎとして、自分も戦おうと立ち上がった。
騎士軍だけに背負わせない。この村は自分達の故郷なのだから――気付けば自分と同じように、村の男達が同じ瞳を宿し魔族の群れを睨みつけていた。
「一分! いいや一秒だけでもいい! 俺達の命を以てして、後に続く命を繋いでみせる! 戦うぞ! 皆!」
「「「おおおぉぉぉぉおお!!」」」
雄叫びをあげ、村人達は一斉に魔法を発動していく。
決死の想いで放ったそれらを、魔族の群れは嘲笑で出迎えていた。
「ぎはは! 虫けらどもが、この俺に挑もうとしたことを後悔させてやる!」
大魔族は腕を振るった。それだけで、魔法は一斉に霧散していった。
大魔族を筆頭とした魔族の群れと、村人の戦い。結果など語るまでもない。
――しかし――
この村は、たった一つのある要因によって、一人の犠牲者も出すことなく無事朝を迎えることとなる。
その要因とは――この村が、位置している場所だった。
魔王が封印されている今、魔族の頂点に立っているのは四天王。彼らはそれぞれ縄張りをもっており、それぞれの地域で魔族を支配している。
災竜のプラージャが消滅したことにより、「我こそは」と躍起になっているのは、プラージャが縄張りとしていた魔族共なのだ。
――そう。その、プラージャが縄張りとしていた地こそが――
――とある侯爵家が領土としている地だったのだ――
「なんだ! 何が起きている!?」
その現象に真っ先に気付いたのは、犠牲者である魔族の群れだった。
「突然消えただと!? そんなバカなことがあるか!」
悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。
音速を越えた〝何か〟が通過する度に発生する衝撃波。一体、また一体と、魔族が姿を消していった。
「落ち着け! かたまっ」
指揮を取ろうとした魔族も、次の瞬間には忽然と。
「これは……この、現象は、まさか……」
大魔族は信じられないと、消えゆく部下を前に目を見張っていた。
村人達は想いを一つにし、こう呟く。
「まさか本当に、実在していたのか……」
魔族が消えていくという現象を前に、村人達は、大魔族でさえも、ある伝説の名を思い出していた。
「「陰なる勇者候補――!!」」
それは、たった数分間の出来事だった。
村を襲来した魔族の群れは、あっという間に夜の闇へと消えていった。
大魔族であっても例外ではなく、
「くそが! そんなバカなことがあ」
闇雲に拳を振ろうと、拳を振り上げた刹那、村人の前から跡形もなく消える。
後にはやはり、〝何か〟に引きずられた跡が残っているだけだった。
信じられないほどの力と速度で引きずられる大魔族。
抵抗する余裕などない。一体村からどれだけ離れたのだろうか、やがて大魔族はそびえたつ崖に無造作に放り投げられた。
「が……はッ!」
衝撃が体内を走り抜け、口から空気が一気に絞られる。
フラついた足で、眼差しで〝何か〟の正体を睨みつけた。
「人間の、ガキ、だと……?」
目の前にいたのは、自分の三分の一ほどしかない小さな少女だった。
(まさかこんなガキが、陰なる勇者候補だとでも言うのか……? いや、ありえねぇだろ、そんなこと)
大魔族は己の目を疑う。
状況は少女こそが陰なる勇者候補だと示しているが、常識が否定していた。
「おい、お前は」
何者なのか。大魔族が問おうとするのと、少女が口を開くのは同じタイミングだった。
「なにも――」
「今日は素敵な夜ね」
「――――ッ!!?」
何かしらの攻撃を受けたわけではない。
少女は自分に言葉を投げかけた。つまりは自分に意識を向けた。たったそれだけで大魔族は、全身が冷えあがるような寒気を覚えたのだ。
(なんだ、なんなんだ、なんだっていうんだよこのガキは!?)
「ねえ」
心の問いに応えるかのように、少女は視線を大魔族に注ぐ。
そして、目が合った。
「貴方もそう思わない?」
「~~~~~~ッ!!!」
少女が何者なのか。それは分からない。
ただ大魔族は一瞬で全てを察した。
――この少女は、とても自分の手に負えるような相手ではない――と。
(逃げなくては! 早く! ここから!)
上位者に背を向けるなど自殺行為でしかない。けれども大魔族は咄嗟に、少女から目を話し脱兎の想いでここから逃げようとした。
――だが――
「なんだぁリーエル、次は随分と活きのいい餌を連れてきたなぁ」
暗闇から現れたのは、また別の少女。
目の前の少女とかなり似ているが、どこか男子みのある、中性的な印象がある。
「メインディッシュ、ってやつかぁ?」
そしてその眼差しは――少女よりも、遥かに凶悪で恐ろしいものだった。
「あ、ああああぁぁぁぁ」
逃げようとしていた足が恐怖のあまりもつれ、その場に倒れ込む。
(あのガキも! このガキも! 一体何者なんだ……!)
生に縋るように慌てて立ち上がろうとするも、足に力が入らない。
見ると、中性的な少女の体から伸びている液体が、足に喰らいつくようにまとわりついていた。
「ちなみに、これを喰べたらどれくらい強くなるのかしら? メギちゃん」
「あー……それでもまだお前に、まだ一発も当てらんねぇよ」
「そう……私より遥かに強くなるには、まだまだ時間がかかりそうね」
「ちっ、うぜぇ」
どうしてかお互いに殺意を向け合いながらも、少女達は世間話でもするかのように、おぞましい会話を交わしていた。
(喰べる? 俺を、このガキが? この俺を!?)
にわかには信じられない。が、本能が喰われる! と必死に訴えていた。
(殺らなければ! 殺られる!!)
触れた全てを破壊するという魔法を発動し、大魔族は全力でまとわりついている液体を殴りつけた。
「あ? なんかしたか?」
「そんなっ、そんなバカなことが! あぁ!?」
発動した魔法ごと、拳が液体に呑み込まれていく。拳が、足が、まるで堪能しているかのように徐々に消化されていき、中性的な少女の体へと吸収されていった。
「やだ! 死にたくない! 俺はもっともっと人間を食って、俺こそが次の四天王にぃぃいいいい!!」
液体はやがて大魔族の体全てを侵食していく。
最期には、大魔族は声にもならない断末魔をあげながら喰われていった。
後にはもう、骨さえも残されていない。
今宵餌となったのは、人間ではなく魔族の群れの方だった。
もし全てを理解している者がこれを目の当たりにしたなら――哀れ、と言わざるを得ないだろう。
魔族の群れを襲撃したのは他でもない。元勇者と元魔王による、最強×最凶のタッグだったのだから。
「しっかし、さすがに大魔族ともなるとそれなりに旨ぇなぁ」
「こういう時はね、ごちそうさま、って言うのよメギちゃん」
「あ? いや知らねぇよ」
「人の世に早く慣れてほしいから、こういうのも気にしてほしいの。だからほら、早くごちそうさまって言ってちょうだい」
「…………」
「殴られなきゃ分からないなら、そうするけれども?」
「ちっ、ごちそうさま……これでいいか? リーエル」
「ばっちりよ、メギちゃん。あとは私のことは、エルちゃんって呼ぶようにね。今は二人きりだからいいけれども、その口調も早く治してね」
「はぁ……了解しましたよ、エルちゃん。ったく面倒くせぇですわね」
「はい。よくできました」
無数の死の上で、二人のやり取りだけが、無邪気に続いていた。




