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4話 かつて、この世界には勇者がいた

 二百年前、たった一人で魔王を倒した勇者がいた。彼はいつも誰かのピンチに現れ、彼の前には人間(じゃくしゃ)の命を貪ろうとする魔族(きょうしゃ)しかいなかった。


 誰かを守るという精神性もさることながら、何よりも一騎当千たるその強さから、彼を讃える言葉は多い。中でも特に有名なのが、〝終わらせる者(The・End)〟という二つ名、それを象徴するEの称号だ。


 エル・E・エールは魔王を倒した唯一の勇者であり、現代の勇者候補は誰しもが、彼になれるよう日々研鑽を積んでいる。


 史上最年少の勇者候補、ラクシュ・n・ゾーラもその一人だ。


(私は……この剣で魔王を斬り、平和という新たな扉を開ける。そのために私は……私の全てを捧げてきた……)


 〝新たな扉(new・gate)〟という二つ名、与えられたnの称号。魔王を倒し、勇者になることを夢見る志、勇者候補に選ばれたという自信、何よりも自覚。


(なのになぜ私は……こんなところで……!)


 しかしそれら全ては、目の前の〝死〟相手には無様なほど無力だった。


「魔王を倒すことを期待されたぁぁ、勇者候補ぉ? こぉの程度の雑魚どもがぁ~あ?」


 突如森の中に現れた、大魔族以上の脅威。

 そのたった一体にラクシュは――いいやラクシュだけでなく、最年少である自分の面倒を見てくれていた偉大な先達も、ライバルと認めお互いに高めあう戦友達も。


 魔王を倒すことを期待されているはずの、十人の勇者候補は全員が、手も足も出ずに敗北を喫していた。


 辛うじて意識を保っているのは、両の腕を折られ、情けなくも早々に戦線離脱した自分のみ。あとの九人は命は繋いでいるものの……時間の問題だ。


(四天王の一角にして、魔王の右腕、災竜のプラージャ……まさかこれほどまでに、実力差があるだなんて……!)


 魔物は人を喰らうことで知恵をつけ、力を増していく。やがて人の姿に成った魔物は魔族と呼ばれ、その中でも人類の歴史に名を残すべき脅威と見做された魔族が、大魔族と区別されている。


 災竜のプラージャは、そんな大魔族の中でも最強に位置する四天王の一角。魔王が封印されている今、間違いなく人類にとっての最強の敵だ。


「私に敗れる程度の雑魚どもがぁ~あ、魔王様を倒すだなんてぇ、よくもまあそんな大言を吐けたものですねぇぇ!」


 竜であった頃の名残として、額の角と両翼が特徴的だが、それ以外は人間の姿と変わらない。

 プラージャは人の言葉を用い、激怒をそのままに吐き捨てる。


「笑止千万! 身の程知らずぅ! そぉんな愚か者の貴様らにはぁ、この一撃でぇぇ、跡形もなく消し去ってやるぅぅぅ!」


 バチバチと火花が散り、角の先端に集まっていく炎。

 色は赤から蒼となり、黒となり、最終的には純白へと化していた。


「そんな……馬鹿な……」


 赤炎から蒼炎は、炎の熱が高まることによって変化する。

 しかし蒼炎から色が変異するのは温度ではなく、炎がもつ意味が変わるため起こる現象だ。


 黒炎は燃やすのではなく消滅させる。

 そして純白の炎は、存在を抹消する。


 まるで月が降臨したと見紛うほど、白煌と輝く純白の炎球。目の当たりにしたラクシュは、絶望をそのままに絶句していた。


「終焉級……」


 魔法とは、この世界にどれほどの影響を及ぼすかによって等級が定められている。

 終焉級とは文字通り、世界を滅ぼしうる魔法のこと。七つある等級の上位二番目に位置し、勇者候補の中でさえ、現在はdとeの称号を持つ二人しか行使できない。


「これほどの……私に……私が……私は……どうすれば……」


 ラクシュが行使できる魔法は上位四番目、奇跡を起こす英雄級。

 等級が二つも離れている純白の炎に、太刀打ちできるはずがない。


 そう――無理だったのだ、無謀だったのだ。

 最初から、全てがもう、こんな、四天王の一角で、魔王の右腕と呼ばれている、災竜のプラージャと闘うだなんて、そんなの――


(――最初から、逃げていればよかった)


 どうせ無意味に殺されるだけなら、そもそもが挑むべきではなかったのだ。


(足に力は――まだ入る)


 今から逃げようなどと、奴が見逃してくれるはずもないだろう。

 けれどもここで、黙って殺されるくらいならと……ラクシュは最後の力を振り絞るタイミングを見計らう。


(私は、まだ――)


 勇者候補に選ばれたとはいえ、ラクシュはまだ十五歳になったばかり。


(死にたくない――!)


 死にたくないと、生きたいと、ここから逃げようとして何が悪い。


(今だ――!)


 ラクシュが狙ったのは、プラージャが魔法を放とうとする一瞬だった。


 どれほどの強者であっても、攻撃を放つ刹那はどうしても隙が生まれてしまうもの。ラクシュ達を弱者と見下し、余裕綽綽としているのであればなおのことだ。


「――――」


 可能性は限りなくゼロに等しいだろう。しかし仮に逃げられるとしたら、これが最後のチャンスだ。

 ラクシュは最後の力を振り絞って、足に力を込めて、


「ッ、~~~~!」


 ――気が付いた時には既に、プラージャめがけて駆けだしていた――


 直後、肉が骨を穿つ鈍い音が炸裂する。無我夢中で放った回し蹴りはプラージャの首に直撃し……分かっていたことだが、それでも奴は無傷だった。


「愚かさも極まれりだなぁ勇者候補ぉ。逃げるつもりではなかったのかぁぁ?」


「……ああ、認めよう災竜のプラージャよ。私は貴様に背を向け、醜態を晒しながら逃げるつもりだった」


 しかし、とラクシュは疲れたように笑って言う。


「できなかった。つまり私は、そういう人間らしい」


「……ふん、損な性格をしてらしいな貴様はぁ」


 だが、とプラージャは鼻を鳴らして告げる。


「この程度の雑魚という発言は撤回せぬがぁ、少なくとも貴様の心意気だけは認めてやろう。勇者候補ぉ」


「それは、どうも!」 


 両の腕は折られ、魔力もとうに尽きている。続けて放った二度目の蹴りは奴の顔面に直撃し、鼻から血が流れていた。


 そして、三度目はなかった。

 純白の炎は一際強く輝き、今まさに解き放たれようとしている。


(ここまで、か)


 死に対する恐怖は当然ある。が、それよりもラクシュは、奴を倒せなかったという罪悪感の方が胸を占めていた。


(父さん、母さん、皆……申し訳ありません)


 目は瞑らない。死の瀬戸際のためか、極限にまで引き延ばされた時間の中、自分を殺す炎を刻み付けるかのように睨みつける。

 決して逸らすことなく、ラクシュはその時が来るのを覚悟していた。


「魔力の圧を追ってきてみれば、とんだ副産物がいたものね」


 炎が眼前に迫りくる、まさにその瞬間だった。

 気配も音もなく、突然現れた誰かがラクシュの耳元で囁いた。


(おんなの、こ?)


 声の主を辿ると、そこにいたのはラクシュの腰までしかないような、小さな少女。


 危ない! と叫ぶ暇なんてない。せめて彼女を守る肉の壁になろうと、覆い被さるように折れた両腕で抱き締めようとする。


「大丈夫よ、安心して」


 少女はラクシュの両腕を、すり抜けるようにして躱し、


「ふんっ!」


 背後で聞こえる可愛らしい掛け声。

 振り返るとラクシュは「――え?」ありえなさすぎるその光景を目の当たりにし、間の抜けた声が出る。


 魔力さえ尽きなければ、この世界すらも抹消してしまうとされる純白の炎を。

 勇者候補の自分でさえ太刀打ちできない終焉級の魔法を。

 少女はその華奢な拳で殴りつけると、あろうことか、炎は打たれた球のように軌道を変え、一直線に夜空へと消えていったのだ。


「「…………は?」」


 しばしの沈黙の後、ラクシュと、プラージャでさも、絶句の息が重なる。


「さすがは終焉級の魔法ね。見て、すりむいちゃった」


 この世界の常識をひっくり返すレベルの異常を引き起こした少女は、楽しそうに笑っている。本当に、心の底から。


「……はぁ? すりむい、ただとぉ? 終焉級の魔法を喰らって、たった……それだけっ」


 敵ではあるが、その驚愕には心から共感せざるを得ない。

 同調するかのように、ラクシュの口も自然と開いていた。


「君は一体、何者、なんだ」


「私が何者かなんて、それは重要じゃないわ」


 ニッコリと笑みを浮かべたまま、少女は静かに首を振る。


「重要なのは、今ここで起きていること」


 少女は両手を合わせ、静かに語り始めた。


「魔王の右腕が現れた。このまま侵攻を許せば、魔王の頭部の封印が解かれてしまうわね。人類のピンチの幕開けだけど、要の勇者候補は全滅寸前……」


 状況を整理している少女の言葉を、ラクシュもプラージャも聞き入っている。

 この場の空気は、ラクシュの半分も生きていないような小さな少女によって、完全に支配されていた。


「ねえ、最っっ高にかっこいいと思わない?」


「「――ぇ?」」


「人類のピンチを、今まさに殺されようとしている勇者候補を助けるだなんて。人類のピンチを救うだなんて……だからあとは、貴方が、私より強い相手になりえるかどうかだけ」


 少女はプラージャに向かって。


「ねえ、期待してもいいのよね?」


 声色はどこまでも無邪気で、幼い少女に相応しい可愛らしいもの。

 けれどもその眼差しは、横から覗き込んだだけのラクシュでさえ戦慄を覚えるほどだった。


「最強の魔族、四天王の一角なんでしょう? 魔王の右腕なんでしょう? だったら、全盛期の僕ならいざ知らず、たった五歳の今の私よりかは、いくらなんでも強いのよね?」


 冷たいのではない、むしろその逆だ。

 ひたすらに熱く、心から欲しているのだと、彼女の情熱が見て取れる。


 だからこそ、彼女の期待に応えられなかったその時は――想像し、ゴクリと唾を呑み込んでいた。


「……はっ、ぁ、ああ」


 ラクシュでさえこうなのだ。直接向けられたプラージャが感じる重圧は、ラクシュの非ではないはず。


「怯えてるの? え、嘘でしょ? ほんとに? 恥ずかしくないの?」


「ちょ……ぅしにのるなよ」


「え、なに? 聞こえない」


「調子にぃ、乗るなよ人間風情がぁぁぁぁああああ!!」


 怒りを体現するかのように、プラージャの体から赤黒い閃光が稲妻のように迸る。火花が散るような甲高い音が幾重も炸裂し、木が、岩が、地面が、閃光が触れた個所が一瞬で炭化していた。


(魔力暴走……!! これほどの規模で!?)


 これは魔法ではない。卓越した魔力操作からなる、ただの技術だ。

 体内に蓄えられている魔力を一斉に活性化し、文字通り暴走させるというもの。


 欠点は二つある。

 一つ目は、体に尋常ではないほどの負荷がかかり、死に至る可能性も十分にあること。

 二つ目は、魔力を使い果たしたが最後、使用者は一定期間身動きすら取れなくなること。


 その代わりに得られるメリットは一つだけ。

 暴走した魔力はとてつもないエネルギーを生み、細胞と結合することができれば、常軌を逸脱した身体能力が得られるということ。


 たった数分の戦闘のために、命を懸ける捨て身の技術。それが魔力暴走だ。

 

 しかも本来であれば目に見えないはずの魔力が、赤黒い閃光として視認できている。

 くわえて、物質を一瞬で炭化するほど高濃度の魔力が暴走したとなれば……その身体能力の強化幅は、ラクシュの想像の範疇を越えるほどだろう。


(これは……人類がどうにかできるレベルでは、もはや……)


 絶望を通り越して、何も考えられなくなる。膝から崩れ落ち、次第に思考能力が喪われていくラクシュとは対照的に、少女はつまらなさそうな表情を浮かべていた。


「ああ。そう、もう、いいわ」


 大きく吐かれた溜息は、落胆以外の何物でもない。

 右拳を握りしめて、彼女はこう宣言する。


「今から貴方は、私に首をねじ切られて死ぬ。それが貴方の終幕(The・End)よ」

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