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異世界に転生しちゃったので刑事になってみた  作者: 羽越世雌
第2章:組織犯罪対策係・ツヨシの異世界マル暴捜査ファイル
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第7話:眠らない街の暴発

1.退廃の光と熱


王都グラナダの北東に位置する貴族街の一角。白亜の壁と美しい彫刻で飾られたそのエステートは、一見すると歴史ある名家の邸宅そのものだった。しかし、遮光魔法が施された重いカーテンの隙間からは、不自然に明滅する極彩色の光と、腹に響くような奇妙な重低音が漏れ出している。


そこは、法を免れた特権階級の若者たちが夜な夜な集う、退廃の極みだった。


「――おい、もっと持ってこい! 足りない、全然足りないんだよ!」


大ホールの狂乱の中心で、一人の男が叫んでいた。ロバート・フォン・アッシェンバッハ。王宮の財務官を務める伯爵家の次男坊であり、本来なら端正であるはずの彼の顔は、今や見る影もなく崩壊していた。


瞳孔は不自然に開き、白眼は赤黒い血の糸が網の目のように走っている。高価なシルクのシャツは胸元まではだけ、そこから覗く皮膚には、まるで生き物のように蠢く「青い血管」が不気味に浮かび上がっていた。


「ロバート様、もうお止めください。今夜はすでに三本目です。これ以上は、魔力の過剰循環で脳の回路が……」


側近の男が怯えながら差し出した手を、ロバートは獣のような咆哮とともに振り払った。その手には、妖しく発光する小さなガラスの小瓶が握られている。中に入っているのは、透き通るような青い液体――王都の裏社会を急速に侵食しつつある、新型の魔導ドラッグ『九頭竜(ハイドラ)』だった。


「黙れ! お前に何がわかる! これを打っている間だけ、俺は、あの偉大なる兄上を超える魔力を手にできるんだ。脳が焼ける? それがどうした! 俺は今、世界のすべてを見下ろしているんだよ!」


ロバートは狂ったように笑いながら、小瓶の液体を自らの腕の血管へと直接、魔導注入器で流し込んだ。


瞬間、彼の身体が大きくのけぞった。

「あ、があ、あああああああッ!」


絶叫。しかしそれは苦痛のそれではない。脳髄を直接掴まれ、神の領域へと引き上げられるかのような、圧倒的な快楽と万能感の咆哮だった。ロバートの体内から、制御を失った莫大な魔力が暴風となって吹き荒れる。周囲の高級な調度品が次々と粉砕され、ホールの若者たちが悲鳴を上げて逃げ惑った。


「素晴らしい……見える、見えるぞ! これが、これが力だ!」


だが、快楽の絶頂は一瞬だった。

次の瞬間、ロバートの脳内で、パチリと何かが爆発するような音が響いた。


「え……?」

視界が急激に赤く染まっていく。全身の血流が逆流し、心臓が破裂しそうなほどの圧力で脈打つ。腕の青い血管は紫色に変色し、皮膚を突き破らんばかりに膨れ上がっていた。


「あ、熱い、熱い熱い熱い! 身体が、燃える――!」


ロバートは自分の喉を掻きむしった。爪が皮膚を裂き、鮮血が飛び散るが、その痛みすら認識できない。彼の意思とは無関係に、暴走した魔力が周囲の空間を焼き焦がしていく。


「助け……て……」

その言葉が完全に紡がれる前に、ロバートの身体は自らが放った高熱の魔導火炎に包まれ、狂乱の夜は地獄の業火へと変わった。


2.特別捜査係の夜


王都グラナダ、西街区。夜の帳が降りた下層街の路地裏は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


一軒の安酒場のカウンター。ツヨシは使い古された木製の椅子に深く腰掛け、琥珀色のエールが注がれたジョッキを見つめていた。彼の隣では、アルフレッドがまだ新しい警備隊の制服に身を包み、緊張した面持ちで背筋を伸ばしている。


前回の「結界の塔」の事件から一ヶ月。王宮による隠蔽工作の末、二人は免職こそ免れたものの、新設された『特別捜査係』という、名ばかりの窓際部署に追いやられていた。


「ツヨシさん、本当にこれで良かったのでしょうか」

アルフレッドが静かに声を漏らす。その目は、かつての迷える若き騎士のものではない。真実を追う刑事のそれだった。


「何がだ?」

ツヨシはエールを一口すすり、ふっと息を吐いた。


「ヴァルター先生の事件の真相は、結局、ゲオルグの単独犯として処理されました。王宮の腐敗は何も変わっていない。僕たちがやったことは、ただの自己満足だったんじゃないかって……時々、考えてしまうんです」


ツヨシはジョッキをテーブルに置いた。コン、と乾いた音が響く。


「アル、お前は刑事(デカ)の仕事を勘違いしてる。俺たちの仕事は、世界を救うことじゃない。目の前で起きた事件の、転がっている遺体の無念を晴らすことだ。世界を変えるのは政治犯や英雄の仕事で、俺たちの領分じゃない。ヴァルターの最期のメッセージは、俺たちに届いた。カレンと子供たちは生きてる。それで十分だ」


「……そう、ですね」

アルフレッドは小さく微笑み、自分のジョッキを掲げた。


ツヨシは胸のポケットに手を当てた。そこには、ゲオルグの隠し金庫から押収した、あの黒い木箱に入っていた紙片が入っている。


『KUZURYU-KAI』


前世で自分をハメ、東京湾の藻屑とした日本の暴力団。その名前が、なぜこの異世界の麻薬密売の背後に見え隠れするのか。ただの偶然か、それとも――。

思考の海に沈みかけたその時、酒場の扉が勢いよく撥ね開けられた。


激しい息を弾ませて飛び込んできたのは、特別捜査係に配属されたばかりの若い連絡員の男だった。


「ツ、ツヨシ係長! アルフレッド先輩! 臨場要請です! 北東の貴族街、アッシェンバッハ伯爵家の別邸で、大規模な魔力暴発事件が発生しました!」


アルフレッドが素早く立ち上がる。「被害者は?」


「ロバート・フォン・アッシェンバッハ。財務官の次男です。……現場はすでに神聖騎士団が封鎖を開始していますが、第一発見者の警備隊員から、不可解な報告が入っています。遺体の状況が、通常の魔力暴走とは明らかに違うと」


ツヨシの目が、鋭く細められた。

「どう違う?」


「遺体の腕に……まるで、何かの『鱗』のような、不気味な痣が浮かび上がっているそうです。それも、九つの頭を持つ蛇のような形をした……」


ツヨシの脳裏に、激しい電流が走った。

ガタ、と椅子を蹴立てて立ち上がる。その顔から、先ほどまでの酒場の気怠さは完全に消え失せていた。完全に、前世の「組織犯罪対策課」の鬼刑事の顔に戻っていた。


「アル、行くぞ。臨場だ」

「はい!」


二人はコートを掴み、眠らない王都の闇へと駆け出した。


3.現場の刻印


現場であるアッシェンバッハ邸の周辺は、すでに物々しい空気に包まれていた。

輝く白い鎧をまとった神聖騎士団が、一般の警備隊員を怒鳴りつけながら退けている。その光景は、一ヶ月前の事件と全く同じだった。


「ここは神聖騎士団の管轄だ! 下級の警備隊は下がれ!」


立入禁止の魔導結界線の前で、ツヨシとアルフレッドは行く手を阻まれた。騎士たちの前に立っていたのは、見覚えのない一人の男だった。仕立ての良い漆黒の法衣をまとい、眼鏡の奥から冷徹な光を放つ若者。


「私は王宮法務省・特別監察官のクラウス・フォン・ハルデンベルクです」

男は冷淡な声で言った。その視線は、ツヨシの粗末な外套と、アルフレッドの制服を値踏みするように向けられている。


「警備隊の特別捜査係ですね。話は聞いています。ですが、今回の被害者は有力貴族の令息であり、事件の性質上、国家機密に指定されました。あなた方の出る幕はありません。お引き取りを」


今野敏の小説に登場するような、絵に描いたようなエリートキャリアの壁。組織の論理で現場を排除しようとする冷酷な意志が、そこにはあった。


だが、ツヨシは一歩も引かった。彼はクラウスの眼前に、泥のついたブーツを刻み込むように踏み出した。


「監察官殿、組織の理屈は大いに結構だがね」

ツヨシの低い声が、夜の冷気に響く。

「俺たちは、第一発見者の警備隊員から正式な臨場要請を受けてここに来た。現場の保全と初動捜査は、管轄に関わらずデカの義務だ。あんたがどれだけ偉い法服を着ていようが、遺体がそこにある以上、俺たちには跨ぐ権利がある」


「無礼な。これは王宮の意志だ。地方の平隊員風情が逆らうというのか」

クラウスの目が険しさを増す。


「王宮の意志か、それとも『隠蔽』の意志か?」

ツヨシは不敵に笑った。

「一ヶ月前、あんた方の身内が何をしたか、俺は忘れちゃいない。今回もまた、不自然な遺体を世間の目から隠そうって腹か? そんなことをしていれば、王都の街全体がその『毒』で腐り落ちるぞ」


「毒……? 何のことだ」


「知っているはずだ。ロバート・フォン・アッシェンバッハの血管を焼き切ったのは、ただの魔力じゃない。裏社会で回っている青い液体――『ハイドラ』だろ」


クラウスの表情が、一瞬だけ微かにこわばった。眼鏡の奥の瞳が揺れたのを、ツヨシの鋭い観察眼は見逃さなかった。


「……妄想を口にするな。下がれと言っている」


「下がるかどうかは、現場を見てから決める」

ツヨシはクラウスの肩を突き抜けるようにして、結界線を潜り抜けた。


「待て! 不法侵入で拘束するぞ!」

騎士たちが剣に手をかけるが、アルフレッドがすかさずその前に立ち塞がり、自らの警備隊の魔導盾を展開した。


「私たちは、王都の市民の安全を守る警備隊です! 貴族の不審死の裏に、街を脅かす麻薬があるなら、それを調べるのは私たちの正当な職務だ!」


アルフレッドの凛とした声に、騎士たちも一瞬気圧される。その隙に、ツヨシは火災の煙が燻る邸内へと足を踏み入れた。


大ホールの床は黒く焼け焦げ、中央には、炭化しかけた一躯の遺体が横たわっていた。

ツヨシは遺体の傍らに膝をつき、懐から一本の懐中電灯(前世の記憶を頼りに、魔導職人に作らせた魔導発光器)を取り出した。


白い光が、ロバートの遺体を照らし出す。

激しく損傷しているが、その右腕の皮膚には、死後硬直とともに黒ずんだ不思議な痣が、はっきりと浮き出ていた。


九つの頭を持つ蛇。

そしてその下には、前世の俺をハメた組織の紋章と、全く同じ歪んだ形状の刻印があった。


「間違いない……」

ツヨシは静かに呟いた。その声は、怒りと、そしてどこか歓喜に震えていた。


「九頭竜会。お前ら、この世界にまで根を張ってやがったのか」


東京湾の底に沈んだはずの過去が、今、異世界の火葬場のような煙の中で、ツヨシの目の前に完全に蘇っていた。これはただの異世界ファンタジーの事件ではない。俺の、刑事としての「人生」を賭けた、地続きの戦いだ。


「待たせたな、マサキ」


ツヨシは、前世の今際の際に、その命を懸けて守り、「生きろ」と言い残したはずの相棒の名を小さく呼んだ。


「ホシの尻尾は、きっちり掴んだぜ」


背後から、クラウスと騎士たちの足音が近づいてくる。

ツヨシはゆっくりと立ち上がり、鋭い眼光で迫り来る王宮の権力たちを見据えた。


眠らない街グラナダを舞台にした、血と硝煙と魔導の、果てしない泥沼の捜査が、今ここから本格的に幕を開ける。

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