第4話:潜伏する少女と哀しき告白
1.刑事のプロファイリング
ガタゴトと、車輪が硬い石畳を叩く不快な振動が、馬車の中に響いていた。
外はすでに完全な夜だ。ランプの仄青い光が、車内の狭い空間を気味悪く照らしている。アルフレッドは膝の上に広げた数枚の羊皮紙――警備隊が管理するカレンの『経歴書』を、不満そうに睨みつけていた。
「ツヨシ、やはり私には理解できない。彼女の経歴など、ただの事実の羅列だ。下層街の孤児院で育ち、魔導の才能を見出され、ヴァルター卿の弟子となった。これのどこに、彼女の居場所を示す手がかりがあるというんだ? 王宮の超一級の追跡魔法でも見つけられない人間を、こんな文字の束で追えるはずがない」
ツヨシは窓の外を流れる暗い街並みを見つめたまま、安価な薬草の煙をゆっくりと吐き出した。
「お前は書類の文字だけを見てるからそう思うんだよ、アル。文字の裏にある『人間の生き方』を見るんだ」
「生き方?」
「ああ」
ツヨシは煙草を指に挟み、アルフレッドを振り返った。その目は、取り調べ室で幾多の嘘を見抜いてきた老練な刑事のそれだった。
「カレンって娘はな、孤児院の子供たちのために、ヴァルターと一緒に魔力枯渇症の治療法を必死に研究してた。そんな娘が、師匠を殺した容疑を着せられて逃亡している。普通なら、王都の外へ逃げるか、身を隠すことだけを考える。だが、あの子はそうじゃねえ。……ヴァルターから託された研究データや、治療の術を、絶対に途絶えさせたくないはずだ。研究を続けるには、魔導具や資材、そして何より『誰にも見つからない場所』が必要だ」
「だからと言って、王宮の探知網から逃れることなど――」
「探知魔法ってのは、どういう仕組みだ?」
「対象の『魔力波長』を感知し、その位置を特定する。魔力を持つ者なら、どれほど身を潜めても、かすかな魔力の放射を完全に消すことはできない」
「だったら、その『魔力の探知』が一切通用しない場所があればどうだ? 前世の言葉で言う『電波のデッドスペース』みたいな場所が、この街にないか?」
アルフレッドは息を呑んだ。金色の瞳が、驚愕に揺れる。
「……ある。王都の外縁、東部工業区の端にある、数十年前に廃棄された『旧魔導精錬所』だ。あそこはかつて、大量の魔導鉱石を精錬していた場所で、今でも強烈な魔導残渣のノイズが渦巻いている。あそこの中では、王宮の探知魔法はおろか、簡易的な通信魔法すら掻き消される。まさに、魔法のデッドスペースだ」
「決まりだ」
ツヨシは不敵に笑い、煙草を灰皿に押し付けた。
「人間は追い詰められた時、一番安心できる原風景、あるいは自分の目的を最も果たせる場所に逃げ込む。そこへ向かえ、アル。ホシ――いや、哀しき少女がそこで待ってる」
2.邂逅と「冷たい拒絶」
廃棄された「旧魔導精錬所」は、巨大な鋼鉄の墓標のようだった。
錆びついた巨大なパイプがのたうち回り、崩れ落ちた魔導炉が闇の中に沈んでいる。かつて王都の繁栄を支えたであろうその場所は、今はただ、冷たい風が吹き抜けるだけの、死に絶えた廃墟だった。
足元の鉄板が、歩くたびにキィ、キィと不気味な悲鳴を上げる。
ツヨシとアルフレッドが、その精錬所の最深部、かつての制御室と思われる広大な空間に足を踏み入れた、その瞬間だった。
「――そこまでよ」
鋭い、鈴を転がすような声。
同時に、猛烈な「風の結界」が二人を襲った。目に見えない空気の刃が、ツヨシたちの目の前の床を凄まじい勢いで切り裂き、激しい火花を散らす。一歩でも進んでいれば、身体が両断されていただろう。
「お前たちが王宮の犬ね。……先生を殺し、今度は私を消しに来たのね!」
闇の奥から、一人の少女が姿を現した。
ボロボロのローブをまとい、その美しい瞳には激しい敵意と、それ以上に深い「恐怖」が宿っている。首元には、ツヨシが現場で見つけたあの繊維と同じ、鮮やかな「紫色の夜蚕の絹のマフラー」が巻かれていた。
カレン。大魔導師ヴァルターの、最後の愛弟子。
「動かないで! これ以上近づいたら、この風の結界で引き裂くわ!」
カレンの指先が、極限の緊張で震えている。彼女の周りで渦巻く魔力は不規則で、今にも暴走しかねない危うさを含んでいた。
アルフレッドが反射的に懐の杖に手を伸ばそうとする。だが、ツヨシはその手を手制した。
「ツヨシ、何を……!」
「下がってろ、アル。刺激するな」
ツヨシはゆっくりと、両手を頭の高さまで挙げた。
そして、腰に下げていた警備隊特製の特殊警棒を、カツン、と乾いた音を立てて床に放り投げた。
「俺は警備隊の、しがないノンキャリデカだ。王宮の犬でもなければ、あんたの命を狙う刺客でもねえ。丸腰だ。これなら信じてもらえるか?」
「嘘よ! 警備隊が、なぜ私を追ってきたの!」
「あんたを捕まえるためじゃない」
ツヨシは、一歩だけゆっくりと前に進んだ。その眼差しは、どこまでも穏やかで、しかし嘘を許さない真っ直ぐなものだった。
「あんたの師匠が、どんな思いで、なぜ死んだのか。その『Why』を、あんたの口から教えてもらいに来たんだ」
「先生の、死の、理由……?」
「そうだ。お上は『魔法の暴走事故』で片付けやがった。だがな、俺の目は誤魔化せねえ。あの部屋には、誰かがいた痕跡が残ってた。あんたのマフラーの繊維も、窓枠の汚れもな。……ヴァルターってじいさんは、あんたにすべてを託して死んだ。そうだろ、カレン」
ツヨシの言葉に、カレンの瞳から激しい動揺が溢れ出た。
渦巻いていた風の結界が、微かに勢いを失う。彼女の唇が、小刻みに震え始めた。
3.哀しき真実
「先生は……、自殺よ。でも、そうせざるを得なかったの……!」
魔導炉の巨大な影の下、古びた木箱に腰掛けたカレンは、顔を覆ってむせび泣いていた。
彼女の口から語られた真実は、アルフレッドの、そしてこの世界の「正義」を根底から覆すほどに悍ましく、そして哀しいものだった。
「先生は、下層街の魔力枯渇症の子供たちを救うために研究を続けていたわ。でも、その治療法を確立するには、王宮が独占している『魔力の源泉』の管理権限を、平民に一部解放する必要があったの。それは、王宮の貴族たちにとって、自分たちの特権を脅かす『禁忌』だった」
「王宮の独占……。やはり、既得権益の維持か」
ツヨシが苦い声を漏らす。前世の日本の官僚組織や、大企業が犯す不正と、何一つ変わらない構図だった。
「神聖騎士団のゲオルグたちは、先生の研究に気づいていたわ。そして、三日前、彼らは私を人質に取ったの。研究データをすべて引き渡し、先生自身が『沈黙』することを条件に、私の命を保証すると……。先生は、データを私に託して、結界の塔の隠し通路から私を逃がしたわ。でも、それで終わりじゃなかった」
カレンは涙に濡れた目を上げ、ツヨシを見つめた。
「ゲオルグたちは、先生を『事故死』か『病死』に見せかけて暗殺し、データを闇に葬るつもりだった。もしそうなれば、私の存在も、先生の研究も、すべて無かったことにされてしまう。だから……先生は言ったの。『私が事故や病気で死ねば、王宮の隠蔽は完璧に完了する。だが、もし不自然な他殺の形跡があれば、王宮も簡単には隠せない。必ず、この違和感に気づく本物の捜査官が現れる』って」
「……何だって?」
アルフレッドが絶句する。
「先生は、私の目の前で、毒を煽ったわ。自ら、焼けつくような毒を……! そして、最後の力を振り絞って、わざとテーブルの上のカップを二つ残し、窓枠の埃を拭い、自らの爪の間に私のマフラーの繊維を挟み込んだ。すべては、王宮が『不慮の事故』として処理しきれないだけの、物理的な違和感を遺すために!」
ツヨシは天を見上げ、深くため息をついた。
胸の奥が、熱い怒りと、大魔導師への深い敬意で満たされていく。
「あいつは……、ヴァルターのじいさんは、自分の命を賭けて、俺たちへの『挑戦状』を遺したんだな。いつか、魔法の万能主義に騙されない、物理的な証拠を追う本物のデカが、この真実( Why)を見つけ出してくれることを信じて」
「先生は……、私を守るために、そして研究を遺すために、自分の死すらもトリックに使ったのよ……! そんなの、あまりにも哀しすぎるわ……!」
カレンが激しく泣き叫び、床に崩れ落ちる。
アルフレッドは、その場に立ち尽くしていた。彼の端正な顔は蒼白になり、憧れ、目指してきた「神聖騎士団」という組織の底知れない腐敗と非情さに、激しい拒絶反応を起こしていた。
「……これが、私が守ろうとした正義なのか。これが、騎士団の真実なのか……!」
「アル」
ツヨシが、アルフレッドの肩を強く掴んだ。
「耳をすませ。……客人が来たようだぜ」
4.急襲と「相棒たちの覚悟」
ドォン!
凄まじい爆音とともに、精錬所の錆びついた天井が吹き飛んだ。
降り注ぐ鉄屑と強烈な光の粒子の中、数人の人影が音もなく舞い降りる。
純白の甲冑。胸元に輝く星の徽章。神聖騎士団の制圧部隊だ。その先頭に立っていたのは、あの冷酷なキャリア指揮官、ゲオルグだった。
「感動的な物語は、そこまでにしてもらおうか、警備隊」
ゲオルグは、埃を払うように軽蔑に満ちた仕草で杖を軽く振った。彼の背後には、抜身の魔導剣を構えた精鋭たちが控えている。
「カレン。大魔導師ヴァルターの研究データを盗み出し、逃亡した大逆罪。そして、警備隊のツヨシ、アルフレッド。再三の警告を無視し、国家反逆者に荷担した罪。……ここで全員、処分する。抵抗すれば、その場で消滅だ」
絶体絶命。
四方は神聖騎士団の結界魔法で完全に封鎖され、退路はない。カレンは恐怖に身体を震わせ、ツヨシの背後に隠れた。
「ツヨシ……、どうする。相手は騎士団の精鋭だ。私たちの戦力では――」
アルフレッドの声が震えていた。だが、その目はまだ死んでいない。
ツヨシは、ゆっくりと床に転がっていた警棒を拾い上げた。
そして、隣に立つアルフレッドの顔を見て、不敵にニヤリと笑った。
「アル。お前、どうする? 今なら『脅されて同行しただけだ』って言い訳すりゃ、エリートの道に戻れるかもしれないぜ。それとも、このドロドロのドブ川に、俺と一緒に沈む覚悟はあるか?」
アルフレッドは一瞬、目を閉じた。
そして、自らの胸元に手を伸ばした。
そこにある、警備隊の、そしてかつての騎士団の誇りであったはずの徽章。
彼はそれを乱暴に引きちぎると、ゲオルグの足元へと投げ捨てた。
金属のバッジが、コンクリートの床で冷たい音を立てて跳ねる。
「私は、『騎士』の肩書きを捨てた。上層部の保身のために真実を捻じ曲げ、少女を抹殺しようとする組織など、こちらから願い下げだ!」
アルフレッドは、自らの魔導杖を力強く構え、ゲオルグを真っ直ぐに見据えた。
「今の私は、真実を追う――王都警備隊の刑事だ!」
「バカな奴め。殺せ」
ゲオルグの冷酷な命令とともに、制圧部隊が一斉に襲いかかってくる。
「よく言った、アル! 公務執行妨害で、全員現行犯逮捕だ!」
ツヨシの身体が、弾かれたように前に飛び出した。
魔法の光が交錯する暗闇の中、日本の警察仕込みの「逮捕術」と、覚悟を決めたアルフレッドの魔導が、神聖騎士団の精鋭たちを迎え撃つ。




