第3話:地道な聞き込み
1.効率主義 vs ローラー作戦
王都グラナダの商業区は、午前中から眩い活気に満ちていた。
磨き上げられた白い石畳、色鮮やかな街頭のテント、そして絶え間なく行き交う馬車と人々。だが、その華やかさとは裏腹に、ツヨシの足取りは重く、そして極めて単調だった。
「ツヨシ、頼むから立ち止まって説明してくれ。もうこれで十七軒目だぞ」
アルフレッドが、額の汗を拭いながら、恨めしそうな声を上げた。彼の端正な顔は、肉体的な疲労と精神的な不満で歪んでいる。
「王都にあるすべての革製品店を回るつもりか? そんなものは時間の無駄だ。魔導省の『戸籍魔力記録』を照会すれば、昨日あの塔の近くにいた者の魔力ログなど、数時間で絞り込める」
「お前は本当に頭が固いな、アル」
ツヨシは歩みを止めず、十八軒目となる革靴店の看板を見上げた。
「魔力ログってのはな、登録された『行儀の良い魔力』しか記録しねえ。だが、犯人はわざわざ魔法を使わずに、五階の窓からロープで出入りしたんだ。つまり、魔力なんて初めから使っちゃいねえ。そんな奴の尻尾を、机の上の書類で見つけられるわけがねえだろ」
「しかし、だからと言って一件ずつ店を回るなど非効率の極みだ。魔法捜査官が聞けば鼻で笑うぞ」
「足を使わねえ刑事を、俺の田舎じゃ『机の上の盆栽』って呼ぶんだよ」
ツヨシはニヤリと笑い、店のドアを開けた。カランコロン、と乾いた鈴の音が響く。
店内にいたのは、不機嫌そうな顔で靴の型を削っていた頑固そうな老主人だった。ツヨシは威圧感を与える警備隊の外套をあえて少し後ろに払い、親しみやすい笑みを浮かべてカウンターへ進んだ。
「よう、大将。いい腕をしてるな。その靴のコバの仕上げ、王都じゃ三本の指に入るだろ?」
「……ふん。お世辞なら他で言ってくれ、警備隊」
老人は顔を上げもしなかったが、手の動きが一瞬だけ緩んだ。職人というのは、自分の腕を正当に評価されることに弱い。ツヨシは前世で、頑固な町工場の親父から情報を引き出す際、この手を何度も使ってきた。
「お世辞なもんか。俺は昔から、良い仕事をする手ってのを見てきたんだ。大将、実はちょっと相談があってよ」
ツヨシは懐から、現場で採取した靴ワックスの染みた紙を、さも大事な宝物のように差し出した。
「このワックスの匂いと粘り気、見覚えはねえか? うちの若い相棒が、どうしてもこの極上のワックスを手に入れたいってうるさくてよ」
老人は不審そうに紙を受け取り、鼻を近づけた。その途端、老人の眉がピクリと跳ねた。
「……これは魔獣の脂を精製した撥水ワックスだな。だが、うちのような表通りの店じゃ扱っちゃいねえ。こんな特上品を仕入れられるのは、王都じゃ一箇所だけだ」
「どこだ? 教えてくれねえか、大将」
「下層街の路地裏にある、ドワーフの偏屈じじい、ガルドの店だ。あいつは独自のルートで魔獣の油脂を仕入れて、特注のワックスを作ってる。撥水性が異常に高くてな。主に、高価な登山靴や、特殊なロープのメンテナンスに使われる」
「ガルドの店、ね。助かったよ、大将。今度、俺のブーツも磨きに来るわ」
ツヨシは軽く手を振って店を出た。
外に出ると、アルフレッドが呆然とした顔でツヨシを見つめていた。
「……どうやったんだ? あの老人は、王都でも有名な偏屈で、騎士団の聞き込みにも口を割らないことで知られていたのに」
「簡単だよ。人は『尋問』されると身を固くするが、『相談』されると助けたくなる。特に、プライドの高い職人はな」
ツヨシは安価な薬草の包みを取り出し、一本咥えて火をつけた。
「魔法は便利だが、人の『記憶』と『感情』を引っ張り出すには、ちょっとばかりデリケートすぎるんだよ。……行くぞ、次は下層街だ」
2.下層街の『黒猫の片足』と被害者の素顔
王都グラナダの「裏の顔」である下層街「ローグ・エンド」は、ツヨシにとって奇妙な既視感を与える場所だった。
頭上を覆う無数の違法な魔導配線、湿った路地裏、漂う安酒と油の匂い。かつて前世で何度も通った、新宿・歌舞伎町の路地裏や、山谷のドヤ街に酷似していた。魔力を使い果たし、社会から捨てられた「魔力枯渇症」の難民たちが、虚ろな目で壁に寄りかかっている。
アルフレッドは、自分のきらびやかな外套が汚れるのを恐れるように、無意識に身を縮めていた。エリート育ちの彼にとって、ここは「見ないことにされている世界」なのだろう。
「ここだ」
ツヨシが足を止めたのは、傾いた猫の看板が掲げられた薄暗い半地下の店だった。看板には、片足のない黒猫の絵が雑に描かれている。
中に入ると、革の強烈な匂いと、鉄を叩く音が響いていた。奥の作業台で、立派な髭を蓄えたドワーフの老人が、一心不乱にロープを編んでいた。
「ガルドの大将だな」
ツヨシが声をかけると、ドワーフは手を止めず、地鳴りのような声で返した。
「警備隊が何の用だ。うちは非合法な魔導具など扱っちゃいねえぞ」
「いや、用があるのはこのワックスだ」
ツヨシが現場のワックスを差し出すと、ガルドは作業を止め、それを手に取った。
「……ほう。俺の作った『特製・極魔獣脂』だな。これがどうした」
「これを最近、買いに来た奴の心当たりを探してる」
「ハッ、客の情報を売るほど、俺のプライドは安くねえよ」
ガルドはふん、と鼻を鳴らして作業に戻ろうとした。
ツヨシは、ポケットからヴァルターの肖像画(アルフレッドが手配したもの)を取り出し、作業台の上に置いた。
「このじいさん、ヴァルターが殺された」
その瞬間、ガルドの手が完全に止まった。ドワーフの太い指が、微かに震えている。
「……ヴァルターの大先生が、死んだだと? 嘘を言うな。あの大先生が、なぜ……」
「お上の発表じゃ『魔法の暴走事故』だ。だが、俺たちの見立てじゃ『他殺』だ。犯人は、あんたのワックスを使った靴で、あの結界の塔に侵入した」
ガルドは肖像画を見つめたまま、絞り出すような声で言った。
「……あの大先生はな、この汚い街に何度も足を運んでくれたんだ。魔力枯渇症にかかって、呼吸すらままならねえガキどものために、無償で治療魔法をかけ、一人でその治療法を研究してた」
「大魔導師ヴァルターが、下層街で慈善活動を?」
アルフレッドが驚愕の声を上げた。王宮での彼のイメージは、冷徹で気難しい結界魔法の権威だったはずだ。
「そうだ。あの大先生は、王宮の連中を嫌っていた。自分たちの既得権益しか頭にない豚どもだってな。……そのワックスは、三日前、ある若い女性が買いに来た。登山用のロープと、静音性の高い特殊な革ブーツのメンテナンス用としてな」
「女性? どんな奴だ」
「顔は深いフードで隠していたが、声は若かった。そして、その女の首元には、極めて上質な『紫色の夜蚕の絹のマフラー』が巻かれていた。……間違いない。ヴァルター大先生が、いつも連れていた愛弟子だ」
ツヨシとアルフレッドは顔を見合わせた。
被害者の爪の間にあった「紫色の繊維」。そして、特注ワックスを購入した、紫のマフラーを身につけた若い女性。
点と点が、一つの線で繋がり始めていた。
3.紫の絹と『少女の面影』
「愛弟子の名前は『カレン』。それが、彼女の名です」
下層街のさらに奥、崩れかけたレンガ造りの孤児院で、エルフのシスター・オルガは、悲しげに瞳を伏せた。
周囲では、魔力枯渇症のために顔色の悪い子供たちが、ツヨシたちを怯えた目で見つめている。ツヨシは懐から、表通りで買っておいた安価な干し肉を差し出し、子供たちの警戒を和らげた。
「カレンは、かつてこの孤児院の出身でした」
シスター・オルガは、静かに語り始めた。
「彼女は並外れた魔導の才能を持っていましたが、平民であり、しかも下層街の出身であるため、誰も相手にしませんでした。それを、ヴァルター先生だけが見出し、自らの愛弟子として引き取られたのです。カレンは先生を本当の父親のように慕っていました。……彼女が、先生を殺すはずがありません!」
「カレンが先生を殺すわけないよ!」
一人の少年が、ツヨシのズボンを引っ張って叫んだ。
「カレンお姉ちゃんは、先生と一緒に、僕たちの病気を治すために、いつも優しい魔法をかけてくれたんだ! 悪いのは、あいつらだ!」
「あいつら、ってのは誰だ?」
ツヨシは屈み込み、少年の目線を合わせて優しく問いかけた。
「……なんか、黒い服を着た、怖い人たち。カレンお姉ちゃんを、ずっと追い回してたんだ」
「……組織の影か」
ツヨシは立ち上がり、顎をさすった。
ヴァルターは下層街を救うための研究をしていた。そして、その愛弟子であるカレン。
もし、ヴァルターの死が事故ではなく他殺であり、カレンが容疑者として浮上しているのだとしたら、なぜ彼女は逃亡しているのか。自ら師を殺したのか、それとも、真犯人から身を守るために逃げ回っているのか。
「カレンは、先生が亡くなられたあの日から、行方不明です。どうか、彼女を見つけてあげてください。あの子は、決して人殺しなどする子ではありません」
シスターの悲痛な訴えに、ツヨシはポケットの中で、事件現場から持ち出したワックスの包み紙をそっと握りしめた。
「……ああ、わかってる。俺の田舎じゃあな、仏の無念を晴らすのが、デカの仕事なんだよ。子供たちに嘘はつかねえ。俺が、必ず真実を引きずり出してやる」
4.組織の尾行と「冷たい視線」
孤児院を後にした頃には、王都の空は不気味な薄紫色の夕闇に染まっていた。
下層街の路地裏は、昼間よりもさらに薄暗く、不気味な静寂が立ち込めている。
「ツヨシ、カレンという少女が犯人だという可能性は……」
「ゼロじゃねえが、限りなく低いな。師匠を殺す動機がねえ。それに、子供たちのあの目は嘘を吐いちゃいねえよ」
ツヨシは歩きながら、ふと、視線を右側の割れたショーウィンドウに向けた。
ガラスの破片に反射する、斜め後ろの影。
二つの、不自然に動かない人影。
「アル、気づいてるか」
「……ええ。結界の塔を出たあたりから、ずっとです。魔力の気配を消そうとしていますが、完全に消しきれていません。プロのやり方です」
アルフレッドの緊張が、ツヨシにも伝わってきた。
「撒くか?」
「いや、路地裏に誘い込もう。相手のツラを拝んでやる」
二人はあえて、人気の途絶えた袋小路へと足を進めた。
足音が止まる。
背後の闇から、音もなく二人の男が姿を現した。身にまとっているのは、神聖騎士団の息がかかった「王宮暗部」の隠密防具。手には、魔導を無効化する黒い短剣が握られている。
「そこまでにしてもらおう、警備隊」
一人の男が、冷酷な声で言った。その目は、感情の通わない冷たい泥のようだった。
「ゲオルグ様からの警告を無視し、非公式の『散歩』を続けているな。これ以上の捜査は、王宮に対する国家反逆罪とみなす。即刻立ち去るか、あるいはここで『事故死』するか、選べ」
アルフレッドが、恐怖と怒りで身をこわばらせた。王宮の暗部は、文字通り「存在しないことになっている」抹殺集団だ。逆らえば、明日には自分たちの存在そのものが抹消される。
だが、ツヨシはゆっくりと懐から薬草を取り出し、火をつけた。
吸い込んだ紫煙を、ゆっくりと男たちの顔に向けて吐き出す。
「国家反逆、ねえ」
ツヨシの目が、冷たく笑った。その佇まいは、数多の修羅場を潜り抜けてきた、警視庁捜査一課の狂犬そのものだった。
「俺たちノンキャリは頭が悪いからよ、難しい漢字はわかんねえんだ。だがな、お前らみたいな『組織の犬』がキャンキャン吠え出すってことは、この捜査の方向が完璧に合ってるって証拠だ」
「貴様……!」
「殺せるもんなら、やってみろよ」
ツヨシは一歩、前に出た。魔法の魔の字も使えないはずの平民刑事から放たれる、圧倒的な「殺気」と「威圧感」。
「俺は一度、死んでるんだ。死ぬことの怖さも、その後の暗闇も、お前らよりずっとよく知ってる。……だがな、仏さん(被害者)を放置して逃げるほど、俺の根性は腐っちゃいねえんだよ」
一触即発の緊張感。
暗部の男たちは、ツヨシの底の知れない凄みに圧倒され、思わず一歩、後ずさりした。彼らがこれまで対峙してきた「魔導師」や「剣士」とは、明らかに異質な、実戦での「死線」を潜り抜けてきた者だけが持つ、独特の重圧だった。
「……これ以上、深追いするな。次は容赦しない」
男たちは吐き捨てるように言うと、魔法の煙とともに、霧のようにその姿を消した。
路地裏に、再び静寂が戻る。
アルフレッドは、大きく息を吐き出し、壁に寄りかかった。
「……ツヨシ、あなたは本当に、ただの平民警備隊員なのか? あの暗部を、言葉だけで退かせるなんて……」
「ただのデカだよ、アル」
ツヨシは短くなった薬草を踏み消し、不敵に笑った。
「さあ、ホシ(犯人)が俺たちを怖がり始めた。……カレンを見つけるぞ。あの子が、この事件のすべての鍵を握っている」




