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異世界に転生しちゃったので刑事になってみた  作者: 羽越世雌
第5章:正義の終着駅
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第25話:二人の刑事(デカ)の慟哭

1.檻の最深部


白亜の公爵別邸本館。その絢爛たる内装とは裏腹に、最深部へと続く大階段の先は、不気味な仄青い魔力ノイズが立ち込める地下空間へと繋がっていた。

大理石の壁がひび割れ、剥き出しの魔導配線がのたうち回りながら、奈落の奥へとエネルギーを吸い上げている。


「――ツヨシ! ここは私が食い止める、先に行け!」

クラウスの鋭い叫び。彼の白金魔導杖から放たれた氷結の防壁が、通路の奥から雪崩を打って押し寄せる黒曜騎士団の突撃を辛うじて防ぎ止めていた。


「アルフレッド、ルーク! 課長を援護しろ!」

「了解です! ツヨシさん、先生を……マサキをお願いします!」

アルフレッドが予備の黒木杖から高水圧の弾丸を放ち、ルークの『消音(サイレンス)』が騎士たちの連携を物理的に引き裂いていく。


「恩にきるぞ、お坊ちゃんたち!」


ツヨシのすり減った革製ブーツの底が、夜雨の泥を白亜の廊下へ擦りつけながら、弾丸のように最深部へと滑り込んだ。

重厚な真鍮の扉を体当たりで撥ね開けた先。そこは、別邸全体の魔力循環を司る、巨大な「魔導中枢室」だった。


部屋の天井から無数に垂れ下がる、妖しく明滅する魔導コードの束。

その中央、魔力抽出器の冷たい鉄製の檻に拘束され、全身に青い管を繋がれた状態で、一人の男が虚ろな目を床に落としていた。


白銀の高級法衣は見る影もなく引き裂かれ、眼鏡の奥の瞳は、自らの魂さえも失ったかのように濁っている。


「……マサキ」


ツヨシの掠れた声が、中枢室の沈黙を切り裂いた。

男――真木(マサキ)・フォン・バルドーが、ゆっくりと首を動かした。その視線にツヨシの泥だらけの姿が映った瞬間、彼の全身を、激しい感情の痙攣が駆け抜けた。


「……剛、さん……?」


2.置き去りにされた心


「なぜ……、なぜ来たんだ、剛さん……!」


真木は、拘束具のチェーンをガシャガシャと激しく鳴らしながら、血を吐くような声で叫んだ。


「あんたは僕を捕まえるために、地の果てまで追ってきたはずだ! 僕がハイドラという毒をばら撒いた悪党だから、その冷たい手錠(ワッパ)をハメるために来たんだろ!? なのに、なぜ……、なぜそんな、ボロボロになりながら、僕を助けるような顔をしてそこに立っているんだ!」


「お前を捕まえる前に、聞かなきゃならねえことが、山ほどあるからな」

ツヨシは一歩、また一歩と、囚われたかつての相棒へと近づいていった。


「瀬戸川はお前を裏切った。いや、最初からお前の描いた『格差のない世界を創る』っていう絵図(システム)はな、お前の実の親であるバルドー公爵に、下層街を合法的に一掃するための道具として、最初から汚されてたんだよ。……お前は頭が良すぎたが、あの怪物の非情さまで計算しきれなかった」


「……わかっているよ! そんなこと、とっくに、骨の髄まで理解した!」


真木の細い顔に、涙がどっと溢れ出た。

東野圭吾作品のクライマックスに漂う、完璧に見えた犯罪の裏側に隠された、あまりにも哀しい人間の「慟哭」。


「あの男は……バルドー公爵は、最初から僕のハイドラ計画を知りながら、僕が弱者たちを怪物に変えて王宮を襲うのを待っていたんだ。そうすれば、下層街のゴミどもを合法的に焼き尽くし、王宮での自身の権力を絶対的なものにできるから……。僕は、あいつらを救いたかったのに……! 魔力を持たない無魔のゴミとして、地下牢に幽閉されていた僕を唯一人間扱いしてくれた、あの孤児院の子供たちや平民たちを、僕自身の作った毒(ハイドラ)で、大量殺戮の引き金にしてしまったんだ!」


真木は激しく頭を振り、檻の鉄格子に額を叩きつけた。


「僕は、また間違えたんだ……! 剛さん、あんたが死んだあの雨の夜から、僕の正義は、僕の心は、ずっとあの埋め立て地の廃倉庫に置き去りにされたままだ!」


3.慟哭の「Why(なぜ)」


真木の絶叫が、仄青い魔力ノイズの中に消えていく。


「剛さん……! なぜ、あの夜、僕なんかを助けたんだ!」

真木はツヨシを睨みつけ、涙で視界を滲ませながら叫び続けた。


「僕はキャリアだった! 警察上層部との癒着を握り、自分の地位を確固たるものにするために、九頭竜会と裏で繋がっていたんだ! あんたが泥臭く地道に調べすぎるから、ルートがバレそうになって、九頭竜会にあんたの情報を売った! あんたを消すために、僕が罠を仕掛けたんだ! なのに……!」


真木の喉から、ヒック、と嗚咽が漏れた。


「なぜあんたは、僕が裏切り者だと知りながら、僕の前に飛び出して、その身を挺して弾丸を食らったんだ! 『お前は生きろ』なんて言って、どうして僕を庇って死んだんだよ! あんたが死んだあの日から、僕は毎日、毎晩、あんたの流した血の温もりと、生かされてしまったことへの激しい罪悪感に、脳髄を直接灼かれ続けてきたんだ!」


前世での、取り返しのつかない裏切り。

自分が殺そうとした相棒が、自分を「相棒」と信じて命を救ってくれたという、極限の不条理。その激しい喪失感と贖罪の念こそが、この異世界に転生した真木を、狂信的な「誰も犠牲にならない、誰も理不尽に死なない世界(システム)の構築」へと暴走させた根源だった。


「あんたが、僕を生かしたからだ……! 僕は、あんたを失ったあの夜から、狂うことしかできなかったんだよ、剛さん!」


真木は、檻の冷たい鉄板に顔を押し当て、子供のように大声を上げて泣き崩れた。

その細い身体を、仄青い魔力の管が容赦なく拘束し、彼の命の灯火を削り取っていく。


4.刑事のプライド、相棒の魂


ツヨシは静かに、檻の前まで歩み寄った。

懐から、クシャクシャになった最後の安価な薬草を取り出そうとしたが、それは先ほどの戦闘で粉々に砕けていた。

ツヨシは小さく自嘲気味に笑うと、檻の隙間から、泥に汚れた太い手を真っ直ぐに伸ばし、真木の冷え切った肩を、優しく、しかし痛いほど強く掴んだ。


「マサキ。……お前が九頭竜会に俺の情報を売ったってことくらい、あの夜、倉庫に入る前からとっくに気づいてたよ」


その言葉に、真木はハッとしたように泣き顔を上げた。


「……気づいて、いた……? なのに、どうして……」


「お前は頭が良すぎるが、嘘を吐くときだけは、いつも眼鏡のブリッジを不自然に押し上げる癖があった。……俺は二十年、泥をすすって犯人の顔を見てきたデカだぞ。お前のそんな分かりやすい嘘、見抜けねえわけがねえだろ」


ツヨシは、真木の濡れた眼鏡を、汚れた指先でそっと拭ってやった。


「マサキ。俺があの夜、お前の前に飛び出したのはな……、お前が優秀なキャリアだからでも、誰かの役に立つからでも、大局のためでもねえんだよ。……お前が、俺の『相棒』だったからだ」


ツヨシの低く、掠れた、しかしどこまでも温かい日本語の声が、真木の魂を震わせる。


「裏切り者だろうが、汚職警官だろうが、関係ねえ。俺の目の前で、俺の相棒がヤクザの弾丸で死にかかってんのを、ただ黙って見ていられるほど、俺の根性は腐っちゃいねえんだよ。……生きて、やり直せ。新しい世界を創れ。そう願って、俺は自分の意志でお前の前に飛び出したんだ。……だからお前を、こんな薄汚い公爵の、システムのドブ川で死なせやしねえ」


「剛さん……、剛さん……!」


「マサキ。お前がハイドラを配って犯した罪は、決して消えねえ。お前が傷つけた平民たちも、下層街のガキどもの涙も、全部お前の『責任』だ。……だから、生きろ。生きて、俺たちと一緒に、あのバルドー公爵のすべての不正を『境界の法廷』へ引きずり下ろして、そのツラ拝んでやろうぜ。お前の本当の正義を、ここで終わらせるな」


ツヨシは、懐から警備隊の手錠(ワッパ)をそっと取り出し、檻の隙間から見せた。


「お前を地獄から引きずり出して、今度こそ、人間の法で完璧にワッパをハメてやる。……それが、お前を生かした俺の、刑事としての最後の責任だ。……行くぞ、相棒」


真木は、ツヨシの泥だらけの手を、自らの震える両手で、血がにじむほど強く握りしめた。

その眼鏡の奥の濁っていた瞳に、前世のあの警察学校の廊下を共に歩いた、真っ直ぐで青臭い「本物の正義」の光が、涙とともに完全に蘇った。


「……はい、剛さん。……僕を、逮捕してください」


檻の最深部に、閉ざされていた過去が、今、確かな温もりを伴って氷解する、二人の刑事の静かな涙の音が響いていた。

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