第23話:別邸強襲と非公式の令状
1.法の外の「令状」
ざあざあと、冷たい夜雨が下層街の泥濘をどす黒く濡らし、王都グラナダの北に広がる深い森へと流れ込んでいた。
放置された荷馬車の雨除けの下、ランタンのぼんやりとした琥珀色の光が、4人のデカたちの顔を濡らし、照らし出している。
ツヨシ、アルフレッド、クラウス、そして正式に彼らと並び立つ「猟犬」となったルーク。彼らの目の前に広げられているのは、真木のハッキングデータから得られた、バルドー公爵別邸の防衛詳細マップだった。
「――バルドー公爵は下層街での焦土作戦の失敗を察知し、北の別邸へと完全に引きこもった」
クラウスが、雨粒で汚れた眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な声で告げた。その瞳には、かつて王宮の保身に怯えていた官僚の弱さは微塵もない。
「別邸を守るのは、神聖騎士団の中でも公爵の私兵に近い最精鋭『黒曜騎士団』の一個中隊。さらに、敷地全体が国家防衛級の空間遮断結界『ラピス・シールド』によって物理的・魔導的に完全封鎖されている。公式な捜査令状など、王宮が発行するはずもない。……ここから先は、文字通り『国家不敬罪』と『不法侵入』の嵐だ」
「令状なら、ここにあるぜ」
ツヨシは懐から、クシャクシャになった一本の安価な薬草を取り出して口に咥え、マッチの火を灯した。
じわりと広がる紫煙の向こうで、ツヨシが懐から引っ張り上げたのは、真っ白な、署名のない警備隊の簡易令状の用紙だった。ツヨシはその用紙の端で煙草の灰をトントン、と落とし、不敵にニヤリと笑った。
「ツヨシさん、それはただの白紙ですが……」
アルフレッドが苦笑交じりに問いかける。
「デカの仕事ってのはな、お上のハンコでやるもんじゃねえ。仏さんの無念を晴らし、悪党にワッパをハメるっていう『法の精神』そのものが、この白紙に宿ってるんだよ。お上がその目を瞑るってんなら、俺たちがこの足で、新しい令状を書き込んでやる。……だろ、お偉いさん?」
「フン……。相変わらず野蛮で非合理的なロジックだな、ツヨシ」
クラウスは自嘲気味に微笑んだが、その目は闘志に満ちていた。
「だが、法秩序の崩壊を防ぐために、法の外から法を執行する。……悪くない合理性だ」
「係長、別邸の物理的な『ゲソ痕(警備ルート)』、および結界の循環ノイズを特定しました」
ルークが、鑑識の照準器を装着した短杖を構え、森の奥にたたずむ巨大な白亜の城塞を指し示した。
「黒曜騎士団の哨戒は五分間隔。ですが、結界の魔力供給を行う、地脈の接続バルブ(魔導ターミナル)が、別邸の外周に四箇所あります。……ここを物理的、かつ精密にハッキングして出力を狂わせれば、別邸の防衛システムを内側から崩壊させられます」
「よし、お坊ちゃんたち。靴底を減らす準備はいいか」
ツヨシは煙草を踏み消し、重厚な革製ブーツの踵を、冷たい泥土に強く叩きつけた。
「国家を相手にした、史上最悪の非公式強襲を始めるぞ」
2.静かなる前進
森の闇は、濃密な魔力のプレッシャーと雨音に支配されていた。
ツヨシを先頭に、4人は息の根を止めたように足音を消し、濡れた茂みを這うようにして前進した。
堂場瞬一の描く、極限までストイックな隠密歩行。
体温は冷雨によって急速に奪われ、指先の感覚はとっくに麻痺していたが、ツヨシの先頭を進む背中は、一ミリのブレもなかった。その背中に続くアルフレッド、クラウス、そしてルークの足取りも、かつてないほどに研ぎ澄まされている。
「――静かに。前方に、黒曜騎士団の哨戒兵が二名」
ルークが風の魔導を微細に操り、音を遮断しながらツヨシの耳元へ囁いた。
行く手の白い石畳の通路。
白銀の甲冑をどす黒い漆黒の雨合羽で覆った、二人の騎士が魔導槍を構えて巡回していた。彼らのまとう空気は、これまでの下層街のマフィアたちとは明らかに異なる。国家の軍事訓練を極限まで叩き込まれた、本物の「兵器」としての重圧。
「アル、クラウス。魔力回路のロックは任せた。ルーク、俺が突っ込んだら、左の奴の視野を『消音』と『光屈折』で十秒だけ潰せ」
「了解です、係長。……骨は拾いませんよ」
「デカの骨はな、ドブ川に捨てるのが一番似合ってるんだよ」
ツヨシは不敵に笑うと、すり減ったブーツで、夜雨の泥濘を弾丸のように蹴り出した。
「――何者だ!」
右側の騎士が侵入者に気づき、魔導槍を引き金にかけようとした瞬間、アルフレッドの精密な『水縛』がその両腕をがっちりと固定した。呪文を構築する魔力回路が強制的に閉塞され、騎士が激しく咳き込む。
「一人目!」
ツヨシは上体を捻りながら滑り込み、右側の騎士の懐へと一瞬で侵入した。
相手の槍の柄を左手で固定し、右手で相手の手首を外側へ捻り上げる、警察実戦格闘術――『小手返し』。
ゴキッ、という鈍い音とともに、魔導槍が泥の中に滑り落ちる。ツヨシはそのまま全体重を浴びせるようにして、相手の太い首に自らの腕を回し、頸動脈を正確に制圧する『裸絞』へと移行した。数秒で、騎士の巨体が糸が切れたように崩れ落ちる。
「くっ、曲者――」
左側の騎士が叫ぼうとしたが、ルークの放った『消音の霧』がその声を物理的に掻き消した。さらにクラウスの放った極小の氷結弾が、騎士の足元を石畳ごと瞬時に凍りつかせ、その機動力を完全に奪う。
ツヨシは気絶した一人目を投げ捨て、滑るようにして二人目の懐へと潜り込んだ。特殊警棒を相手の喉元へ突き当て、一気に床へと叩き伏せる。
「二人目。……ルーク、次の接続バルブは?」
「すぐそこです。別邸の結界の、北東ターミナル」
3.非公式の「令状執行」
外周の林の中に佇む、不気味に仄青く明滅する石造りの「魔導ターミナル」。
そこには、国家防衛級の絶対結界『ラピス・シールド』へと直接魔力を供給する、巨大な結晶が据え付けられていた。
「クラウス、ハッキングを開始しろ」
「言われなくとも。……真木、君が私に遺してくれた、王宮法務省のバックドア・データ。ここで使わせてもらう」
クラウスは自らの白金魔導杖をターミナルの結晶へとかざし、複雑なグラナダ文字の監査システムを脳内に展開した。彼の指先が、空中に描かれる魔導の配列を、信じられない速度で書き換えていく。
「……バルブの認証システムを掌握。これより、魔力供給の循環比率を狂わせる。だが、公爵別邸の絶対結界は、単純なシステムの書き換えだけでは破れない」
クラウスの美しい額から、冷たい汗が流れ落ちる。
「結界の防御出力φは、血統純度や配置された魔力など、極めて複雑な空間物理の数式によって支配されている。この出力を物理的に『臨界』させるには、ターミナルのハッキングと同時に、結界を構成する魔力濃度そのものを外部から歪ませる必要がある」
「魔力の歪みなら、俺たちの仕事だ」
アルフレッドが、修復された黒木杖を力強く握りしめた。
「クラウス課長がシステムを書き換える瞬間、私とルークが、バルブの地脈接続点へと物理的な『魔力逆流』を叩き込みます。ツヨシさんは、その瞬間に生まれる結界の『物理的歪み』をこじ開けてください」
「ああ、任せろ。力仕事と泥遊びは、デカの専売特許だからな」
ツヨシは、手にした警棒の感触を確かめ、別邸のバルコニーを見上げた。
かつて前世で、ヤクザの隠れ家に突入するため、重たい鉄製の「破城槌」を両手で抱え、仲間たちの先頭に立って扉を叩き壊した、あの日の熱い鼓動が全身を駆け巡る。
「――システム書き換え、カウントスリー。ツー、ワン……今だ、撃て(ファイア)!」
クラウスの鋭い号令とともに、アルフレッドとルークの杖の先から、極限まで圧縮された激流と風の魔導エネルギーが、ターミナルの接続点へと同時に撃ち込まれた。
ズドォォォォン! と、地鳴りのような爆音とともに、結晶が赤黒く変色し、激しい魔力ノイズが周囲の空間を歪めていく。
バリバリと、別邸全体を包んでいた絶対結界の表面に、巨大な「亀裂」が走り始めた。
「ツヨシさん、今です! 結界の隙間を……!」
「――よっしゃあ、行くぞぉぉぉッ!」
ツヨシのすり減った革靴が、夜雨の泥を力強く蹴り上げた。
結界が魔力の拒絶反応を起こして強烈な圧力を放つ中、ツヨシは全身の筋肉を限界まで引き絞り、その亀裂の隙間へと自らの肉体を弾丸のように割り込ませた。
皮膚を焼き、外套を引き裂く魔力の激しい抵抗。だが、ツヨシの刑事としての「執念」は、国家防衛級のシステムの壁を、物理的に突き破ることに成功した。
ガシャァァン! と、空間がガラスのように砕け散る音が響く。
ツヨシの泥だらけのブーツの底が、ついに、公爵別邸の絢爛たる大理石の床を踏みしめた。
朝日の光が昇る前の、静かな、しかし確かな反撃の始まり。
「バルドー公爵……、真木」
ツヨシは、濡れた髪を払い、不敵なデカの笑みを浮かべた。
「お前たちの綺麗に作り上げたそのシステム、今からこの泥靴で、全部ぶっ壊しに行ってやるよ」
4人のデカたちの影が、白亜の廊下へと、長く、力強く伸びていった。




