第22話:境界の法廷
1.『大局』の亀裂
ザーザーと、冷たい夜雨が孤児院の泥濘を激しく叩いていた。
瀬戸川は、片手に持った『起爆の通信魔導結晶』を弄びながら、エルフの美しい顔を醜く歪めて嘲笑していた。
「さあ、どうする、津島剛さん。俺を倒してこの街を灰にするか? それとも、自分の『正義』とやらを抱えて、この街のゴミどもと一緒に燃え尽きるか?」
ツヨシはすり減った革靴を踏みしめ、雨を吸って重くなった外套を翻した。その眼光は、窮地にあっても一ミリも揺らいではいなかった。
「お前は本当に頭が良いが、瀬戸川。……一つだけ、大局ってやつを履き違えてる」
「何だと?」
瀬戸川の眉が不快そうに跳ねた。
ツヨシは、懐から仄青く明滅する、ルークから奪い取った通信魔導結晶を耳に当てた。
結晶の奥から、ザザ……というノイズに混じって、冷徹で、しかしどこか誇らしげな男の声が響き渡った。
『――こちらクラウス。中央礼拝堂の防衛線を突破し、王宮法務省のバックドアのハッキングを完了した。……神聖騎士団の魔導巨砲『神罰』の自動焦土化プログラムへの強制介入、成功だ』
「な、何だと……ッ!?」
瀬戸川が驚愕に目を見開いた。
『さらに、ルークの消音魔導の支援を受け、ハイドラ輸送馬車の起爆トリガーも物理的に全て解除している。瀬戸川、君の持つ起爆の通信魔導結晶は、もはやただの光る石に過ぎない。君の大局的なシステム(絵図)は、この私の『監査権限』によって、今、完全に瓦解した』
「あり得ねえ……! バッキンの法務省のセキュリティだぞ! 一警視正がそんな短時間で書き換えられるわけがねえ!」
「書き換えたんじゃない。お上の作った『完璧なセキュリティ』ってのはな、身内のバックドアには、最初から素通りのゲソ痕(足跡)を残してるんだよ」
ツヨシが不敵にニヤリと笑った。
「お上が作った綺麗なルールはな、お前の大好きな真木をハメるために、クラウス(あいつ)がすでに全部ぶっ壊したんだよ。……瀬戸川。お前の二重の罠は、これで終わりだ」
「くそが、くそが、くそがぁぁぁぁぁッ!」
瀬戸川は結晶を地面に叩きつけると、懐から超高濃度の『ハイドラ』のボトルを一気に煽った。
その瞬間、彼の身体から放たれた魔力は、魔導過負荷の数式を完全に無視した暴力的な数値へと急上昇した。
E = κ・D²/1 + γ・M
前世での抗争死、この世界での支配欲、そしてツヨシという「刑事」への強烈な憎悪という『精神負荷M』。それが超高濃度ドラッグDと融合し、放出される魔力Eは、瀬戸川のエルフの美しい肉体を、内側から青黒くひび割れさせながら、奈落のエネルギーとなって噴出した。
「殺してやる……! 津島剛、今度こそ、あんたを完全に塵にしてやる!」
2.刑事の「小手返し」
ドゴォォォォン!
瀬戸川の杖から放たれたのは、空間そのものを腐食させるほどの、禍々しい暗黒の魔導の奔流だった。
漆黒の衝撃波が雨を押し返し、孤児院のレンガ壁を次々と粉砕していく。
「『激流の障壁』――ッ!」
アルフレッドが、へし折れた杖の残骸を握りしめ、身を挺してツヨシの前に飛び出した。激しい魔力の衝突。高熱の水蒸気が中庭を白く染め上げ、アルフレッドの障壁が悲鳴を上げて砕け散る。
「ぐっあぁっ!」
「アル!」
アルフレッドは血を吐きながらも、その場に踏みとどまり、ツヨシの背中を強く押した。
「ツヨシさん……行け! 先生の、みんなの無念を……あの男に、手錠を!」
「ああ、任せろ、相棒!」
ツヨシの身体が、真っ白な水蒸気の幕を切り裂いて、弾丸のように飛び出した。
すり減った革靴が、夜雨の泥濘を力強く蹴り上げる。
瀬戸川が驚愕に目を見開き、再び杖を向けようとする。
「来るな! この無魔のゴミが!」
「魔法の使えねえゴミに、前世でも今世でも、追い詰められてる気分はどうだ、瀬戸川!」
シュッ、と風を切る音。
瀬戸川の放った至近距離の魔導弾。ツヨシは上体をわずかに捻り、その杖の軌道をミリ単位でかわすと、相手の懐へと潜り込んだ。
日本の警察格闘術、極意――『小手返し』。
「がっ……あぁっ!?」
ツヨシの両手が、瀬戸川の右手首をがっちりと固定し、そのまま全体重を乗せて外側へと捻り上げた。ゴキッ、という鈍い音が響き、瀬戸川の持っていた白金魔導杖が泥の中に滑り落ちる。
ツヨシはそのまま、瀬戸川の細い首に自らの太い右腕を回し、警察実戦格闘術――『裸絞』を全力で極めた。
「ぐっ、あ、は、離せ……!」
「おとなしく寝てろ、瀬戸川。お前を東京湾の底に沈める代わりに、この世界のドブ川で、冷たい鉄をハメてやるよ」
頸動脈を正確に圧迫された瀬戸川の視界が急速に狭まっていく。
ガチャン――。
雨音の響く孤児院の中庭に、冷たい、重厚な金属音が響き渡った。
魔力封じを施された警備隊特製の鋼鉄の手錠が、瀬戸川の両手首を容赦なく、そして固く繋ぎ合わせた。
「瀬戸川蓮。……魔導ドラッグ『ハイドラ』大量密売、テロ扇動、および下層街焦土計画の容疑で――現行犯逮捕だ」
ツヨシの掠れた、しかし確固たる日本語の声が、泥にまみれた瀬戸川の耳元に響いた。
瀬戸川は、手首の手錠の冷たさを確かめるように小さく、力なく笑った。
「……はは……。剛さん。やっぱり……あんたには、敵わねえや……」
瀬戸川の肉体から、過負荷による発光が静かに減衰し、彼は糸が切れた人形のように、夜雨の泥濘の中に崩れ落ちた。
3.境界の法廷へ
東の空から、冷たい、しかし確かな朝の光が差し込み始めていた。
王都を侵食していた「ハイドラ」の長い夜が明け、下層街を包んでいた重苦しい雨雲が、ゆっくりと晴れていく。
「――終わったな、ツヨシ」
クラウスが、ハッキング用の簡易魔導端末を懐にしまい、アルフレッドの肩を借りて中庭へと歩み寄ってきた。彼の美しい顔は傷だらけだったが、その瞳は、キャリアの保身を捨て、真の「法の番人」となった誇りに満ちていた。
ルークもまた、給水塔から駆け戻り、ツヨシの隣で、泥だらけの瀬戸川を見つめていた。
「ルーク、お前のおかげで、ハイドラは一滴も暴発させずに済んだぞ」
ツヨシが言うと、ルークは嬉しそうに尖った耳をピクリと動かした。
「係長。あなたが教えてくれた『地道な足の捜査』が、最後にこの街を救ったんです。……組織のルールなんかより、ずっと機能する『法』でした」
「フン……。実に合理的ではない、泥臭い捜査だったな」
クラウスは眼鏡の汚れを拭い、自嘲気味に微笑んだ。
「だが、これでピースは完全に揃った。瀬戸川の身柄、そして国家予算の不正裏金フローの証拠書類。……これらを持って、我々は、王宮の最高幹部であり、君の前世の相棒であった『真木・フォン・バルドー』、そしてその実父である『バルドー公爵』を、公式に起訴する」
「王宮の法廷に、渡すんですか?」
アルフレッドが問いかける。
「違う」
ツヨシは懐から、クシャクシャになった最後の薬草を取り出し、マッチで火をつけた。
吸い込んだ紫煙を、ゆっくりと朝日の光の中へ吐き出す。
「お上の作った『綺麗な法廷』じゃ、あいつらはまた有耶無耶にして逃げちまう。……だから、俺たちの創る新しい『境界の法廷』で、あいつらのすべての罪を吐かせ、完璧にワッパをハメるんだ」
ツヨシはすり減った革靴の踵を、冷たく、硬い石畳に強く打ち付けた。
「行くぞ、お坊ちゃんたち。……バルドー公爵、真木。お前たちのその綺麗なツラ、地の果てまで追い詰めて、必ず手錠をハメてやる」
朝日の光が、4人のデカたち、そして手首を縛られた瀬戸川の影を、グラナダの硬い石畳の上に、長く、力強く伸ばしていた。
王宮を、そして前世から彼らを縛り続けていた「システム」への、果てしない追跡劇。
すり減らすべき靴底は、まだ、たっぷりと残っている。彼らの真の法執行は、今ここから、本格的に始まるのだ。




