第20話:猟犬の合流と公爵の影
1.組織を捨てた猟犬
「――これで、私もあなたたちと同じ『国家反逆のテロリスト』というわけですね、ツヨシ係長」
王都の外縁、放置されたレンガ造りの地下ワイン貯蔵庫。
カビと湿気の匂いが立ち込める薄暗い空間に、ランタンのぼんやりとした琥珀色の光が、一枚の巨大な地図を照らし出していた。
ルーク・フォン・ベルンは、漆黒の魔導捜査官の制服から、かつてツヨシが教えたような動きやすい泥汚れの目立たない私服へと着替え、静かに息を吐いた。エルフの尖った耳が、地下に響く微かな夜風の音を拾ってピクリと動く。
「お前が組織の犬になりきれねえのは、最初から分かってたよ、お坊ちゃん」
ツヨシは近くの木箱に寄りかかり、懐から薬草を取り出して火をつけた。
じわりと広がる紫煙が、張り詰めたオフィスの代替地の空気を和らげる。
「ルーク。お前が神聖騎士団の捜査網を『北の結晶関門』へと意図的に誘導してくれたおかげで、俺たちは真木をここまで安全に移送できた。……だが、王宮を完全に敵に回したんだ。もう後戻りはできねえぞ」
「望むところです」
ルークはツヨシの目を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、かつて王宮の命令に縛られていた若者の迷いは微塵もなかった。
「私が信じるのは、綺麗にアイロンがけされた法服でも、王宮の保身のための命令でもありません。……自分の足で歩き、自分の目で見た真実だけです。それが、係長、あなたが私に叩き込んだ『刑事のプライド』ですから」
「フン……。随分と生意気な『野良犬』になったものだな、ベルン魔導捜査官」
クラウスが、汚れた眼鏡のブリッジを押し上げながら、冷徹な、しかしどこか満足げな自嘲の笑みを浮かべた。
「だが、これでピースは揃った。アルフレッド、ルーク、そしてノンキャリのツヨシ。……法の外で真実を裁く、最悪で最高に非効率な捜査ユニットの完成だ」
「へっ、お偉いさん(キャリア)にそう言ってもらえると、泥靴を履いてる甲斐があるってもんだ」
ツヨシはすり減った革靴の踵をトントン、と床に打ち付けた。
「さあ、お坊ちゃん。お前がその優秀な鼻で嗅ぎ回って、仕入れてきた『バルドー公爵』の最新情報を吐いてもらおうか。ヤマ(捜査)が動くぞ」
2.公爵の絵図と『間引き』
「真木副大臣から得た、バルドー公爵の隠し金庫の通信暗号……。それと、私が王宮法務省の内部データから極秘にサルベージした情報を照合しました」
ルークが、地図の上にいくつかの赤いピンを突き刺していった。それらは、王都グラナダの周囲を取り囲む「結晶防衛線」の軍事要塞を示す場所だった。
「バルドー公爵は、自身の私兵である黒曜騎士団の一個連隊を、王都の治安維持の名目で下層街の外縁へと極秘に移動させています。……それも、瀬戸川が率いる『マフィアの私設兵』と裏で完全にルートを統合させている。真木副大臣の『ハイドラ暴動計画』は、公爵の手によってすでに『物理的な焦土化計画』へと書き換えられています」
「焦土化、だと……?」
アルフレッドが、息を呑んで地図を睨みつけた。
「まさか、暴動を起こさせた上で、下層街の貧民たちを魔導兵器で合法的に『間引き』する、という真木の言葉は……本当だったのですか?」
「それだけではありません。公爵は、暴動の『引き金』として、超高純度のハイドラを大量に積んだ輸送馬車を、二日後の夜、下層街の複数の礼拝堂や孤児院へ極秘に配置する予定です。貧民たちがそれを手にして暴発した瞬間、神聖騎士団の魔導巨砲が、下層街ごとすべてを焼き尽くす。……これが、バルドー公爵の描いた、完璧な『大局の絵図』です」
今野敏の描く、国家の体裁のために数万の命をゴミのように一掃しようとする、巨大なシステムの冷酷な暴力。
ツヨシの胸の奥で、かつてないほど激しく、怒りの炎が静かに、しかし猛烈に燃え上がっていた。
「……汚ねえ手だな。弱者に毒を掴ませて自爆させ、それを『テロ』と呼んで合法的に消し去る。……前世の日本の警察上層部が、ヤクザを泳がせて手柄を立て、都合が悪くなればトカゲの尻尾切りにしてすべてを闇に葬っていたあの汚濁と、全く同じ構図だ」
ツヨシは煙草を踏み消し、冷酷に笑った。
「バルドー公爵……。その怪物のツラ、早く拝みに行きたくてウズウズしてきたぜ。……ルーク、公爵の現在の所在は?」
「王都の北、黒曜騎士団の駐屯地に隣接する『バルドー公爵別邸』です。そこが現在、公爵の作戦本部として機能しています。……セキュリティは国家規模、神聖騎士団の最精鋭が周囲を取り囲んでおり、物理的にも魔導的にも、侵入不可能な『要塞』です」
「侵入不可能、ねえ」
ツヨシは不敵にニヤリと笑った。
「デカの靴底ってのはな、お偉いさんが作った『侵入不可能の敷居』を跨ぐためにあるんだよ。……アル、クラウス、ルーク。別邸のステークアウト(張り込み)を開始する。……ホシの動きを完全に捕捉するぞ」
3.隠密の別邸偵察
ザーザーと、容赦ない夜雨が、王都の北に広がるバルドー公爵別邸をどす黒く濡らしていた。
鬱蒼とした黒い森の中にたたずむ別邸は、白銀の鎧をまとった黒曜騎士団の衛兵たちが、不気味な魔導ランタンの光を放ちながら、数分おきに哨戒ルートを巡回している。
その森の陰。冷たい泥水の中に、ツヨシとルークは腹這いになって身を潜めていた。
堂場瞬一の描く、極限までストイックな張り込み。
冷雨が容赦なく二人の体温を奪い、指先の感覚はとっくに麻痺していた。だが、ルークはツヨシの隣で、自らの魔力を完全に遮断する『隠蔽結界』を静かに維持しながら、別邸のバルコニーを凝視し続けていた。
「ルーク、寒さは大丈夫か」
ツヨシが声を出さず、口の動きだけで語りかけた。
「問題ありません。……それより、係長。あなたほど魔力の微小な人間が、この氷のような冷雨の中で、一ミリも身体を震わせずにいられる理由が分かりません。……普通なら、寒さで心肺機能が低下し、気配が漏れるはずです」
「慣れだよ、お坊ちゃん」
ツヨシはかすかに笑った。
「前世じゃ、氷点下の旭川で、指名手配犯の隠れ家の前を素手で二日間張り込んだこともあった。……標的を捕まえるっていう『熱』が体の中にあるうちは、外がどれだけ冷えてようが、凍ることはねえんだよ」
「刑事の……熱……」
ルークは、ツヨシの横顔をじっと見つめた。
ただの平民。魔法の才能はゴミ同然。だが、この男から放たれる圧倒的な「刑事としての格」に、ルークは心の底から魅了されていた。組織の栄光など、この熱量の前ではただの冷たい紙切れに過ぎない。
「――静かに。バルコニーに動きがあります」
ルークの鋭い囁き。
別邸の二階、重厚なガラス扉が開き、一人の老人がバルコニーへと姿を現した。
白金で縁取られた豪華な魔導ローブ。整えられた白い髭、そして――魔力を持たない者を見下す、極限の傲慢さをたたえた冷酷な双眸。
バルドー公爵家当主にして、この国の司法の真の支配者。
真木の実父、バルドー公爵その人だった。
そして、その公爵の背後の闇から、音もなく這い出てきた、もう一人の男。
エルフの美しい顔を歪め、不敵な笑みを浮かべている男――瀬戸川だった。
4.怪物の結託
「……輸送の準備は完了したな、レオン」
公爵の、低く、威厳をまとった声が、夜雨の音に混じってかすかにツヨシたちの耳に届いた。ルークが風の魔導を微細に操り、音を増幅してツヨシの耳元へ届けている。
「ええ、公爵様」
瀬戸川が、日本語ではなく、この世界のグラナダ語で慇懃無礼に頭を下げた。
「マサキが配った『ハイドラ』は、すべて下層街の主要なポイントに配置しました。暴動の引き金は、いつでも引けます。……お望み通り、あの薄汚い貧民窟を、合法的な魔導巨砲の炎で綺麗さっぱり消し去って差し上げましょう」
「フン。マサキめ……。無魔のゴミとして生まれながら、前世の知性とやらで私を脅迫し、法務省での地位を手に入れた時は、少しは使える道具かと思ったがな。……結局は、弱者を救うなどという、つまらぬ平民の感傷に囚われた敗北者に過ぎなかった」
公爵は、激しい蔑みの仕草で雨の夜景を見下ろした。
「この世界のシステムは、強者が弱者を支配することで成り立っている。魔力なきゴミどもは、増えすぎれば間引く。それが、このグラナダの絶対的な『法』だ。……マサキも、そして彼を追っているという警備隊のテロリストどもも、すべて下層街の焦土とともに灰にしてしまえ」
「了解です、公爵様。……剛さんたちも、今頃はマサキの尋問に夢中で、足元が燃え上がっていることすら気づいていないでしょう」
瀬戸川は、暗黒の魔導剣の柄を握りしめ、冷酷に笑った。
その言葉を聞いた瞬間、ツヨシの指先が、怒りでコンクリートの泥を強く握りつぶした。
東野圭吾作品の結末に漂う、愛ゆえに狂った真木。その真木の「誰も犠牲にならない世界を作る」という哀しき悲願が、この実父という巨大なシステム(怪物)によって、最初から「都合の良い大量殺人の道具」として消費されていたという、あまりにも悍ましい真実。
(マサキ……。お前が世界を憎んで描いた復讐劇は、最初から、この親の、大局の手のひらの上で踊らされていただけだったんだな)
ツヨシの胸の奥で、刑事としての「責任」の炎が、最高潮に爆発した。
「――ルーク、戻るぞ」
ツヨシは静かに、しかし地獄の底から響くような声で告げた。
「係長?」
「ホシの『絵図』は、完璧に割れた。……これより、第二次包囲網をこちらから仕掛ける。クラウス、アル、そしてマサキを呼び覚ませ」
ツヨシは冷たい泥の中から立ち上がり、別邸のバルコニーの公爵を、鋭い眼光で射抜いた。
「お上の作った『綺麗な秩序』が機能しねえなら、俺たちアウトロー・デカが、自分たちの靴底で新しい『法廷(現場)』を創ってやる。……バルドー公爵、瀬戸川。お前たちのそのツラ、地の果てまで追い詰めて、必ず手錠をハメてやる」
雨の公爵別邸の闇の中から、四人のデカたちの、果てしない反撃の追跡劇が、今ここから本格的に始まった。




