第17話:奈落のプラント
1.月蝕の深淵
王都の北、ウル街の裏手に広がる荒涼とした連峰。
かつて高純度の魔導結晶を産出し、今は死に絶えた廃鉱山の入り口は、巨大な怪物の開いた顎のように暗闇の中に佇んでいた。
空を見上げれば、満月がゆっくりと不気味な赤黒い影に侵食され始めている。
月蝕。真木が告げた、王都グラナダの総自壊まで、あと数時間しかなかった。
「――外周の第一警戒網を突破した。王宮の機密コードは、真木によって完全に書き換えられていたが……、古い法務省のバックドアが生きていた」
クラウスが、手にした白金魔導杖の先端を僅かに明滅させ、周囲の隠蔽魔導を維持しながら囁いた。彼の端正な顔は、冷たい夜風と泥に汚れ、かつての「エリート監察官」の面影はもはやなかった。だが、その瞳に宿る知性と闘志は、かつての何倍も鋭く研ぎ澄まされている。
「さすがだな、お偉いさん」
ツヨシは暗闇の中で低く笑い、すり減った革靴のつま先を冷たい岩肌に擦りつけた。
「ホシ(犯人)がどれだけ賢いつもりでも、必ずどこかに『ゲソ痕(足跡)』を残す。組織のシステムってのは、作った奴の傲慢さがそのままバグになるんだよ」
「ツヨシ、ここから先は魔力探知を遮断する結界がさらに濃密になります」
アルフレッドが、へし折れた杖をクラウスから借り受けた予備の黒木杖へと持ち替え、周囲の警戒に当たっていた。
「鉱山内部の魔力圧は異常です。これほどの規模のハイドラが精製されているとなると、一滴の魔導火花でも、鉱山全体がオーバークロックによる大爆発を起こしかねません」
「ああ、爆弾の山の上を歩いてるようなもんだな」
ツヨシは懐から安価な薬草を取り出そうとしたが、指先が冷気で激しく強張っていることに気づき、手を引っ込めた。
「銃撃戦(魔導戦)は最小限だ。敵の杖の先を潰す。……アル、クラウス。俺たちの最後の捜査だ。あの歪んだキャリア(相棒)に、刑事の執念ってやつをきっちり見せてやろうぜ」
2.暗黒のブリーチング(突入)
廃坑の奥深く。
湿った冷気と、魔導残渣の仄青い胞子が、不気味に坑道を照らしていた。
ツヨシを先頭に、三人は足音を完全に消して進む。彼らの前に、頑強な魔導鉄で造られた巨大な二重扉が立ちはだかった。扉の向こうからは、低く、しかし腹に響くような、巨大な魔導精錬炉の駆動音が響いている。
「――誰だ!」
突如、頭上の岩棚から、抜身の魔導剣を構えた黒曜騎士団の精鋭二名が音もなく舞い降りた。
彼らの剣が、侵入者を排除するための冷酷な光を放つ。
「アル、左のバリア! クラウス、右の視界を奪え!」
ツヨシの怒号が響く。
「『激流の盾』――ッ!」
アルフレッドが予備の杖から放った水の防壁が、左側の騎士の鋭い突きを正面から受け止めた。激しい魔力ノイズが暗闇に散る。
同時に、クラウスが極限まで圧縮した光球を放ち、右側の騎士の目を完全に眩ませた。
「くっ、光の魔導か! 侵入者――」
「遅ぇんだよ、お坊ちゃん!」
ツヨシの身体が、弾丸のように突進した。
目潰しを食らって照準を乱した右側の騎士の懐へと滑り込み、相手の腕を掴む。
警察逮捕術の応用。相手の突進の慣性を利用し、手首を外側に捻りながら自らの全体重を乗せて床へと叩きつける。
ゴツン、と岩肌に兜が激突する鈍い音が響き、騎士が気絶した。
「一人目!」
ツヨシは立ち上がると同時に、アルフレッドの盾と鍔迫り合いを演じていた二人目の騎士の背後へと回り込んだ。
相手が気づいて振り返ろうとした瞬間、ツヨシの太い右腕が、相手の首元を締め上げる。
「――『裸絞』だ。暴れるな、おとなしく寝てろ!」
柔道、そして警察実戦格闘術の極意。
頸動脈を正確に圧迫された騎士は、魔導を放つための「呪文」を構築する意識すら奪われ、数秒で崩れ落ちるように失神した。
「二人目。……よし、扉を開けるぞ」
クラウスが素早く鉄扉の魔導ロックに手をかざす。
「……ロック解除。真木、君のセキュリティは完璧だが、この私のキャリア(階級)の権限までは想定していなかったようだな」
重厚な魔導鉄の扉が、ゆっくりと、しかし重々しい音を立てて開いた。
3.奈落の製造プラント
扉の向こうに広がっていたのは、言葉を失うほどの「地獄の光景」だった。
かつての広大な採掘場。その中央にそびえ立つのは、巨大な心臓のように不気味に脈打つ、ハイドラの「超高純度精錬炉」だった。
炉からのびる無数のガラスパイプを、妖しく発光する青いドラッグの液体が、まるで血液のように流れている。
そしてその周囲には、数万本規模のハイドラのボトルが、整然と木箱に詰め込まれ、出荷の時を待っていた。
プラントの周囲では、魔力枯渇症に冒され、虚ろな目をした平民や下層街の若者たちが、ハイドラの力で一時的な「超魔力」を無理やり与えられ、狂気的な笑みを浮かべながら警備に当たっていた。
彼らの皮膚はひび割れ、魔力過負荷による「自壊」の寸前にあることを、誰もが示していた。
E = κ・D²/1 + γ・M
精神負荷M(憎悪と絶望)を変換定数とし、極限まで濃度を高めたハイドラDを流し込まれた彼らは、一時的に王宮の特権階級を凌駕する超魔力Eを得ている。だが、それは自らの肉体を自爆ボムに変える、悪魔の等価交換だった。
「ひどい……。これが、マサキの言う『真の救済』なのですか」
アルフレッドが、怒りと悲しみで拳を血がにじむほど強く握りしめた。
「弱者を薬物で怪物に変え、特権階級と共倒れにさせる。……ただの、大量虐殺だ……!」
「――その通り。虐殺だよ、アルフレッド君」
精錬炉の上に設置された、鉄製のキャットウォーク。
そこから、冷たく、知的で、どこまでも澄んだ声が響き渡った。
白銀の法衣を翻し、細い眼鏡の奥から静かにツヨシたちを見下ろしていたのは、真木・フォン・バルドーその人だった。
彼の背後には、抜身の黒い魔導剣を構えた、数十名もの私兵と暴走した平民たちが壁のように控えている。
「だがね、歴史のシステムをリセットするには、これほどの『熱量』が必要なんだ。誰もが綺麗事で格差を維持しようとするこの国で、下層街の彼らが王宮の壁を打ち破るには、ハイドラという毒で自らを爆弾に変えるしかないのさ」
4.宿命の対峙
「マサキ!」
ツヨシが、キャットウォークの下から、真木を真っ直ぐに見上げた。
「自分の過去(無魔の証明)を晴らすために、こいつらの命を踏み台にするな! お前がやっていることは、あの雨の倉庫街で、俺たちをハメたヤクザの『九頭竜会』と、何一つ変わらねえんだよ!」
「変わるさ、剛さん」
真木は眼鏡を片手で軽く押し上げ、悲哀に満ちた、しかし狂おしいほどに強固な微笑みを浮かべた。
「ヤクザは私欲のために人を殺す。だが、僕は『格差という不条理なシステム』をこの世界から消し去るために動いている。……あんたが僕を庇って死んだあの日、僕は誓ったんだ。もし二度目の人生があるなら、今度は誰の犠牲も、誰の理不尽な死も生まれない世界を、僕がこの手で創り上げると」
真木の周囲の空間が、激しい「魔力回路の閉塞」による歪みを見せ始めた。
魔法が使えない「無魔」のはずの真木の背後。巨大な魔導精錬炉から、ハイドラの高純度エネルギーが、真木の身体を通して一本の強大な、ドス黒い暴力の奔流となって立ち上っていく。
真木は自らの肉体を、プラント全体のエネルギーと直接リンクさせていたのだ。
「あんたは僕を捕まえると言ったね、剛さん」
真木の手が、精錬炉の「臨界起動スイッチ」へと伸びる。
「できるなら、やってみせてよ。あんたの言う『泥臭い刑事の執念』で、僕の描いた完璧なリセット(正義)を、止めてみせてくれ」
ドォォォォン!
真木の合図とともに、プラント全体の魔導結界が赤黒く発光し、狂暴化したハイドラ使用者の群れが一斉にツヨシたちへと牙を剥いて襲いかかってきた。
「アル、クラウス、行くぞ!」
ツヨシはすり減った革靴の踵を、奈落の石畳に強く叩きつけた。
「相棒の喉元に、ワッパをハメに行くぞ――ッ!」
赤黒い地獄の熱風が吹き荒れる中、逃亡者にして追跡者となった三人の「デカ」たちの、命と正義を賭けた最終決戦が、ついに火蓋を切った。




