第16話:無魔の証明
1.闇の「取調室」
ざあざあと、地下水道のコンクリート壁を伝う雨水の音が、不気味なノイズとなって閉ざされた空間に反響していた。
王都の地下水道・保守室の錆びついた一室。むき出しの魔導ランタンが投げかける細い琥珀色の光が、パイプ椅子に固く縛り付けられた一人の男を照らし出していた。
ジュリアス・フォン・バルドー。
王宮法務省の高級書記官であり、真木・フォン・バルドーの右腕として、ハイドラの製造に関わる「国家予算フロー」を裏で差配していた実務責任者だった。
「――無駄なことはやめろ、テロリストども」
ジュリアスは、仕立ての良い官僚ローブを泥水で汚されながらも、エリート貴族特有の傲慢な笑みを崩さなかった。
「私は王宮の直属官僚だ。私をこのように拉致・監禁した罪は、国家不敬罪、並びに内乱陰謀罪に値する。明日になれば、特別捜査係の目と神聖騎士団がこのドブ川を干上がらせてでも君たちを見つけ出し、絞首台へ送るだろう」
「明日、ねえ」
ツヨシは懐から安価な薬草を取り出し、マッチの火を近づけた。
じわりと広がる不快な紫煙を、ジュリアスの青白い顔に向けてゆっくりと吹きかける。
「お坊ちゃん。俺たちはすでに、お前の大好きな真木副大臣から『国家反逆テロリスト』の看板を頂いてるんだ。これ以上、罪名が一つや二つ増えたところで、かすり傷にもならねえよ。……それより、お前のその綺麗な法衣を、このドブ川に沈める方が先になるかもしれないぜ?」
「ツヨシ、脅迫は私の流儀ではない」
クラウスが、割れた眼鏡を新調した冷徹な双眸をジュリアスに向け、木製の簡易デスクの上にいくつかの書類を乱暴に叩きつけた。
「これは、君のプライベート口座のハッキングログだ。君の病弱な愛娘、セリア・フォン・バルドー。彼女の治療名目で、バルドー家が毎月、超高額なハイドラの『精製抑制剤』を買い占めている記録だ。……ジュリアス書記官。君は、真木から娘の薬を人質に取られ、ハイドラの国家予算横領に加担させられていた。そうだろ」
ジュリアスの端正な顔が、一瞬で凍りついた。
エリート貴族の傲慢な仮面の下から、一人の「父親」としての剥き出しの狼狽が這い出てくる。
「それは……、私は……」
「魔法の探知機や監査ログは、真木によって完璧に改ざんされていた」
アルフレッドが、傍らから静かに問いかけた。その目は、かつての保身に走る騎士団のものではなく、目の前の被害者を救おうとする刑事のそれだった。
「ですが、ジュリアス様。真木副大臣が配っている『ハイドラ』は、人々を一時的に万能にする神の薬などではない。魔力回路を強制的に過負荷させ、最後には肉体を自壊させる死の薬だ。……あなたの娘さんが、本当にそんな薬で救われると思っているのですか?」
2.刑事の「落とし」
「……あいつは、悪魔だ」
ジュリアスの喉から、かすれた、血を吐くような声が漏れた。
ツヨシは、床にしゃがみ込み、ジュリアスの目線に合わせた。日本の警察学校の取り調べ室で、ベテランの先輩デカたちが何度も使ってきた「落とし」の技術。
恐怖で脅すのではない。相手が最も守りたい「大切なもの」の存在を示し、そこにある矛盾を、言葉のメスで優しく、しかし容赦なく切り開く。
「ジュリアス。俺は下層街の孤児院で、お前の娘と同じ『魔力枯渇症』で死にかかってたガキどもを、この目で見てきた」
ツヨシは、泥のついた革靴の踵で床をトントンと鳴らした。
「あいつらはな、大魔導師ヴァルターの遺した『本当の治療薬』で、健康な頬の赤みを取り戻したんだ。ハイドラなんていう毒薬に頼らなくても、ガキどもを救う道は、物理的にこの国に遺されてる。……お前が本当に娘を救いたいなら、真木の犬を辞めて、俺たちにすべてを吐け。デカのプライドにかけて、お前の娘の薬は、俺たちが必ず手配してやる」
ジュリアスの目から、ついに大粒の涙が流れ落ち、泥水に塗れた床へと吸い込まれていった。
貴族のプライド、王宮の秩序、そのすべてが、ツヨシの泥臭い「執念」と、親としての本心の前で完膚なきまでに瓦解した。
「……真木副大臣……、マサキの目的は、ハイドラの利益などではない……」
ジュリアスは、縛られた身体を震わせながら、狂気に満ちた「真実」を口にし始めた。
「あいつは、この国の魔法貴族社会の『システムそのもの』を、根底から破壊しようとしているんだ。……あいつの身体には、一本の『魔力回路』も存在しないのだから」
「なんだと……?」
アルフレッドが驚愕の声を発した。
バルドー公爵家という、王都でも五本の指に入る名門貴族。その直系に生まれながら、魔力回路が一本もない。
「そうだ。マサキは名門に生まれながら、一切の魔法が使えない『無魔』のゴミとして生まれた。……魔法貴族の社会において、それは、獣以下の、汚物としての存在だ。あいつは幼少期から、実の父親であるバルドー公爵、そして王宮の貴族たちから、言葉にできないほど過酷な虐待と排除を受け続けてきた」
3.毒を以てシステムを穿つ
地下水道を流れる冷たいドブ川の音が、やけに大きく響いていた。
ツヨシの脳裏に、前世のあの雨の廃倉庫で、自分の胸に顔を押し当てて泣き崩れていた、あの若いキャリアの真木の顔がフラッシュバックした。
『剛さん……、すみません。僕がもっと優秀なら、警察のこの腐ったシステムを、内側から変えられたのに……』
あの時、真木が流していた涙。
あれは、前世での「警察官僚組織の壁」に対する絶望であり、同時に、この異世界に「魔力なしのゴミ」として生まれ変わり、二度目の不条理な格差システムに押し潰された、彼の魂の絶叫だったのか。
「あいつの動機は、哀しき復讐であり、狂った『救済』だ」
ジュリアスは、声を震わせながら言葉を続けた。
「魔力を持たない下層街の人間、あるいは魔力枯渇症に冒された弱者たち。彼らにハイドラ(超魔力過負荷薬)を供給し、一時的に王宮の特権貴族をも凌駕する『超魔力 E』を与える。あいつのハイドラ理論数式は、弱者たちの『憎悪と精神負荷M』を変換定数として、最大の破壊エネルギーを放出するように設計されている」
E = κ・D²/1 + γ・M
「このシステムを用いれば、虐げられてきた平民や弱者たちが、暴走する怪物となって、王宮の傲慢な魔法貴族たちを内側から食い破る。王宮のシステムそのものが自壊する。……それこそが、マサキの描いた『宿命の正義』だ」
「狂ってる……」
アルフレッドが、自分の折れた杖の残骸を握りしめ、愕然とした表情で呟いた。
「いくら貴族たちが傲慢だからと言って、街全体を薬物による暴動と自壊の炎で包むなど、ただの虐殺だ……!」
「……いいや」
ツヨシは煙草を踏み消し、冷酷に、しかし悲痛な眼光で闇を見据えた。
「マサキにとって、それは『必要な犠牲』なんだよ。あいつは頭が良すぎる。システムのバグを取り除くために、一度システム全体を『リセット』しなきゃ気が済まねえ。前世の日本の警察組織でも、あいつは同じことをやろうとしていた。……だが、それを俺が身代わりになって止めてしまった」
ツヨシは、すり減った革靴の踵を、冷たく、濡れたコンクリートに強く打ち付けた。
「だからこそ、今度は俺が、この泥靴でアイツを止めなきゃならねえ。……それが、お前を生かした俺の、刑事としての最後の責任だ」
4.プラントの場所
「……真木の『最終製造プラント』の場所はどこだ」
クラウスがジュリアスに冷徹に問い詰める。
「王都の北、ウル街の裏にある廃鉱山……。あそこの地下最深部に、高純度魔導結晶の精製プラントと、数万本規模のハイドラがすでに備蓄されている。マサキは、そこから一斉に下層街の住人たちへ薬を流通させ、王都グラナダの総自壊を開始する予定だ。……期日は、次の『月蝕の夜』」
「月蝕の夜……、あと三日後、ですね」
アルフレッドが地図を睨む。
「これで、ホシの『絵図』と『現場』は割れた」
ツヨシは外套の襟を立て、不敵にニヤリと笑った。その佇まいには、逃亡者としての焦りは微塵もなかった。
「アル、クラウス。……次のヤマ(捜査)の準備だ。法の外から、あの歪んだ相棒に、本当の『令状』を突きつけに行くぞ」
地下水道に、冷たい夜風が吹き抜ける。
かつての相棒であり、最大の宿敵となった男との、命と正義を賭けた最終決戦へ向けて、三人の「デカ」たちの闘志が、闇の中で静かに、しかし最高潮に燃え上がっていた。




