第15話:王宮の猟犬
1.指名手配
ざあざあと、容赦なく降りしきる雨が、王都の裏路地のレンガ壁をどす黒く濡らしていた。
薄暗い雨幕の向こう、ガス灯のぼんやりとした光に照らされた掲示板に、真新しい羊皮紙の手配書が貼られている。そこには、魔導技術で精巧に写し取られた三人の男の顔写真と、冷酷なグラナダ文字が並んでいた。
『国家反逆罪:クラウス・フォン・ハルデンベルク、アルフレッド、ツヨシ。見つけ次第、即時抹殺の特権を付与する』
「公式の手続きなど、端から踏む気はなかったというわけか」
クラウスが、雨合羽のフードを目深に被り、眼鏡の奥の青い双眸を冷たく細めた。
かつては王宮法務省のキャリア警視正として秩序の側にいた彼が、今や、国家を揺るがす最重要テロリストとして追われる身。その不条理な現実を、彼は吐き捨てるような乾いた自嘲で受け流した。
「ハルデンベルク課長。王宮法務省がこれほどの超法規的措置をとったということは、彼らは完全に『本気』です。街の至る所に、神聖騎士団の魔導センサーと、特別捜査係の目(網)が張られています」
アルフレッドが、息を潜めて路地の角から大通りを覗き込んだ。白銀の鎧をまとった騎士たちが、通行人一人ひとりの魔力を登録証と照合しているのが見える。
「ああ、だがな。ホシが焦って全戦力をドブ川に投入してきたってことは、それだけ俺たちの手元にあるあの『極秘帳簿』が真木の喉元に深く突き刺さってる証拠だ」
ツヨシは壁に背を預け、懐から不気味に仄青く明滅する、奪い取ったばかりの『通信魔導結晶』を引っ張り上げた。
「――全捜査員へ。目標は西街区の製材所付近に現れた模様。警戒を怠るな。繰り返す、見つけ次第、容赦なく肉体を破壊し、証拠となる羊皮紙を押収せよ」
結晶の奥から漏れ聞こえてくる、冷徹な若者の声。
ツヨシの眉が、不快そうに、しかしどこか誇らしげにピクリと跳ねた。
「ツヨシ、その声は……」
「ああ」
ツヨシは結晶を指先で弄り、低く掠れた声で笑った。
「ルークだ。俺が特別捜査係で、一から『足の動かし方(ゲソの追い方)』を叩き込んだ、俺の一番優秀な元部下だよ」
2.猟犬のゲソ痕
ルーク・フォン・ベルン。二十代前半の若いエルフであり、魔力は微小ながらも、ツヨシの「物理的な鑑識」と「地道なローラー作戦」の価値を誰よりも理解し、吸収した若き魔導捜査官。
神聖騎士団や並の魔導師たちであれば、魔力残渣のログばかりを追い、ツヨシたちが意図的に仕組んだ「魔力偽装のデコイ」に簡単に引っかかっただろう。だが、ルークは違う。
「ルークは、魔法の嘘を見抜く」
ツヨシは雨合羽をきつく締め直し、廃墟の階段を一段ずつ、足音を消して登っていった。
「あいつは、魔力ログなんて信じちゃいねえ。俺たちがどこを歩き、どの石壁に泥を擦りつけ、どの高架下で雨を凌いだか。……俺が教えた通り、自分の『靴底』を減らして、物理的なゲソ痕(足跡)だけを追ってくる。猟犬としては、これ以上ねえほど厄介なホシ(追跡者)だ」
キィ、と古びた階段の木材が微かに悲鳴を上げた、その瞬間だった。
頭上の天井を突き破り、強烈な「風の弾丸」が、ツヨシたちの足元へと正確無比に叩き込まれた。
ズドン! と凄まじい衝撃波が階段を粉砕し、ツヨシたちは左右に飛び散った。
「――動くな、特別捜査係。ハルデンベルク前課長、アルフレッド先輩。……そして、ツヨシ係長」
降り注ぐ埃と雨粒の向こうから、漆黒の魔導捜査官の制服をまとった、細身の若いエルフが姿を現した。その手には、正確にツヨシの胸元を照準する、照準補助魔導具を装着した戦闘用短杖が握られている。
エルフ独特の尖った耳、そしてツヨシにそっくりな、どこまでも鋭く澄んだ「刑事の目」。
ルーク・フォン・ベルンだった。その背後には、抜身の魔導剣を構えた神聖騎士団の精鋭四名が、音もなく展開している。
「ルーク、お前……!」
アルフレッドが杖を構えようとするが、ルークの冷徹な声がそれを制した。
「アルフレッド先輩、無駄な抵抗はやめてください。周囲の三ブロックは、すでに神聖騎士団の空間遮断結界で封鎖されています。ツヨシ係長……、あなたの教えの通り、私は魔法の探知を切り捨て、この一帯の『物理的な雨の足跡(こすれ痕)』だけを追いました。あなたが製材所から西へ向かう際、ぬかるんだ土を踏み、靴底のワックスを僅かに石畳に残した。その歩幅、その靴底の減り方……完全に、係長、あなたのゲソ痕でした」
ルークの言葉に、クラウスは僅かに目を見張った。魔法の万能主義に騙されない、恐るべき地道な物理捜査の真価。それが今、かつての師に向けて容赦なく牙を剥いていた。
3.師弟のロジック
「へっ……、よく見てるな、お坊ちゃん」
ツヨシは懐に手を突っ込んだまま、不敵にニヤリと笑った。その佇まいには、窮地に陥った逃亡者の焦りは微塵もない。
「教えた甲斐があったってもんだ。歩幅と、ワックスの摩擦痕から、俺の体重と移動速度まで逆算したな? 合格だよ、ルーク。お前はもう、お上のおままごとじゃない、本物の『デカ』だ」
「係長にそう言っていただけるのは、光栄です」
ルークの端正な顔に、微かな、しかし悲痛な陰りがあった。
「……ですが、これが仕事です。真木副大臣の命令は絶対だ。あなたたちは国家を転覆しようとするテロ組織であり、ハイドラを密造していた本犯だと公式に認定されました。抵抗すれば、その場で射殺します」
「ハイドラの密造本犯、ねえ」
ツヨシは一歩、また一歩と、ルークの杖の照準に向かって静かに歩み出た。
「ルーク。お前は、自分のその『刑事の目』で、現場の遺体を見てどう思った? アッシェンバッハのロバートの血管を焼き切った、あの超高濃度のハイドラ。その製造資金が、王宮のどの『国家予算』から流れていたか、お前ならもう気づいてるはずだろ」
「……それは……」
ルークの指先が、微かに強張った。
「真木の決済印だ」
クラウスが背後から、静かに言葉を重ねた。
「ハイドラの真の元締めは、下層街のマフィアではない。司法のトップたる真木・フォン・バルドーだ。彼は、王宮の特権階級をドラッグで依存させ、自らの意のままに国家を操ろうとしている。ルーク、君の追っている『テロリスト』の正体は、この国の腐敗を暴こうとした、法の番人たちだぞ」
「黙れ!」
同行していた騎士団員が叫び、魔導剣の光を強めた。
「副大臣を愚弄するか! ルーク、何を躊躇している、早くそいつらを撃て!」
「……ルーク」
ツヨシは立ち止まり、ルークの目を真っ直ぐに見据えた。
「お前が信じているのは、その綺麗にアイロンがけされた『組織の法服』か? それとも、自分の泥靴で歩いて、その目で見た『真実』か? どっちだ、デカ」
ルークの目が激しく揺れる。ツヨシから叩き込まれた「刑事のプライド」と、従うべき「組織の論理」。二つの正義が、若いエルフの胸を引き裂いていた。
一瞬の精神の空白。
その隙を、ツヨシの「物理的戦術」が容赦なく破壊した。
4.ダブル・チェイスの開幕
「――アル、やれ!」
「『水霧』――ッ!」
アルフレッドが全力で解き放った水属性の魔法が、廃墟の空間を一瞬にして濃密な白い蒸気で満たした。視界はゼロになり、探知魔法も急激な水蒸気の魔力ノイズによってシャットアウトされる。
「くっ、何をする! 撃て、撃ち殺せ!」
騎士たちが逆上して手当たり次第に魔導弾を放ち、周囲のコンクリートの壁が激しく爆発した。
「ルーク、お前のゲソの追い方は完璧だ。だが、この『ドブ川の撒き方』までは、まだ教えてなかったな!」
白い霧の奥から、ツヨシの鋭い咆哮が響く。
ツヨシは事前に仕込んでおいた、廃ビルの崩落しかけた鉄骨を、警察逮捕術の応用で全体重を乗せて蹴り倒した。数トンの瓦礫が轟音を立てて崩れ落ち、騎士団たちの退路と追撃経路を完全に物理遮断する。
「ツヨシ、こちらです!」
クラウスがハッキングで一時的に無力化した、非常用の排気ダクトのハッチを指し示した。
三人は滑り込むようにして暗闇へと逃れ、冷たい泥水が流れる下水道へと再び身を投じた。
ザーザーと、地上を叩く雨音が、ダクトの奥で遠のいていく。
ツヨシは、奪い取った通信魔導結晶を耳に当てた。結晶の奥から、瓦礫の向こうで咳き込みながらも、どこか吹っ切れたような、ルークの声が響いてきた。
「……全捜査員へ。目標は地下水道へと逃走した模様。これより、第二次包囲網を『北の結晶関門・ウル街』へとシフトする。奴らは、真木副大臣の次の出方(ハイドラの最終製造プラント)を狙ってくるはずだ」
ツヨシの口元に、不敵な、そして熱い笑みが浮かんだ。
「聞いたか、お坊ちゃんたち。ルークの奴、わざわざ俺たちに『次の現場(プラントの場所)』を通信で教えてやがった。優秀なデカは、組織の犬になりきれねえってことだ」
「非公式の共同戦線、そして非公式の捜査協力、ですか」
アルフレッドが、泥水に濡れながらも、誇らしげに杖を握り直した。
「フン……、全く、野蛮で合理的ではないな」
クラウスは眼鏡の汚れを拭い、冷酷に、しかし確かにその瞳に闘志をみなぎらせた。
「だが、これで『真木の喉元』へのルートは割れた。追うぞ、ツヨシ、アルフレッド。法の外から、あの悪党に令状を突きつけてやる」
雨の王都グラナダの地下、漆黒のドブ川を踏みしめながら、逃亡者であり追跡者となった三人の「デカ」たちの、果てしないダブル・チェイスが本格的に幕を開けた。




