第11話:対決と『ダブル・クロス』
1.法の番人の突入
地下室の重厚な防音扉が内側から吹き飛んだ瞬間、立ち込める爆煙と白熱した光の粒子の中から、一斉に複数の影が滑り込んできた。
「神聖騎士団、並びに魔導組織犯罪対策課だ! 全員動くな、武器を捨てろ!」
リん烈な号令が、カジノの地下室を震わせた。
先頭に立っていたのは、漆黒の法衣を翻し、冷徹な青い瞳の奥に静かな怒りをたたえた男――クラウス・フォン・ハルデンベルク警視正だった。彼の背後からは、重装甲の魔導鎧をまとった対策課の精鋭たちが、抜身の魔導剣と戦闘用短杖を構えて雪崩を打って突入してくる。
「ハルデンベルク課長……!」
重力魔法から解放されたアルフレッドが、息を荒くしながらクラウスを見上げた。
クラウスはツヨシとアルフレッドを一瞥した。その視線には、勝手な行動を犯した部下への叱責と、それ以上の、ある「覚悟」が混ざり合っていた。
「特別捜査係。勝手な捜査は罷免に値するが……貴様たちの残した地道な足跡は、我々のどの魔導探知機よりも正確にホシの根城を示していた。利用させてもらったぞ」
「へっ……、さすがキャリア様だ。現場の泥靴を追跡のGPS代わりに使うとはな」
ツヨシはすり減ったブーツのつま先を鳴らし、不敵に笑った。
「管轄はどうするんですか、ハルデンベルク課長」
瀬戸川のエルフの私設兵がじりじりと包囲を縮める中、アルフレッドが問いかける。
「――管轄など、今はこの場に存在しない」
クラウスは冷酷に言い放ち、自らの白金魔導杖を水平に構えた。
「私は王宮法務省の監察官であり、法の番人だ。法を侵し、王都をドラッグで汚染する犯罪組織を駆逐する。それ以上に優先されるルールなど、私の辞書にはない。……制圧部隊、撃て(ファイア)!」
瞬間、対策課の放った強烈な光属性の魔導弾が、瀬戸川の私設兵たちに向けて一斉に掃射された。
地下室は、閃光と轟音、速度を伴う魔力の激突音によって、一瞬にして戦場へと変貌した。
2.泥臭い制圧戦
「ちっ……、無粋な公務員どもが、まとめてドブ川に沈みやがれ!」
瀬戸川――レオン・バルドーは、そのエルフの美しい顔を激しく歪め、自らの杖を大きく一閃した。
彼の杖から放たれたのは、通常の魔法体系には存在しない、ドス黒い粘性を帯びた「影の刃」だった。前世で暗黒街の血を吸い続けた極道の「殺気」が、異世界の魔力と融合し、禍々しい暴力の奔流となって対策課の防壁を容赦なく削っていく。
「アル、クラウスの部下を援護しろ!」
「了解です!」
アルフレッドは素早く杖を構え、防護魔法を展開して味方の重装騎士たちを影の刃から守った。
その混乱の中、ツヨシの身体はすでに動いていた。
堂場瞬一の描くアスリート的な執念。ツヨシは、弾丸のように交錯する魔導の光を、廃墟の執務室の高級ソファーや机を物理的な遮蔽物として利用しながら、一歩、また一歩と瀬戸川へと肉薄していった。
「剛さん、まだそんな泥臭い動きをしてるのか! ここは日本じゃねえんだよ、弾を避けるのに体当たりじゃ、いつか蜂の巣だぜ!」
瀬戸川が嘲笑しながら、ツヨシに向けて直接、魔導弾を放つ。
「ハチの巣にされるのは、お前の方だ、瀬戸川!」
ツヨシは床を滑るようにして魔導弾を躱すと、その勢いのまま、瀬戸川の側近の私設兵の懐へと潜り込んだ。
相手が魔導杖を振り下ろそうとした瞬間、ツヨシの両手が相手の手首を捉えた。
「――『一教』!」
警察学校で叩き込まれた逮捕術の基本。相手の手首を下方へ強く押し込み、同時に肘を上方へ極めながら、全体重を乗せて床へと押し潰す。
ゴキッ、という鈍い音とともに、私設兵は杖を落とし、顔を石畳に叩きつけられた。ツヨシはそのまま相手の背中の上に膝を乗せて制圧し、懐から特殊警棒を引き抜いた。
「クラウス、こいつらは任せたぞ!」
「勝手に指揮を執るな、警備隊!」
クラウスは冷徹に突っ込みを入れながらも、ツヨシが作った隙を逃さず、極限まで圧縮された氷の魔導弾を放ち、周囲の私設兵たちの足を次々と氷結させて無力化していった。
王宮エリートの合理的な魔導と、泥臭い昭和デカの格闘術。
対照的な二つの正義が、バルドー・ファミリーの私設兵たちを確実に、そして無慈悲に追い詰めていった。
3.本当の裏切り者
戦闘の最奥。
転がった高級ソファーの影に、瀬戸川は追い詰められていた。
彼の白金魔導杖は、ツヨシの執念に満ちた特殊警棒の打撃によって先端の魔導結晶にヒビが入り、放出する魔力が不自然に明滅している。
「終わりだ、瀬戸川。お前がハイドラを使って何を企んでいようが、俺がお前をドブ川に叩き落とす。お前を逮捕して、あの雨の夜のすべてに、今日こそケリをつける」
ツヨシは荒い息を吐きながらも、その鋭い「刑事の目」で瀬戸川を凝視した。警棒を構える手の平には、じっとりと汗が滲んでいる。
だが、瀬戸川は不敵にニヤリと笑った。
その笑みには、追い詰められた悪党の焦りではなく、ゲームを支配している者だけが持つ、歪んだ愉悦が宿っていた。
「はは……。剛さん。あんた、本当に何も気づいてねえんだな。……あの雨の夜のすべてにケリ、ねえ」
「何が言いたい」
ツヨシの眉が険しく跳ねる。
「あの雨の廃倉庫で、俺たち九頭竜会に、あんたたちの内偵情報を売った『本当の裏切り者』が誰だったのか、あんた、まだ知らねえだろ?」
瀬戸川は、傷ついた杖を地面に突き立て、身体を支えながら日本語で囁いた。
「……情報を提供した裏切り者は、本庁のキャリアの上層部だ。ゲオルグのように、保身のために俺たちを売った奴だろ」
「違うな」
瀬戸川の美しいエルフの唇から、冷酷な真実がこぼれ落ちた。
「あんたが命懸けで庇って生かした……あの『真木』だよ、剛さん」
ドクン、とツヨシの心臓が激しく跳ね上がった。
一瞬、周囲の戦闘の爆音がすべて掻き消え、静寂が訪れたような錯覚に陥る。
「……何を、馬鹿なことを……」
「馬鹿なこと? 真木はな、本庁のキャリア組でありながら、九頭竜会の裏金ルートを利用して、自らの昇進と警察上層部での地位を確固たるものにしようとしてたんだよ。だが、あんたがあまりにも優秀で、泥臭く地道に調べちまったから、ルートがバレそうになった。だから真木は、俺たちに情報を売って、あんたを処理しようとしたんだ。……だが、俺たちが放った弾は、計算違いであいつに向かっちまった。あんたは、自分を殺そうとした裏切り者を、自分の命と引き換えに庇って死んだんだよ!」
「嘘を吐くな――ッ!」
ツヨシの喉から、怒りと絶望の入り混じった絶叫が漏れた。
「嘘じゃねえ。それだけじゃねえぞ、剛さん。……俺たちをこの世界に引っ張ってきた『転生魔法』、そしてお前をこの世界に呼び寄せて、神様の素晴らしい気まぐれを起動させた本当の黒幕が誰なのか、これで分かっただろ?」
瀬戸川はハイドラのボトルを一本、自らの口元へと運んだ。
「このハイドラの密造システムを王宮の裏から支え、俺にこの国を裏から支配しろと絵を描いたのは……この世界に、あんたより先に転生していた『真木』そのものだよ、津島剛さんよぉ!」
4.過負荷
「真木が……この世界に……?」
ツヨシの脳内に、前世の最期の光景が激しくフラッシュバックした。
雨、泥水、そして自分の胸を圧迫しながら泣き崩れていた、あの若いキャリアの眼鏡。あの涙は、罪悪感の表れだったのか。それとも、計画の失敗への狼狽だったのか。
一瞬の精神の空白。東野圭吾作品のような、最も信頼していた人間の裏切りという、胸を抉るような「Why(動機)」の開示。
「剛さん、続きはまた今度だ!」
瀬戸川はハイドラのボトルを一気に飲み干した。
その瞬間、彼の身体から放たれた魔力は、第8話で定義された魔導過負荷の限界値を遥かに超越した。
E = κ・D²/1 + γ・M
精神負荷 $M$ が憎悪と快楽によって極限まで増大し、超高濃度ハイドラ $D$ の摂取によって放出魔力 $E$ が臨界点(閾値)を突破する。
レオン・バルドーの美しいエルフの肉体が、内側から激しく発光し、皮膚が青くひび割れていく。
「くっ……、全員下がれ! 自壊が始まるぞ!」
アルフレッドが叫び、最大出力の防御結界を展開した。
「ははははは! 王宮のドブ川で待ってるぜ、剛さん!」
ドォォォォン!
瀬戸川の肉体から、暴走した暗黒の魔導エネルギーが爆発的に噴出した。
衝撃波がカジノの地下室のコンクリートを粉砕し、天井のシャンデリアが轟音を立てて崩落する。立ち込める濃密な煙と魔導残渣のノイズが、全員の視界と探知魔法を完全にシャットアウトした。
「ツヨシ、無事ですか!」
アルフレッドが防御結界を解き、咳き込みながらツヨシの元へと駆け寄った。
「……ああ。無事だ」
ツヨシは膝をついたまま、煙の中に消えていった瀬戸川のいた場所をじっと見つめていた。
床には、瀬戸川の壊れた杖と、爆発の衝撃でばら撒かれた数枚 of 羊皮紙が残されていた。
クラウスが歩み寄り、その羊皮紙の一枚を拾い上げた。
眼鏡の奥の瞳が、驚愕に揺れる。
「……これは、国家予算の裏金フローの書類……。それも、ハイドラの製造資金が、王宮の法務省の、それも最高幹部である『真木・フォン・バルドー』の署名によって決済されている……」
クラウスの言葉に、ツヨシはゆっくりと立ち上がった。
彼の胸の奥で、前世から続く「執念」の炎が、これまでにないほど深く、冷たく、そして猛烈に燃え上がっていた。
「真木。……お前が、すべての絵を描いてたのか」
自分を裏切り、生かされ、そして異世界にまでその毒をばら撒く、かつての相棒。
ツヨシはすり減った革靴の踵を、冷たく、硬い床に強く打ち付けた。
「地の果てまで追いつめて、そのツラ、絶対に拝んでやる」
地下室に、新たな嵐の予兆を告げる夜風が吹き抜けていた。




