第10話:前世からの『亡霊』
1.「黄金蓮」の潜入
「――おい、アル。背筋が硬いぞ。もっと肩の力を抜け」
「言われなくても、抜いています。……ただ、この格好は落ち着きません」
王都の貴族街『ミルヴァ・ヒズ』。その中心にそびえ立つ、豪奢な石造りの建物のエントランス。
アルフレッドは、窮屈そうに仕立ての良い漆黒のフォーマルローブの襟を正した。普段の警備隊の外套とは違う、魔導シルクで編まれた高級衣装だ。ツヨシもまた、黒いスーツを思わせるテーラード仕立ての外套をまとい、髪を後ろに撫でつけていた。
二人の目の前には、魔導ランタンの温かい琥珀色の光に照らされた、高級カジノ『ゴールデン・ロータス(黄金蓮)』の重厚な扉があった。
エントランスをくぐると、そこは下層街のドブ川と同じ街とは思えないほどの、熱気と眩い光に満ちていた。
シャンデリアのきらめき、魔導ルーレットが乾いた音を立てて回る絨毯のフロア。着飾った貴族の男女が、グラスを片手に欲望のゲームに興じている。
「売人のディランから没収したVIPパスは一枚だ。俺がゲスト、お前は俺の『護衛の魔導師』として入る。いいな?」
ツヨシは顎でフロアの奥、屈強な私設兵が立つ二重扉を示した。
「……公式の応援はありません。クラウスたち『組織犯罪対策課』に見つかれば、カジノの不法侵入と令状なきおとり捜査で、私たちは一発で檻の中です」
アルフレッドが、グラスのワインを口にするふりをしながら、囁くように言った。
「檻の中の飯よりは、ここの空気の方がいくらか美味い。……ホシを挙げてからクビになるなら、デカの本望だ。行くぞ、相棒」
ツヨシは懐に手を入れ、日本の警察仕様に近い、警備隊特製の特殊警棒の冷たい感触を確かめた。
VIPパスを提示し、厳重なセキュリティゲートをくぐる。私設兵たちの魔導探知を、アルフレッドがあらかじめ仕込んでおいた「魔力遮断の呪符」で欺き、二人は静かに地下へと続く赤い絨毯の階段を下りていった。
2.地下の密売部屋
地下二階。
そこは、一転して不気味なほどの静寂が支配していた。
防音魔法が完全に施された通路の最奥。二人の私設兵がガードする巨大な黒檀の扉の前に、ツヨシたちは静かに歩み寄った。
「立ち止まれ。ここから先は会員限定の特別室だ」
兵士が魔導剣の柄に手を伸ばす。
「ディランの代理だ」
ツヨシは冷ややかに微笑み、懐から売人ディランから奪った、ハイドラの取引専用の『九頭蛇の刻印メダル』を放り投げた。
金属のメダルを受け取った兵士は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに扉の魔導ロックを解除した。
ギィィ……と、重苦しい音を立てて扉が開く。
部屋の中は、高級なマホガニーの家具で統一された、広大な執務室だった。部屋の中央にあるソファーには、完璧に仕立てられた、スーツのように細身の黒いローブをまとった若い男が、深く腰掛けていた。
彼の前には、ハイドラの青い液体が詰まった小瓶が、数十本、整然と並べられている。
「遅かったな、ディラン。……いや、違うな」
ソファーの男が、ゆっくりと顔を上げた。
その顔は、二十代後半のエルフのそれだった。透き通るような肌、尖った耳、そして息を呑むほど美しい顔立ち。
だが、その瞳だけは違った。
異世界のどんな人間にも、エルフにも存在しない――果てしない暴力の泥沼を潜り抜けてきた、冷酷無比な「極道」の目が、そこにはあった。
男は、テーブルの上に置かれたグラスを揺らし、流暢なグラナダ語ではなく、極めて整った、冷ややかな「言葉」を発した。
「……東京湾の潮風の匂いがすると思ったら、誰かと思えば。……なんであんたがここにいるんだ、津島剛さんよぉ」
その瞬間、ツヨシの視界が、真っ赤にフラッシュバックした。
――激しい雨。
――錆びついたトタン屋根を叩く、耳障りな音。
――相棒の真木を庇い、己の胸を貫いた銃弾の衝撃と、真木の悲痛な絶叫。
――そして、笑いながら銃口を向けていた、あの男の冷酷な目。
「……瀬戸川……!」
ツヨシの喉から、押し殺した、地を這うような獣の声が漏れた。
目の前にいるエルフの男――レオン・バルドー。その魂は、かつて日本で九頭竜会の若き幹部として暗躍し、自分を殺した張本人、瀬戸川蓮そのものだった。
3.前世からの亡霊
「はは、本当にあんただ。その狂犬みたいな目、あの雨の倉庫で見た時から変わってねえ」
瀬戸川――レオン・バルドーは、心底愉快そうに、背もたれに身体を預けて笑った。
「ツヨシ、何が起きているんだ! あいつは今、この世界の共通語(グラナダ語)ではない、不気味な言語を……!」
アルフレッドが、異常な気配を感じ取って杖を構えようとする。だが、瀬戸川の背後にいた二人の私設魔導兵が一斉に杖を向け、猛烈な「重力魔法」がアルフレッドの身体にのしかかった。
「くっ……!」
「動くなよ、若い警備隊員」
瀬戸川は、流暢なグラナダ語に切り替えてアルフレッドを一瞥した。
「俺とこの『元お巡りさん』は、前世からの長い付き合いでね。少し、同郷の積もる話があるんだよ」
瀬戸川は再びツヨシに向き直り、日本語で話し始めた。
「あんたがこの国で警備隊のノンキャリをやってるって聞いた時は、笑っちまったよ。転生ってのは、神様の素晴らしい気まぐれだな。……あんたを殺した俺が、あんたより先にこの国に来て、今じゃハイドラを使ってこの王宮の『魔力供給システム』を裏から牛耳ろうとしてる。どうだ? 出来すぎたシナリオだろ」
「瀬戸川……、お前は、この世界にまで『九頭竜会』を創るつもりか」
ツヨシは一歩、また一歩と、凄まじい「殺気」をまといながら歩みを進めた。彼の足元から響くすり減ったブーツの音が、部屋の静寂を切り裂く。
「創る? いや、もう完成しつつあるのさ」
瀬戸川はハイドラの青いボトルを一本、指先でもてあそんだ。
「この国の貴族どもはな、魔力こそがすべてだと信じてる。血統と、生まれ持った魔力回路の広さだけが、自分の価値だと信じて疑わない。……そこに、この『ハイドラ』を流し込んでやる。どんな無能な馬鹿でも、これ一本で天才魔導師以上の力を手にできる。だが、一度味わえば、もうこれなしじゃ生きられない。……王宮の根幹、キャリアの若者どもは、すでに俺のハイドラの毒に、脳髄まで侵されているんだよ」
「……それで、アッシェンバッハのロバートを殺したのか」
「あいつは使い物にならなくなったから、処分しただけだ」
瀬戸川は、ゴミでも捨てるかのような冷淡さで言いきった。
「極道の組織論ってのはな、この魔法社会でも完璧に通用する。お上が大局だ、秩序だ、と綺麗事を言っている間に、俺たちは下層街のドブ川から、奴らの息の根を止める毒を送り届ける。……剛さん。あんた、まだ日本の警察官のつもりで、その『正義』ってやつを振り回すつもりか?」
「正義、ねえ」
ツヨシは、ソファーの前に立ち止まり、懐から安価な薬草を取り出して、静かに火をつけた。
吸い込んだ紫煙を、瀬戸川のエルフの美しい顔に向けて、ゆっくりと吐き出す。
「前世でも言ったはずだ、瀬戸川。……俺には、お前らの言う『正義』なんて立派なモンは、ハナからねえんだよ」
ツヨシの目が、冷酷な獣のそれに変わった。
「俺にあるのはな……。俺が命を懸けて生かした相棒への想いと、お前らみたいな、人の命をゴミ箱行きにする悪党を、ドブ川に叩き落とさなきゃ気が済まねえっていう、ただの『執念』だけだ」
「へえ。……なら、ここで死んでもらうしかないな。剛さん、今度は海に沈むだけじゃ済まねえぞ」
瀬戸川が不敵にニヤリと笑い、自らの白金魔導杖を構えた瞬間、地下室の重厚な防音扉が、内側から激しい爆音とともに吹き飛んだ。




