第九十一話 同盟文書の草案、最後に読んだ
第九十一話 同盟文書の草案、最後に読んだ
前話までのあらすじ
王様が「田中はスープみたいな人間だ。特別ではないが、どこにでもいて、温かくて、場を作る」と言った。受け取った。
調印式の前日の夜、王様と話した。
「今日が調印式だ。OLAに向かって、見ていてくださいと言った」
調印式の朝。
田中は食堂に行く前に、もう一度部屋で作業をした。
同盟文書の最終版を読み直した。
全部で十二条あった。
一条ずつ、読んだ。
第一条。三国の名前と、同盟の目的。
北の問題への共同対処と、三国の繁栄のための協力。
田中は少し止まった。
三国の繁栄のための協力、という文言は、ガルドが入れるよう提案した言葉だった。
北の問題だけでなく、普段の暮らしも良くなることを入れてほしい、とガルドが言った。
田中が入れた。
第二条。軍の連携。
調整役の仕組み、手順書、合同訓練。ロイドとシアが作った内容だった。
第三条。食料と物資。
バルト卿の港を中継地にする仕組み。バルト卿が設計した内容だった。
第四条。情報共有。
月次と緊急時随時。三段階の機密分類。レオンが整理した内容だった。
第五条。ランセルの役割。
情報提供と山脈の調査の継続。ミラの五年分の記録がこの同盟の根拠であることの明記。ミラが求めた内容だった。
第六条。北の問題への継続的な取り組み。
姿勢を入れ、内容は別途協議。ミラと魔王の意見を両方入れた形だった。
第七条。向こうとの対話の継続。
OLAとの対話を続けること。田中が提案した内容だった。
第八条。解消条件。
段階的な仕組み。王様と魔王が直接話して決めた内容だった。
第九条。意思決定の方法。
全会一致の原則。田中が入れた内容だった。
第十条。調整役の交代。
一年ごとの交代。最初はこの国が担う。グレイドが自分で解消した問題だった。
第十一条。貿易の条項。
バルト卿が求めた内容だった。
第十二条。改定の手続き。
状況が変わった場合に、三国で協議して改定できる。田中が入れた内容だった。
田中は最後まで読んだ。
全十二条。
それぞれに、それを入れた理由があった。
それぞれに、それを求めた人間がいた。
「タナカ」
レオンが入ってきた。
「おはようございます」と田中が言った。
「おはようございます。文書を読んでいましたか」
「そうです。最後に読んでおきたかったです」
「どうでしたか」
「全部、誰かの言葉が入っています」
「そうですね」
「ガルドの言葉、ロイドの言葉、シアの言葉、バルト卿の言葉、ミラの言葉、レオンの言葉、王様の言葉、魔王の言葉、グレイドの言葉」
「全員が入っているんですね」
「そうです。田中が書きましたが、田中の言葉だけではありません。全員の言葉が入っています」
「それが、この文書の意味ですね」
「そうです。一人が作った文書ではなく、全員が作った文書です」
「だから、全員が守ります」
「そうなると良いですね」
「なりますよ」
「根拠はありますか」
「全員の言葉が入っているからです。自分の言葉が入っている文書は、守ります」
「なるほど」
「タナカが整理して、全員の言葉を入れた。それが、この文書が続く理由です」
「レオンが言うから、信じます」
「珍しいですね、人の言葉を素直に信じるのが」
「今日は信じられます」
「良い一日が始まりそうですね」
「そうですね」
田中は文書を折りたたんだ。
鞄に入れた。
「行きましょう」
「はい」
二人で部屋を出た。
食堂に行くと、全員が集まっていた。
王様、ロイド、ガルド、アレン。
シア、グレイド。
ミラ、カラ。
魔王。
全員が揃っていた。
田中が入ると、全員が田中を見た。
「おはようございます」と田中が言った。
「おはようございます」と全員が言った。
全員が同時に言った。
田中は少し止まった。
「全員が同時に言いましたね」
「そうだな」と王様が言った。
「珍しいことが起きましたね」とアレンが言った。
「三国同盟を結ぼうとしているのだから、揃うのは当然だ」とミラが言った。
「そうだな」と魔王が言った。
「そうですね」と田中が言った。
スープが出てきた。
全員で飲んだ。
調印式の前の、最後の朝食だった。
静かだった。
ただ、悪い静かさではなかった。
全員が、同じ方向を向いている静かさだった。
「田中」と王様が言った。
「はい」
「今日の段取りを、最後に確認してくれ」
「はい」
田中は段取りを説明した。
調印式の場所。参加者の配置。文書の読み上げ。署名の順番。署名後の確認。
「各国が一部ずつ保管します。田中が一部持ちます。計四部です」
「田中が一部持つのか」と魔王が言った。
「議事録担当として、田中も保管します」
「なるほど」
「署名の順番は、王様、魔王陛下、ミラ公王の順番です。よろしいですか」
「それで構わない」と三者が言った。
「ありがとうございます」
「田中、一つだけ」とシアが言った。
「はい」
「今日、田中は何をするか」
「文書を読み上げて、議事録を取ります。それだけです」
「それだけか」
「そうです。署名は三者がします。田中は署名しません」
「田中の署名はないのか」
「田中はこの国の補佐官です。国の代表ではありません。署名は三国の代表がします」
「田中なしで、今日がなかったが」とミラが言った。
「三国があったからです」と田中が言った。
「また同じことを言う」と魔王が言った。
「事実なので」と田中が言った。
「今日だけは、余から言わせてくれ」と王様が言った。
「どうぞ」
「田中なしで、今日はなかった。それも事実だ」
「余も同じだ」と魔王が言った。
「私も」とミラが言った。
「……ありがとうございます」と田中が言った。
「珍しくすぐ言えたな」とシアが言った。
「今日は言えます」と田中が言った。
「今日は特別だから」とアレンが言った。
「そうですね」と田中が言った。
「では、行こう」と王様が言った。
「行こう」と魔王が言った。
「行きましょう」とミラが言った。
全員が立ち上がった。
調印式の場所に向かった。
田中は最後に立ち上がった。
食堂を出る前に、スープを最後まで飲んだ。
いつもの味だった。
今日も、スープがあった。
当たり前のものが、当たり前にあった。
それが、田中には良かった。
田中は食堂を出た。
調印式の場所は、この国の城の大広間だった。
大きな机が中央にあった。
机の上に、四部の文書が並んでいた。
田中が読み上げた。
全十二条を、順番に読んだ。
三国の代表が聞いた。
読み終えた。
「以上が、三国同盟文書の全条項です。内容に問題はありますか」
「問題ない」と王様が言った。
「問題ない」と魔王が言った。
「問題ない」とミラが言った。
「ありがとうございます。では、署名をお願いします」
王様が署名した。
魔王が署名した。
ミラが署名した。
田中は議事録に記録した。
年月日。場所。参加者。署名の順番。
「以上で、三国同盟文書の署名が完了しました」
静かになった。
しばらく、誰も何も言わなかった。
王様が言った。
「決まったな」
「そうですね」と田中が言った。
「決まった」と魔王が言った。
「決まりました」とミラが言った。
「田中、今の感想を一つだけ言ってくれ」とアレンが言った。
「今の感想、ですか」
「はい」
田中は少し考えた。
「全員の言葉が入った文書に、全員がサインした。それだけです」
「それだけですか」とアレンが言った。
「それだけです。ただ、それが全部です」
「なるほど」とアレンが言った。
「田中らしい感想だ」と魔王が言った。
「そうですね」と田中が言った。
「では、飯を食おう」と王様が言った。
「スープが出ます」と田中が言った。
「もちろんだ」と王様が言った。
全員が大広間を出た。
食堂に向かった。
田中は最後に出た。
大広間を振り返った。
机の上に、四部の文書が残っていた。
各国が一部ずつ持つ。
田中が一部持つ。
田中は自分の分を手に取った。
鞄に入れた。
これで、田中も持つことになった。
田中は大広間を出た。
廊下を歩いた。
石畳の音が響いた。
今日の音は、いつもより少し、軽かった気がした。
田中はメモアプリを開いた。
一行書いた。
・三国同盟文書に、全員がサインした。
次回「第九十二話 調印式の後、全員で食事をした」へつづく




