第九十話 王様と魔王が、二人で話した夜
第九十話 王様と魔王が、二人で話した夜
前話までのあらすじ
魔王が初めてこの国の城に泊まった。
王様と魔王が夜、田中なしで食堂でスープを飲みながら話した。笑えた。
調印式の最終確認が終わった。問題は一点もなかった。
「明日が調印式だ。皆が揃う。それだけで、十分だ」とメモに書いた。
調印式の前日の夜。
田中は部屋にいた。
明日の段取りを確認していた。
調印式の流れ。参加者の配置。田中が説明する内容。議事録の準備。
全部、確認できた。
問題はなかった。
ノックがあった。
「どうぞ」
入ってきたのは、王様だった。
「田中、少し話せるか」
「はい。どうぞ」
王様は椅子に座った。
田中も座った。
「昨夜の話を、少しだけ話していいか」
「二人の話は、二人のものだと言いましたが」
「余から話したい。聞いてくれるか」
「もちろんです」
「昨夜、余と魔王は長く話した」
「そうですね」
「最初は、同盟の話をしようとしていた。ただ、途中から、同盟とは関係のない話になった」
「どんな話ですか」
「余の父の話だ」
「そうですか」
「余の父は、魔王軍と長く戦った人間だった。余が子どもの頃、魔王軍は敵だと教えられた。敵と戦うことが、この国を守ることだと教えられた」
「そうでしたか」
「魔王に、その話をした。魔王も同じだったと言っていた。魔王の師匠は、この国は敵だと教えていたと」
「二人が、同じように育てられていたんですね」
「そうだ。敵として育てられた者同士が、今ここで同盟を結ぼうとしている。それが、少し、面白かった」
「面白かった、ですか」
「そうだ。笑えた。笑うしかなかった、という方が正確かもしれないが」
「そうですね」
「田中、昨夜笑えたのは、余にとって大事なことだった」
「大事なことでしたか」
「そうだ。長く、魔王軍のことで笑えなかった。深刻に考えていた。昨夜、初めて笑えた」
「それは良かったです」
「田中がいたから笑えたのではない。田中がいなかったから笑えた気もする」
「どういう意味ですか」
「田中がいると、余は補佐官と王様という関係になる。昨夜は、ただの二人だった。肩書きなく話せた」
「そうですか」
「それが、笑えた理由かもしれない」
「なるほど」
「田中、お前が間に入ることで、話が進む。ただ、田中がいないことで、話が深まることもある」
「そうですね」
「どちらも大事だ」
「どちらも本当ですね」
「そうだ」
「王様が言いましたね、どちらも本当だと」
「そうだ。余もこの言い方を使うようになった」
「そうですね」
「田中から学んだ」
「王様が使えると思ったから、使えるようになったんです」
「どちらも本当だ」
「そうです」
王様はしばらく田中を見た。
「田中、もう一点だけ話していいか」
「どうぞ」
「魔王が、田中の話をしていた」
「そうですか」
「余が聞いたのではない。魔王が自分から話した」
「どんなことを話していましたか」
「田中が魔王城に初めて来たときの話だ。田中が書状を両手で受け取った、と言っていた」
「そうでしたね」
「それが印象に残っている、と言っていた。長く魔王城にいるが、書状を両手で受け取る人間は初めてだった、と」
「そうですか」
「余は、居酒屋で田中に声をかけてもらった話をした。田中が余の話を最後まで聞いてくれた、と」
「そうでしたね」
「二人で、田中の話をした」
「そうですか」
「田中の前で田中の話をするのは変かもしれないが」
「変ではないです」
「そうか」
「田中がここに来た理由が、そういうことだったかもしれません」
「どういう意味だ」
「二人が同じ人間の話をできるようになった。田中という共通の話題があった。それが、二人を繋いだかもしれません」
「田中が繋ぎになったということか」
「そうかもしれません」
「田中が間に入ることで繋いだのではなく、田中の存在が繋いだ」
「そうですね」
「それは、田中らしいな」
「そうかもしれません」
「当たり前のことをしていたら、繋がった。スープと同じだ」
「そうですね」
「田中はスープみたいな人間だな」
「どういう意味ですか」
「特別なものではない。ただ、どこにでもいて、温かくて、場を作る」
「そうですか」
「そう言われると、悪くない気がしますか」
「……悪くないです」
「そうか」
「はい」
「珍しいな、素直に受け取るのが」
「今夜は受け取れます」
「なぜだ」
「王様から言っていただいたからです」
「余から言われると、受け取りやすいか」
「そうです」
「そうか」
王様は少し間を置いた。
「田中、明日が調印式だ」
「そうですね」
「長かったな」
「そうですね」
「ここまで来た」
「ここまで来ました」
「余は、田中が来てから、ここまで来るとは思っていなかった」
「そうですか」
「最初、余は居酒屋で泣いていた。全部が嫌になっていた。そこに田中が来た」
「そうでしたね」
「今は、三国同盟の調印式の前夜に、部屋でお前と話している」
「そうですね」
「変わったな」
「王様が変わったんです」
「どちらも本当だ」
「そうですね」
「田中、明日の調印式が終わったら、余はお前に言いたいことがある」
「なんですか」
「明日の後に言う。今夜は言わない」
「わかりました」
「では、早く眠れ。明日があるから」
「はい。王様も、ゆっくり眠ってください」
「ゆっくりするのが得意でないのは知っているだろう」
「知っています。ただ、今夜は少し、眠れると思います」
「なぜだ」
「魔王陛下と笑えた夜の翌日だからです」
「そうだな。そうかもしれない」
「おやすみなさい、陛下」
「おやすみ、田中」
王様は部屋を出た。
田中はしばらく扉を見た。
居酒屋で泣いていた王様が、今夜、魔王と笑えた夜の翌朝の話をしていた。
田中はメモアプリを開いた。
一行だけ書いた。
・王様が「田中はスープみたいな人間だ」と言った。特別ではないが、どこにでもいて、温かくて、場を作る。受け取った。
翌朝、早く目が覚めた。
夜明け前だった。
田中は窓を開けた。
北の空を見た。
山脈が見えた。
光がなかった。
ただの山脈だった。
「OLA」と田中は言った。
小声で言った。
「今日、三国同盟の調印式があります。向こうも、少し関係があります。見ていてください」
返事はなかった。
当然だった。
ただ、言いたかった。
田中は窓を閉めた。
着替えた。
鞄を持った。
今日の段取りを頭の中で確認した。
全部、揃っていた。
やることが見えていた。
それだけで、動ける。
田中は部屋を出た。
廊下を歩いた。
石畳の音が響いた。
今日は、いつもと同じ音が、少し違って聞こえた。
いつもより、少し、重かった。
重いが、前を向いて歩けた。
田中は食堂に向かった。
今日が、調印式だった。
次回「第九十一話 同盟文書の草案ができた」へつづく




