第八十九話 魔王が、初めてこの国の城に泊まった
第八十九話 魔王が、初めてこの国の城に泊まった
前話までのあらすじ
ミラ公王が「田中殿が離れた後も、余はこの方向で動く」と決断した。
ランセルの若い人間をこの国と魔王城に送る話が決まった。
調印式後に全員で食事をすることになった。
「ミラ公王が『田中殿が離れた後も、余はこの方向で動く』と言った。それが今日の一番大事なことだった」とメモに書いた。
確認会から三日後。
魔王がこの城に泊まることになった。
調印式の準備のために、もう一日話し合いが必要になったからだった。
「魔王陛下が泊まるのは初めてですね」とレオンが言った。
「そうですね」と田中が言った。
「部屋の準備をしますか」
「お願いします」
「どんな部屋がいいですか」
「魔王陛下に聞きましょう。好みがあるかもしれません」
「田中が聞きますか」
「レオンが聞いてください」
「私がですか」
「そうです。レオンが窓口になっています」
「わかりました」
レオンがシアを通じて確認した。
返事が来た。
「魔王陛下、部屋の希望は特にないとのことです。ただ、一点だけ」
「なんですか」
「窓から外が見える部屋が良いとのことです」
「窓から外が見える部屋、ですか」
「魔王城の自分の部屋も、窓から山脈が見えると言っていたそうです。外が見えると、落ち着くとのことです」
「シアさんがそれを知っているんですね」
「長く一緒にいるからだと思います」
「そうですね。では、北側の部屋を用意しましょう。山脈が見えます」
「北側の部屋ですね。わかりました」
魔王が夕方に到着した。
田中が城門で出迎えた。
「よく来てくれました」
「泊まることになるとは思わなかったが、話し合いが必要だからな」
「はい。明日の調印式の準備について、一点だけ確認が必要です」
「それだけか」
「それだけです。今夜は、ゆっくりしてください」
「ゆっくりするのが得意ではないが」
「それは、王様と同じですね」
「そうか」
「二人とも、ゆっくりするのが得意ではない」
「似ているな、余たちは」
「そうですね」
「田中、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「今夜、王と話せるか」
「部屋に案内した後、王様に伝えます」
「田中が間に入るか」
「いえ。直接話しかけてください。今の二人なら、間に入らなくても話せます」
「そうか」
「そうです」
「では、直接話す」
「そうしてください」
部屋に案内した。
北側の部屋だった。
窓を開けると、山脈が見えた。
「良い部屋だ」と魔王が言った。
「喜んでいただけて良かったです」と田中が言った。
「山脈が見える」
「そうです」
「魔王城から見る山脈と、ここから見る山脈は、同じ山脈だが、見え方が違うな」
「どう違いますか」
「魔王城から見ると、山脈は壁のように見える。ここから見ると、少し、遠い感じがする」
「距離が違うからですか」
「そうかもしれない。ただ、それだけではない気がする」
「どういう意味ですか」
「魔王城にいると、山脈はいつも問題として見えていた。GOLが来る方向、脅威がある方向として。ここから見ると、ただの山脈に見える」
「そうですか」
「田中は、山脈をどう見ているか」
「大きいと思っています。ただ、今は向こうに何があるかを知っています。知っているから、ただ大きいだけではなくなりました」
「知っているから、向き合える」
「そうです」
「田中が来る前、余はずっと、知ろうとしていなかった気がする」
「そうですか」
「山脈の向こうが怖かった。怖いから、知ろうとしなかった。知らない方が、楽だった」
「そうでしたか」
「田中が来て、知ることを始めた。知れば知るほど、向き合えるようになった」
「そうですね」
「田中、余はここに来て、良かった」
「魔王陛下が来てくれたから、今日があります」
「どちらも本当だ」
「そうです」
「この言い方を、余も使うようになった」
「そうですね」
「悪くない」
「そうかもしれません」
魔王は窓から山脈を見た。
「田中、今夜は王と話す。間に入らなくていいか」
「大丈夫です」
「余から王に話しかけるか」
「そうしてください。王様も、話したいと思っています」
「そうか。では、今夜は余と王だけで話す」
「はい」
夜。
田中は自分の部屋にいた。
王様と魔王が、どこかで話しているはずだった。
どこで話しているかは、田中は知らなかった。
知らなくても良かった。
二人が話せると、田中は思っていた。
レオンが来た。
「タナカ、王様と魔王陛下が、食堂で話しています」
「そうですか」
「スープを飲みながら、話しています」
「スープを」
「そうです。厨房に頼んで、スープを出してもらったようです」
「そうですか」
「私が見たとき、笑っていました」
「二人が笑っていましたか」
「はい。何かを話しながら、笑っていました」
「田中は行かなくていいですか」
「行かなくていいですね」
「そうですね」
「二人が笑っている。それで十分です」
「そうですね」
「タナカ、良かったですね」
「そうですね」
「王様と魔王陛下が、田中なしでスープを飲みながら笑っている」
「そうですね」
「それが今夜の一番大事なことです」
「そうかもしれません」
「メモに書きますか」
「書きます」
「どう書きますか」
「王様と魔王陛下が、田中なしで笑っていた、と書きます」
「それだけですか」
「それだけで十分です」
「そうですね」
レオンは部屋を出た。
田中はメモアプリを開いた。
一行書いた。
・王様と魔王陛下が、田中なしで笑っていた。
翌朝。
田中が食堂に行くと、王様と魔王が並んで座っていた。
二人とも、もう来ていた。
「おはようございます」と田中が言った。
「おはよう」と王様が言った。
「来たか」と魔王が言った。
「昨夜は、話せましたか」と田中が聞いた。
「話せた」と王様が言った。
「長く話した」と魔王が言った。
「そうですか」
「田中がいなくても、話せた」と王様が言った。
「それを報告したかったか」と田中が言った。
「そうだ」と王様が言った。
「報告してくれてありがとうございます」と田中が言った。
「珍しくすぐ言えたな」と魔王が言った。
「今日は言えます」と田中が言った。
「何を話したかは、聞くか」と王様が言った。
「聞きません」と田中が言った。
「なぜだ」と魔王が言った。
「二人の話は、二人のものです。田中が聞く必要はありません」と田中が言った。
「そうか」と王様が言った。
「ただ、一点だけ教えていただけますか」と田中が言った。
「なんだ」と魔王が言った。
「笑えましたか」と田中が言った。
「笑えた」と王様が言った。
「余も笑えた」と魔王が言った。
「それで十分です」と田中が言った。
スープが運ばれてきた。
三人で飲んだ。
いつもの味だった。
「このスープ、昨夜も飲んだ」と魔王が言った。
「そうですか」と田中が言った。
「田中が好きだというスープだな」と王様が言った。
「そうです」と田中が言った。
「昨夜、余も好きになった」と魔王が言った。
「そうですか」と田中が言った。
「どこにでもある味だが、それが良い」と魔王が言った。
「そうです」と田中が言った。
「スープが場を作る」と王様が言った。
「そうですね」と田中が言った。
「これが田中の言っていたことだな」と魔王が言った。
「そうかもしれません」と田中が言った。
「当たり前のものが、繋ぐ」と王様が言った。
「そうです」と田中が言った。
「田中が来てから、余はスープを大事に飲むようになった」と王様が言った。
「昨夜から、余もそうなった」と魔王が言った。
「そうですか」と田中が言った。
「それが田中の影響だ」と魔王が言った。
「スープがそうさせたんだと思います」と田中が言った。
「また同じことを言う」と王様が言った。
「事実なので」と田中が言った。
「わかった」と二人が同時に言った。
三人で少し笑った。
その日の午後、調印式の最終確認をした。
問題は一点もなかった。
全部、揃っていた。
「明日が調印式だ」と王様が言った。
「そうです」と田中が言った。
「長かったな」と魔王が言った。
「そうですね」と田中が言った。
「田中が来てから、ここまで来た」と王様が言った。
「皆さんが動いてきたからです」と田中が言った。
「また同じことを言う」と魔王が言った。
「事実なので」と田中が言った。
「今日だけは、余からも言わせてくれ」と王様が言った。
「どうぞ」と田中が言った。
「田中が来てくれたから、ここまで来た。それも事実だ」と王様が言った。
「余も同じだ」と魔王が言った。
「……ありがとうございます」と田中が言った。
「珍しくすぐ言えたな」と魔王が言った。
「今日は言えます」と田中が言った。
「明日が楽しみだ」と王様が言った。
「余も楽しみだ」と魔王が言った。
「私もです」と田中が言った。
夜、田中は部屋でメモを整理した。
【本日の完了事項】
・調印式の最終確認:問題なし。全部揃っている。
・魔王陛下が城に泊まった。王様と二人でスープを飲みながら話した。笑えた。
・明日が調印式。
最後に一行書き足した。
・明日が調印式だ。皆が揃う。それだけで、十分だ。
次回「第九十話 王様と魔王が、二人で話した夜」へつづく




