第八話 勇者の経費精算をどうするか問題
第八話 勇者の経費精算をどうするか問題
前話までのあらすじ
田中は貴族会議で未合意だった三名への個別フォローに動いた。
数字好きのセルム卿には費用対効果の計算を示して合意見込みを取り付け、前例主義のガルド卿には「今回は見送って構いません」と伝えて月次報告の受け取りを約束させ、南の港を治めるバルト卿には航路リスクを示して返答待ちの状態にした。
三者三様のアプローチで、根回しは異世界でも通じることを確認した。
その夜、アレンから「面白い依頼が来たので寄り道する」という伝令が届いた。
田中は三秒沈黙してから、メモに「帰還率、低い。要対策」と書いた。
二十三日目。
アレンが戻ってきた。
城門が開く音がして、レオンが田中の部屋に飛び込んできた。
「タナカ、アレンが戻った」
「何日遅れですか」
「五日」
「寄り道の内容は」
「魔物に困っている村を助けたらしい」
田中はメモアプリを開いた。
「怪我は」
「軽傷だと言っている」
「アレンの言う軽傷は信用できますか」
レオンが少し考えた。
「……たぶん、あまり」
「わかりました。城医に診てもらうよう手配してください」
「え、タナカが言うの?」
「アレンは自分からは行かないでしょう」
「まあ……そうだが」
「あと、アレンの馬の状態も確認してください。五日余分に走っていますので」
レオンは何か言いかけて、止めた。
「……わかった」
レオンが出ていった。
田中は立ち上がり、上着を着た。
中庭でアレンと会った。
アレンは馬から降りたところだった。鎧に土がついていて、髪が乱れていて、全体的に五日分の疲れが滲んでいた。ただ、顔は明るかった。
「タナカさん、戻りました」
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
「村の魔物、倒してきました」
「聞きました。ご報告ありがとうございます」
「あと、北の偵察もちゃんとやりました」
「それも後で聞かせてください。まず城医のところに行ってもらえますか」
アレンは少し顔をしかめた。
「大丈夫です。これくらい」
「左腕、かばっていますよね」
アレンは動きを止めた。
「……気づいてたんですか」
「馬から降りるとき、左手をほとんど使っていませんでした」
アレンは少し黙った。
「……たいしたことない」
「城医に確認してもらってから判断しましょう。たいしたことなければそれでいいです」
「でも——」
「アレンさん、あなたの体は個人の持ち物でもありますが、この国の戦力でもあります。管理の義務があります」
アレンは目を丸くした。
「……管理の義務」
「はい。放置して悪化したら、戦えない期間が長くなります。今診てもらえば、早く戦場に戻れます」
アレンはしばらく田中を見た。
それから、渋々頷いた。
「……わかりました」
「ありがとうございます。終わったら、私の部屋に来てください。報告を聞きます」
「報告書、書いてないです」
「口頭で構いません。私が書きます」
「……経費の記録も、あまりできなかった」
「どのくらいできましたか」
「半分くらい……」
「半分あれば十分です。残りは聞きながら一緒に確認します」
アレンは少し安堵した顔をして、城医のところへ歩いていった。
レオンが隣で言った。
「アレンが素直に城医に行ったのを初めて見た」
「怪我を放置する理由がないと理解してもらえれば、動きますよ」
「理由がないと、ね……」
レオンは何か考えているようだった。
一時間後、アレンが田中の部屋に来た。
左腕に包帯が巻いてあった。
「やっぱり怪我してたじゃないですか」
「ちょっと切れてただけです」
「処置してもらえましたか」
「してもらいました」
「よかったです。座ってください」
アレンは椅子に座った。田中は羊皮紙と羽ペンを用意した。
「では報告を聞かせてください。まず北の偵察から」
アレンは話し始めた。
田中は聞きながら書いた。場所、確認した敵の数、装備の状態、地形、特記事項。
アレンの話は詳しかった。地形の描写が正確で、敵の動きの観察が細かかった。書類は苦手でも、現場で見てきたことを話す能力は高かった。
「砦の北、二リーグのところに新しい野営地の跡がありました。最近作ったやつです」
「どのくらいの規模ですか」
「五十から百人分くらい。でも今はもういない」
「移動した可能性がありますね。どの方向に向かったか、痕跡はありましたか」
「東です。山の方に向かってた」
「なるほど」
田中はメモに書き足した。
・魔王軍偵察部隊:砦北二リーグに野営跡。東の山方向へ移動。迂回ルートの可能性あり。要警戒。
「続けてください」
アレンは話し続けた。
田中は書き続けた。
三十分かかって、報告書が一枚出来上がった。
「確認しますね」
田中は読み上げた。
アレンは聞きながら、時々「そこ、少し違って」と訂正を入れた。
「訂正ありがとうございます。修正します」
「こんな細かくするんですか」
「細かくないと、後で間違った判断をするもとになります」
アレンは少し考えてから、頷いた。
「……わかりました」
「次、経費の確認をしてもいいですか」
アレンは懐から、折れ曲がった羊皮紙を取り出した。
「これです」
田中は受け取った。
広げた。
記録されていたのは確かに半分程度だった。宿代と食料の一部は書いてあったが、途中から止まっていた。止まったあたりに、小さく「村の件」と書いてあった。
「村に寄ったあたりから記録が止まっていますね」
「そこから忙しくなって……」
「村での支出は覚えていますか」
「宿は……村の人が泊めてくれたので、ただでした」
「食料は」
「これも村の人がくれました」
「では村滞在中の支出はゼロですね」
「そうなります」
「わかりました」
田中は記録されていた分と、口頭で確認した分をまとめた。
「合計はこの金額になります。お手元の残金と合わせて確認してもいいですか」
アレンは財布を出した。
田中は渡された金額と計算を照合した。
「……あ」
「何かありましたか」
「合いました」
「そうですか」
「ちゃんと合うんですね」
「記録が正確なら合います」
アレンはしばらく財布と羊皮紙を交互に見た。
「……なんか、すごい」
「足し算と引き算です」
「俺、毎回財布の中身がよくわからなくなる」
「記録していなかったからです。記録すれば、あとで確認できます」
アレンは少し考えた。
「俺にもできますか」
「できます。慣れの問題ですので」
「教えてもらえますか」
「もちろんです」
田中は新しい羊皮紙を取り出して、経費記録の書き方を図解した。
アレンは真剣な顔で見ていた。
魔王軍の幹部を一人で倒せる人間が、経費の記録の仕方を習っていた。
田中は特に何も感じなかったが、レオンが部屋の入り口から覗いていて、複雑な顔をしていた。
夕方、王様に報告した。
アレンの偵察報告書を持参して、内容を説明した。
王様は魔王軍の野営地跡と東への移動の話を聞いて、眉をひそめた。
「東の山を迂回するルートがある」
「地図を確認すると、山の東側に一本、古い街道があります。普段は使われていませんが、軍が通れる幅はあります」
「知らなかった」
「図書室に古い地図がありました」
王様はため息をついた。
田中はこのため息の意味を、最近少しわかるようになっていた。「また知らないことがあった」という、自分への苛立ちと疲れが混ざったため息だ。
「陛下」
「なんだ」
「情報が整理されていなかっただけです。知らなかったのは、隠されていたわけではありません」
「それは慰めか」
「事実です」
王様は少し黙ってから、言った。
「東の街道に、見張りを置け」
「配置の手配は騎士団長に話を通す必要がありますか」
「そうだな。ロイドに話してくれ」
「騎士団長のロイド卿ですね。わかりました」
田中はメモに書いた。
・アクション:東街道への見張り配置。騎士団長ロイド卿に打診。
「もう一点よろしいですか」
「まだあるのか」
「アレンの遠征について、今後のルールを決めたいのですが」
「ルール?」
「アレンが勝手に寄り道をするのは、今後も続くと思います」
王様は少し苦い顔をした。
「……続くだろうな」
「ただ、今回のように村の魔物を退治することは、民心の安定に繋がります。悪いことではありません」
「それはそうだが」
「寄り道を禁止するのではなく、事前に報告して承認を取る形にすれば、把握できます。また、村の状況を報告書に含めてもらえれば、情報収集にもなります」
王様は少し考えた。
「アレンがそれを守るかどうか」
「守らせます」
王様は田中を見た。
「……お前、アレンに何か弱みでも握っているのか」
「経費の計算が苦手なので、私がいた方が楽だと思ってもらっています」
王様は低く笑った。
「なるほど。懐柔したわけか」
「ウィンウィンと言います」
「うぃんうぃん?」
「お互いに得がある、という意味です」
「なるほど」
王様は頷いた。
「ロイドへの話は、明日通してくれ」
「わかりました」
「アレンの件は、お前に任せる」
「かしこまりました」
田中は頭を下げた。
部屋を出ながら、メモに書いた。
【本日のアクションリスト】
・東街道の見張り配置:騎士団長ロイド卿に打診(明日)
・アレンの遠征ルール化:本人と合意形成(今週中)
・セルム卿への月次報告書:様式作成(今週中)
・ガルド卿への月次報告:来月初回送付
・バルト卿からの返答:待ち
田中はリストを見ながら歩いた。
また増えた。
ただ、増えた分だけ、この国の輪郭が見えてきている気もした。
やることが増えるのは、関われることが増えているからだ。
どこかで聞いた話だな、と田中は思った。
たぶん、十五年前の自分が誰かに言われた言葉だ。
そのときは全然嬉しくなかったが、今は少しだけ意味がわかる気がした。
廊下の窓から、夜空が見えた。
星が多かった。
田中は立ち止まらずに、歩き続けた。
明日もやることがある。
次回「第九話 騎士団長は話が早くて助かった」へつづく




