第七話 個別フォローは根回しとも言う
第七話 個別フォローは根回しとも言う
前話までのあらすじ
十六日目、城に勇者・アレンが現れた。
強くて真っ直ぐだが、書類・経費管理・報告が壊滅的。田中はアレンに報告書の様式と経費記録の書き方を作って渡し、「育てられるかもしれない(二人目)」とメモした。
翌朝、アレンは前線偵察へ出発。レオンから「気が向いたら別の場所に行くこともある」と聞かされた田中は「帰還率、要確認」と書き足した。
勇者が戦場に向かう裏で、田中には別のやることリストが積み上がっていた。未合意の貴族三名への個別フォロー。それが今週の最優先事項だった。
十七日目の朝。
田中はレオンを呼んだ。
「貴族会議で合意しなかった三名について、教えてもらえますか」
レオンは羊皮紙を持ってきた。
「一人目はガルド卿。北部の大領主で、貴族の中では最大の発言力を持っています」
「二人目は」
「セルム卿。東の商業都市を治めています。お金の計算には非常に細かい方です」
「三人目は」
「バルト卿。南の港を持っています。海路の交易で富を得ているので、北の戦争には関心が薄い」
田中はメモを取りながら、三人の情報を整理した。
ガルド——前例主義、警戒心が強い。先日の会議で一度対話している。
セルム——数字に細かい。費用対効果を重視するタイプ。
バルト——地理的に戦場から遠い。危機感が薄い。
「三人それぞれ、反対の理由が違いますね」
「そうです。ガルド卿は前例と信用の問題、セルム卿は費用の問題、バルト卿は……そもそも関心がない感じです」
「全員に同じ話をしても無駄ですね」
「これまではそれをやって、全員に断られていました」
田中はメモに書いた。
・方針:三者それぞれ別のアプローチで個別対話。一括説得は無効。
最初に会いに行ったのは、セルム卿だった。
理由は単純だ。数字に細かい相手には数字で話せばいい。田中が一番得意な領域だ。
セルム卿の城内の応接室。
五十代の、細身の男だった。目が鋭く、田中を見る視線が値踏みするようだった。
「補佐官とやら、陛下の使いですか」
「はい。先日の会議のご判断について、少し話を聞かせていただけますか」
「聞かせてもらうのはこちらです。なぜ私が出資しなければならないのか」
田中は羊皮紙を取り出した。
「セルム卿の領地の、主な収入源を確認させてください。東の商業都市ということは、交易の通関収入が大きいですか」
セルム卿は少し驚いた顔をした。
「……そうだが、なぜ知っている」
「図書室の記録です。年間の通関収入がこの数字だとすると、今回の拠出額はおよそ収入の四パーセントになります」
田中は数字を示した。
「四パーセント」
「はい。ただ、これは魔王軍が砦を抜いた場合のシナリオを考えると、話が変わります」
「と言うと」
「砦が抜かれれば、王都への街道が脅かされます。街道が不安定になれば、商人の往来が減る。往来が減れば、通関収入が下がります」
田中はもう一枚の羊皮紙を出した。
「過去に北部で戦闘があった年の、東部の交易量の記録です。戦闘が起きた年は、翌年の交易量が平均で十八パーセント落ちています」
セルム卿の目が、数字に向いた。
「今回の拠出額は収入の四パーセントです。戦争が起きて交易量が十八パーセント落ちた場合の損失と比べると、今拠出する方が経済的合理性があります」
部屋が静かになった。
セルム卿は羊皮紙を手に取り、数字をじっくりと見た。
「……この計算、どこまで正確ですか」
「図書室の記録を元にしています。前提が変われば数字も変わりますので、ご指摘があれば修正します」
「修正を前提にしているのか」
「数字は現時点での推計です。完全ではありません。ただ、方向性は変わらないと思います」
セルム卿はしばらく羊皮紙を眺めた。
それから、田中を見た。
「……もう少し詳しく聞かせてもらえますか」
「もちろんです」
セルム卿との話し合いは一時間かかった。
終わり際、セルム卿は言った。
「拠出の方向で検討しましょう。ただし、使途の報告を毎月いただきたい」
「毎月の報告書を作成します」
「あなたが作るのですか」
「はい」
「……わかりました」
田中は頭を下げた。
廊下に出たところで、レオンが小声で言った。
「セルム卿が話し合いに応じたのは、初めてだと思います」
「数字が好きな方でしたね」
「好きというか、数字以外は信用しない方です」
「それは合理的だと思います」
レオンは首を振った。
「タナカ、お前は本当に変わっているな」
「よく言われます」
「城に来てから何回言われた」
「数えていません。ガルド卿のところに行きましょう」
ガルドとの話し合いは、別の意味で難しかった。
ガルドの応接室に通されると、ガルドは腕を組んで田中を待っていた。
「来ると思っていた」
「お時間をいただきありがとうございます」
「単刀直入に聞く。お前は何者だ」
田中は少し考えてから、言った。
「遠い場所から来た人間です。詳しいことは私にもわかりません」
「陛下はなぜそんな得体の知れない人間を側に置く」
「それは陛下に聞いていただくしかありませんが、私は今のところ、陛下に頼まれたこと以外はしていません」
「今のところ、な」
「はい、今のところは」
ガルドは眉を上げた。
「正直な答えだ」
「嘘をついても後で困るので」
ガルドはしばらく田中を見た。
「お前が先日の会議で出した資料、あれは認める。よくまとまっていた」
「ありがとうございます」
「ただ、私が懸念しているのは数字ではない」
「前例、ですか」
ガルドの目が少し動いた。
「……わかっていたか」
「ガルド卿は長くこの国の貴族をされています。これまでも同じような話が何度もあって、何度も状況が変わらなかった。だから今回も、数字より実績を見ている。そう理解しています」
ガルドは黙った。
田中は続けた。
「私に、ガルド卿の懸念を解消できる実績はまだありません。正直に言えば、信用していただく根拠が今は薄い」
「……それを自分で言うか」
「言わないと、ガルド卿は纏まらないと思いましたので」
ガルドは低く笑った。笑い声は王様に少し似ていた。
「では、どうしろというんだ」
「今回は見送っていただいて構いません」
ガルドが目を細めた。
「拠出を求めに来て、見送れと言うのか」
「ガルド卿が動くときは、ガルド卿自身が納得したときだと思います。無理に動いてもらっても、次に繋がらない」
「次?」
「今回が最後ではないので」
ガルドはしばらく田中を見た。
それから、ゆっくりと言った。
「……一つ、条件がある」
「聞かせてください」
「毎月、この国の状況を私に報告しろ。数字で。お前が作った資料のような形で」
「わかりました」
「それを見て、納得できれば考える」
「ありがとうございます」
田中は頭を下げた。
廊下に出ると、レオンが呆然とした顔をしていた。
「タナカ、拠出を断られましたよ」
「今回はそれで構いません」
「え?」
「ガルド卿は毎月報告を受け取ることにしました。それで十分です」
「でも予算は——」
「今月は七割取れました。ガルド卿は来月以降です」
レオンはしばらく黙ってから言った。
「……最初からそのつもりだったんですか」
「ガルド卿を一回の話し合いで動かすのは無理だと思っていたので」
「なんでわかるんですか」
「似たような人が、元の世界にもいたので」
田中は歩き始めた。
「バルト卿のところに行きましょう」
バルト卿は、三人の中で一番難しかった。
理由は単純で、関心がないからだ。
港町を治めるバルト卿の応接室は、海に面した窓があって、外から潮の匂いがした。バルト卿は大柄な男で、どこか鷹揚な雰囲気があった。
「補佐官殿、遠路はるばる。で、北の話でしょう」
「はい」
「うちには関係ない話です」
「最初からそうおっしゃると思っていました」
バルト卿は少し面白そうな顔をした。
「わかっていて来たのか」
「はい。ただ、一点だけ聞かせてください」
「なんですか」
「バルト卿の港を使っている交易船の主な航路はどこですか」
バルト卿は少し考えてから答えた。
「北の大陸との往来が多い。毛皮や鉱石を輸入して、南の香辛料や織物を輸出している」
「北の大陸との往来、ということは」
田中は地図を広げた。
「航路はこのあたりを通りますか」
田中が指したのは、北の山脈の海側の端、魔王領に近い海域だった。
バルト卿の表情が、少し変わった。
「……魔王軍が北岸を制圧した場合、この航路が使えなくなる可能性があります」
「魔王軍は海には出てこない」
「今のところは。ただ、北岸の港を抑えれば、海路の封鎖も選択肢に入ります」
バルト卿は黙った。
「北の戦争はバルト卿には関係ない、は正しいと思います。ただ、北が崩れたあとの話は、バルト卿に関係があるかもしれません」
部屋が静かになった。
潮の匂いがした。
バルト卿はしばらく窓の外を見た。
それから田中を見た。
「……資料を置いていきなさい」
「はい」
「返事は後日、使いを出す」
「ありがとうございます」
田中は頭を下げた。
城に戻ったのは夕方だった。
田中は部屋でメモを整理した。
【個別フォロー・結果まとめ】
・セルム卿:費用対効果の数字を示した結果、前向きに検討。月次報告を条件に合意見込み。
・ガルド卿:今回は見送り。ただし月次報告の受け取りに合意。来月以降に継続フォロー。
・バルト卿:航路リスクの観点で関心を引いた。返答待ち。
田中はメモを見ながら、一つため息をついた。
三人とも、反対の理由が違った。だから話し方も全部変えた。
これは別に特別なことではない。
相手が何を気にしているかを先に考えて、そこに合わせて話す。それだけだ。
でも、それをやる人間が、この城にはいなかったらしかった。
田中はもう一行書き足した。
・所感:根回しは異世界でも通じる。当然だが、人間だから。
ノックがあった。
レオンだった。
「タナカ、王様が呼んでいる」
「今日の報告ですね」
「たぶん。あと——」
レオンが少し言いにくそうにした。
「なんですか」
「アレンから伝令が来た」
「早いですね、まだ二日目ですが」
「それが……『面白い依頼が来たので、少し寄り道する』と」
田中は目を閉じた。
三秒後、メモアプリを開いた。
・アレン:帰還率、低い。要対策。
次回「第八話 勇者の経費精算をどうするか問題」へつづく




