第八十話 バルト卿が、同盟に前向きになった理由
第八十話 バルト卿が、同盟に前向きになった理由
前話までのあらすじ
貴族説明会でガルドが主導し、田中が補足する形がうまく機能した。
個別フォローで懸念のあった貴族三名全員と話した。バルト卿が貿易の具体的な話を求めた。
ガルドが「お前は、人が動けるようにしに来た」と言った。
「それが、田中の仕事の本質かもしれない」とメモに書いた。
個別フォローの翌日。
バルト卿から使者が来た。
「田中殿に会いたい。港に来てもらえるか」という内容だった。
田中はレオンに伝えた。
「バルト卿の港に行きます」
「今日ですか」
「そうです。使者が来たということは、急いでいるということです」
「何の話だと思いますか」
「昨日、貿易の話をしました。具体的に動きたいのかもしれません」
「わかりました。私も一緒に行きますか」
「来てもらえると助かります」
「では、準備します」
バルト卿の港に着いた。
海の匂いがした。
船が並んでいた。
バルト卿が岸壁に立っていた。
「来てくれた」
「お呼びいただきありがとうございます」
「港を見せたかった」
「そうですか」
バルト卿は港を歩きながら話した。
「田中殿、余がいつも何を見ているか、わかるか」
「わかりません」
「あの船だ」
バルト卿が指差した。
大きな船が三艘、停泊していた。
「あの船で、余の家族は商売をしてきた。父も、祖父も、あの船で海に出た。余もそうだ」
「そうですか」
「この港が続くことが、余の仕事だ。この港が潰れれば、何十年分の積み上げが消える」
「そうですね」
「だから、余はいつも慎重だった。変化が怖かった。停戦も、同盟も、変化だ」
「そうですね」
「ただ、田中殿に言われたことを、ずっと考えていた」
「何を言いましたか」
「情報があれば、判断できる。情報がないと、不安になる。不安になると、間違える」
「言いましたね」
「あのとき、余はグレイドの話を聞いていた。グレイドが持ってきた話は、余に有利に聞こえた。ただ、情報が足りなかった。田中殿に会って、情報が増えた。そうしたら、グレイドの話が変わって見えた」
「どう変わりましたか」
「グレイドは、停戦が崩れることを前提に話していた。停戦が崩れれば、余にとって有利な条件を出す、という話だった。ただ、田中殿が情報をくれたことで、停戦が続く可能性の方が高いとわかった」
「そうですね」
「停戦が続く方が、港の商売は安定する。それがわかったから、余はグレイドの話を断った」
「そうでしたね」
「そして今、同盟の話が来た。同盟が成立すれば、停戦がさらに安定する。魔王領との往来が増える。余の港が中継地になれる。それは、この港にとって良いことだ」
「そうですね」
「だから、余は同盟に前向きだ」
「ありがとうございます」
「礼はいい。余が判断したことだ」
「そうですね」
「ただ、田中殿が情報をくれなければ、余は間違えたままだった」
「バルト卿が情報を受け取ってくれたからです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
「わかった」
バルト卿は岸壁を歩きながら、続けた。
「田中殿、一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「魔王領との貿易、具体的にはどの品目が動くと思うか」
「シアさんに確認しましたが、北方の鉱石と、魔王城周辺の特産品があります。魔王城では、この国の穀物と野菜を求めています。双方に需要がある品目があります」
「余の港を経由させるとして、どんな仕組みが必要か」
「まず、双方が信頼できる取引の記録の仕組みが必要です。何をいくらで取引したか、双方が記録して保管する」
「それは、今の食料交易と同じやり方か」
「そうです。今の食料交易を、品目を増やして拡大する形です」
「今の食料交易はうまくいっているのか」
「一年近く、問題なく続いています」
「そうか。ならば、信頼できる仕組みだな」
「そうです」
「田中殿、余は商売人だ。信頼できる仕組みがあれば、動ける。信頼できない仕組みには乗らない」
「そうですね」
「田中殿が作る仕組みは、信頼できる。記録がある。双方が確認できる。後で問題が起きたとき、戻れる。それが、余が安心できる理由だ」
「ありがとうございます」
「珍しくすぐ言えたな」
「バルト卿に言っていただけると、受け取りやすいです」
「なぜだ」
「バルト卿は、最初に合意しなかった方です。その方が今、信頼できると言ってくれる。重みが違います」
「最初に合意しなかったことが、役に立つとは思わなかったな」
「そうかもしれません」
「ガルドも同じようなことを言っていたか」
「似たようなことをおっしゃっていました」
「反対していた人間の言葉が、役に立つということか」
「反対していた人間が支持に回ったという事実が、説得力になります」
「なるほど。では、余も役に立てたということか」
「そうです」
「それは、悪くない話だな」
バルト卿は少し笑った。
港を一通り歩いた後、バルト卿は田中に言った。
「田中殿、一つお願いがある」
「なんですか」
「同盟文書に、貿易の条項を入れてくれ」
「貿易の条項、ですか」
「そうだ。北の問題や軍の連携だけでなく、貿易の枠組みも入れてほしい。港の商売人として、それが入れば、余は全力で支持する」
「具体的にはどんな条項ですか」
「三国間の物資の往来を推進する、という一文と、取引の記録と確認の仕組みを整備する、という一文があれば十分だ」
「その二点は、入れられます」
「本当か」
「元々、食料と物資の相互支援が同盟の中身の一つです。それを少し具体的にするだけです」
「それで十分だ」
「わかりました。草案に入れます」
「頼む」
「バルト卿、一つ確認させてください」
「なんだ」
「今回、バルト卿が同盟を支持してくれることは、貴族たちにとって大きな意味があります」
「そうか」
「バルト卿は港を持つ貴族です。貿易への影響を誰より気にしている方が支持すれば、他の貴族も安心します」
「余の支持が、他の説得になるということか」
「そうです。もし可能であれば、他の貴族にも、バルト卿が支持していると伝えていただけますか」
「ガルドが先に話す、というやり方と同じか」
「そうです」
「余がそれをやれるということか」
「できると思います」
「わかった。余も動く」
「ありがとうございます」
「田中殿、余はずっと守る側にいた。港を守る。商売を守る。変化から守る。それが余の仕事だと思っていた」
「そうですね」
「ただ、田中殿に会ってから、少し変わった気がする」
「どう変わりましたか」
「守るだけでなく、作ることもできると思い始めた」
「作ること、ですか」
「そうだ。新しい貿易ルートを作る。新しい繋がりを作る。それは、守ることとは違う。ただ、それも余の仕事かもしれないと思い始めた」
「そうですね」
「田中殿のおかげだ」
「バルト卿が変わろうとしていたからです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
「わかった。今日は反論しない」
「そうですか」
「どちらも本当だ」
「そうですね」
バルト卿は港を見た。
「田中殿、この港が百年後も続いていたらいいと思う」
「そうですね」
「今回の同盟が、その助けになれば良い」
「なりますよ」
「断言するのか」
「百年後のことはわかりません。ただ、今日の同盟が積み上がれば、その可能性は高くなります」
「少しずつ積み上がる、か」
「そうです」
「田中殿らしい答えだ」
「そうかもしれません」
帰り道。
田中とレオンで馬を進めた。
「タナカ、バルト卿、変わりましたね」
「そうですね」
「最初の頃とは、全然違います」
「そうですね。最初は合意しなかったです」
「それが今日は、百年後の港の話をしていました」
「そうですね」
「どこで変わったんですか」
「少しずつ変わったんだと思います。情報を受け取るたびに、少しずつ」
「田中が情報を渡し続けたからですよ」
「バルト卿が受け取ってくれたからです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
「わかりました」
レオンは少し笑った。
「タナカ、今日は良い一日でしたね」
「そうですね」
「バルト卿が港を見せてくれました。百年後の話をしてくれました」
「そうですね」
「田中が作ってきたものが、ここまで来たということですよね」
「皆さんが動いてきたからです」
「また同じことを言う。ただ、今日は少し違う言い方をしていいですか」
「どうぞ」
「田中が来て、動いてきた。皆さんも動いた。どちらも本当だ」
「そうですね」
「タナカが言っている言葉を、私も言えるようになりました」
「レオンが身につけたことです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
二人で笑った。
海の匂いが遠ざかっていった。
夜、田中は部屋でメモを整理した。
【本日の完了事項】
・バルト卿との面会:完了。
・貿易の条項を同盟文書に入れることで合意。
・バルト卿が他の貴族への説得を引き受けてくれた。
最後に一行書き足した。
・バルト卿が「守るだけでなく、作ることもできると思い始めた」と言った。守ることから、作ることへ。それが変化だ。
次回「第八十一話 三国で同盟の枠組みを議論した」へつづく




