第七十三話 田中が、次の扉の前に立つ
第三章 王様と魔王が同じ席に座った日
第七十三話 田中が、次の扉の前に立つ
前話までのあらすじ
光が消えた翌日。三国への報告書を書いた。
謎の人物と話した。帰ると決めれば道が整うかもしれない。ただし急がなくていい。
OLAとの対話記録を図書室の棚に収めた。
「帰るかどうか。まだわからない。ただ、考えられるようになった。それが今夜の変化だ」とメモに書いた。
光が消えてから、三日が経った。
三国からの返事が来た。
シアから。ミラから。魔王から。
全部、同じ方向の言葉だった。
シアの手紙。
『GOLが止まった。田中のおかげだ。三国の連携を続ける。また会いましょう』
ミラの手紙。
『五年間の記録が、ようやく終わりを見た。田中殿のおかげだ。ランセルは続けて動く。また来てください。スープの約束、忘れていませんよ』
魔王の手紙。
『田中、よくやった。余も変わった。城も変わった。お前が来てくれたから、変われた。また来い。余は待っている』
田中は三通を読んだ。
レオンが横で読んでいた。
「タナカ、三通とも、また来いという言葉がありますね」
「そうですね」
「シアさんも、ミラ公王も、魔王陛下も」
「そうですね」
「帰ると決めたら、また来ることはできますか」
「わかりません」
「わからないか」
「道が開いたとして、また来られるかどうかはわかりません」
「そうですか」
「ただ、来られなくても、記録は残ります。仕組みは続きます。繋がりは残ります」
「タナカが残したものが、続く」
「そうです」
「それで十分ですか」
「十分かどうかはわかりません。ただ、やれることはやりました」
その日の午後、田中は王様のところに行った。
「報告があります」
「なんだ」
「帰ることを、考えています」
王様は少し間を置いた。
「そうか」
「はい」
「決めたのか」
「まだです。ただ、考えていることを伝えたかったです」
「そうか」
「帰ると決めたら、すぐ伝えます。帰ると決めた場合、準備に時間がかかります。引き継ぎが必要です」
「引き継ぎ」
「この城で田中がやってきたことを、誰かに渡す必要があります」
「誰に渡すんだ」
「レオンに渡せる部分が多いです。ロイド卿、ガルド卿にも渡す部分があります。アレンにも」
「余には」
「王様には、考え方を渡せればと思います。やり方ではなく、考え方を」
「考え方とは何だ」
「やることが見えていれば動ける。わからなくても、やってみれば見えてくる。一人でやらなくていい。帰ってこいという人がいるなら、帰れる。そういう考え方です」
「それは、お前がこの城に来てから教えてくれたことだな」
「教えたつもりはなかったですが、そうなっていたかもしれません」
「田中、余はお前から多くを学んだ。それは、余の中に残る。お前がいなくなっても、余の中にある」
「そうですね」
「お前が帰っても、余は変わり続けられる。ただ」
「ただ、何ですか」
「お前がいると、変わりやすい」
「そうですか」
「そうだ。お前が隣にいると、考えやすい。動きやすい。それは、正直なところだ」
「ありがとうございます」
「珍しくすぐ言えたな」
「今日は、言わないわけにいかないので」
「そうか」
王様はしばらど田中を見た。
「田中、一つだけ」
「はい」
「帰ると決めても、決めなくても、今日の余はお前に感謝している」
「はい」
「来てくれてありがとう。この城に来てくれて、ありがとう」
田中は少し止まった。
「……ありがとうございます」
「受け取れたか」
「受け取りました」
「良かった」
「王様こそ、受け入れてくれてありがとうございました」
「受け入れたのではなく、お前が来たから変われた。それが事実だ」
「どちらも本当だと思います」
「そうだな。どちらも本当だ」
夕方、田中は中庭に出た。
アレンが稽古をしていた。
「タナカさん」
「アレンさん」
「今日は、何かありましたか」
「報告書を書いて、王様と話しました」
「帰ることを考えていますか」
「考えています」
「そうですか」
「はい」
「俺、帰ってほしくないです」
「わかっています」
「ただ、それは俺の気持ちです」
「わかっています」
「タナカさんが決めることです」
「そうですね」
「ただ、一つだけ言っていいですか」
「どうぞ」
「タナカさんが来てから、俺は変わりました」
「そうですか」
「報告書を書くようになりました。攻撃しないで観察するようになりました。やることがあれば動く、という言葉が自分の言葉になりました」
「そうですね」
「それは、タナカさんが来てくれたからです」
「アレンさんが変わったんです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
「わかりました」
アレンは少し間を置いた。
「タナカさん、もし帰ることになったら、一つだけお願いがあります」
「なんですか」
「帰る前に、教えてください」
「はい」
「最後に、一緒に飯を食いたいです」
「食べましょう」
「約束ですか」
「約束です」
「良かったです」
夜、田中は部屋に一人でいた。
窓を開けた。
北の空を見た。
山脈が見えた。
光がなかった。
ただの山脈だった。
田中はしばらど山脈を見た。
この五ヶ月間のことを、頭の中で振り返った。
草原で目が覚めた日。
居酒屋で王様と話した夜。
言語を覚えた一週間。
貴族会議で資料を広げた朝。
アレンに報告書を教えた午後。
魔王城に一人で向かった朝。
シアと川沿いの東屋で話した日。
魔王と蒸留酒を飲んだ夜。
北の話を聞いて、初めて整理が追いつかなかった夜。
帰国して、王様が城門で待っていた夕方。
三国会談で、王様と魔王が初めて同じ席に座った日。
OLAと初めて名前を交わした日。
GOLが止まった朝。
全部、繋がっていた。
一本の線だった。
田中はメモアプリを開いた。
今夜は、たくさん書こうと思った。
ただ、書き始めると、一行だけで十分だと思った。
一行書いた。
・この五ヶ月間、やることがあったから動いてきた。それが全部だ。
書いてから、もう一行書き足した。
・次の扉の前にいる。扉の向こうが何かは、まだわからない。ただ、扉の前に立てた。
翌朝。
田中は謎の人物のところに行った。
「決めました」
「そうですか」
「帰ります」
人物は少し間を置いた。
「わかりました」
「ただし、条件があります」
「どんな条件ですか」
「引き継ぎをさせてください。この城でやってきたことを、誰かに渡してから帰ります」
「どのくらい時間がかかりますか」
「わかりません。ただ、必要な時間をください」
「わかりました。準備が整ったら、知らせてください。それまで、余は待ちます」
「ありがとうございます」
「田中殿、一つだけ」
「はい」
「決めましたね」
「はい」
「良かったです」
「そうですか」
「帰ると決めることは、簡単ではなかったはずです。ただ、決めた」
「やることがあるので」
「元の世界でも、ですね」
「そうです」
「田中殿らしいです」
「そうかもしれません」
「では、引き継ぎを進めてください。良い引き継ぎを」
「します」
王様に伝えた。
「帰ることにしました」
王様は少し黙った。
長い沈黙だった。
「そうか」
「はい」
「引き継ぎをしてから帰るか」
「はい。必要な時間をください」
「どのくらいかかるか」
「わかりません。ただ、きちんと引き継ぎをしてから帰ります」
「わかった」
「王様」
「なんだ」
「この城に来て、良かったです」
「余も、来てくれて良かった」
「ありがとうございます」
「田中、一つだけ」
「はい」
「引き継ぎをしっかりやれ」
「はい」
「それが、お前らしい帰り方だ」
「そうですね」
「やることをやって、帰れ」
「はい」
「帰るときは、余に言え」
「言います」
「最後に、飯を食おう」
「はい。アレンにも同じ約束をしました」
「全員で食おう」
「そうしましょう」
「わかった。では、引き継ぎを始めろ」
「かしこまりました」
田中は頭を下げた。
部屋を出た。
廊下を歩いた。
石畳の音が響いた。
田中はメモアプリを開いた。
【引き継ぎリスト】
・月次報告書の様式と送付先:レオンに渡す。
・三国との情報共有ルート:レオンとシアで継続。
・OLAとの対話記録:図書室に保管済み。レオンに説明する。
・貴族との関係:ガルド卿に引き継ぐ。
・軍の連携:ロイド卿に引き継ぐ。
・王様への補佐:全員で支える体制に。
リストを書きながら、田中は少し考えた。
たくさんある。
ただ、全部、誰かに渡せるものだった。
田中一人でしかできないことは、なかった。
それが、この五ヶ月間の積み上げだった。
田中はリストを閉じた。
窓から、北の空が見えた。
山脈が見えた。
光がなかった。
ただの山脈だった。
大きかった。
田中は少し、山脈を見た。
「OLA」と田中は言った。
小声で言った。
「帰ることにしました。やることをやって、帰ります。また、会えるといいですね」
返事はなかった。
当然だった。
ただ、言いたかった。
田中は歩き始めた。
引き継ぎをしなければならない。
やることがある。
それだけで、動ける。
いつもと同じだ。
ただ、今回は、その先に帰る場所がある。
この世界の帰る場所と、元の世界の帰る場所。
どちらも、ある。
田中は廊下を歩き続けた。
前を向いて、歩いた。
次の扉の前に立った。
扉の向こうは、まだ見えなかった。
ただ、扉の前には立てた。
それが、今日の田中だった。
第三章 完
第四章「二国同盟編」へつづく




