第六十四話 内乱が収まった後、また別の問題が来た
第六十四話 内乱が収まった後、また別の問題が来た
前話までのあらすじ
王様が田中なしでバルト卿と話し、田中なしで魔王への返事を書いた。
魔王から「グレイドが笑った。田中のおかげだ」という手紙が来た。
田中が図書室で一人で過ごした。少し眠れた。
「今日、図書室で少し眠れた。それだけで十分だった」とメモに書いた。
翌朝。
田中はいつも通り目が覚めた。
昨日の図書室での時間が、体に残っていた。
少し、軽かった。
メモアプリを開いた。
やることリストを確認した。
OLAとの次回訪問の準備。三国への月次報告。ランセルへの連絡。シアとの情報交換。
並べてみると、多かった。
ただ、今日は少し、多さが苦にならなかった。
昨日、休んだからかもしれなかった。
朝食を食べていると、アレンが来た。
「タナカさん、山脈から報告があります」
「どうしましたか」
「昨夜、山脈の音が、今まで聞いたことがない大きさになりました。村人から連絡が来ました」
「今まで聞いたことがない大きさ、というのはどのくらいですか」
「村の中でも聞こえるくらい、と言っています。これまでは、山に近い場所でしか聞こえなかったのに」
「距離が変わったわけですね」
「そうだと思います」
田中はメモに書いた。
・山脈の音:村の中まで聞こえるようになった。これまでより大きく、遠くまで届いている。
「アレンさん、今日、村に行けますか」
「行けます」
「現地の状況を確認してきてください。音の方向、住民の様子、山脈の見た目に変化があるかどうか」
「わかりました。今日中に行って、夕方には戻ります」
「ありがとうございます」
「タナカさん、これは、タイムラインが早まっているということですか」
「可能性があります」
「いよいよですか」
「いよいよかもしれません」
「怖いですね」
「そうですね」
「タナカさんも怖いですか」
「怖いです」
「でも、やることがある」
「あります」
「わかりました。行ってきます」
アレンは行ってしまった。
レオンが横で言った。
「タナカ、また動き始めましたね」
「そうですね」
「昨日、少し休めたのは良かったですね」
「そうですね。今日の方が動ける気がします」
「休んだ効果ですね」
「そうかもしれません」
「タナカ、たまには休むことも、やることの一つですよ」
「そうですね。レオンに何度も言われて、少しずつわかってきました」
「少しずつ、ですね」
「そうです。全部一度に変わるより、少しずつの方が、田中らしいと思います」
「タナカらしいですね」
「そうかもしれません」
午前中、ロイドを訪ねた。
「山脈の音が大きくなりました。アレンを調査に出しました」
「夜中に余も聞いた」
「ロイド卿も聞こえましたか」
「城の壁越しに、かすかに聞こえた気がした。今まではなかった」
「城まで届くようになったとすれば、かなり大きな変化です」
「そうだ。軍の準備を急ぐ必要がある」
「はい。ただ、何に対して準備するかが、まだわかりません」
「わからなくても、動ける準備はある。兵站の整備、物資の確認、連絡網の確立。相手が何であっても必要なことをやる」
「ロイド卿が動いてくれると助かります」
「やることが明確なら、動ける。お前から学んだ言葉だ」
「そうですね」
「田中、一つだけ」
「はい」
「今回の問題、どのくらい深刻だと思っているか」
「深刻です」
「どのくらい」
「今まで対処してきた問題の中で、一番大きいです」
「それを正直に言うのか」
「隠しても状況は変わらないので」
「そうだな」
「ただ、やることは見えています」
「見えているなら動ける」
「はい」
「田中、余は、この問題を乗り越えられると思っているか」
「わかりません。ただ」
「やってみないとわからない、か」
「そうです」
「わかった。余も動く」
「よろしくお願いします」
昼過ぎ、王様から呼ばれた。
「山脈の音の件は知っている。ロイドから報告を受けた」
「はい」
「田中、もう一点、伝えることがある」
「なんですか」
「今朝、珍しい客が来た」
「誰ですか」
「余も知らない人間だった。名乗らなかった。ただ、田中に会いたいと言って来た」
「私に会いたい、ですか」
「そうだ。余が話を聞いたが、詳しくは言わなかった。ただ、一点だけ言った」
「なんですか」
「田中が元の世界に帰る方法を知っている、と」
田中は少し止まった。
「……元の世界に帰る方法」
「そう言っていた」
「その人物は今どこにいますか」
「城の客間に待たせてある。田中が会うかどうかは、田中が決めていい、と言って待っている」
「田中が決めていい、と言っているんですか」
「そうだ。強制ではない、とも言っていた」
田中はしばらど黙った。
レオンが横にいた。
レオンは何も言わなかった。
ただ、田中を見ていた。
「田中、どうする」
「会います」
「会うのか」
「話を聞かないと、判断できないので」
「そうか」
「ただ、まず一点確認させてください」
「なんだ」
「今日、山脈の問題が出ています。それへの対処が優先です。その後で、客に会います」
「順番をつけるのか」
「やることの優先順位です」
「そうだな。山脈が先だ」
「はい」
「ただし、客は待たせすぎると行ってしまうかもしれない」
「何時間待てますか」
「半日は待てると言っていた」
「わかりました。夕方までに会います」
午後、アレンが戻ってきた。
思ったより早い帰還だった。
「どうでしたか」
「タナカさん、見てください」
アレンが持ってきたものを見た。
羊皮紙に、何かが書いてあった。
絵だった。
アレンが描いた絵だった。
山脈の絵だった。
山脈の一部に、光が描かれていた。
「これは」
「山脈の東端です。今日、光が見えました。昼間なのに、青白い光が見えました。ミラ公王が言っていた、あの光です」
「昼間に見えるようになったんですね」
「そうです。以前は夜しか見えなかったと言っていました。昼間でも見えるようになったということは」
「強くなっているということですね」
「そうだと思います」
「光の大きさはどのくらいでしたか」
「遠くから見ても、はっきりわかる大きさです。山脈の中腹くらいの高さに、丸く光っていました」
「カラさんに知らせる必要があります」
「すでに連絡しました。ランセルにも伝えると言っていました」
「ありがとうございます。アレン、報告書を書いてもらえますか」
「はい。この絵も添付していいですか」
「ぜひ」
「わかりました。今日中に書きます」
アレンは行った。
レオンが言った。
「タナカ、タイムラインが本当に早まっています」
「そうですね」
「今年の冬、どころか、もっと早い可能性がありますか」
「あります」
「怖いですね」
「そうですね」
「ただ、やることがある」
「あります」
「先に、客に会いますか」
「アレンの報告書が出てから、シアとミラへの連絡をレオンにお願いして、その後で会います」
「わかりました。連絡は私がやります」
「ありがとうございます」
夕方。
田中は客間に向かった。
扉をノックした。
「どうぞ」
入った。
部屋に、一人の人物が座っていた。
年齢が読めなかった。
若くも老いてもなかった。
服装は、この世界の服装だったが、どこの国のものかわからなかった。
目が、静かだった。
「田中義則殿ですね」
「そうです。あなたは」
「名前は、今は言えません。ただ、田中殿のことは知っています」
「どこで知りましたか」
「色々なところで聞こえてきます。田中という人間が、この世界で動いていると」
「そうですか」
「座ってください」
田中は座った。
「元の世界に帰る方法を知っている、とのことでしたが」
「はい」
「どんな方法ですか」
「その前に、一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「田中殿は、帰りたいと思っていますか」
田中は少し止まった。
「……答えを求めていますか」
「求めています。ただ、急ぎではありません。考えて答えていただいて構いません」
田中はしばらど考えた。
「帰りたい気持ちがないとは言えません。元の世界に、やりかけのことがあります」
「やりかけのこと」
「引き継ぎメモを書いていなかった案件があります。部下が困っているかもしれません」
「それだけですか」
「……それだけかどうかは、わかりません」
「帰りたい理由が、それだけかどうかわからない、ということですか」
「そうです」
「この世界に、残りたい理由もあるということですか」
「あります」
「どんな理由ですか」
「やることがあります」
「この世界での、ですか」
「そうです」
「やることが終われば、帰りたいと思いますか」
「わかりません」
人物はしばらど田中を見た。
「正直な答えですね」
「嘘をついても仕方ないので」
「田中殿は、いつもそうですね」
「そうですか」
「聞いていた通りです」
「誰から聞いたんですか」
「色々な人から」
「この世界の人ですか」
「一部は。一部は、別の世界の人です」
「別の世界」
「田中殿が来た世界のことを、知っている人間がいます」
「元の世界を知っている人間が、この世界にいるんですか」
「います。ただ、今は詳しく話せません」
「なぜですか」
「田中殿が帰ると決めてから、話します。帰ると決める前に全部話すと、判断が偏るかもしれないので」
「判断が偏らないように、情報を出し惜しみしているんですか」
「そうです」
「それは、田中殿が言いそうな考え方ですね」
人物は少し笑った。
「そうかもしれません」
「帰る方法は、何ですか」
「一点だけ言います。北の問題が解決したとき、道が開く可能性があります」
「北の問題が解決したとき」
「そうです。向こうの世界との道が開くとき、田中殿が来た世界への道も、同時に開く可能性があります」
「向こうの道と、私が来た道は、繋がっているということですか」
「可能性として」
「確実ではないんですね」
「確実ではありません」
「可能性がある、ということだけですか」
「そうです」
田中はしばらど考えた。
「つまり、北の問題を解決することが、帰る方法にもなるということですか」
「そうです」
「北の問題を解決しなければ、帰れない可能性がある」
「そうです」
「逆に言えば、北の問題を解決しようとしている今の動きは、帰るための動きでもある」
「そうです」
「矛盾はないですね」
「そうです」
「なぜ、今教えてくれるんですか」
「田中殿がそろそろ知るべき時期だと思ったからです」
「時期を判断しているんですか」
「はい」
「誰が判断しているんですか」
「私が」
「あなたは、何者ですか」
「今は言えません。ただ、田中殿を騙すつもりはありません」
「それを信じる根拠はありますか」
「今日の話の内容を、判断材料にしてください」
田中はしばらど人物を見た。
「一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「私が帰らない選択をした場合、どうなりますか」
「帰れなくなるかもしれません」
「帰れなくなる」
「北の問題が解決したとき以外に、道が開く可能性は今のところ見つかっていません。そのときを逃すと、次がいつになるかわかりません」
「わかりました」
「田中殿、今日はここまでにしましょう」
「まだ話せますが」
「今日はここまでの方がいいです。田中殿には、今夜考える時間が必要だと思います」
「そうですか」
「明日、また話しましょう。まだここにいます」
「わかりました」
田中は立ち上がった。
「一点だけ」
「なんですか」
「この話を、王様に伝えていいですか」
「構いません。ただ、今夜は田中殿だけで考えてから、伝えてください」
「わかりました」
田中は部屋を出た。
廊下に、レオンが待っていた。
「タナカ、どうでしたか」
「少し、複雑な話でした」
「内容は」
「今夜、考えてから話します」
「わかりました」
「レオン、一つだけ」
「はい」
「今夜、一人でいていいですか」
「もちろんです。ただ、何かあれば呼んでください」
「呼びます」
「約束ですか」
「約束です」
レオンは頷いた。
田中は部屋に戻った。
窓を開けた。
北の空に、山脈が見えた。
大きかった。
今夜は、いつもより大きく見えた。
田中はしばらど山脈を見た。
元の世界。
この世界。
北の問題。
OLA。
帰る。
残る。
全部が、頭の中にあった。
田中はメモアプリを開いた。
ただ、今夜は何も書けなかった。
書こうとして、止まった。
珍しかった。
メモが書けない夜は、初めてだった。
田中は窓を閉めた。
ベッドに横になった。
目を閉じた。
眠れなかった。
初めて、眠れない夜だった。
次回「第六十五話 田中が、初めて迷った」へつづく




