第六十話 グレイドの話を聞いたら、予想より深かった
第六十話 グレイドの話を聞いたら、予想より深かった
前話までのあらすじ
魔王城に着き、シアとともにグレイドの部屋を訪ねた。
グレイドは「お前は何者だ」と聞いた。田中は「やることがあるので動き回っている」と答えた。
グレイドが「余の話を聞くと言ったなら、聞け」と言った。
田中が「聞かせてください」と言い、グレイドが話し始めた。
グレイドは話し始めた。
最初は、低く、ゆっくりとした声だった。
「余は、魔王軍に三十年いる」
「そうですか」
「三十年前、余が入ったとき、この軍はもっと強かった」
「どう強かったんですか」
「一枚岩だった。全員が同じ方向を向いていた。上が言ったことに全員が従った。今は、それがない」
「派閥がありますね」
「そうだ。今は幹部ごとに動いている。上が言っても、自分の派閥の都合で動く幹部が増えた」
「それは、いつ頃からですか」
「十年前くらいからだ。魔王が代替わりしてから、少しずつ変わった」
「今の魔王陛下の代になってから」
「そうだ。陛下が悪いわけではない。ただ、陛下はこの城を変えようとした。変えようとしたとき、古い人間は変化に抵抗する。その抵抗が、派閥になった」
「なるほど」
「余は、古い人間だ」
「そうですか」
「古い軍の在り方を知っている。一枚岩の時代を知っている。今の分裂した状態が、余には耐えられない」
「だから、停戦に反対しているんですか」
「停戦だけではない。田中、お前が来てから、この城がさらに変わろうとしている」
「そうですか」
「シアが動くようになった。魔王陛下が書類を自分で読むようになった。組織図が作られた。全部、今まであり得なかったことだ」
「それは、変化として悪いことではないと思いますが」
「変化が悪いとは言っていない」
「では、何が問題ですか」
「変化が早すぎる」
田中は少し止まった。
「早すぎる、ですか」
「そうだ。三十年かけて積み上がってきたものが、数ヶ月で変わっていく。余のような古い人間には、追いつけない」
「追いつけない、と思っているんですね」
「そうだ。余は、この城で何十年も働いてきた。その積み上げが、突然価値を失うような気がしている」
「価値を失う」
「田中が来る前、余は三番目に影響力のある幹部だった。今は、誰も余の意見を聞かなくなってきた。シアの方が、魔王陛下に近くなった」
「それが、嫌だということですか」
「嫌というより、怖い」
「怖い」
「余の価値がなくなっていく感覚がある」
田中は黙って聞いた。
グレイドが続けた。
「余はこの城のために働いてきた。そのつもりだった。ただ、余のやり方が時代遅れと言われるような変化が起きている。余が知っている魔王軍が、なくなっていくようだ」
「それは、辛いですね」
「……辛いという言葉を使うとは思わなかった」
「辛くないですか」
「辛い。ただ、そういうことを言う人間がいなかった」
「誰も聞かなかった、ということですか」
「そうだ。余が反対すると、全員が押さえようとする。理由を聞く人間がいなかった」
「今日は、聞きに来ました」
「そうだな」
「グレイド卿、一つだけ聞いていいですか」
「なんだ」
「グレイド卿が守りたいものは、何ですか」
「守りたいもの、か」
「停戦に反対している、変化に抵抗している。ただ、その先に、守りたいものがあるはずです」
グレイドはしばらど沈黙した。
「……この城だ」
「この城、ですか」
「この城が、余の全てだ。三十年間、ここで働いてきた。この城が続いてほしい。この城が、誰かに飲み込まれてほしくない」
「飲み込まれる、というのは、具体的に何ですか」
「この国に、だ。停戦が進めば、この国とさらに近くなる。近くなれば、この城の独立性が失われるかもしれない」
「なるほど」
「田中、お前はこの国の人間だ。この城をこの国の影響下に置きたいと思っているのではないか」
「思っていません」
「本当か」
「本当です。私はこの城を、この国の傘下に置くつもりはありません」
「なぜ信じられる」
「信じられるかどうかは、グレイド卿が判断することです。ただ、事実として、私がこの城でやってきたことを振り返れば、わかると思います」
「何をやってきたんだ」
「食料の管理を直しました。組織図を作りました。シアさんが話しやすくなる環境を作りました。全部、この城が自立して動けるための仕組みです。この城をこの国に依存させるためではありません」
「この城が自立して動ける」
「そうです。誰かに依存しない城を作ることが、この城を守ることだと思っています」
「……それは、余が求めていたことと同じだ」
「そうですか」
「余は、この城が一枚岩で動くことを求めていた。田中が言う自立した城も、同じことだ」
「目指すものは同じかもしれません。ただ、方法が違った」
「方法が違った、か」
「余は、過去に戻ることで城を守ろうとしていた。田中は、新しい仕組みで守ろうとしている」
「そうですね」
「どちらが正しいかは、わからない」
「どちらも、城を守ろうとしていた」
「そうだ」
グレイドはしばらど黙った。
「田中、一つだけ聞いていいか」
「どうぞ」
「余のような古い人間は、これからどうすればいい」
田中は少し考えた。
「グレイド卿の三十年の経験は、誰にも持てないものです」
「それが、今の城で価値があるかどうかはわからない」
「価値があります」
「なぜだ」
「この城が変わっていくとき、三十年の積み上げを知っている人間がいないと、何を守るべきで何を変えるべきかがわからなくなります。グレイド卿がいることで、変えてはいけないものが見える」
「変えてはいけないもの」
「そうです。全部を変えればいいわけではありません。守るべきものを守りながら、変えるべきものを変える。グレイド卿の役割は、守るべきものを示すことだと思います」
「……それは、余が求めていた役割だ」
「そうですね」
「ただ、誰もそう言ってくれなかった」
「シアさんも、魔王陛下も、そう思っているかもしれません。ただ、言わなかった」
「なぜ言わなかったんだ」
「変化を急ぐ中で、グレイド卿が反対しているように見えたからだと思います。反対している人間に、あなたの役割はこれだ、と言うのは難しい」
「余が、聞く耳を持っていなかったからかもしれない」
「そうかもしれません。ただ、今日は話してくれました」
「田中が来たからだ」
「そうですか」
「お前は、聞きに来た。余は、誰かに聞いてほしかった。それだけだ」
田中は少し考えた。
「グレイド卿、一つお願いがあります」
「なんだ」
「シアさんと話してもらえますか」
「シアと」
「そうです。今日余が聞いたことを、シアさんにも話してほしいです」
「シアには、余の考えを否定されてきた」
「それは、お互いに話が通じていなかったからだと思います。今日グレイド卿が話してくれたことは、シアさんにも伝わると思います」
「そうか」
「シアさんも、この城を守りたいと思っています。同じものを守りたい人間が、話せていなかっただけです」
「……そうかもしれない」
「話してみてください」
「わかった」
グレイドは少し間を置いた。
「田中、余はお前のことを警戒していた」
「知っています」
「今も、全部を信用したわけではない」
「それで構いません」
「ただ、話は聞いた」
「ありがとうございます」
「礼を言われるとは思わなかった」
「聞いてくれたことへの礼です」
「余が話したかっただけだ」
「それでも」
グレイドは少し黙った。
「田中、お前は何者なんだ」
「補佐官です」
「どちらの補佐官だ」
「やることがある方向の補佐官です」
「どちらの国でもない、ということか」
「そうかもしれません」
「それで動けるのか」
「動けています」
「不思議な人間だ」
「よく言われます」
「何回目だ」
「数えていません」
グレイドは短く笑った。
初めて笑った。
シアが横で少し目を丸くしていた。
「グレイドが笑いました」とシアが小声で言った。
「そうですね」と田中が小声で返した。
「珍しいです」
「そうですか」
「グレイドが笑ったのを、見たことがないかもしれません」
「それは大げさでは」
「大げさではないかもしれません」
グレイドの部屋を出た後、廊下でシアが言った。
「田中、今日はありがとうございました」
「グレイド卿が話してくれたからです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
「田中、グレイドが笑いましたよ」
「そうですね」
「あの人が笑うのを見たのは、本当に初めてかもしれません」
「そうですか」
「田中が来たからです」
「聞いたからだと思います。グレイド卿は、聞いてほしかった」
「誰も聞かなかった」
「聞こうとしなかったのかもしれません。反対している人間の話は、聞きにくいので」
「そうですね。私も、聞けていなかった」
「シアさんも、忙しかったと思います」
「言い訳になりますが」
「言い訳ではないです。動き続けていた。ただ、グレイド卿の話を聞く時間がなかった」
「田中が来て、聞いてくれた」
「来たことが、結果として良かっただけです」
「また同じことを」
「事実なので」
「わかりました」
シアはしばらど歩いた。
「田中、グレイドはシアと話してくれると思いますか」
「話してくれると思います。今日、話すことで何かが変わった気がしているはずです」
「そうだといいですね」
「シアさん、一つだけ」
「はい」
「グレイド卿が言っていた、変えてはいけないものを守る役割。それを、シアさんからグレイド卿に伝えてもらえますか」
「田中が言っていたことを、私が言う、ということですか」
「私が言うより、シアさんが言う方が届くと思います。城の中での話ですから」
「……わかりました。話してみます」
「ありがとうございます」
「田中こそ、ありがとうございます」
「シアさんが一人で動いていたから、今日が動けました」
「また同じことを言う」
「事実なので」
二人で少し笑った。
夜、田中は魔王に報告した。
「グレイドと話しました」
「どうだった」
「話してくれました」
「グレイドが、田中に話したのか」
「はい。聞きに来た人間がいなかっただけで、話したかったんだと思います」
「そうか」
「グレイド卿が守りたいのは、この城です。同じものをみんなが守りたいと思っています。ただ、方法が違った」
「方法が違った、か」
「はい。グレイド卿の三十年の経験は、変えてはいけないものを示す役割があると話しました」
「余も、そう思っていた」
「そうですか」
「グレイドは古い人間だが、この城を誰よりも知っている。何を守るべきかは、グレイドが一番わかっている。ただ、それをうまく使えていなかった」
「そうですね」
「田中が言ってくれたか」
「はい」
「余が言うべきだったな」
「陛下が言えばよかった、というより、グレイド卿が聞ける状態になっていなかったと思います。今日、少し聞ける状態になりました」
「田中が来てくれたから」
「グレイド卿が話してくれたからです」
「また同じことを言う」
「事実なので」
魔王は低く笑った。
「田中、明日、グレイドと話す時間を作る」
「よろしくお願いします」
「お前に言われなくても、やる」
「そうですね」
「お前が来なければ、先延ばしにしていたかもしれないが」
「そうかもしれません」
「来てくれてよかった」
「来て良かったです」
「また来い」
「来ます」
「約束か」
「約束です」
「何回目かわからないが」
「わかりません」
「毎回、本気で言っている」
「わかっています」
田中は頭を下げた。
部屋を出た。
田中はメモアプリを開いた。
【グレイドとの対話・まとめ】
・グレイドの懸念:変化が早すぎる。自分の価値がなくなる感覚。この城が飲み込まれることへの恐れ。
・グレイドが守りたいもの:この城。三十年の積み上げ。
・提案:変えてはいけないものを守る役割。グレイドの経験を活かす。
・次のアクション:シアがグレイドに役割を伝える。魔王陛下がグレイドと話す。
最後に一行書き足した。
・グレイドが笑った。それだけで、今日来た意味があった。
次回「第六十一話 内乱が起きた」へつづく




