第五話 予算が足りない、どこの世界も同じだ
第五話 予算が足りない、どこの世界も同じだ
前話までのあらすじ
城勤め初日、田中はさっそく王様に業務範囲・報告ルール・肩書きの確認を取り、「補佐官」として正式に城に籍を置くことになった。
午後には貴族のガルドが現れ、素性不明の田中を城に置くことへの不満をぶつけてきたが、田中は「おっしゃる通りです」と受け流し、まったく動じなかった。
夕方には図書室への立ち入り許可を取り付け、地図や資料を読み込みながら国の全体像を把握し始める。
やることリストは今日も増えた。異世界に来ても、それだけはいつもと同じだった。
十三日目。
朝、レオンが田中の部屋に飛び込んできた。
息が上がっていた。
「タナカ、大変だ」
「おはようございます」
「おはようじゃなくて。今日、貴族会議がある」
「貴族会議」
「陛下が、軍の増強のための予算を貴族たちに諮る会議だ。毎年やっているが、毎年もめる」
「なるほど」
「タナカにも出席するよう、陛下から言伝がある」
田中はメモアプリを開いた。
「会議の開始時刻は」
「昼過ぎ」
「事前資料はありますか」
「じ、事前……?」
「会議の前に配る資料です。議題、現状の数字、論点など」
レオンは首を傾げた。
「そういうものは……特にないと思う」
田中は少し考えてから、立ち上がった。
「レオン、今から図書室に行きます。付き合ってもらえますか」
「え、今から? 会議まで時間が」
「だから今から行くんです」
図書室で二時間、田中は資料を漁った。
レオンが読み上げ、田中がメモを取る。
国の税収の記録。過去三年分の軍事費。魔王軍との交戦記録。貴族ごとの領地と石高に近い情報。
全部、バラバラに棚に収まっていた。
「なんで整理されてないんですか、これ」
「整理……したことがないからじゃないか」
「誰も数字をまとめて見たことがないということですか」
「たぶん」
田中は手を止めた。
十五年間、似たような状況を何度も見てきた。情報はあるのに、誰も繋げていない。繋げないから判断できない。判断できないから感情で動く。感情で動くからもめる。
どこの世界も同じだ。
「レオン、羊皮紙と羽ペン、多めに持ってきてもらえますか」
「何をするんだ」
「まとめます」
会議室は、謁見の間より少し小さかった。
長いテーブルを囲むように、十人ほどの貴族が座っていた。全員が田中を見た。田中はその視線を受けながら、手に持った羊皮紙の束を確認した。
王様が上座に座っている。
田中は王様の斜め後ろ、少し引いた位置に立った。
会議が始まった。
王様が口を開いた。要約すると「魔王軍が北に迫っている。兵を増やすために予算が必要だ。各貴族に拠出をお願いしたい」という内容だった。
貴族たちがざわついた。
一人が立ち上がった。先日の、ガルドだった。
「陛下、毎年同じことをおっしゃる。しかし毎年、魔王軍は攻めてきておりません。本当に今年は違うのですか」
他の貴族たちが頷いた。
王様が何かを言おうとした。
田中は一歩前に出た。
全員が田中を見た。
「少し、よろしいですか」
レオンが隣で小声に訳してくれているが、田中は自分で話した。言語習得から十日、簡単な会議なら自力でなんとかなるレベルには来ていた。
ガルドが眉をひそめた。
「補佐官とやら、発言は——」
「ガルド卿、二分だけください」
田中は羊皮紙をテーブルに広げた。
図書室で作ってきた、数字をまとめた一枚だった。
「過去五年間の、魔王軍の動きと、この国の軍事費の推移です」
貴族たちが首を伸ばして見た。
「五年前、魔王軍は国境から五十リーグの地点まで来ました。その年、軍事費は通常の一・五倍でした」
田中は棒で地図上の該当箇所を示しながら言った。
「四年前、三十リーグ。三年前、二十リーグ。去年、十二リーグ」
室内が静かになった。
「毎年、距離が縮まっています。攻めてきていないのではなく、少しずつ近づいています」
ガルドが言った。
「それは……知っている」
「では、このペースで来年はどこまで来るか、計算したことはありますか」
ガルドは黙った。
「単純な外挿ですが、来年は五〜八リーグまで来る可能性があります。国境の砦までの距離は三リーグです」
貴族の一人が、何かを言った。
「砦が抜かれたら」
「王都まで平地が続きます。地形的な防衛拠点は、砦の他にありません」
また静かになった。
田中は続けた。
「今年の軍事費の見積もりを出しました。こちらです」
もう一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
「兵の増員に必要な費用、装備の調達費、食料と輸送のコスト、砦の補強費用。合計でこの数字になります」
貴族たちが数字を見た。
ガルドが言った。
「これを、我々で分担しろということか」
「各領地の石高に応じた比率で割り振ると、一領地あたりこの程度になります」
田中は別の羊皮紙を広げた。貴族ごとの試算を書いたものだ。
ガルドが自分の名前の横の数字を見た。
「……思ったより少ない」
「全員で出せば、一領地の負担は抑えられます。逆に、出し渋る領地が増えると、出した領地の負担が増えます」
貴族たちが顔を見合わせた。
田中は一歩引いた。
「数字の前提に間違いがあれば、指摘してください。修正します」
室内が、しばらくざわついた。
王様が田中を見ていた。
何も言っていなかったが、目が「お前、何者だ」と言っていた。
田中は軽く頭を下げた。
会議は二時間かかった。
全員が賛成したわけではなかった。ガルドは最後まで渋い顔をしていた。ただ、会議の終わりには、三分の二の貴族が予算拠出に合意した。
例年は全員が反対して何も決まらないまま終わる、とレオンが後で教えてくれた。
「タナカ、すごかった」
「数字を並べただけですよ」
「でもあの資料、今朝作ったんだろう。二時間で」
「情報はあったので。整理しただけです」
レオンは首を振った。
「城に来て十三日の人間が、この国の予算会議で発言するとは思わなかった」
「私もそう思います」
田中は正直に言った。
なんでこうなっているのか、自分でもよくわからない。ただ、目の前に「誰も整理していないが整理すれば解決する問題」があったので、整理した。それだけだ。
いつもと同じだ。
夕方、王様に呼ばれた。
今日は居酒屋ではなく、執務室だった。
王様は椅子に座ったまま、田中を見た。
「今日の会議、よくやった」
「ありがとうございます」
「あの資料、どこで手に入れた」
「図書室です。ただバラバラに置いてあったので、まとめました」
王様は少し間を置いた。
「……あの図書室に、あんな情報があったのか」
「はい」
「余も知らなかった」
「誰も整理していなかったので、見えていなかっただけだと思います」
王様はため息をついた。
「情けない話だ」
「情報が散らかっているのは、よくあることです。整理する人間がいなかっただけです」
「お前は……本当に不思議な人間だ」
「三回目ですね」
「数えていたのか」
「一応」
王様は低く笑った。
田中はメモに書き足した。
・王様:笑うポイントが少しずつわかってきた。
部屋に戻った後、田中は今日の会議のメモを整理した。
【貴族会議・結果まとめ】
・予算拠出の合意:十人中七人
・未合意:ガルド含む三名
・ガルドの懸念:費用対効果の不透明感、前例への疑義
・次のアクション:未合意三名への個別フォロー要
・課題:軍の現状戦力が不明。予算を確保しても、使い方が非効率では意味がない。次は軍の実態把握が必要。
田中はメモを見ながら、一つため息をついた。
予算が通った、ではなく、次の課題が見えた、という感覚だった。
ゴールが見えると、次の問題が見える。次の問題が見えると、またやることリストが増える。
どこの世界も、同じだった。
田中はスマートフォンを充電しながら——充電器が使えるかどうか不安だったが、城の燭台の近くに置いておいたら、なぜかバッテリーが回復していた。魔法か何かが干渉しているらしかった——メモアプリを閉じた。
窓の外に、夜空が広がっていた。
星が、やたらと多かった。
光害がない世界の空は、こんなに星があるのか、と田中は思った。
それから、会社のビルの窓から見えた、オレンジ色に濁った空のことを、少しだけ思い出した。
感傷ではなかった。
ただ、思い出しただけだ。
田中は窓を閉めて、ベッドに横になった。
明日もやることがある。
それだけで、十分だった。
次回「第六話 勇者と申します、よろしくお願いします」へつづく




