第四話 業務範囲を明確にしたい
第四話 業務範囲を明確にしたい
前話までのあらすじ
会社のエレベーターから異世界に飛ばされた42歳の係長・田中義則。
草原で目覚め、頬をつねって現実を確認し、財布の中身が見知らぬ通貨に替わっているのに気づきながらも、とりあえず腹ごしらえのために居酒屋へ。
その後、騎士に連行されて王城へ。
通訳係の青年レオンと共に言語を猛スピードで習得しながら、夜の居酒屋で王様と二度にわたって飲み、愚痴に付き合ううちになぜか信頼を得てしまう。
「明日から城で働け」という王様の言葉に、田中は「命令ですか、依頼ですか」と確認し、条件交渉の末に就労を承諾。
異世界に来ても、やることリストは積み上がるばかりだった。
九日目の朝。
田中は城の廊下を歩きながら、今日やることを整理していた。
一、業務範囲の確認。
二、現状把握のための情報収集。
三、レオンとの言語学習の継続。
優先順位は一番だ。業務範囲が曖昧なまま動くと、後で全部自分に降ってくる。これは十五年の経験が証明している。
謁見の間に通された。
王様はすでに椅子に座っていた。側近らしき人間が数人、壁際に並んでいる。全員が田中を見た。
田中は部屋の中央に立ち、頭を下げた。
「おはようございます」
王様は軽く手を振った。座れ、という意味らしかった。
田中は王様の斜め前の椅子に座った。
側近の一人が、何かを言った。
田中が拾えた単語は「こいつ」「何者」「信用」あたりだった。
王様が何かを返した。
側近は押し黙った。
田中はメモアプリを開いた。
「陛下、一点確認させてください」
王様は田中を見た。
「昨夜、『話し相手』という形で働くことになりましたが、具体的に何をすればいいか、確認させてもらえますか」
王様は少し考えてから言った。
「余が聞く。お前が答える。それだけだ」
「なるほど」
田中はメモに書いた。
・業務内容:王様の相談役(諮問対応)
・指揮命令系統:王様直属
「次に、報告のルールを決めさせてください」
「報告のルール?」
「私が何かを調べたり、動いたりした場合、誰に、どのタイミングで報告すればいいか、です」
王様は眉を上げた。
側近の一人が、また何かを言った。口調から察するに「こんなことを王に聞く人間がいるか」という感じだった。
田中は側近を一瞥してから、王様に視線を戻した。
「決めておかないと、後で混乱します」
王様はしばらく田中を見てから、言った。
「……余に直接報告しろ。他の者を通さなくていい」
「わかりました」
田中はメモに書いた。
・報告先:王様直属(中抜き不要)
「最後に一点」
「まだあるのか」
「私の立場を、他の方にどう説明すればいいですか。『話し相手』では、城の中で動きにくい場面が出てくると思います」
王様は少し考えた。
側近たちが顔を見合わせた。
王様が口を開いた。
「……補佐官、でいいだろう」
「補佐官」
「余の補佐をする者、ということだ」
「肩書きとして使っていいですか」
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
田中はメモに書いた。
・肩書き:補佐官
そこで一度ペンを止めて、書き足した。
・懸念:補佐官の権限範囲が未定義。追って確認要。
午前中は、レオンとの言語学習に充てた。
田中のメモを元に、文法の確認と会話練習を繰り返した。
十日目には、簡単な交渉ができるレベルになっていた。レオンは毎回、田中の習得速度に驚いた顔をしたが、田中にしてみれば、新しい業務の立ち上げに比べれば言語習得はシンプルだった。単語と規則を覚えれば、あとは場数だ。
お昼過ぎ、レオンが言った。
「タナカ、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「なぜそんなに落ち着いているんだ。異世界に来て、言葉も通じない場所で」
田中は少し考えた。
「パニックになっても、状況は変わらないので」
「でも、怖くないのか」
「怖いかどうかより、やることがあるので」
レオンは首を傾げた。
「元の世界でも、そうだったのか」
「まあ、そうですね」
田中は答えながら、思い出した。
十五年前、初めて担当案件を丸投げされた夜。二十年先の未来が灰色に見えた夜。妻に「あなた、最近ちゃんと話してる?」と言われた夜。
怖かったかどうかは、あまり覚えていない。
ただ、翌朝になれば出社して、やることリストを開いていた。
「習慣みたいなものですかね」
田中は言った。
レオンはしばらく田中を見てから、小さく言った。
「……大変だったんだな」
田中は少し驚いた。
慰められるとは思っていなかった。
「まあ、普通ですよ」
田中は言って、メモアプリに視線を戻した。
午後、王様に呼ばれた。
謁見の間には、今度は見慣れない人物がいた。
四十代くらいの男で、豪華な服を着て、腕を組んで立っていた。田中を見る目が、明らかに品定めをしていた。
王様が紹介した。
田中が拾えた単語から推測すると、どうやら貴族の一人らしかった。名前はガルドという。
ガルドは田中を見て、何かを言った。
レオンが小声で訳してくれた。
「『この者が補佐官とは。出自も素性もわからぬ人間を側に置くとは正気か』と言っています」
「なるほど」
田中は頷いた。
ガルドが続けた。レオンが訳す。
「『異国の間者かもしれない。調べるまでは城の重要な場所に立ち入らせるべきではない』」
「ご意見はわかりました」
田中はガルドに向かって、はっきり言った。
「ご懸念はもっともです」
ガルドは少し意表を突かれた顔をした。
「私の素性が不明なのは事実です。信用していただけないのも当然だと思います」
レオンが訳しながら、小声で「大丈夫ですか」と言った。
田中は構わず続けた。
「ただ、私は今のところ、陛下に頼まれたことしかしていません。それ以上のことをするつもりもありません。もし越権行為があれば、その時点でご指摘ください」
ガルドは黙った。
王様が何かを言った。
レオンが訳す。
「『ガルド、この者は余が認めた。それで十分だろう』」
ガルドはしばらく王様を見てから、田中を見て、鼻を鳴らして部屋を出た。
扉が閉まった。
田中はメモに書いた。
・ガルド(貴族):警戒中。敵対まではしていないが、監視はされる可能性あり。要注意人物リストに追加。
王様が田中を見て、言った。
「怒らなかったな」
「怒る理由がないので」
「普通は、ああいう言い方をされたら気分を害するものだ」
「言っていることは正しいので。私は実際、素性がわからない人間です」
王様は少しの間、田中を見つめた。
「……変わった人間だ」
「よく言われます」
「今日で二回目だぞ」
「二回目ですね」
王様は低く笑った。
田中は笑わなかったが、悪い気はしなかった。
夕方、田中は城の図書室に通してもらった。
言語習得のために資料が欲しいとレオンに頼んだら、図書室への立ち入り許可を取ってくれた。
棚に並んだ羊皮紙と本を眺めながら、田中は思った。
情報が、ここにある。
この国の歴史、地理、貴族の家系、魔王軍との過去の戦争。全部ここに眠っているはずだ。
言語が読めるようになれば、全部インプットできる。
田中は一番薄そうな本を取り出して、ページを開いた。
単語はまだ半分もわからなかったが、地図のページがあった。
この国の形が、初めて目で見えた。
北に山脈。その向こうが魔王領。南に海。東西に他国との国境。王都は中央より少し南。
田中はスマートフォンのカメラを起動して、地図を撮影した。
それからメモアプリに書き込んだ。
【この国について・現時点での把握】
・国名:不明(要確認)
・地形:北に山脈、南に海、東西に隣国
・脅威:北の山脈越しに魔王軍
・王都の位置:国土中央南寄り
・未確認事項:人口、軍の規模、国家予算、貴族の数と勢力図
・優先確認事項:予算と兵力。これがわからないと何も試算できない。
田中は本を棚に戻し、次の本を取った。
やることが、また増えた。
いつもと同じだ、と田中は思いながら、ページをめくった。
次回「第五話 予算が足りない、どこの世界も同じだ」へつづく




