第四十六話 会談前夜、田中が一人でメモを整理する
第四十六話 会談前夜、田中が一人でメモを整理する
前話までのあらすじ
アレンと中庭で話した。「何も起きないことが成功」という役割の難しさをアレンが正直に話し、田中が「心理的な安全感」として説明した。
アレンが「会談、うまくいきますよ」と言った。根拠はなかったが、ありがたかった。
会談まであと十日。空を見る時間があった。悪くなかった。
会談の前日。
田中は夕食を早めに済ませた。
部屋に戻った。
鞄の中身を確認した。
資料一式。三国の情報をまとめた一枚。停戦の経緯をまとめた一枚。北の問題の概要。議事録用の白紙五枚。
五枚では足りないかもしれないと思って、三枚追加した。
羽ペンを二本確認した。
インクを確認した。
スマートフォンを確認した。充電済み。圏外のまま。
財布を確認した。
全部、揃っていた。
田中は鞄を閉じた。
椅子に座った。
メモアプリを開いた。
今日は、整理をしようと思った。
この三ヶ月で起きたことを、一度、頭の中で並べ直す。
明日に向けて。
田中はメモを開いた。
一番古いメモから読み直した。
【異世界到着〜現在まで】という最初のメモ。
草原で目を覚ました日に書いた。
「場所:不明。草原。ビルなし、道路なし、自動販売機なし」
田中は少し笑った。
自動販売機がないことを書いていた。
次のメモ。
居酒屋で食事をした日。財布の中身が変わっていた日。
次。
騎士に連行された日。
次。
レオンと言語を覚え始めた日。
次。
王様と居酒屋で初めて話した日。
「王様:泣き上戸の可能性あり。要注意」
また笑った。
次。
貴族会議の日。
アレンが来た日。
ロイドと十五分で打ち合わせが終わった日。
魔王軍から手紙が来た日。
シアと初めて会った日。
魔王城に行った日。
北の話を聞いた日。
帰国した日。
王様が城門で待っていた日。
停戦が成立した日。
食料交易の第一回。
シアが城に来た日。
王様とシアが愚痴を言い合った日。
ガルドがシアに詰め寄った日。
アレンが山脈で生き物を見た日。
ランセルから返事が来た日。
ミラ公王が城に来た日。
そして、今日。
会談の前日。
田中はメモを閉じた。
三ヶ月分のメモだった。
たくさんあった。
ただ、全部、繋がっていた。
最初の日に草原で目を覚ましたとき、田中には何もなかった。
やることリストも、仲間も、手がかりも、何もなかった。
今は、これだけある。
資料がある。
仲間がいる。
三国が同じ方向を向こうとしている。
田中は窓を開けた。
夜風が入ってきた。
星が多かった。
北の空に、山脈が見えた。
大きかった。
ただ、今夜は、向こう側に何があるかを知っている。
知っている、ということは、向き合えるということだ。
ノックがあった。
「どうぞ」
レオンだった。
「タナカ、まだ起きていましたか」
「はい。明日の準備をしていました」
「準備はできましたか」
「できたと思います」
レオンは少し驚いた顔をした。
「『できたと思います』、ですか」
「はい」
「タナカが、準備ができた、と言うのは初めて聞いた気がします」
「そうですか」
「いつも、まだやることがある、という感じです」
「今夜は、できた気がします」
レオンはしばらど田中を見た。
「何が違うんですか、今夜は」
「わかりません。ただ、三ヶ月分のメモを読み直したら、全部繋がっていた気がして」
「全部繋がっていた」
「最初の日から、今日まで。全部、一本の線になっていた気がしました」
「そうか」
「はい」
レオンは部屋に入ってきた。
窓の外を見た。
「タナカ、星が多いですね」
「そうですね」
「明日、晴れるといいですね」
「晴れるといいですね」
「会談日和です」
「そうですね」
レオンはしばらど窓の外を見た。
「タナカ、一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「明日、うまくいかないことがあっても、大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「本当に?」
「本当に。うまくいかないことがあっても、やることがあります」
「それが答えですか」
「それが答えです」
「タナカらしいですね」
「そうですか」
「うまくいくといいですね」
「そうですね」
「うまくいかなくても、タナカはやることを見つけます」
「見つけます」
「それがタナカの強さです」
「そうかもしれません」
レオンは窓から田中に向いた。
「タナカ、今夜は早く眠ってください」
「はい」
「明日は早いです」
「わかっています」
「約束ですか」
「約束です」
「良かったです」
レオンは扉に向かった。
「レオン」
「はい」
「明日、よろしくお願いします」
「もちろんです。ずっと隣にいます」
「ありがとうございます」
「珍しくすぐ礼を言いましたね」
「大事なことを言ってもらったので」
「明日も、ずっと隣にいます。だから、安心して眠ってください」
レオンは扉を閉めた。
田中は一人になった。
窓から、星が見えた。
田中はメモアプリを開いた。
最後に一行だけ書いた。
・明日、よろしくお願いします。
書いた相手は、誰でもなかった。
自分自身に、書いた気がした。
田中はメモを閉じた。
ベッドに横になった。
目を閉じた。
三ヶ月前、草原で目を覚ましたとき、田中には何もなかった。
今夜は、隣の部屋にレオンがいる。
城にはアレンがいる。
ロイドがいる。
ガルドがいる。
王様がいる。
明日、山の中腹にはシアが来る。
ミラが来る。
魔王が来る。
田中は一人ではなかった。
それだけで、眠れる気がした。
田中は、すぐに眠れた。
翌朝。
夜明け前に目が覚めた。
いつもより少し早かった。
ただ、焦りはなかった。
田中は天井を見た。
石造りの天井。
この国の城の天井。
帰る場所の天井だ。
田中は起き上がった。
着替えた。
鞄を持った。
部屋を出た。
廊下を歩いた。
食堂に行くと、レオンが先に来ていた。
「おはようございます、タナカ」
「おはようございます」
「よく眠れましたか」
「眠れました」
「良かったです」
「レオンは眠れましたか」
「少し緊張していましたが、眠れました」
「そうですか」
二人でパンとスープを食べた。
塩気が強くて、草の風味がした。
いつもの朝の味だった。
アレンも来た。
「タナカさん、今日ですね」
「今日です」
「うまくいきますよ」
「昨日も言っていましたね」
「今日も言います」
「ありがとうございます」
「根拠はないですが」
「わかっています」
ロイドも食堂に顔を出した。
「田中、準備はいいか」
「はい」
「道中は護衛をつける」
「ありがとうございます」
「何かあれば合図を出せ」
「わかっています」
「くれぐれも無理をするな」
「わかっています」
「約束しろ」
「約束します」
ロイドは短く頷いた。
王様が来た。
全員が王様を見た。
王様は田中を見た。
「田中」
「はい」
「今日は頼む」
「かしこまりました」
「うまくいくといいな」
「うまくいくようにします」
「お前がそう言うなら、なんとかなる」
「なんとかします」
王様は少し笑った。
田中も、少し笑った。
食堂に、朝の光が差し込んできた。
今日は晴れだった。
会談日和だった。
田中は鞄を持って、立ち上がった。
次回「第四十七話 三者が同じ場所に向かう朝」へつづく




