第三十八話 田中が次の扉の前に立つ
第三十八話 田中が次の扉の前に立つ
前話までのあらすじ
アレンが山脈で向こうの生き物を目視した。人の三倍の大きさ、四本足、岩の色の皮膚。攻撃してこなかった。観察して、立ち去った。
田中はその夜、緊急会議を開いた。王様、ロイド、アレン、レオンが落ち着いて動いた。
「北の問題が、また一段階現実になった。ただ、皆が落ち着いて動いた。それが、この一ヶ月の積み上げだと思う」とメモに書いた。
第二章、最終話。
アレンが生き物を目視してから、三日後。
シアからの返事が来た。
内容は二点だった。
一点目。山脈の音の変化と、生き物の目視情報を魔王に報告した。魔王は「予想より早い」と言った。
二点目。ランセル公国のミラ公王も、同時期に山脈近くで似たような生き物の気配を感知していた。
田中はメモに書いた。
・三方向で同時期に異変確認:この国(アレンの目視)、魔王城(音の変化)、ランセル(気配)。
・タイムライン:「予想より早い」という魔王の発言。三〜五年が、縮まっている可能性。
田中はメモを見た。
やることが、また増えた。
ただ、今回は少し違う感覚があった。
一人で抱えていない。
シアがいる。ランセルのミラがいる。魔王がいる。
この国には、王様、ロイド、アレン、レオン、ガルドがいる。
一人で抱えていた問題が、少しずつ、分けられてきた。
田中はメモを閉じた。
王様に報告しないといけない。
謁見の間に行くと、王様は珍しく立って窓の外を見ていた。
「陛下」
「田中か。シアからの返事が来たのか」
「はい」
田中は報告した。
三方向での同時確認。魔王の「予想より早い」という発言。
王様は黙って聞いた。
「タイムラインが縮まっているかもしれない」
「可能性があります」
「では、周辺国への働きかけを急ぐ必要がある」
「はい。ランセルとの次回面会を早める方向で連絡します。また、魔王陛下との直接会談を、そろそろ設定した方がいいと思います」
王様は少し止まった。
「魔王と、直接か」
「はい。タイムラインが縮まるなら、二国間の調整を早く終わらせて、周辺国を巻き込む段階に進む必要があります。そのためには、陛下と魔王陛下が直接話しておく方がいいです」
「場所はどうする」
「中立地点を探します。シアと相談します」
「お前が段取りするのか」
「します」
「そうか」
王様はしばらど窓の外を見た。
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「この先、どうなると思うか」
田中は少し考えた。
「わかりません」
「わからないか」
「わからないことの方が多いです。ただ、やることは見えています」
「やることが見えていれば、動ける」
「はい」
「お前の言葉を、余も使えるようになったな」
「そうですか」
「怖くても、やることがある。やることが見えていれば、動ける。お前が来てから、余はそういう言い方をするようになった」
「陛下が、そういう考え方をするようになったんだと思います」
「お前から学んだ」
「陛下が学んだのだと思います」
「また同じことを言う」
「事実なので」
王様は低く笑った。
「まあ、いい」
王様は振り返った。
「田中、一つ頼みがある」
「はい」
「魔王との直接会談、段取りを頼む。ただし」
「ただし?」
「お前も同席しろ。最初の十分が肝心だと言っていた。段取りだけでなく、その場にもいてくれ」
「わかりました」
「頼む」
「かしこまりました」
その日の夕方、田中は図書室に一人でいた。
北の問題に関する資料を整理していた。
これまで集めた情報を、一枚の羊皮紙にまとめる作業だ。
第一章でやったことと同じだった。
ただ、今回は情報の規模が違った。
一国の問題ではなく、複数国にまたがる問題だった。
田中は書きながら、少し考えた。
この二ヶ月で、何が変わったか。
一ヶ月目。草原で目を覚ました。居酒屋で王様に会った。城に来た。言語を覚えた。貴族会議で資料を出した。アレンに報告書の書き方を教えた。ロイドと連携した。魔王軍から手紙が来た。交渉に行った。
二ヶ月目。魔王城に行った。シアと話した。魔王と話した。北の問題を知った。帰ってきた。停戦の実績を作った。貴族説明会をした。食料交易をした。月次情報交換を始めた。北の足跡を確認した。ランセルと連絡を取った。レオンが言語を覚えた。魔王の二回目の面会をした。シアがこの国に来た。王様とシアが話した。ガルドがシアに詰め寄った。アレンが生き物を見た。
書き出してみると、多かった。
一人でやったことではなかった。
全員がいたからできた。
田中は羊皮紙をテーブルに広げた。
北の問題の現状まとめ。関係する国と人物。やること一覧。わかっていること、わかっていないこと。
書き終えた。
一枚に収まった。
田中はその一枚を見た。
問題は大きい。
やることも多い。
ただ、一人ではない。
翌朝。
田中は王様に呼ばれた。
謁見の間に行くと、王様だけでなく、ロイド、アレン、レオン、そしてガルドもいた。
全員が集まっていた。
田中は少し驚いた。
「どうしましたか」
王様が言った。
「全員で話をしたかった」
「全員で、ですか」
「そうだ。田中が来てから二ヶ月、皆がそれぞれ動いてきた。一度、全員で現状を確認したい」
田中は頷いた。
「わかりました」
「まず、田中から現状をまとめてくれ」
「はい」
田中は昨夜まとめた羊皮紙を取り出した。
全員に見せながら、説明した。
停戦の状況。食料交易の進捗。情報共有ルート。北の問題の現状。三方向での異変確認。タイムラインの短縮の可能性。次のアクション。
全員が黙って聞いた。
説明が終わった。
しばらく静かだった。
ガルドが口を開いた。
「田中、一つ確認させてくれ」
「はい」
「次のアクションとして、王と魔王の直接会談を設定する、とあった」
「はい」
「それは、いつ頃を想定しているか」
「来月中には設定したいと思っています」
「来月か」
「タイムラインが縮まっているなら、早めに動く方がいいです」
「わかった。貴族への説明は、田中がするのか」
「ガルド卿にも一緒に説明していただけると、伝わりやすいと思います」
ガルドは少し考えた。
「……わかった。一緒にやる」
「ありがとうございます」
ロイドが言った。
「軍の準備については、余が動く。東街道の増員は継続する。山脈近くへの定期偵察も続ける」
「よろしくお願いします」
アレンが言った。
「俺は、村の巡回を続けます。あと、また山脈に行きます」
「次に遭遇した場合は、同じように観察して報告してください」
「はい。もし向こうが近づいてきたら、どうしますか」
「逃げてください」
「逃げる、ですか」
「今は情報が最優先です。アレンさんに何かあっては困ります」
「タナカさんが、逃げろと言うのは珍しいですね」
「戦って得られる情報より、観察して得られる情報の方が今は価値があります」
「……わかりました」
レオンが言った。
「私は、田中の仕事を支えます。議事録、報告書、言語の対応、全部続けます」
「ありがとうございます」
「あと、シアとランセルとの連絡も、私が窓口になれます」
「助かります」
王様が言った。
「余は、この国の民を守る。北の問題が表面化したとき、民が怯えないようにする。それが余の仕事だ」
「はい」
「動揺しない顔をしていろ、とお前に言われた」
「言いました」
「練習している」
「そうですか」
「なかなか難しいが」
「陛下は、もうできていると思います」
「そうか」
「居酒屋で大泣きしていた陛下が、今は全員の前で落ち着いて話しています」
王様は少し固まった。
全員が田中を見た。
レオンが「タナカ」と小声で言った。
「言い過ぎましたか」
「……まあ、事実だからな」
王様は少し笑った。
全員が笑った。
田中も、少し笑った。
全員で話し終えた後、田中は一人で城門の前に立った。
夕方だった。
橙色の空だった。
この国に来てから、何度目の夕方だろう。
数えていなかった。
田中はメモアプリを開いた。
【第二章・現状まとめ】
・停戦:試験期間完了。実績あり。継続中。
・魔王軍との関係:情報共有ルート確立。シアとの月次交換継続。
・北の問題:三方向で異変確認。タイムライン短縮の可能性。次のアクションは王様と魔王の直接会談。
・周辺国:ランセルとの連携開始。次回面会を早める方向。
・城内の体制:王様、ロイド、アレン、レオン、ガルドが各自の役割で動いている。
田中はリストを見た。
二ヶ月前、草原で目を覚ましたとき、何もなかった。
今は、これだけある。
一人でやったことではなかった。
田中は最後に一行書き足した。
・所感:次の扉が見えている。
書いてから、少し考えた。
次の扉。
王様と魔王の直接会談。
周辺国を巻き込む動き。
北の問題への本格的な対処。
どれも、やったことがない。
どれも、やり方がわからない。
ただ、やることはある。
田中はメモを閉じた。
城門の向こうを見た。
街道が、北に続いていた。
北の先に、魔王城がある。
その先に、山脈がある。
山脈の向こうに、まだ見ていない世界がある。
田中義則、四十二歳。
異世界に来て、二ヶ月。
やることは、まだある。
むしろ、増えた。
田中は踵を返した。
城の中に戻った。
廊下を歩いた。
レオンが向こうから歩いてきた。
「タナカ、何をしていたんですか」
「少し外に出ていました」
「珍しいですね。ぼーっとしていましたか」
「ぼーっとはしていなかったです。考えていました」
「何を考えていましたか」
「次にやることを」
「またですか」
「またです」
「タナカらしいですね」
「そうですか」
レオンは少し笑った。
「タナカ、第三章はどんな話になりますか」
「第三章ですか」
「王様と魔王が直接会って、周辺国を巻き込んで、北の問題に向き合う、ということになりますよね」
「そうなると思います」
「大きな話ですね」
「大きいですね」
「タナカは、どんな顔をしていくんですか」
「どんな顔、ですか」
「いつもの顔ですか」
「いつもの顔だと思います」
「怖くても、やることがあるから動く顔」
「そうなりますね」
レオンはしばらど田中を見た。
「タナカ、私はずっと隣にいます」
「わかっています」
「約束していただけますか」
「何をですか」
「一人で抱えすぎたとき、私に言ってください。一緒に考えます」
田中は少し止まった。
「……わかりました」
「約束ですか」
「約束です」
「良かったです」
レオンは頷いた。
二人で廊下を歩いた。
石畳の音が響いた。
田中は歩きながら、思った。
第一章では、一人だった。
第二章では、少しずつ、一人でなくなった。
第三章では、どうなるか、まだわからない。
ただ、隣に誰かがいる。
それだけで、次の扉を開けられる気がした。
田中は前を向いて、歩き続けた。
第二章 完




