第三十三話 魔王との二回目の面会は、前回より近かった
第三十三話 魔王との二回目の面会は、前回より近かった
前話までのあらすじ
ランセル公国との面会に備えて、レオンが北東の言語を二週間で習得した。
「間違いは覚えるための材料」「失敗したら、すぐ修正する、それを繰り返すだけ」という田中の言葉でレオンの気持ちが楽になった。
前日の夜、田中は「この城が、帰る場所になっている」とメモに書いた。
隣の部屋でレオンが練習している音が、壁越しに聞こえた。
ランセル公国との面会から帰った翌週。
シアから返事が来た。
内容は二点だった。
一点目。共同書状の件、魔王が承諾した。ランセル公国への書状は魔王城からも送付済み。
二点目。魔王が田中に会いたがっている。都合がつけば来てほしい。
田中はメモに書いた。
・魔王城再訪:今月中に設定する。
三日後、田中は魔王城に向かった。
今回はレオンも一緒に連れていった。
「ランセル公国の面会が終わったばかりですが、また旅ですね」
「やることがあるので」
「私はついていきます」
「ありがとうございます」
道中は、来るときより慣れた感じがした。
国境の石柱を越えるときも、来たときほど緊張しなかった。
宿の老人の建物の前を通った。
「寄っていきますか」
「帰りに寄りましょう。今日は時間があるので」
「楽しみにします」
魔王城に着くと、シアが待っていた。
「来てくれた」
「お招きありがとうございます」
「レオンも来たのか」
「はい。シアさん、レオンです。先日手紙のやり取りをしていた」
レオンがランセルの言語に近い発音で挨拶した。
シアが少し驚いた顔をした。
「……ランセル語を話せるのか」
「少しだけです。二週間で覚えました」
「二週間で」
「田中に教わりました」
シアは田中を見た。
「お前、人に教えるのも得意なのか」
「教えたというより、やり方を共有しただけです」
「どう違うんだ」
「教えると、教わる側が受け身になります。やり方を共有すると、教わる側が自分で動けます」
「……微妙な違いだな」
「大事な違いです」
シアはため息をついた。
「まあいい。陛下が待っている。案内する」
魔王の私室に通された。
前回と同じ部屋だった。
暖炉に火が入っていた。
テーブルに、地図と羊皮紙が広げてあった。
魔王は立って地図を見ていた。
田中が入ると、振り返った。
「来たか」
「お招きありがとうございます」
「早かったな」
「都合がついたので」
魔王は田中を見た。
前回より、少し、目が柔らかかった。
「座れ」
「失礼します」
田中とレオンが座った。
魔王もレオンを見た。
「連れてきたのか」
「レオンです。通訳と記録の担当です」
「記録か。議事録を取る人間を増やしたのか」
「取れる人間が多い方が、正確になります」
魔王は少し考えてから、頷いた。
「まあいい」
魔王は椅子に座った。
杯を三つ出した。
前回と同じ、蒸留酒に近い酒だった。
「飲むか」
「いただきます」
レオンも受け取った。
一口飲んで、少し咳き込んだ。
「強いですね」
「慣れろ」
「はい」
魔王は田中を見た。
「田中、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「ランセルとの面会は、どうだった」
「うまくいきました。詳しい報告をする前に、一点確認させてください。共同書状を送っていただいてありがとうございました。早かったです」
「シアが動いた」
「シアさんのおかげです」
シアが横で「私はただ指示に従っただけだ」と言った。
「それが仕事です」と田中が言った。
「まあ、そうだな」とシアが言った。
魔王が低く笑った。
「お前たちの掛け合い、聞いていて飽きないな」
「掛け合いですか」
「そうだ。息が合っている」
シアが少し照れた顔をした。
田中は特に表情を変えなかった。
ランセルとの面会の報告をした。
向こうも北の異変を感知していたこと、情報共有の枠組みを作ることで合意したこと、来月また面会する予定であること。
魔王は黙って聞いた。
「ランセルの代表は、どんな人間だった」
「四十代の女性でした。国の規模が小さいので、代表者自身が動いていました」
「名前は」
「ミラ・ランセルといいます。ランセル公国の公王です」
「公王、か。女性が統治しているのか」
「はい。三代続いて女性が治めているそうです。北の問題への危機感が強く、話が早い方でした」
「話が早い人間は、動きやすいな」
「そうです。ロイド卿と少し似ていました」
魔王は少し驚いた顔をした。
「ロイドを知っているのか」
「この国の騎士団長です。よく一緒に仕事をしています」
「騎士団長に似ている公王、か。それは確かに話が早そうだ」
「陛下もいつかお会いになると思います」
「余が、ランセルの公王と」
「北の問題が進めば、いずれ全員が同じ方向を向く必要があります。そのときに」
魔王はしばらく考えた。
「……そういうことになるのか」
「なると思います」
「余と、この国の王と、ランセルの公王が、同じ席に座る」
「いずれは」
「想像がつかないな」
「段取りは私がします」
魔王は低く笑った。
「お前が段取りするなら、なるのかもしれないな」
報告が一段落したところで、魔王が話し始めた。
「田中、一つ見せたいものがある」
「なんですか」
魔王は机の引き出しから、羊皮紙を取り出した。
田中に渡した。
田中は受け取って、読んだ。
表が作ってあった。
城内の各部門の責任者、担当業務、直近の課題、改善状況。
田中は一回読んで、もう一回読んだ。
「……これは」
「組織図だ」
「陛下が作ったんですか」
「シアに手伝ってもらった。だが、骨格は余が考えた」
田中は組織図を見た。
完璧ではなかった。
抜けている部門もある。
担当業務が曖昧な箇所もある。
ただ、作ろうとした、ということが伝わった。
「……陛下、これは」
「何か問題があるか」
「問題はないです。ただ、少し驚きました」
「なぜ驚く」
「前回来たとき、組織図がないとお伝えしました。その後、自分で作ったんですね」
「お前が言ったことが、頭に残っていた」
「そうですか」
「組織図がなければ、誰が何をしているかわからない。誰が何をしているかわからなければ、問題がどこにあるかもわからない。そう言っていた」
「言いました」
「余は、言われてから一ヶ月、ずっとそのことを考えていた」
「一ヶ月、ですか」
「考えながら、この城を歩いた。誰が何をしているか、自分の目で確認した。それをまとめたのがこれだ」
田中は組織図をもう一度見た。
魔王が一ヶ月かけて、自分の足で城を歩いて作った組織図。
完璧ではない。
でも、本物だった。
「陛下」
「なんだ」
「これは、とても良いものです」
「褒めているのか」
「褒めています。完璧ではないですが、完璧な組織図より価値があります」
「なぜだ」
「陛下が自分で確認して作ったからです。資料から作った組織図は、現実とずれることがあります。でもこれは、陛下が直接見て作った。現実に近い」
魔王はしばらく田中を見た。
「……そうか」
「はい」
「改善点を教えてくれるか」
「教えます。ただ、直すのは陛下が自分でやってください」
「なぜだ」
「私が直すと、私の組織図になります。陛下が直すと、陛下の組織図になります。自分のものとして持ち続ける方が、長く使えます」
魔王はしばらく考えた。
「……なるほど」
「アドバイスはします。ただ、手を動かすのは陛下で」
「わかった」
田中は組織図を返した。
魔王は受け取って、テーブルに広げた。
「では、どこから直す」
「まず、この部門の担当業務が曖昧なので、具体的にしましょう」
「どうすれば具体的になる」
「その部門が、一週間に何をしているか書けば、担当業務が見えてきます」
「一週間に何をしているか、か」
「観察するのが一番早いです。陛下が見に行けば、また新しい発見があります」
魔王は少し考えた。
「余が、現場を見に行く、ということか」
「はい」
「今まで、そういうことはしてこなかった」
「これからすればいいです」
魔王はしばらく田中を見た。
「お前は、余に色々なことをさせるな」
「必要なことだと思うので」
「書類を自分で読め、城を歩いて組織図を作れ、現場を見に行け」
「全部、陛下がやれることです」
「……やれることだから、言うのか」
「やれないことは言いません」
魔王は低く笑った。
「シア、聞いたか」
「聞きました。全部、私も言いたかったことです」
「なぜ言わなかった」
「言っても、動かなかったからです」
「……余が動かなかったのか」
「はい」
「田中が言うと動くのに、お前が言うと動かないのか」
「田中は、なぜそれが必要かを一緒に説明するからだと思います。私は言うだけで、理由を説明していなかった」
田中は少し考えた。
「シアさん、それは大事な気づきですね」
「そうか」
「伝え方を変えると、伝わり方が変わります」
「お前に言われると、なんか悔しいな」
「すみません」
「謝るな」
「はい」
魔王が言った。
「田中、もう一つ見せたいものがある」
「なんですか」
魔王はまた引き出しから羊皮紙を取り出した。
今度は、表ではなく、文章だった。
「これは何ですか」
「北の問題について、余が考えてきたことをまとめた。一ヶ月かけて書いた」
田中は受け取って、読み始めた。
北の勢力の歴史的な記録。周期の分析。現在の状況。考えられる対処方法。それぞれのリスクと可能性。
田中は読みながら、少し驚いていた。
整理されていた。
完璧ではないが、一人の人間が一ヶ月かけて真剣に考えた跡が、全部に残っていた。
「陛下」
「なんだ」
「これも、良いものです」
「また褒めるのか」
「本当に良いと思ったので、言いました」
「どこが良い」
「陛下が一ヶ月、自分で考え続けた跡が見えます。こういう文書は、頭の中だけで考えていると作れません。書くことで、考えが整理されます」
「書くと整理されるのか」
「書くと、曖昧なものが具体的になります。議事録も同じです」
「議事録か」
「はい」
「田中、余は最初、議事録というものを理解していなかった」
「そうですか」
「ただ、前回田中が議事録を取るのを見て、その後自分でも書くようになった。書くと、確かに整理される」
「気づいてくれましたか」
「一ヶ月かかったが」
「一ヶ月で気づいたなら、早い方です」
「早いのか」
「十年気づかない人もいます」
魔王は少し考えた。
「……そうか」
「はい」
「田中、一つだけ聞いていいか」
「はい」
「余は、変わってきていると思うか」
田中は少し考えた。
「変わっています」
「どう変わった」
「書類を自分で読む。城を歩く。組織図を作る。北の問題を文書にまとめる。前回来たときには、どれもしていなかったことです」
「それだけか」
「あと、笑うようになりました」
魔王は少し止まった。
「笑うようになった、か」
「前回来たとき、シアさんが『陛下が笑ったのは久しぶり』と言っていました」
「……そうだったか」
「今回も、何度か笑っています」
魔王はしばらく黙った。
暖炉の火が揺れた。
「田中、正直に言う」
「はい」
「お前が来てから、この城が少し変わった」
「シアさんが動いてくれたからだと思います」
「シアだけではない。お前が来て、話を聞いた。問題を指摘した。やり方を示した。それで、余も動けた」
「陛下が動いたのは、陛下の力です」
「そうは思わない」
「でも、動いたのは陛下です」
「……頑固だな、お前は」
「事実を言っているだけです」
魔王は低く笑った。
「まあ、いい」
魔王は杯を傾けた。
「田中、また来い」
「来ます。月に一度、シアさんとの情報交換で」
「それ以外でも来い」
「また言いますね」
「また言う。来るたびに言う」
「かしこまりました」
魔王は笑った。
シアも笑った。
レオンも笑った。
田中は笑わなかったが、悪い気はしなかった。
帰り際、シアが廊下で言った。
「田中、陛下が変わったのは、本当にお前のおかげだ」
「シアさんが続けてきた十年があったからです」
「十年で変わらなかったのに、お前が来て変わった」
「タイミングだと思います」
「タイミングか」
「十年のシアさんの努力が積み上がっていて、私が来たタイミングで動いた。積み上げがなければ、私が来ても動かなかったと思います」
シアはしばらく田中を見た。
「……お前は、本当に手柄を渡すのが上手いな」
「事実を言っているだけです」
「何回その言葉を聞いたかわからない」
「私も何回言ったかわかりません」
シアは小さく笑った。
「田中、次の月次情報交換、何か持ってくるか」
「スープを持ってきます。約束したので」
「まだ覚えていたのか」
「約束は覚えています」
「楽しみにしている」
「はい」
「あと」
「なんですか」
「また来い」
「三人から言われました」
「それだけ、来てほしいということだ」
田中は頷いた。
「来ます」
帰り道、宿の老人のところに寄った。
老人は田中を見て、嬉しそうな顔をした。
「また来たか」
「帰りに寄ると言っていたので」
「シアは元気か」
「元気でした。顔が明るかったです」
「そうか。それは良かった」
老人が夕食を出してくれた。
レオンも一緒に食べた。
老人がレオンを見て言った。
「この子は?」
「仕事の仲間です。レオンといいます」
「タナカの仕事仲間か。大変だろう」
「大変ですが、面白いです」
老人は笑った。
「タナカの仕事仲間は、みんなそう言いそうだな」
「そうですか」
「変なことばかり起きそうだが、退屈はしないだろう」
「退屈しません」とレオンが言った。
「そうか」と老人が言った。
三人で食べた。
パンとスープ。
田中はスープを一口飲んだ。
塩気が強くて、香辛料が効いていた。
魔王城のスープだ。
田中は少し考えた。
いつかシアに持っていくと約束した、この国のスープ。
シアはここで、この味のスープを飲んでいた。
田中が来るとき、この宿に寄っていた。
点と点が、つながった気がした。
田中はスープをもう一口飲んだ。
悪くなかった。
城に戻ったのは夜だった。
レオンと城門をくぐりながら、レオンが言った。
「タナカ、今日の魔王、前回より全然違いましたね」
「そうですね」
「なんか、普通の人みたいでした」
「普通の人ですよ」
「魔王が普通の人って、少し変な感じがします」
「どんな人でも、話せば普通のところがあります」
「そうですね。田中に連れていかれると、みんな普通に見えてくる気がします」
「そうですか」
「王様も、ガルド卿も、ロイド卿も、シアさんも、魔王も。最初は怖かったり、難しそうだったりするのに、田中が間に入ると、普通に見えてくる」
「間に入っているつもりはないですが」
「でも、入ってますよ」
田中は少し考えた。
「入っていますね、確かに」
「それが、田中の仕事ですよね」
「そうかもしれません」
城の中に入った。
廊下が暖かかった。
田中はメモアプリを開いた。
【本日の完了事項】
・魔王との第二回面会:完了。
・魔王の変化:組織図を自作。北の問題を文書化。書類を自分で読む習慣。
・シアとの確認:月次情報交換継続。スープを持参する約束を再確認。
・宿の老人:立ち寄り。レオンと夕食。
最後に一行書き足した。
・所感:魔王、育っている。
次回「第三十四話 シアがこの国に来た」へつづく




