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第三十二話 レオンが北東の言語を覚えようとしている

第三十二話 レオンが北東の言語を覚えようとしている


前話までのあらすじ

ランセル公国から予想外に早い返事が来た。向こうも北の異変を感知していて、こちらへの書状を準備中だったところに田中の書状が届いた。

返事の書状を作成、王様の署名を取得。

「問題は思っているより多くの人が感じている。ただ繋がっていないだけだ。繋げることが今の仕事だ」とメモに書いた。

次のアクションはランセル公国との面会。レオンと一緒に行く予定。


 ランセル公国との面会まで、二週間あった。

 レオンは毎朝、田中の部屋に来た。

 来るたびに、顔が少し疲れていた。

 三日目の朝、田中はレオンを見て言った。

「ちゃんと寝ていますか」

「寝ています。ただ、夜に言語の練習をしているので、少し短いです」

「何時間ですか」

「四時間くらいです」

「それは少ないですね」

「タナカは魔王城に来て三日で話せるようになったじゃないですか」

「あれは特殊な状況でした」

「どう特殊なんですか」

「話せないと困る状況だったので、必死でした」

「私も必死です」

「見ていればわかります」

 レオンは少し複雑な顔をした。

「タナカ、一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「タナカは、言語をどうやって覚えたんですか。コツがあれば教えてほしいです」

 田中は少し考えた。

「コツというより、やり方の話になりますが」

「なんでもいいです」

「三段階でやりました」

「三段階」

「一段階目は、よく使う単語を百個覚えること。挨拶、数字、時間、場所、基本的な動詞。これだけで、日常の七割は乗り切れます」

「百個ですか。今何個覚えましたか、私」

「何個ですか」

「えーと……四十個くらいだと思います」

「あと六十個です」

「あと六十個」

「二段階目は、よく使う文型を十個覚えること。これがあれば、単語を入れ替えるだけで文が作れます」

「文型が十個」

「例えば『これは何ですか』『どこにありますか』『いくらですか』という形です。形を覚えれば、中身を変えるだけです」

「それは覚えやすそうですね」

「三段階目は、実際に使うことです。覚えても使わないと、定着しません」

「使う相手がいないんですよね、今」

「レオンが書いたメモを私に読んでもらうのはどうですか。私が聞いて、伝わったかどうか確認します」

「タナカが採点するんですか」

「採点ではなく、確認です。伝わっていれば正解、伝わっていなければ修正します」

 レオンはしばらく考えた。

「……やってみます」

「今日から始めましょう」


 その日から、朝食の後に三十分、練習の時間を作った。

 レオンが話す。

 田中が聞く。

 伝わったかどうか確認する。

 最初の日、レオンは三文話した。

 一文目は伝わった。

 二文目は半分伝わった。

 三文目は伝わらなかった。

「三文目、何を言おうとしましたか」

「明日、ランセルに行きたいです、と言おうとしました」

「動詞の位置が違いました。ランセルの言語は動詞が文の最後に来ます」

「最後に来るんですよね。わかってはいるんですが、つい前に来てしまいます」

「慣れの問題です。何回も間違えながら覚えます」

「タナカは間違えませんでしたか」

「たくさん間違えました」

「そうなんですか」

「間違えたのをその都度直していたので、早く覚えられました。間違いは、覚えるための材料です」

 レオンは少し考えた。

「間違いが材料、か」

「間違えた場所が、自分の弱点です。弱点がわかれば、そこを集中して直せます」

「なるほど」

「なので、たくさん間違えてください」

「たくさん間違えろと言われたのは初めてです」

「良いことです」

 レオンは少し笑った。


 一週間後。

 レオンの上達は、目に見えてわかった。

 単語が増えた。

 文型が安定してきた。

 ただ、一点だけ、問題があった。

「レオン、発音が少し違います」

「どこがですか」

「母音の長さが違います。この言語は、母音を伸ばす長さで意味が変わります」

「伸ばす長さで意味が変わる」

「はい。例えば、この単語を短く言うと『水』ですが、長く言うと『川』になります」

「それは……難しいです」

「難しいですが、慣れます」

「タナカは苦労しましたか、発音で」

「この国の言語では、そこまでなかったです。ただ、別のことで苦労しました」

「何ですか」

「敬語です」この国の言語には敬語に近い言い回しがあって、最初は全部同じ言い方をしていました」

「同じ言い方で問題があったんですか」

「ガルド卿に、最初に会ったとき、少しくだけた言い方をしてしまいました」

「ガルド卿に?」

「気づいてはいなかったのですが、後でレオンに指摘してもらいました」

 レオンは少し考えた。

「……あのとき指摘しましたっけ」

「しました。廊下で小声で」

「あ、覚えてます。そんなことがありましたね」

「あのときのレオンの指摘がなければ、ガルド卿との関係が今より難しくなっていたかもしれません」

「そうですか」

「レオンには、最初から助けてもらっています」

 レオンは少し照れた顔をした。

「……大げさですよ」

「大げさではないです。事実です」

「タナカに事実と言われると、否定しにくいですね」

「事実なので」

 レオンはしばらく黙った。

「タナカ、一つだけ言っていいですか」

「どうぞ」

「私が言語を勉強しているのは、タナカの役に立ちたいからです。もちろんランセル公国との面会のためでもありますが、それだけじゃなくて」

「はい」

「タナカがどこに行くときも、ついていける人間でいたいと思っています」

 田中は少し止まった。

「……そうですか」

「そうです」

「ありがとうございます」

「タナカが礼を言うのは珍しいですね」

「大事なことを言ってもらったので」

 レオンは頷いた。

「では、練習の続きをしましょう」

「はい」

 レオンはまた話し始めた。

 今日は五文、全部伝わった。


 面会の三日前。

 レオンが珍しく暗い顔で部屋に来た。

「どうしましたか」

「タナカ、正直に言います」

「どうぞ」

「まだ完璧じゃないです。単語は増えましたが、早い話し言葉についていけるかどうか、自信がないです」

「そうですか」

「ランセルの人たちが早口で話したら、聞き取れないかもしれません」

「それは私も同じです」

「タナカも聞き取れないんですか」

「練習していない言語なので」

「じゃあ二人とも聞き取れない場合があるんですか」

「あります」

「それで大丈夫なんですか」

「大丈夫ではないかもしれません。ただ、聞き取れなかったときの対処を決めておけばいいです」

「対処というのは」

「わからなかったときに、正直にわからないと言う。もう一度ゆっくり話してもらうようお願いする。それだけです」

「それでいいんですか」

「わからないのにわかったふりをする方が、後で困ります」

 レオンはしばらど考えた。

「……タナカは、わからないときに正直に言えますか」

「言えます」

「どんな相手に対しても?」

「どんな相手にでも、わからないことはわからないと言います。わかったふりをして後で問題になる方が、最初に正直に言うより大変なことになるので」

「それって、勇気がいりませんか」

「いります。ただ、慣れました」

「慣れたんですね」

「はい。元の世界でも、上司に『わかりません』と言うのは勇気がいりました。でも、わからないまま進めて後で大問題になったことが何度かあって、正直に言う方がいいと学びました」

「失敗から学んだんですね」

「そうです」

「タナカも、失敗するんですね」

「たくさんします」

「なんか、少し安心しました」

「安心しましたか」

「タナカがいつも完璧に見えるので、失敗するんだとわかると、自分も失敗していいんだと思えます」

 田中は少し考えた。

「完璧には、ほど遠いですよ」

「でも、完璧に見えます」

「それは、失敗した後の対処が早いだけです」

「対処が早い」

「失敗したら、すぐ修正する。それを繰り返しているだけです」

 レオンはしばらく黙った。

「……それが、タナカの強さなんですね」

「強さかどうかはわかりませんが、やり方です」

「やり方か」

「やり方なら、学べます」

「学べますね」

 田中は頷いた。

「レオン、面会で聞き取れないことがあっても、焦らなくていいです。わからなければ私に言ってください。一緒に確認します」

「一緒に、ですか」

「一人でやらなくていいです」

 レオンは少し表情がほぐれた。

「……わかりました」

「あと、レオンが覚えた単語と文型で対応できることの方が多いと思います。準備はできています」

「そう言ってもらえると、少し自信が出ます」

「事実を言っているだけです」

「タナカが言う事実は、なんか信用できます」

「ありがとうございます」

「珍しくすぐ礼を言いましたね」

「大事なことを言ってもらったので」

 レオンは笑った。

 田中も少し笑った。


 面会の前日の夜。

 レオンがまた部屋に来た。

「最後の確認をしたいです」

「どうぞ」

 レオンが話した。

 挨拶から始まって、自己紹介、用件の説明、質問の仕方、お礼の言い方。

 田中は全部聞いた。

 全部、伝わった。

「完璧です」

「本当ですか」

「はい」

 レオンは少しの間、黙った。

 それから、深く息を吐いた。

「……二週間、かかりました」

「よく覚えました」

「タナカは一週間でしたよね」

「状況が違いました。私は魔王城に囲まれていたので」

「囲まれていた方が覚えやすいんですか」

「逃げ場がないので」

「なるほど」

 レオンは少し考えた。

「タナカ、一つ聞いていいですか」

「どうぞ」

「明日、うまくいきますか」

「わかりません」

「わからないんですね」

「ただ、準備はできています。準備ができていれば、あとはやるだけです」

「やるだけ、か」

「はい」

「タナカはいつも、最後はそう言いますね」

「そうですか」

「やることがある、やるだけ、やってみないとわからない。全部、前を向いている言葉です」

 田中は少し止まった。

「そうですか」

「意識していないんですよね、たぶん」

「していません」

「それが一番すごいと思います」

「そうでしょうか」

「意識しないで前を向いている人は、強いです」

 田中はしばらく考えた。

「……前を向いているかどうかは、わかりませんが、後ろに戻る場所がないので」

「後ろに戻る場所がない?」

「元の世界には、今は帰れない。だから、今いる場所で前を向くしかないです」

 レオンは少し黙った。

「……そうか」

「はい」

「それは、寂しくないですか」

「寂しいかどうか、考えたことがなかったです」

「今考えてみてください」

 田中は少し考えた。

「……最初は寂しかったと思います。ただ、今は、この場所に帰ってくる場所がある気がします」

「この城が、帰る場所になっているんですね」

「そうかもしれません」

 レオンは少し目が赤くなった。

「……タナカ、明日、頑張りましょう」

「頑張ります」

「私も頑張ります」

「よろしくお願いします」

 レオンは部屋を出た。

 田中はしばらく扉を見た。

 それからメモアプリを開いた。

 【明日の準備・確認済み】

 ・レオンの言語習得:完了。挨拶から用件まで対応可能。

 ・持参資料:北の問題の概要、停戦の事実、共同対処の提案案。

 ・心構え:わからなければ正直に言う。一緒に確認する。

 最後に一行書き足した。

 ・この城が、帰る場所になっている。

 田中はメモを閉じた。

 窓を開けた。

 夜風が入ってきた。

 星が多かった。

 明日、ランセル公国に行く。

 またわからないことだらけだ。

 ただ、今夜は一人で窓の外を見ていなかった。

 隣の部屋で、レオンがまだ練習をしているのが、壁越しに聞こえた。

 田中は窓を閉めた。

 今夜も、早めに寝た。


次回「第三十三話 魔王との二回目の面会は、前回より近かった」へつづく

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