第三十話 周辺国への根回しは、また別の話だ
第三十話 周辺国への根回しは、また別の話だ
前話までのあらすじ
北の足跡の報告を王様、ロイド、アレンに伝えた。
王様は「怖い」と言い、田中も「少し怖い」と言った。二人で同じものを怖がっていた。それは一人で怖がっていたときより、少し軽かった。
ロイドは東街道の増員と山脈への定期偵察を提案。アレンは山脈方向の観察を引き受けた。
その夜、田中は初めて「少し早く寝ようと思った」と思った。
翌朝。
田中はいつもより三十分遅く起きた。
珍しいことだった。
目が覚めて、天井を見て、少し考えた。
三十分遅い。
やることは変わらない。
ただ、三十分多く眠れた。
悪くなかった。
田中は起き上がって、メモアプリを開いた。
【本日の最優先事項】
・周辺国への根回しの方針を決める。
一行だけ書いた。
それだけで十分だった。
朝食の後、図書室に行った。
レオンを連れていった。
「周辺国について、調べたいことがあります」
「どんなことですか」
「各国の基本情報です。国の規模、主な産業、現在の政治状況、この国との関係、魔王軍との関係」
「それを全部調べるんですか」
「全部調べないと、どこからアプローチするか決められません」
レオンはしばらく棚を眺めた。
「……周辺国の記録は、あちこちに散らばっています」
「わかりました。一緒に探しましょう」
二人で棚を漁り始めた。
一時間かけて、関連しそうな資料を集めた。
羊皮紙の束が、テーブルに積み上がった。
「多いですね」
「多いです。ただ、古いものと新しいものが混ざっているので、整理しながら読みます」
「どう整理しますか」
「国ごとに分けて、年代順に並べます」
レオンが仕分けを始めた。
田中が内容を読んで、メモを取った。
三時間かけて、周辺国の概要がある程度見えてきた。
田中はメモを広げた。
【周辺国の概要・現時点】
東の国・エルム:農業国。人口は多い。この国とは過去に小競り合いがあったが、現在は中立。魔王軍との接触は少ない。
西の国・ヴァルタ:商業国。海路を持つ。バルト卿の港と交易関係あり。政治的に中立を保つ傾向。
南の国・セリア:海洋国。船が強い。この国との関係は良好。ただし、北の問題には関心が薄い可能性。
北東の小国群:三つの小国が連なっている。それぞれ独立しているが、共通の利害を持つことがある。魔王軍の圧力を直接受けている。
田中はリストを見た。
レオンが横から覗き込んだ。
「どこから手をつけますか」
「北東の小国群です」
「なぜですか」
「魔王軍の圧力を直接受けているから、北の問題への危機感が一番高いはずです。動機がある相手から始める方が、話が通じやすい」
「なるほど」
「ただ、北東の小国群は三つに分かれています。三つ全部に同時にアプローチするのは難しい」
「一つずつですか」
「一つが動けば、残りも動きやすくなります。まず一つ」
「どの一つですか」
「一番魔王軍の圧力を受けている国から」
「それがどこかは、わかりますか」
「この資料だけでは不十分です。アレンに情報を取ってきてもらえるかもしれません」
「アレンに、ですか」
「前線の村を巡回しているので、北東方面の情報を持っている可能性があります」
レオンは頷いた。
「タナカ、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「周辺国への根回し、どうやってするつもりですか。この国の言語は話せますが、周辺国の言語は」
「わかりません」
「わからないんですか」
「エルムとヴァルタは、この国の言語と近い系統らしいです。セリアは少し違う。北東の小国群は、それぞれ方言が強いと記録にあります」
「どれも完全にはわかりませんね」
「わかりません。ただ、通訳がいれば話はできます」
「通訳を用意できますか」
「レオンに頼もうと思っていました」
レオンは少し止まった。
「……私が通訳ですか」
「レオンは言語の習得が早いです。この一ヶ月で、私との作業の中で語学力が上がっています。周辺国の言語も、勉強してもらえますか」
「急ですね」
「急です。申し訳ないですが」
「……どのくらいで覚えればいいですか」
「来月から動きたいので、まず一国分」
「来月」
「北東の小国群の一つから始めるなら、その国の言語を優先で」
レオンはしばらく考えた。
「……わかりました。やってみます」
「ありがとうございます」
「タナカが一週間で覚えたんですから、私も頑張れると思います」
「レオンなら大丈夫です」
「根拠はありますか」
「一緒に仕事をしてきた感覚です」
レオンは少し照れた顔をした。
「……それが一番信用できる根拠かもしれませんね」
昼過ぎ、王様に現状を報告した。
「周辺国への働きかけを、来月から始めたいと思います」
「早いな」
「北の足跡の件で、タイムラインが変わった可能性があります。早め早めに動く方がいいと判断しました」
「どこから始める」
「北東の小国群です。魔王軍の圧力を直接受けているので、危機感が高いはずです」
「北東か。あの辺りとは、長く交流がなかったな」
「そうですね。ただ、共通の問題を持っていれば、話が通じやすくなります」
「使者を出すか」
「まず書状を送りたいと思います。いきなり訪問するより、書状で先方の状況を確認してからの方が、準備ができます」
「書状の内容は」
「停戦の事実をお伝えして、北の問題について情報交換したい旨を伝えます。詳細は面会してから」
「魔王軍との停戦を知らせることで、驚かれないか」
「驚かれます。ただ、隠すと後で信用を失います」
王様は少し考えた。
「……正直に伝える方が、長い目で見ると信用になる、ということか」
「そうです」
「ガルドと同じ話だな」
「同じ考え方です」
王様は頷いた。
「書状を出す。署名は余がする」
「ありがとうございます。文面は私が用意します」
「頼む」
「もう一点、お願いがあります」
「なんだ」
「魔王陛下にも、同じ書状を北東の小国群に送っていただけないか、シアを通じてお願いしたいです」
王様は少し驚いた顔をした。
「魔王にも書状を出させるのか」
「この国と魔王軍が共同で問題を訴えることで、信憑性が上がります。一国からの話より、かつて敵対していた二国が同じことを言っている方が、真剣に受け取ってもらえます」
「なるほど」
「魔王陛下は承諾してくださると思いますが、念のため確認します」
「田中、一つ確認してもいいか」
「はい」
「お前は今、この国と魔王軍を一緒に動かそうとしているのか」
「動かせる範囲で、そうしています」
「それは……補佐官の仕事の範囲か」
田中は少し考えた。
「範囲を超えているかもしれません」
「超えているな」
「はい」
「ただ、余はお前に任せると言った」
「はい」
「任せると言った以上、余はお前の判断を尊重する」
「ありがとうございます」
「ただし、大きな判断をするときは、事前に話せ」
「かしこまりました」
「北東の小国群への書状は、大きな判断に入るか」
「入ります。報告が遅れました」
「今話してくれたので、問題ない」
王様はしばらく田中を見た。
「田中、お前はこの国の補佐官だが、今や魔王軍の動きにも関わっている。他国への働きかけも始めようとしている。自分でも、何者かわからなくなっていないか」
田中は少し止まった。
この質問は、以前シアにも聞かれたことに近かった。
「どちらの補佐官ですか、という話ですか」
「そうだ」
「……今のところ、やることがある方向に動いています」
「やることがある方向に」
「この国のやることも、魔王軍のやることも、北の問題のやることも、全部繋がっています。どれか一つだけやることはできないので、全部やっています」
「全部やる、か」
「結果的に、そうなっています」
王様はしばらく黙った。
「……そうか」
「はい」
「お前が全部やるなら、余は余のことをしっかりやる」
「王様のことをしっかりやっていただけると、私も動きやすいです」
「余のこととは何だ」
「この国の民を安心させることです。北の問題が動き出したとき、民が怯えないようにするのは、陛下の仕事だと思います」
「どうやって安心させる」
「今は何も言わなくていいです。ただ、動揺しない顔をしていてください」
「動揺しない顔を、か」
「陛下が落ち着いていると、周りも落ち着きます」
「お前が余にそれを言うか」
「私は動揺しない顔をするのが得意なので、参考にしてください」
王様は低く笑った。
「……参考にする」
「よろしくお願いします」
田中は頭を下げた。
夕方、シアに手紙を書いた。
魔王陛下への相談事項として、北東の小国群への共同書状を依頼する内容だった。
書き終えて、封をした。
次の月次情報交換のときに渡す予定だったが、タイムラインの問題があるので、使者に頼んで早めに届けることにした。
レオンに頼んだ。
「急ぎで魔王城に届けてもらえる使者を手配できますか」
「できます。ただ、急ぎというのはどのくらいですか」
「三日以内に届けばいいです」
「わかりました。手配します」
「ありがとうございます。あと、北東の小国群の言語の資料、図書室に何かありましたか」
「少しだけありました。薄い冊子が一冊」
「それで始めてください。足りなければ、シアに資料を送ってもらえるか頼みます」
「シアさんに?」
「魔王城は北東に近いので、資料があるかもしれません」
「……なるほど。魔王城の資料も使うんですね」
「使えるものは使います」
レオンは少し笑った。
「タナカらしいですね」
「そうですか」
「どこからでも情報を集める」
「必要なので」
「わかりました。頑張ります」
夜、田中は部屋でメモを整理した。
【本日の完了事項】
・周辺国の基本情報収集:概要把握。北東の小国群を優先とする方針決定。
・レオンへの語学依頼:北東の小国群の言語習得を依頼。了承。
・王様への報告:共同書状の方針を承認。王様の役割を確認。
・シアへの手紙:共同書状の依頼。三日以内に使者で送付。
田中はリストを見た。
今日一日で、来月の動きの骨格が決まった。
やることが増えた。
ただ、関わる人間も増えた。
今月の情報は整理できた。
来月、どうなるかはわからない。
わからないことは、来月になってから考える。
田中はメモを閉じた。
窓を開けた。
夜風が入ってきた。
北の空に、山脈が見えた。
大きかった。
ただ、今夜は一人で見ていなかった。
田中は窓を閉めた。
今夜も、少し早く寝ようと思った。
昨日より、少しだけ早く。
次回「第三十一話 北東の小国から、予想外の返事が来た」へつづく




