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第二話 王様は居酒屋で大泣きしていた

第二話 王様は居酒屋で大泣きしていた


 連行された。

 両腕を騎士二人に掴まれ、田中は居酒屋の外に引っ張り出された。

 通りを歩いている村人たちが一斉に振り返った。

「あの、歩けますので、放していただいて構いませんよ」

 通じなかった。

 両腕はそのままだった。

 田中は抵抗しなかった。抵抗したところで、相手は剣を持った騎士が五人いる。田中の武器はボールペンと名刺入れだ。勝ち目がない。

 それに、連行されるということは、どこかに連れて行かれるということで、どこかに連れて行かれるということは、誰かと会うということで、誰かと会うということは、情報が得られる可能性があるということだ。

 むしろ好都合かもしれない。

 田中は引きずられながら、周囲を観察した。

 村の規模。建物の数。人の服装と表情。石畳の状態。露店の品揃え。

 【連行中メモ】

 ・村の規模:中規模。百〜二百世帯程度か。

 ・経済状況:露店の品は豊富。飢えている様子はない。

 ・騎士の装備:統一された鎧と剣。国か領主に属している組織と思われる。

 ・自分への対応:敵意というより、困惑している様子。危険人物認定というよりは「よくわからないものが来た」という扱い。

 田中は少し安心した。

 敵意がないなら、話し合いの余地がある。話し合いの余地があれば、なんとかなる。なんとかならない話し合いに、田中はこれまで一度も遭遇したことがなかった。

 ……いや、一度だけあった。去年の下半期予算の折衝だ。あれはなんともならなかった。でもあれは話し合いではなく儀式だったので除外する。

 馬車に乗せられた。

 荷台の部分に、騎士二人と一緒に乗り込む形だった。縄は張られなかった。

「縄、要りませんか」

 騎士の一人を見ながら田中が言うと、騎士は眉をひそめた。通じていないが、「なんでこいつこんな落ち着いてるんだ」という顔をしていた。

 馬車が動き始めた。

 田中は揺れに身を任せながら、スマートフォンを取り出した。

 圏外は変わっていなかった。

 ただ、メモアプリは使える。

 田中はメモを開き、「異世界到着〜現在まで」というタイトルで時系列を整理し始めた。

 騎士の一人が、田中の手元を覗き込んできた。

 黒い板の上を指が滑る動作が、魔法か何かに見えたらしかった。

「メモです」

 田中は画面を騎士に向けた。

 騎士は後ずさった。

「怖くないですよ」

 田中は画面を戻し、メモの続きを入力した。


 馬車で一時間ほど走ると、城が見えてきた。

 本物の城だった。

 石造りの、堀に囲まれた、塔のある、ファンタジー小説に出てくるやつそのものの城だった。

 田中は窓から眺めながら、思った。

 ——でかいな。

 それだけだった。

 城門をくぐり、中庭を抜け、建物の中に通された。廊下を歩きながら、田中は天井の高さと石の組み方を観察した。建築として、かなり手が込んでいる。予算がかかっている。維持費も相当だろう。

 突き当たりの部屋に通された。

 広い部屋だった。長いテーブルがあって、椅子が並んでいて、正面に一段高くなった席がある。会議室というか、謁見の間というか、そういう用途の部屋だ。

 田中は通されるまま、部屋の中央に立った。

 しばらく待たされた。

 田中は待った。

 待つのは得意だ。打ち合わせ前に先方の会議室で待たされるのは日常だった。むしろ、待っている間に資料の最終確認ができるので、ありがたいくらいだ。

 スマートフォンのメモを開き、さっきの整理の続きをした。

 扉が開いた。

 全員が姿勢を正した。

 田中も一応、直立した。

 入ってきたのは、白髪交じりの、六十代くらいの男だった。肩に豪華な毛皮を掛けていて、腰に細い剣を下げていて、頭には金の冠を乗せていた。

 後ろに、同じく豪華な服を着た人間が数人続いた。

 田中は見た瞬間、思った。

 ——偉い人だ。

 全員が頭を垂れた。田中も、とりあえず頭を下げた。会議室で先方の社長が入ってきたときと同じ動作だ。

 偉い人は田中を見た。

 田中を、上から下まで、じっくりと見た。

 それから何かを言った。

 田中には意味がわからなかった。

 通訳らしき人物が前に出てきた。しかし田中の言語を話せるわけではなく、何か別の言語に翻訳しようとして、困った顔をしていた。

 場が沈黙した。

 田中はとりあえず、もう一度頭を下げた。

「田中義則と申します。先ほどはご丁寧にお迎えいただきまして、ありがとうございました」

 もちろん通じなかった。

 でも、偉い人は少し表情を変えた。

 脅えているわけでも、怒っているわけでもなく、ただひたすら「なんだこいつ」という顔をしていた。

 田中には、なんとなく、その感情はわかった。


 結論として、その日の尋問は不成立に終わった。

 言語が通じないのだから当然だった。

 田中は別室に通され、食事を出され、そこで一晩過ごした。部屋は質素だったが清潔で、ベッドもあった。田中は横になりながら、今日一日のメモを整理した。

 翌日、また別の人間が来た。

 今度は若い男で、羊皮紙と羽ペンを持っていた。

 男は田中の前に座り、何かを書き始めた。

 それから田中に、羊皮紙を見せた。

 簡単な絵が描いてあった。太陽。月。人の顔。数字らしきもの。

 なるほど、と田中は思った。

 共通言語を作ろうとしているらしかった。

「賢いですね」

 田中は素直に言った。

 男は田中の表情を見て、少し安堵したような顔をした。

 そこから、ゆっくりと、言葉の対応表を作り始めた。

 男が絵を描く。田中が日本語で答える。男がそれを書き留める。

 田中は几帳面にメモを取った。

 太陽→「ソル」

 月→「ルナ」

 水→「アクア」

 火→「イグニス」

 一→「ウヌス」

 二→「ドゥオ」

「ラテン語っぽいな」

 田中が呟くと、男は首を傾げた。

 でも、作業は順調に進んだ。

 夕方頃には、簡単な単語なら少しだけ通じるようになっていた。


 三日目の夜。

 田中が部屋でメモをまとめていると、扉がノックされた。

 入ってきたのは、最初の日に廊下で田中の横を歩いていた騎士だった。名前はわからないが、顔は覚えていた。

 騎士は何かを言いながら、手ぶりで「ついてこい」という動作をした。

「どこかへ行くんですね」

 田中は立ち上がり、上着を着た。

 廊下を歩き、城の裏口のような扉を出て、石畳の路地を歩いていく。

 どこへ連れて行かれるのかわからなかったが、夜の城下町の空気は悪くなかった。

 石畳の向こうに、明かりが漏れている建物が見えてきた。

 扉の前まで来ると、中から話し声と笑い声と、酒の匂いがした。

 居酒屋だった。

「また居酒屋か」

 田中は、なんとなく懐かしい気持ちになりながら、中に入った。


 騎士が奥の席に案内した。

 半個室になっている席で、テーブルに酒の入った杯が並んでいた。

 その席に、一人の男が座っていた。

 頭には何も乗っていない。服も普通の、少し上等な感じの服だ。でも田中は一日目に顔を見ていた。

 あの、偉い人だった。

 王様らしかった。

 王様は田中を見て、何かを言った。

 田中が三日間で覚えた単語の中に、「座れ」に近い動詞があった。たぶんそれだ。

 田中は向かいに座った。

 王様は杯を田中に押し付けるように渡してきた。

 田中は受け取って、一口飲んだ。

 果実酒だった。甘くて、少しだけ酸っぱい。アルコールは弱め。悪くなかった。

「悪くないですね」

 田中が言うと、王様は少し驚いた顔をしてから、自分も杯を飲んだ。

 しばらく、二人で無言で飲んだ。

 沈黙が気まずいかというと、田中はそうでもなかった。無言の飲み会には慣れている。部長が機嫌の悪い日の飲み会は、大抵こんな感じだった。

 王様が、ぽつりと何かを言った。

 田中が覚えた単語の中に、それに近いものがあった。

 「困った」「大変」に近い言葉だった。

「何かあったんですか」

 田中は言いながら、覚えたばかりの言葉で、ぎこちなく繰り返した。

「……困った?」

 王様は目を丸くした。

 田中が自分の言葉を喋ったことが、よほど意外だったらしい。

 それから、何かを話し始めた。

 速くて、田中には追えなかった。

「すみません、もう少しゆっくり」

 田中はジェスチャーと、「ゆっくり」に近い単語を組み合わせた。

 王様は少し考えてから、もう一度話し始めた。

 今度はゆっくりだった。

 田中は知っている単語を拾いながら、意味を組み立てた。

 「魔王」という単語が出てきた。

 「軍」という単語が出てきた。

 「貴族」「金」「言うことを聞かない」という単語が出てきた。

 田中はメモを取り始めた。

 王様はメモを取られたことに驚いた様子だったが、話し続けた。

 田中は聞き続けた。

 単語を繋いで、文脈を推測して、わからないところはジェスチャーで確認して。

 二杯目の果実酒が、いつの間にか運ばれていた。

 王様の話は、要約するとこうだった。

 魔王軍が北から攻めてきている。

 貴族たちは金を出し渋っている。

 勇者はいるが、話を聞かない。

 側近は全員イエスマンで、誰も本当のことを言ってくれない。

 田中は聞きながら、思った。

 ——全部聞いたことがある。

 魔王軍→競合他社。貴族→役員。勇者→できるけど扱いにくい営業部長。イエスマンの側近→うちの部長。

 構造が、完全に同じだった。

「大変ですね」

 田中は言った。

 王様は一瞬止まってから、何かを言った。

 田中の覚えたての語彙で拾うと、「お前は……わかる……のか」という感じの内容だった。

「まあ、なんとなく」

 田中は果実酒を一口飲んだ。

 王様は、しばらく田中を見つめた。

 それから、目の端に光るものが見えた。

「……え」

 王様は、泣いていた。

 ぼろぼろと、子どもみたいに泣いていた。

 声を上げずに、でも止めどなく、涙を流していた。

 田中は、正直、かなり困った。

 しかし、これも見たことがある光景だった。

 部長が終電後の飲み屋で、誰にも本音を言えなかった積み重ねで、突然泣き崩れた夜。取引先の担当者が、異動の挨拶で声を詰まらせた瞬間。

 トップに立つ人間ほど、本音を言える場所がない。

 田中は何も言わなかった。

 ただ、王様の杯が空になっているのに気づいて、近くにあった酒瓶を取り、静かに注いだ。

 王様は、注がれた杯を、両手で持って飲んだ。

「……ありがとう」

 田中が覚えた単語の中にはなかったが、その言葉の意味は、わかった。

「お疲れ様です」

 田中は言った。

 通じているかどうかはわからなかった。

 でも王様は少しだけ、笑った。


 それから二時間、王様は話し続けた。

 田中は聞き続けた。

 全部はわからなかった。でも、わからない部分は「つまりこういうことですか」と確認しながら、少しずつ輪郭を掴んでいった。

 帰り際、王様が田中に何かを言った。

 田中が拾えた単語は「明日」「また」「来い」の三つだった。

「かしこまりました」

 田中は言いながら、頭を下げた。

 騎士が「え、この人何者」という顔をしていた。

 田中自身も、よくわからなかった。

 ただ、やることは決まった。

 まず、言語をもっと覚える。

 次に、この国の状況を把握する。

 そして、できることから手をつける。

 いつもと同じだ。

 田中は城に戻りながら、メモアプリに今夜の内容を整理した。

 【王様との面談メモ・第一回】

 ・先方の課題:魔王軍の侵攻、貴族との関係、勇者のマネジメント、情報不足

 ・先方の状態:孤立、疲弊、信頼できる相手がいない

 ・当面の方針:傾聴継続、情報収集、信頼構築

 ・懸念:言語習得が急務。このままでは細かいニュアンスが取れない。

 田中は一つ、追記した。

 ・備考:王様、泣き上戸の可能性あり。要注意。


次回「第三話 言葉が通じなくても、議事録は取れる」へつづく

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