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第二十八話 月次情報交換は、雑談から始まった

第二十八話 月次情報交換は、雑談から始まった


前話までのあらすじ


食料交易の第一回が完了した。確認、記録、署名、保管。一時間で終わった。

シアから「魔王が書類を自分で読むようになった」という報告を受けた。側近が要約を都合よく書けなくなって困っているらしい。

帰り道、レオンに「タナカ自身がいることも大事」と言われた。

田中はそれをメモに残した。


-----


 月次情報交換の第一回は、交易から三週間後だった。


 場所は同じ、国境の川沿いの東屋。


 今回は田中一人で来た。


 護衛はロイドに相談して、東屋から少し離れた場所に待機してもらう形にした。


「一人で行くのか」と、ロイドに言われた。


「情報交換なので」と、田中は答えた。


「何かあったときの合図は」と、ロイドに確認された。


「右手を三回上げます」と、田中は答えた。


「覚えているか」と、ロイドに念押しされた。


「覚えています」と、田中は答えた。


 東屋に着くと、シアがいた。


 今日もシアも一人だった。


「一人で来たのか」


「情報交換なので」


「同じ判断をしたな」


「そうですね」


 二人で東屋に入った。


 テーブルに向かい合って座った。


 田中は鞄から羊皮紙を取り出した。


 シアも羊皮紙を取り出した。


「では、始めましょうか」


「その前に」


 シアが言った。


「なんですか」


「腹は減っていないか」


 田中は少し止まった。


「……減っているかもしれません」


「来る途中で、何か買ってきた」


 シアは鞄から包みを取り出した。


 開くと、黒いパンと、干し肉と、果物が入っていた。


「魔王城の近くの市場で売っていた。田中が来るから、何か持ってこようと思って」


 田中はしばらく包みを見た。


「……ありがとうございます」


「仕事の前に食べよう。空腹で話すより、腹が落ち着いてからの方が、頭が動く」


「そうですね」


 二人で食べた。


 黒いパンは、魔王城で食べたものと同じ味だった。


 干し肉は少し塩辛かった。


 果物は甘かった。


「この果物、この辺で取れるんですか」


「山の向こうで取れる。魔王領の名産だ」


「甘いですね」


「寒い地域で育つから、糖度が高くなる」


「なるほど」


 田中は果物をもう一口食べた。


 川の音がした。


 風が吹いていた。


 いい天気だった。


「田中」


「はい」


「お前は、休むということをするのか」


 田中は少し考えた。


「してきませんでした」


「してこなかった」


「元の世界でも、この世界に来てからも、やることがあると動いてしまうので」


「体は大丈夫なのか」


「大丈夫です。慣れているので」


「慣れているのと、大丈夫なのは別の話だ」


 田中は少し止まった。


「……そうですね」


「魔王城に来たとき、目の下に隈があった」


「そうでしたか」


「今もある」


「そうですか」


「気にならないのか」


「気にする時間があれば、やることをやります」


 シアはしばらく田中を見た。


「……お前、元の世界でも同じだったのか」


「同じでした」


「誰かに注意されなかったのか」


「部下に何度か言われました。あと、妻にも」


「妻がいるのか」


「いました。今はどうなっているかわかりません」


 シアは少し黙った。


「……そうか」


「異世界に来てしまったので」


「連絡は取れないのか」


「スマートフォンが圏外なので」


「そうか」


 川の音が続いた。


 田中はパンをちぎった。


「シアさんは、家族はいますか」


「いない」


「一人ですか」


「生まれたときから、ほぼ一人だ。魔王城に来てからは、城が家みたいなものだ」


「そうですか」


「孤独かと聞きたいのか」


「聞こうとしていました」


「孤独だと思ったことはない。ただ、話せる相手がいなかった、とは思っていた」


「今は話せる相手がいますね」


「お前がいるからな」


「シアさんが話してくれるからでもあります」


 シアは少し考えた。


「田中は、こういう話を誰かにしたことがあるか」


「どういう話ですか」


「自分のことを話す、ということだ」


「あまりないです」


「なぜだ」


「話す機会がなかったです。元の世界でも、この世界でも、いつもやることがあったので」


「やることがあると、自分の話をしなくなるのか」


「そうかもしれません。自分の話より、やることの話の方が、具体的なので」


 シアはしばらく川を見た。


「田中、今日は情報交換の前に、少し雑談をしよう」


「雑談、ですか」


「そうだ。仕事の話ではなく、ただの話だ」


「……どんな話をすればいいですか」


「何でもいい。好きなものとか、嫌いなものとか」


 田中は少し考えた。


「好きなもの」


「そうだ」


「……スープです」


「スープ」


「どこの世界に行っても、スープがあります。塩気が強くて、何かの風味がある。それが、落ち着きます」


「なぜスープが好きなんだ」


「元の世界でも、疲れたときにコンビニでスープを買っていました。温かくて、手軽で、とりあえず飲めば少し回復する感じがして」


「コンビニとは」


「食べ物や飲み物を売っている店です。二十四時間開いていて、いつでも買えます」


「便利な場所だな」


「そうです。深夜に仕事をしているとき、よく行っていました」


「深夜に仕事を」


「毎日でした」


 シアは少し黙った。


「それは、大変だったな」


「慣れていたので、あまり大変だと思っていませんでした。ただ、今思い返すと、大変だったかもしれません」


「今の方が楽か」


「今の方が、やることが明確なので、楽かもしれません」


「異世界の方が楽、か」


「そう言うと変ですが、そうかもしれません」


 シアは少し笑った。


「シアさんは、好きなものは何ですか」


「川だ」


「川ですか」


「流れているものが好きだ。止まっていない。でも、同じ場所にいる。それが、安心する」


「止まっていないけど、同じ場所にいる」


「そうだ。動いているのに、消えない」


 田中はしばらく川を見た。


「なるほど」


「変か」


「変じゃないです。なんか、わかります」


「わかるのか」


「やることが変わっても、やる自分は同じ場所にいる、という感じに似ているかもしれません」


 シアはしばらく田中を見た。


「……お前は、話が上手いな」


「そうですか」


「人の言ったことを、自分の言葉に繋げるのが上手い」


「意識したことはないですが」


「だから話しやすいのかもしれない」


 川が流れていた。


 風が吹いた。


 二人でしばらく黙って、川を見た。


 沈黙が、不快ではなかった。


-----


 しばらくして、シアが言った。


「そろそろ仕事の話をするか」


「そうしましょう」


「切り替えが早いな」


「シアさんが切り替えたので」


「そうだな」


 二人は羊皮紙を広げた。


 田中がこの国の状況を報告した。


 貴族説明会の結果、停戦への支持状況、東街道の見張りの状況、アレンの前線巡回の報告。


 シアが魔王城の状況を報告した。


 備蓄庫の改善の進捗、食料の安定状況、北からの動きの最新情報。


「北の動きは、先月と変わっていません。山脈の異音は続いていますが、頻度は増えていない」


「わかりました」


「ただ、一点気になることがある」


「なんですか」


「山脈の東端、普段は誰も行かない場所に、足跡があった」


「足跡」


「人のものではない。形が違う」


「どんな形ですか」


「三本指で、大きい。人の足の倍くらいの大きさだ」


 田中はメモに書いた。


 ・北の動向:山脈東端に未確認の足跡。三本指、人の倍の大きさ。人のものではない。


「その足跡、最近のものですか」


「一週間以内だと思う」


「魔王陛下はご存知ですか」


「報告した。陛下は『向こうの偵察かもしれない』と言っていた」


「偵察」


「道が開く前に、こちらの様子を見に来ている可能性があるということだ」


 田中はしばらく考えた。


「それは、タイムラインが早まる可能性を示唆していますか」


「可能性はある。ただ、まだわからない」


「わかりました。この国の王様と、ロイド卿に伝えます」


「頼む」


 田中はメモを確認した。


 今月の情報交換で出てきた事項を整理した。


 双方の状況報告、北の足跡の情報、次回の確認事項。


「議事録、作りましたので確認してください」


 シアが受け取って読んだ。


「……毎回、正確だな」


「ありがとうございます」


「サインするか」


「お願いします」


 双方がサインした。


「次回は来月、同じ場所で」


「はい」


「また何か持ってくる」


「ありがとうございます。私も何か持ってきます」


「何を持ってくるんだ」


「この国のスープを、持ち運べる形にして」


 シアは少し考えた。


「スープを持ち運べるのか」


「干したものや、煮詰めたものなら、持ち運べます」


「……それは、楽しみだ」


 田中は頷いた。


 二人は東屋を出た。


 川が流れていた。


 シアが川を見た。


「田中、今日は仕事と雑談、どっちが長かったと思うか」


「……雑談の方が少し長かったかもしれません」


「私もそう思う」


「問題でしたか」


「問題ではない」


「そうですか」


「むしろ、良かった」


 田中はシアを見た。


 シアは川を見ていた。


「流れているのに、同じ場所にいる」


 シアが静かに言った。


「川みたいな関係も、悪くないな」


 田中は少し考えた。


「そうですね」


 そう答えてから、少し恥ずかしい気もした。


 ただ、川の音が続いていたので、その音に紛れた気がした。


-----


 帰り道。


 田中は馬を進めながら、メモアプリを開いた。


 【本日の完了事項】


 ・月次情報交換第一回:完了。双方の状況確認、議事録作成、署名済み。


 ・北の動向:山脈東端に未確認足跡。王様とロイド卿に要報告。


 ・次回:来月、同じ場所。


 それから、少し考えて、書き足した。


 ・シアさんの好きなもの:川。流れているのに、同じ場所にいるから。


 ・自分の好きなもの:スープ。どこにでもあって、温かいから。


 書いてから、田中は少し考えた。


 こういうことをメモに書いたのは、初めてだった。


 仕事の内容でも、やることリストでも、問題点でもない。


 ただの、好きなものだった。


 田中はメモを閉じた。


 城が見えてきた。


 夕日が橙色だった。


 田中は馬を進めた。


 今日は、少し、いい一日だった気がした。


-----


*次回「第二十九話 北の足跡の話を聞いて、王様が珍しく黙った」へつづく*

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