第二十一話 北の話は、想像より大きかった
第二十一話 北の話は、想像より大きかった
前話までのあらすじ
魔王との第一回面会。謁見の間から私室に場所を移し、蒸留酒を飲みながら二時間話した。
停戦条件、食料交易、情報共有ルートの三点について方向性が合意した。
魔王は「イエスマンに囲まれて本音を言える相手がいなかった」と話した。田中の「心の中では議事録を作っていた」という言葉に、魔王が久しぶりに笑った。
シアが田中に「この城を変えてほしい」と頼んだ。田中は受諾した。
メモには「どちらの補佐官か問題、いずれ表面化する。要検討」と書いた。
翌朝。
田中はまた夜明け前に目が覚めた。
昨日と同じだった。
ただ、今日は少し早く目が覚めた。
外がまだ暗かった。
田中は窓を開けた。
山脈が見えた。
昨日より近い気がした。
気のせいではないかもしれない。魔王城は山の麓にある。どの部屋から見ても、山脈は近い。
ただ、今朝は少し違う見え方がした。
大きかった。
山脈が、昨日より大きく見えた。
気のせいかもしれなかった。
田中は窓を閉めて、メモアプリを開いた。
【本日の予定】
・午前:魔王との第二回面会(北の話)
・午後:城内の追加調査(シアからの依頼分)
・注意事項:北の話は、規模が大きい可能性がある。焦らず聞く。
「焦らず聞く」と書いてから、田中は少し考えた。
自分に言い聞かせているのかもしれなかった。
朝食を食べて、シアと合流した。
「昨日はよく眠れたか」
「よく眠れました」
「緊張していないのか、今日も」
「少し」
「毎回少しずつ緊張しているな」
「毎回少しずつ、知らないことに向き合うので」
シアは少し考えてから言った。
「北の話は、覚悟して聞いた方がいい」
「どういう意味ですか」
「大きい話だ」
「どのくらい大きいですか」
「一国で対処できる規模ではない、という話だ」
田中は少し止まった。
「一国で対処できない」
「そうだ」
「魔王軍でも、ということですか」
「そうだ」
田中はメモに書いた。
・北の脅威:一国規模では対処不可能。
書いてから、少し考えた。
一国で対処できないなら、複数国が必要になる。
複数国が必要になるなら、この国と魔王軍だけでは足りない。
やることリストが、また大きくなりそうだった。
魔王の私室に通された。
昨日と同じ部屋だった。
暖炉に火が入っていた。
魔王はすでに椅子に座っていた。
テーブルの上に、大きな地図が広げてあった。
昨日の地図より、範囲が広かった。
魔王領だけでなく、この国、周辺国、そして北の山脈の向こうまで描かれていた。
「座れ」
「失礼します」
田中とシアが座った。
魔王は地図を指で示した。
「ここが魔王領。ここがお前の国。ここが北の山脈だ」
「はい」
「山脈の向こう、ここに何があるかわかるか」
「図書室の記録では、百年前から別の勢力がいるとありました」
「百年前からではない。もっと前からいる」
「もっと前から」
「千年以上前から、あの山脈の向こうには別の世界がある」
田中はメモを取りながら、聞いた。
「別の世界、というのは」
「この世界とは異なる法則で動いている領域だ。魔法の性質が違う。生き物の種類が違う。時間の流れ方も、少し違う」
「異世界、ということですか」
魔王が少し目を細めた。
「お前は異世界から来たと言っていたな」
「はい」
「その世界とは違う」
「どう違いますか」
「お前が来た世界は、この世界と同じ時間軸にある。ただ場所が違うだけだ。北の向こうは、時間軸そのものが違う」
「時間軸が違う」
「向こうの時間は、こちらより速く流れる。向こうで百年経つと、こちらでは十年しか経っていない」
田中はメモを取りながら、少し考えた。
「それが、圧力が周期的に強まる理由ですか」
魔王は少し驚いた顔をした。
「なぜわかる」
「向こうの時間が速いなら、向こうの勢力は短い周期で世代交代を繰り返す。勢力が拡大する時期と収縮する時期が、こちらより速いサイクルで来る。それが周期的な圧力として現れる」
魔王はシアを見た。
「シア、この人間は何者だ」
「補佐官です」
「補佐官が、こんな話を即座に理解するのか」
「田中は、そういう人間です」
魔王は田中に視線を戻した。
「正確だ。向こうの勢力は、約三十年周期で拡張期が来る。今はその拡張期の中にいる」
「三十年周期で、今はその最中ということは」
「あと十年は続く」
「十年」
「そしてこの拡張期は、過去の周期より規模が大きい」
「なぜ規模が大きいのですか」
「向こうが、こちらの世界に本格的に出てくるための『道』を作ろうとしているからだ」
田中は手を止めた。
「道、というのは」
「山脈に、穴を開けようとしている」
「物理的な穴ですか」
「物理的な穴であり、時間軸の穴でもある。両方の意味でのルートだ。それが開いたら、向こうの勢力がこちらに大規模に流入する」
部屋が静かになった。
暖炉の火が揺れた。
田中はメモを取り続けた。
シアは黙っていた。
「その道が開く時期は、いつ頃ですか」
「早ければ三年。遅くとも五年」
「三年から五年」
「そうだ」
田中はメモを見た。
北の脅威:時間軸の異なる世界からの勢力。三十年周期の拡張期、現在最中。山脈に道を開こうとしている。完成は三〜五年以内。
書いた内容を見た。
少し、手が止まった。
いつもなら、問題を見ると「優先順位をつけて対処する」という思考が自動的に動く。
今回は、少し、動きが遅かった。
「田中」
魔王が言った。
「はい」
「どう思う」
田中は少し考えた。
「……整理が追いつかないです」
魔王は少し驚いた顔をした。
「お前が、そういうことを言うのか」
「初めて言いました」
「いつもは整理が追いつくのか」
「だいたいは」
「だいたいは、か」
「今回は、規模が違います」
魔王は少し黙った。
「そうだ。余も、最初に知ったとき、整理が追いつかなかった」
「それはいつですか」
「十五年前だ。父から引き継いだ」
「引き継いだとき、どうしましたか」
「どうもできなかった。ただ、南への侵攻を続けることで、北の圧力から逃げ続けてきた」
「逃げ続ける、というのは」
「南に出口を確保することで、北から押されたときの逃げ場にしようとしていた」
田中は少し考えた。
「この国への侵攻は、北から逃げるためだったんですか」
「そうだ。この国を制圧できれば、北が崩れたときの退路になる」
「……そうでしたか」
「お前の国から見れば、魔王軍は侵略者だ。それは正しい。ただ、余の側から見れば、生き残るための選択だった」
田中はしばらく黙った。
魔王も黙った。
シアも黙っていた。
暖炉の火だけが音を立てていた。
「田中、整理できそうか」
魔王が聞いた。
「少し時間をください」
「どのくらい必要だ」
「……今日の午後、一人で考えさせてもらえますか」
「構わん」
「明日、考えたことを話させてください」
「待つ」
田中は頭を下げた。
「一つだけ確認させてください」
「なんだ」
「魔王陛下は、北の問題を解決したいと思っていますか。それとも、うまく回避したいと思っていますか」
魔王はしばらく田中を見た。
「どう違う」
「解決するなら、北の勢力と直接向き合う必要があります。回避するなら、被害を最小化しながら逃げ続ける選択になります。どちらを目指すかで、やることが変わります」
魔王は長い沈黙の後、言った。
「……できるなら、解決したい」
「わかりました」
「できると思うか」
「まだわかりません。ただ、一人では無理です」
「一人では、というのは」
「魔王軍だけでは、ということです」
「この国と、協力するということか」
「それだけでも、足りないかもしれません」
魔王は少し目を細めた。
「さらに広い話になるということか」
「なる可能性があります」
「……お前、どこまでやるつもりだ」
田中は少し考えた。
「やることがある限り、やります」
魔王はしばらく田中を見た。
それから、低く言った。
「……頼もしいのか、無謀なのか、判断がつかない」
「私もわかりません」
「正直だな」
「何回目でしょうか」
「数えていない」
「私もです」
魔王は低く笑った。
シアも、小さく笑った。
田中はメモに書き足した。
・魔王の意向:解決を望む。回避ではなく。
・前提の更新:この問題は、二国間の問題ではない。
・やること:午後、一人で考える。
午後、田中は部屋に一人でいた。
地図を広げた。
魔王から借りてきた、範囲の広い地図だ。
北の山脈。魔王領。この国。周辺国。
田中はしばらく地図を見た。
問題の規模を、改めて考えた。
三〜五年以内に、山脈に道が開く。
道が開けば、時間軸の異なる世界から勢力が流入する。
魔王軍だけでは対処できない。
この国とあわせても、足りないかもしれない。
では、何が必要か。
田中はメモアプリを開いた。
【北の問題・整理】
・脅威の内容:時間軸の異なる世界からの大規模流入。山脈の「道」が開くことで実現。
・タイムライン:三〜五年以内。
・現在の対処:魔王軍が南に退路を確保しようとしていた。→この国との停戦交渉はその文脈。
・必要なこと:道を塞ぐか、開いた後に対処するか。
・道を塞ぐには:北の勢力と直接交渉するか、物理的・魔法的に封鎖するか。
・対処する戦力:魔王軍+この国+?
・?の部分:周辺国の協力が必要になる可能性がある。
田中は書いた内容を見た。
周辺国。
この国と魔王軍が停戦しているというだけでも、周辺国は動揺するだろう。
そこにさらに「北の脅威に対抗するために協力してほしい」と言えば、どうなるか。
各国の思惑が交錯する。
利害が対立する。
誰も動きたがらない。
田中は少し考えた。
誰も動きたがらない状況で、人を動かすには。
情報を整理して、数字で示して、それぞれの事情に合わせた話し方をする。
やることは同じだ。
規模が違うだけで。
田中はメモに書き足した。
・方針:まずこの国と魔王軍の停戦を完成させる。その上で、北の問題を共有する。周辺国への働きかけは、その後。
・優先順位:焦らない。一つずつ。
・懸念:時間が三〜五年しかない。一つずつやっている余裕があるかどうか。
最後の懸念を見て、田中はため息をついた。
窓の外に、山脈が見えた。
大きかった。
あの向こうに、道が開こうとしている。
田中は窓から目を離して、メモに最後の一行を書いた。
・所感:規模は大きい。ただ、やることは変わらない。情報を整理して、人を動かす。それだけだ。
それだけだ、と書いてから、田中は少し笑った。
自分で書いて、少し可笑しかった。
それだけ、と言えるかどうかは、やってみないとわからない。
ただ、そう書いておかないと、動き出せない気がした。
田中はメモを閉じた。
明日、魔王に話す内容を、頭の中で整理し始めた。
次回「第二十二話 整理できたことと、できなかったこと」へつづく




