第二十二話 整理できたことと、できなかったこと
第二十二話 整理できたことと、できなかったこと
前話までのあらすじ
魔王から北の脅威の全貌を聞いた。
山脈の向こうは時間軸の異なる世界。三十年周期の拡張期が今まさに進行中で、三〜五年以内に山脈に「道」が開く可能性がある。
魔王軍がこの国に侵攻し続けてきた理由は、北から逃げるための退路確保だった。
田中は初めて「整理が追いつかない」と言い、午後を一人で考える時間に使った。
メモの最後に「それだけだ」と書いてから、少し笑った。
朝、田中は早く目が覚めた。
今日で三日目だった。
窓を開けた。
山脈は、やはり大きかった。
昨日より大きくなったわけではない。ただ、昨日より意味が変わって見えた。
あの向こうに、別の世界がある。
田中はしばらく山脈を見てから、窓を閉めた。
メモアプリを開いた。
昨日の午後から考え続けてきたことを、もう一度確認した。
整理できたこと。
整理できなかったこと。
両方、正直に話す。
それだけだ。
魔王の私室に通されると、魔王はすでに地図の前に座っていた。
シアも隣にいた。
「来たか」
「失礼します」
田中は椅子に座った。
魔王が言った。
「考えてきたか」
「はい。整理できたことと、整理できなかったことがあります」
「両方話せ」
「はい」
田中はメモアプリを開いた。
「まず、整理できたことから話します」
「聞こう」
「三点あります」
田中は指を立てた。
「一点目。この問題は、二国間の問題ではないということです。魔王軍とこの国が協力しても、北の道が開いたときに対処できるかどうかは、わかりません。周辺国の協力が必要になる可能性が高い」
魔王は頷いた。
「二点目。ただし、周辺国を動かすには順番があります。まずこの国と魔王軍の停戦を完成させる。停戦の実績を作ってから、周辺国に対して北の問題を共有する。この順番でないと、誰も信じない」
「なぜ信じないのだ」
「敵対関係にある二国が突然『協力してほしい』と言っても、罠だと思われます。停戦の実績があって初めて、話を聞いてもらえます」
「なるほど」
「三点目。時間は三〜五年ですが、全部を解決しようとすると時間が足りません。道が開くことを前提に、開いた後の対処も並行して考える必要があります。防ぐことと、防げなかった場合の備えを、同時に進める」
魔王はしばらく考えた。
「理にかなっている」
「ありがとうございます」
「整理できなかったことは何だ」
田中は少し間を置いた。
「二点あります」
「言え」
「一点目。北の勢力と直接交渉できるかどうか、わかりません。時間軸が違う世界の相手と、どうやって話すのか、私には方法がわかりません」
「それは余にもわからん」
「そうですか」
「百年以上、誰も方法を見つけていない」
「なるほど。では今日はそこには踏み込まないで、できることから考えます」
「二点目は」
「周辺国を動かす具体的な方法が、まだ見えていません。どの国がいて、どういう事情を持っていて、どういう順番でアプローチするか、情報が足りていません」
「情報が足りていないなら、どうする」
「集めます。まずこの国と魔王軍の停戦を進めながら、並行して周辺国の情報を集めます。帰国したら、王様と一緒に整理します」
魔王はしばらく黙った。
それから言った。
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、この問題が解決できると思っているか」
田中は少し考えた。
「わかりません」
「わからない、か」
「できると思う根拠が、今はまだ足りていません。ただ」
「ただ?」
「やってみないとわからないことは、やってみるしかないと思っています」
魔王はしばらく田中を見た。
「無責任な答えにも聞こえるが」
「そうかもしれません。ただ、できないと決めつけて何もしないよりは、やってみる方がいいと思います」
「根拠のない楽観ではないか」
「根拠がないのは認めます。ただ、今まで整理できないと思っていた問題も、整理してみると動いたことが何度かありました」
「元の世界でか」
「元の世界でも、この世界でも」
魔王はしばらく地図を見た。
「田中、お前はこの問題に、どこまで関わるつもりだ」
「必要なところまで」
「それはどこまでだ」
「今はわかりません。ただ、途中で投げ出すつもりはありません」
「なぜ投げ出さない」
田中は少し考えた。
「やりかけの仕事を放置すると、後で余計に大変になるからです」
魔王は少し目を細めた。
「……それが理由か」
「はい」
「もっと、崇高な理由があるかと思った」
「崇高なことは言えないです。ただ、やりかけは気になります」
魔王は低く笑った。
「シア、お前はどう思う」
シアが言った。
「田中らしいと思います」
「そうだな」
魔王はテーブルの上の地図を見た。
「田中、一つ頼みがある」
「はい」
「お前が帰国したら、この国の王にも北の話をしてくれ」
「するつもりです」
「余から直接話してもいいが、お前が話した方が伝わりやすいと思う」
「なぜですか」
「余が話すと、王は身構える。お前が話すと、情報として受け取ってもらえる」
田中は少し考えた。
「……そうかもしれません」
「頼めるか」
「はい。ただし、私の報告と魔王陛下からの正式な書状を合わせた方が、王様も動きやすいと思います」
「書状を出すということか」
「はい。口頭の報告だけでは、後で確認できません」
「議事録と同じ発想だな」
「同じです」
魔王は頷いた。
「書状は用意する。シア、頼む」
「わかりました」
田中はメモに書いた。
・魔王からの書状:王様宛。北の問題の共有。シアが作成。
話し合いはさらに一時間続いた。
停戦の細部を詰めた。
食料交易のスケジュールを確認した。
情報共有ルートの具体的な方法を決めた。
月に一度、シアと田中が直接会って情報を交換する。場所は先日の東屋でいい、ということになった。
「月に一度、田中が国境まで来るということか」
「はい。私が行けない場合は、レオンに代理を頼みます」
「レオンとは」
「この国の言語担当です。信用できます」
「わかった」
話し合いの終わりに、魔王が言った。
「田中、いつ帰国する」
「明日には発ちたいと思っています」
「早いな」
「王様への報告が必要なので。また、王様が心配していると思います」
「王がお前を心配しているのか」
「たぶん」
「どんな王だ」
田中は少し考えた。
「攻撃しか頭にない、でも人はいい王様です」
魔王は少し目を細めた。
「攻撃しか頭にない、か。余と似ているな」
「似ているかもしれません」
「会ってみたい気もするが」
「いつか、機会があれば」
「お前が段取りするのか」
「必要があれば」
魔王は低く笑った。
「お前は本当に、補佐官という仕事が向いているな」
「よく言われます」
「何回目だ」
「数えていません」
「また同じ答えだ」
「同じことしか言えなくて申し訳ないですが、本当にそうなので」
魔王は笑い終えてから、少し真顔になった。
「田中」
「はい」
「この城に来て、何か気になったことはあったか」
「たくさんありました」
「言ってくれ」
「全部ですか」
「全部は長いだろうから、一番気になったことを」
田中は少し考えた。
「食料の管理です」
「食料か」
「備蓄庫の在庫が少ないこと、腐らせている食料があること、一日二食に削減されたことを兵士たちが知っていること。これが一番、早く対処すべき問題だと思います」
「なぜ食料が一番だと思う」
「兵士の士気に直結するからです。交易で食料が入ってくるとしても、それまでの間に士気が下がると、回復に時間がかかります」
「今すぐできることはあるか」
「備蓄庫の整理と、食料の廃棄を減らすことです。管理の仕組みを少し変えるだけで、今ある食料を無駄にしなくなります」
「具体的には」
「在庫の記録をつけること、古いものから使う順番を決めること、週に一度状況を確認すること。この三点だけで、だいぶ変わります」
魔王はシアを見た。
「シア、聞いたか」
「聞きました。やります」
「田中が帰国する前に、始められるか」
「今日から始めます」
「頼む」
シアは田中を見た。
「田中、一緒に備蓄庫に行ってもらえるか」
「もちろんです」
田中は立ち上がった。
魔王が言った。
「田中、最後に一つ」
「はい」
「来てくれてよかった」
田中は少し止まった。
それから、頭を下げた。
「こちらこそ、話していただいてありがとうございました」
「また来い」
「はい。月に一度、情報交換に来ます」
「それ以外でも来ていい」
「……かしこまりました」
魔王は小さく笑った。
田中とシアは部屋を出た。
廊下を歩きながら、シアが言った。
「田中、陛下に気に入られたな」
「そうですか」
「『また来い』と言ったのは、私以外では初めてだと思う」
「シアさんには言ったことがあるんですね」
「最初の頃に一度だけ。その後は言わなくなった」
「なぜですか」
「私が城にいるのが当たり前になったから、わざわざ言わなくなったんだと思う」
田中は少し考えた。
「それは、信頼されているということですね」
「そうだといいが」
「そうだと思います」
シアはしばらく黙った。
「田中」
「はい」
「明日帰るのか」
「はい」
「また来るのか」
「月に一度、来ます」
「約束か」
「約束です」
シアは少し安堵した顔をした。
「わかった」
「シアさんも、この国に来ることがあれば、寄ってください」
「この国に来ていいのか」
「来ていただいた方が、情報交換が早いです」
「……情報交換のためか」
「それだけではないです」
シアは少し目を細めた。
「どういう意味だ」
「話が通じる相手は、どこにいても少ないです。そういう相手とは、場所を問わず会う方がいいと思います」
シアはしばらく田中を見た。
それから、小さく笑った。
「田中らしい言い方だ」
「そうですか」
「素直に『また会いたい』と言えばいいのに」
「……また会いたいです」
「それでいい」
二人は備蓄庫に向かった。
廊下の松明が、ゆらりと揺れた。
田中はメモに書いた。
・備蓄庫の改善:今日から着手。シアと一緒に。
・月次情報交換:東屋にて。シアと。
・次のアクション:明日帰国。王様に報告。北の問題を共有。
それから、もう一行書き足した。
・所感:魔王城に来て、三日。やることが増えた。でも、話が通じる人間も増えた。
次回「第二十三話 帰り道は、来た道より短く感じた」へつづく




