第二十話 魔王も、話せばわかる人だった
第二十話 魔王も、話せばわかる人だった
前話までのあらすじ
魔王城二日目、田中はついに魔王と対面した。
想像と違い、魔王は中肉中背で目が鋭い五十代の人物だった。
「思ったより小さいな」という魔王の第一声に「よく言われます」と返した田中。
議事録の許可も取り付け、「では話を始めよう」という魔王に対して、田中は「まず確認事項が三点あります」と切り出した。
横でシアが小さく笑っていた。
確認事項の一点目。
「今日の議題を確認させてください。停戦の条件の詳細、食料問題の具体的な対応、情報共有ルートの三点でよろしいですか」
魔王は頷いた。
「構わん」
「二点目。本日の合意は、双方の最終決定ではなく、持ち帰って検討する形でよろしいですか」
「どういう意味だ」
「私には王様への報告義務があります。魔王陛下にも、幹部への確認が必要な事項があると思います。本日は合意の方向性を確認する場として、最終決定は持ち帰りにしたいと思います」
魔王は少し考えた。
「……そうだな。それが妥当だ」
「ありがとうございます。三点目。話し合いの中で、私が確認のために質問をすることがあります。失礼に聞こえる場合があるかもしれませんが、内容を正確に理解するためですので、ご容赦ください」
魔王はしばらく田中を見た。
「失礼な質問とは、どんなものだ」
「例えば、数字の根拠を聞いたり、前提を確認したり、矛盾に見える点を指摘したりすることがあります」
「余の言葉に矛盾があると言うつもりか」
「矛盾があるかどうかは話してみないとわかりません。ただ、矛盾に見えた場合は確認させてください」
魔王は、じっと田中を見た。
シアが少し緊張した顔をしていた。
田中は待った。
魔王が言った。
「……許可する」
「ありがとうございます」
シアが小さく息を吐いた。
田中はメモに書いた。
・確認事項三点、承認取得。
議題の一点目、停戦の条件に入った。
シアが先日の交渉の内容を魔王に説明した。
魔王は聞きながら、時々口を挟んだ。
「停戦期間、最初は三ヶ月というのは短すぎる」
「シアさんとの交渉では、最初の三ヶ月を試験期間とする形を提案しました。問題がなければ延長する仕組みです」
「試験期間とは何だ」
「双方が合意内容を守れているか確認する期間です。守れていれば延長、問題があれば協議、という段階を踏む方が、長期的な安定に繋がります」
「最初から長期で合意した方が早いのではないか」
「長期の合意は、最初から守れない可能性があります。短期で実績を積んだ方が、双方の信頼が生まれます」
魔王は少し考えた。
「信頼、か」
「はい。信頼がない状態で長期の約束をしても、何かあったときに崩れやすいです」
「一理ある」
「三ヶ月で問題がなければ、六ヶ月、一年と延長していく形を想定しています」
「最終的には、恒久的な停戦を目指すということか」
「それが双方にとって最もコストが低い選択肢だと思います」
魔王はしばらく黙った。
田中は待った。
「……コストが低い、か。そういう言い方をする人間は初めてだ」
「事実として、戦争は維持費がかかります。停戦している方が、双方の資源を別のことに使えます」
「別のこととは」
「魔王陛下の場合は、北からの圧力への対応ではないですか」
魔王の目が、少し鋭くなった。
「……北のことを知っているのか」
「図書室の記録と、シアさんとの交渉の中で情報を得ました。百年前から北に別の勢力がいること、三年前からその圧力が強まっていること」
「どこまで知っている」
「知っているのはその程度です。詳しいことは、話していただけるなら聞きたいです」
魔王はシアを見た。
「シア、お前がどこまで話した」
「交渉に必要な範囲で話しました」
「北の詳細は?」
「話していません」
魔王は田中に視線を戻した。
「北の話は、今日はしない」
「わかりました」
「ただ、いずれ話す必要があるかもしれない」
「その時は聞かせてください」
魔王は頷いた。
田中はメモに書いた。
・北の脅威:詳細は今日は話さない方針。ただし魔王は「いずれ話す必要があるかもしれない」と言及。情報開示の意思はある。
議題の二点目、食料問題に入った。
田中は持参した試算を広げた。
「この国が提供できる食料の上限と、交易形式にした場合の対価の案です。先日シアさんに提示したものと同じですが、魔王陛下にも直接確認していただきたいと思いまして」
魔王は羊皮紙を手に取った。
黙って読んだ。
「この数字の根拠は」
「この国の農業生産の記録と、過去三年の輸出入の記録から算出しました」
「正確か」
「概算です。詳細は農業担当の部署と確認が必要です。ただし、方向性は変わらないと思います」
「対価の鉱石だが」
「はい」
「量はこれで足りるのか、この国にとって」
「足りるかどうかは、この国の職人に確認が必要です。ただ、珍しい素材なので、需要はあると思います」
魔王は少し考えた。
「一つ聞く」
「はい」
「なぜ交易の形にこだわるのか。支援でいいではないか」
「この国の国内事情です。魔王軍への支援という形では、貴族の反発が大きい。交易という形にすることで、政治的に通しやすくなります」
「……この国の政治事情まで考えているのか」
「考えていないと、合意しても実行できません」
魔王はしばらく田中を見た。
「お前は、余の側の事情も考えているのか」
「考えています」
「どんな事情だと思っている」
「食料不足は、兵士の士気に直結します。今のまま放置すると、内部から崩れる可能性があります。交易という形であっても、食料が安定すれば、その問題は緩和できます」
魔王は黙った。
長い沈黙だった。
シアも黙っていた。
魔王が言った。
「……正確だ」
「そうですか」
「今、この城が抱えている問題を、外から来た人間に言い当てられるとは思わなかった」
「城内を一日見て回ったので」
「一日で、そこまでわかるのか」
「見ていれば、だいたいわかります」
魔王はしばらく考えた。
それから、玉座から立ち上がった。
シアが少し驚いた顔をした。
魔王は玉座の横の扉を開けた。
「場所を変えよう」
「どこへ」
「ここでは話しにくい」
通された部屋は、謁見の間より小さかった。
テーブルと椅子が四つ。暖炉に火が入っていた。
本が積まれた棚があって、地図が壁に貼ってあった。
魔王の私室に近い部屋らしかった。
田中とシアが椅子に座ると、魔王も座った。
魔王が棚から瓶を取り出した。
琥珀色の液体が入っていた。
三つの杯に注いだ。
「飲めるか」
「いただきます」
田中は一口飲んだ。
強かった。
蒸留酒に近い味だった。
喉が熱くなった。
「……強いですね」
「北の山で作られる酒だ。体が温まる」
「確かに」
魔王は自分の杯を飲んだ。
それから、地図を見た。
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、この状況をどう見ている」
「どの状況ですか」
「この城の状況だ。一日見て、何を思った」
田中は少し考えた。
「正直に言っていいですか」
「言え」
「問題が多いです。ただ、全部が手の施しようがない問題ではありません」
「どれが手の施しようがない問題だ」
「今のところ、そういう問題は見つけていません」
魔王は少し目を細めた。
「全部、解決できると思っているのか」
「全部は無理です。ただ、優先順位をつければ、動かせる部分から変わっていきます」
「余は何度もそう思ってきた」
「そうですか」
「何度も、変えようとしてきた。でも変わらなかった」
田中は杯を置いた。
「なぜ変わらなかったと思いますか」
魔王は少し止まった。
「……それを聞くか」
「聞かないと、次に同じことをしても同じ結果になるので」
魔王はしばらく黙った。
暖炉の火が揺れた。
「……信用できる人間がいなかった」
静かな声だった。
「幹部たちは、余の機嫌を取ることしか考えていない。耳障りのいいことしか言わない。悪い情報は上がってこない。気づいたときには、もう手遅れになっている」
「イエスマンばかりということですか」
「そうだ。余が何かを言うと、全員が『おっしゃる通りです』と言う。それが一番困る」
田中は少し考えた。
「おっしゃる通りです、とよく言いますが」
「なに?」
「私も、よく言います。元の世界で」
「お前も?」
「上司に怒られたときや、反論しても意味がないときに、よく言っていました」
魔王は田中を見た。
「お前のような人間が、そう言うのか」
「言います。ただ、心の中では議事録を作っていました」
「議事録を」
「上司の発言の矛盾点や、後で問題になりそうな点を、心の中で記録していました。言えないことは、記録しておいて、適切なタイミングで使います」
魔王はしばらく田中を見た。
それから、低く笑った。
「……なるほど。したたかだな」
「生き延びるためです」
「何から生き延びる」
「理不尽から」
魔王はまた笑った。
今度は少し大きく笑った。
シアが驚いた顔をしていた。
「陛下が笑うのは珍しい」と、シアが小声で言った。
「そうですか」と、田中は答えた。
「珍しい」
魔王は笑い終えてから、杯を傾けた。
「田中、お前は正直な人間だ」
「何回目でしょうか」
「数えていない」
「私もです」
魔王はまた笑った。
田中は暖炉の火を見ながら、思った。
王様と初めて居酒屋で話した夜に、少し似ていた。
トップに立つ人間ほど、本音を言える場所がない。
魔王も、そうだったのかもしれない。
その後、二時間話した。
停戦の条件の細部を詰めた。
食料交易の数字を確認した。
情報共有ルートについては、魔王が「シアに任せる」と言った。
シアは少し困った顔をしたが、「わかりました」と答えた。
話し合いの終わりに、魔王が言った。
「田中、もう一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、この国の王の補佐官だ。なぜ余のことまで考えて話すのか」
「どういう意味ですか」
「お前の発言は、常にこちらの事情も考慮に入っている。補佐官なら、この国に有利な形で話を進めるべきではないか」
田中は少し考えた。
「双方が納得できる形にしないと、長続きしないからです」
「それだけか」
「あとは、困っている人間を見ると、整理したくなる性分なので」
魔王はしばらく田中を見た。
「困っているとわかったのか、余が」
「城を見れば、わかりました」
「……見透かされたな」
「すみません」
「謝るな。悪い気はしない」
魔王は立ち上がった。
「田中、明日もここに来い」
「はい」
「今日言えなかった話がある」
「北の話ですか」
「そうだ。一人で抱えていても、どうにもならないことがある」
「聞かせてください」
魔王は頷いた。
「今夜は休め。シアに部屋に送らせる」
「ありがとうございました」
田中は頭を下げた。
シアと一緒に部屋に向かいながら、田中はメモに書いた。
【魔王との面会・第一回まとめ】
・停戦条件:試験期間制で概ね合意。最終確認は持ち帰り。
・食料問題:交易形式で方向性合意。数量は継続確認。
・情報共有ルート:シアに一任。
・北の脅威:明日、詳細を話してもらえる見込み。
・魔王の人物像:孤独。イエスマンに囲まれて本音を言える相手がいない。話せばわかる。
・所感:王様と構造が同じ。トップなのに孤独。ただし、王様より長く一人だった分、疲れが深い。
シアが言った。
「田中、今日の面会、よくやった」
「ありがとうございます」
「陛下があんなに話したのは、久しぶりだと思う」
「そうですか」
「笑ったのも、久しぶりだ」
「難しい立場ですよね」
「ずっとそうだ。私が城に来てから、十年以上」
「シアさんはずっとここにいるんですか」
「そうだ。変えようとしてきたが、なかなか変わらなかった」
「一人では難しいですよね」
シアは少し黙った。
「田中、一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は、この城を変えるつもりがあるか」
田中は少し考えた。
「頼まれれば」
「私が頼んだら?」
「必要なことはします」
「この国の補佐官なのに?」
「どちらの補佐官かは、今は保留にしておきます」
シアはしばらく田中を見た。
それから、小さく言った。
「……頼む」
「わかりました」
田中はメモに書き足した。
・シア:城の改善を依頼。受諾。
・懸念:「どちらの補佐官か」問題、いずれ表面化する。要検討。
部屋の前まで来た。
「おやすみ、田中」
「おやすみなさい」
「明日も、確認事項から始めるのか」
「必要があれば」
「魔王は今日、確認事項という言葉を気に入っていた」
「そうですか」
「『あいつは確認事項から入るのか』と言っていた」
「どんなニュアンスで言っていましたか」
「悪くない顔をしていた」
田中は頷いた。
部屋に入って、扉を閉めた。
布団に横になって、天井を見た。
木の天井だった。
昨夜の宿と同じだった。
田中は目を閉じた。
明日、北の話を聞く。
それが何を意味するのか、まだわからない。
ただ、やることが増えた。
いつもと同じだ。
田中は、思ったより早く眠れた。
次回「第二十一話 北の話は、想像より大きかった」へつづく




