第十九話 魔王の前でも、まずは確認事項から
第十九話 魔王の前でも、まずは確認事項から
前話までのあらすじ
魔王城に到着した田中は、シアの案内で城内を一時間かけて見て回った。
組織図なし、記録なし、食料管理が不十分、派閥による連携不足、書類は山積み。
城全体が構造的な問題を抱えていることが、歩くだけでわかった。
田中はメモを取り続けた。シアは途中から諦めた顔をしていた。
明日、魔王との面会が設定された。田中は「議事録を取っていいか」と確認した。
魔王城の朝は、早かった。
夜明け前から廊下に足音がして、兵士の交代をする声がして、厨房から火を起こす音がした。
田中は音で目が覚めた。
窓を開けると、山脈が近くに見えた。
昨日より近い気がした。
いや、城が山の麓にあるので、どこから見ても近いのだ。
田中は窓を閉めて、着替えた。
メモアプリを開いた。
【本日の予定】
・午前:シアと城内の追加確認
・午後:魔王との面会
・注意事項:議事録の許可、昨夜シアが取り付けてくれた。ただし魔王の反応は不明。臨機応変に対応する。
・心構え:情報収集を優先。判断は後で。いつも通り。
最後の「いつも通り」という三文字を見て、田中は少し考えた。
いつも通り、と書けるようになったのは、いつ頃からだろう。
異世界に来た最初の日には、「いつも通り」などなかった。
四十五日かけて、少しずつ、積み上げてきた。
田中はメモを閉じた。
朝食を食べに行くことにした。
食堂は広かった。
長いテーブルが並んでいて、兵士たちが食事をしていた。
田中が入ると、いくつかの視線が向いた。
田中は気にせず、端の席に座った。
運ばれてきたのは、黒いパンとスープだった。
宿の朝食と同じ構成だった。
スープを一口飲んだ。
塩気が強かった。草の風味はなく、代わりに何かの香辛料が入っていた。
悪くなかった。
隣に、誰かが座った。
見ると、若い兵士だった。二十代前半くらいで、鎧を着ていた。
兵士は田中を見て、少し躊躇ってから言った。
「あんた、昨日シアに連れられて来た人か」
「そうです」
「どこから来たんだ」
「遠い場所から」
「魔王軍の人間じゃないよな」
「違います」
「なのになんで魔王城に」
「話し合いのためです」
兵士は少し考えた。
「話し合い、か」
「はい」
「この城に、話し合いに来る人間は珍しい。普通は戦いに来る」
「そうですか」
「うん。あと、お前みたいに飯をそんなに静かに食う人間も珍しい」
「静かですか」
「みんな、もっと騒がしく食う」
田中は周囲を見た。
確かに、兵士たちはにぎやかに食べていた。笑い声が上がっていて、言い合いをしているグループもあった。
「慣れていなくて」
「ここの飯、口に合わないか」
「そういうわけではないです。おいしいです」
兵士は少し嬉しそうな顔をした。
「俺、厨房の手伝いもしてるんだ。そう言ってもらえると助かる」
「香辛料が効いていて、体が温まりますね」
「山が近いから、朝は冷えるんだよ。だからああいう風にしてる」
「なるほど」
田中はパンをちぎりながら、兵士を見た。
「一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「食料の備蓄について、現場ではどう思っていますか」
兵士は少し固まった。
「……なんでそれを」
「昨日、備蓄庫を見ました。在庫が少ないように見えたので」
「見たのか」
「シアさんに案内してもらいました」
兵士は少し周囲を見てから、声を下げた。
「……正直言うと、足りてない。二週間前から、一日の食事が二食になった」
「三食から二食に?」
「上はなんも言わないけど、量が減った。みんな気づいてる」
「兵士の間で、不満はありますか」
「あるけど、言えない。言ったらどうなるか」
「上に届かない、ということですか」
「届いても、無視される。それがこの城のやり方だから」
田中はメモに書いた。
・食料:二週間前から一日二食に削減。上からの説明なし。現場に不満蓄積中。
兵士が言った。
「あんた、メモを取るんだな」
「記録しておかないと忘れるので」
「魔王の前でもメモを取るのか」
「許可をもらいました」
兵士は目を丸くした。
「魔王に許可を取ったのか」
「シアさんに取っていただきました」
「……シアさんがよく通したな」
「そうですか」
「シアさんは城の中で、立場が微妙だから。何か言うたびに幹部たちに潰されることが多くて」
「そうなんですね」
「でも今回は通った。なんか、変わってきてるのかもな」
田中はメモに書き足した。
・シア:城内で立場が微妙。幹部たちとの対立あり。
兵士が立ち上がった。
「俺、訓練があるから行くわ。話せて良かった」
「こちらこそ。ありがとうございました」
「話し合い、うまくいくといいな」
「ありがとうございます」
兵士は行ってしまった。
田中はスープの残りを飲み干した。
この城の問題は、上から見えていない。下から声が届かない。その間に、シアがいる。
どこかで見た構造だ。
田中はパンの最後のひとかけらを口に入れた。
午後になった。
シアが田中の部屋に迎えに来た。
「準備はできているか」
「はい」
「緊張しているか」
「少し」
シアは少し驚いた顔をした。
「正直だな」
「緊張していないと言っても、顔に出るので」
「顔に出ているか?」
「わかりません。ただ、嘘をついても仕方ないので」
シアは小さく笑った。
「行こう」
廊下を歩いた。
奥に進むほど、廊下が広くなった。
壁の装飾が増えた。
松明の数が増えた。
兵士の数が増えた。
田中は歩きながら、メモアプリを開いた。
「また書いているのか」
「廊下の構造を記録しています」
「なぜ」
「城の中の権力の勾配が、廊下の装飾の変化でわかります」
シアは少し止まった。
「……廊下を見てそれを考えるのか」
「外側に出やすいので」
「外側」
「組織の本質は、外側に出ることが多いです。会議室の配置とか、廊下の広さとか、誰が先に飯を食えるかとか」
「朝食の席順も見ていたのか」
「見ていました」
シアはため息をついた。
「お前は本当に、どこでも観察をやめないな」
「習慣なので」
「元の世界から?」
「元の世界から」
「十五年の」
「はい」
シアはしばらく歩いてから、言った。
「魔王の前では、少し観察を控えてくれ」
「どうしてですか」
「魔王は、見透かされることを嫌う」
「なるほど」
「お前が魔王を観察しているのが伝わると、機嫌が悪くなる可能性がある」
「わかりました。表に出ないようにします」
「出ないようにできるのか」
「努力します」
「……努力、か」
シアは少し心配そうな顔をしていた。
謁見の間は、王様の城のそれより二倍は広かった。
天井が高く、柱が太く、床に黒い石が敷き詰められていた。
正面に、玉座があった。
そこに、魔王がいた。
田中は少し止まった。
一瞬だけ、止まった。
魔王は、想像と少し違った。
年齢は、五十代に見えた。
大きな体ではなかった。むしろ、中肉中背だった。
ただ、目が鋭かった。
じっと田中を見る目が、品定めをしているというより、計っているような目だった。
白髪が混じった黒髪を後ろに束ねていて、黒いローブを着ていた。
冠は、被っていなかった。
田中は一歩前に出て、頭を下げた。
「田中義則と申します。お時間をいただきありがとうございます」
沈黙があった。
魔王が言った。
「顔を上げろ」
低い声だった。
田中は顔を上げた。
魔王と目が合った。
魔王はしばらく田中を見た。
「……思ったより、小さいな」
「よく言われます」
魔王は少し目を細めた。
「怖くないのか」
「緊張しています」
「顔に出ていないぞ」
「そうですか」
「普通は、この場所に来ただけで顔が青くなる」
「青くなっても、状況は変わらないので」
魔王はしばらく田中を見た。
それから、シアを見た。
「シア、こいつが例の人間か」
「はい」
「話が通じると言っていたな」
「はい」
「本当に通じるのか」
「通じます」
魔王は田中に視線を戻した。
「一つ、聞く」
「はい」
「この国の王の補佐官が、なぜ魔王城に来る」
「王様に『お前が行け』と言われました」
魔王は少し間を置いた。
「……それだけか」
「それだけです」
「自分の意思ではないのか」
「自分の意思でもあります。来ることに意味があると思ったので」
「意味とは」
「直接話す方が、情報が正確に伝わります。また、相手の状況を直接確認できます」
「確認して、どうする」
「判断の材料にします」
「何を判断する」
「この国と魔王軍が、どういう関係を作れるかを判断します」
魔王は玉座の背もたれに体重を預けた。
「ずいぶん冷静な言い方だな」
「事実を並べているだけです」
「感情はないのか」
「あります。ただ、最初に感情を出すと、判断が狂うことがあるので」
魔王は少し考えた。
「お前はシアに似ているな」
「そうですか」
「シアも、感情を表に出さない。いつも冷静だ」
シアが少し困った顔をした。
「陛下、私は——」
「褒めているぞ」
シアは黙った。
田中はメモアプリを取り出した。
「よろしければ、議事録を取りながら話させてもらえますか」
魔王は田中の手元を見た。
「……それが、シアが言っていた黒い板か」
「そうです。記録の道具です」
「魔法か」
「技術です。元の世界から持ってきました」
「元の世界」
「遠い場所から来ました。詳しいことは説明が難しいのですが」
魔王はしばらくスマートフォンを見た。
「その板で、記録を取るのか」
「はい。合意した内容を後で確認できるようにします」
「余の言葉を記録するのか」
「双方の言葉を記録します。シアさんとの交渉でも同じようにしました」
魔王はシアを見た。
「シア、それは本当か」
「はい。田中が作った議事録は、合意内容が正確にまとまっていました」
魔王は少し考えた。
田中は待った。
魔王が言った。
「……構わん」
「ありがとうございます」
「ただし、一点だけ条件がある」
「聞かせてください」
「記録したものを、余にも渡せ」
「もちろんです。双方が持つ方がいいです」
魔王はしばらく田中を見た。
それから、口元が少し動いた。
笑ったのかもしれなかったが、表情が動きにくい顔だったので、よくわからなかった。
「シア、こいつは本当に変わった人間だな」
「そうです」
「よく来てくれた」
田中は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「では、話を始めよう」
「はい。まず確認事項が三点あります」
魔王が少し止まった。
「……確認事項?」
「はい。議題に入る前に、前提を揃えておきたいので」
シアが小さく笑うのが、横で見えた。
田中はメモアプリを開いた。
魔王城に来て、二日目。
いつも通り、始めることにした。
次回「第二十話 魔王も、話せばわかる人だった」へつづく




