第十五話 王様に報告したら、やっぱりそうなった
第十五話 王様に報告したら、やっぱりそうなった
前話までのあらすじ
交渉当日、魔王軍の渉外担当・シアと国境の川沿いで対面した。
シアも資料を持参していた。構成が田中のものとほぼ同じだった。
停戦、食料の交易形式での提供、情報共有ルートの確立、三点について大筋で合意が見えてきた。
しかし帰り際、シアが言った。「魔王が直接話したいと言ったら、来てもらえますか」
田中は初めて、少しだけ手が止まった。
帰り道、田中はずっと無言だった。
城に戻ったのは夕方だった。
馬を降りて、鞄を持って、城の廊下を歩いた。
レオンが飛んできた。
「タナカ、どうでしたか」
「だいたいうまくいきました」
「だいたい、というのは」
「持ち帰りの事項が一つあります」
「何ですか」
「王様に報告してから話します」
レオンは田中の顔を見た。
「……タナカ、なんか顔色が」
「普通です」
「普通じゃない気がしますが」
「普通です。王様はどこにいますか」
レオンはもう一度田中を見てから、「執務室だと思います」と言った。
執務室のドアをノックした。
「どうぞ」
入ると、王様は書類を見ていた。最近、執務室で書類を見ている時間が増えた。田中が仕分けを始めてから、自分で目を通す習慣がついてきていた。
「戻ったか」
「ただいま戻りました。報告よろしいですか」
「座れ」
田中は椅子に座り、鞄から資料を出した。
議事録を王様の前に置いた。
「交渉の議事録です。合意した内容をまとめてあります」
王様は議事録を手に取った。
黙って読んだ。
一ページ、二ページ。
読み終えて、顔を上げた。
「これが、今日一日でまとまったのか」
「大筋は。細部は相手側の承認待ちです」
「食料を交易の形で提供する、というのは」
「国内の反発を抑えるための形式です。実質は支援ですが、形式を交易にすることで、貴族への説明が通りやすくなります」
「なるほど」
「対価の鉱石については、レオンに調べてもらったところ、この国では産出しない種類のものが含まれているようです。職人が欲しがる素材らしく、交易としての実質的な価値もあります」
「一石二鳥だな」
「そうなります」
王様はもう一度議事録を見た。
「情報共有ルートについては」
「月次で状況報告を交換する形です。魔王の承認が必要なので、一週間以内に返答をもらいます」
「魔王の承認、か」
王様は少し間を置いた。
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「交渉相手のシアという人物、どんな人間だった」
田中は少し考えた。
「話が通じる人間でした」
「それだけか」
「準備をしてきていました。資料を持参していて、条件を整理していて、こちらの提案を頭ごなしに否定しなかった。魔王軍の中で、交渉をまとめたい側の人間だと思います」
「魔王軍の中にも、まとめたい側とそうでない側がある、ということか」
「おそらく。シアが今回の交渉を動かしているのは、そういう内部事情があるからかもしれません」
王様は頷いた。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「持ち帰りの事項があると言っていたが」
田中は少し止まった。
「はい」
「何だ」
「交渉の最後に、シアから申し出がありました」
「申し出?」
「魔王が、直接話したいと言ったら来てもらえるか、という打診です」
執務室が静かになった。
王様は田中を見た。
「魔王が、直接」
「はい。シアが報告した際に、魔王本人が直接会いたいと言う可能性があると」
「それは、魔王城に行くということか」
「そうなります」
王様はしばらく黙った。
田中も黙った。
窓の外で、風が吹いた。
王様が口を開いた。
「田中」
「はい」
「お前が行け」
田中は、少し間を置いた。
一秒。
二秒。
三秒。
王様が田中を見ていた。
いつもなら即座に「かしこまりました」が出る。
出なかった。
王様は何も言わなかった。
待っていた。
田中は窓の外を見た。
空が夕焼けで赤くなっていた。
この一ヶ月のことを、思った。
草原で目を覚まして、頬をつねって、財布の中身が変わっていて、騎士に連行されて、居酒屋で泣いている王様の話を聞いて、レオンと単語を並べて、貴族会議で資料を広げて、アレンに報告書の書き方を教えて、ロイドと十五分で打ち合わせを終えて、魔王軍からの手紙を両手で受け取って。
やることがあったから、動いてきた。
次のやることも、見えている。
ただ。
魔王城は、草原でも、居酒屋でも、貴族の応接室でも、国境の川沿いの東屋でもない。
田中義則、四十二歳。係長。
元の世界では、エレベーターの外に出ることもなく、毎日同じ廊下を歩いていた。
それがいつの間にか、異世界の王様の補佐官になって、魔王城に行く話になっている。
「……かしこまりました」
いつもと同じ言葉だった。
ただ、今回だけ、少し時間がかかった。
王様は田中を見た。
何かを言おうとして、止めた。
それから、静かに言った。
「無理はするなよ」
田中は少し驚いた。
王様がそういうことを言うのは、初めてだった。
「……はい」
「戻ってこい」
「戻ります」
「約束しろ」
「約束します」
王様は頷いた。
それ以上は言わなかった。
田中は頭を下げて、執務室を出た。
廊下でレオンが待っていた。
「どうでしたか」
「魔王城に行くことになりました」
レオンは目を丸くした。
「やっぱり」
「やっぱり、ですか」
「なんとなく、そうなると思っていました」
「私もそう思っていました」
「怖いですか」
田中は少し考えた。
「怖いかどうかより——」
「やることがあるから、でしょう」
「……はい」
「また同じことを言う、と思ったんですが」
「すみません、他の言い方が見つからなくて」
レオンは少し笑った。
それから、真顔になった。
「タナカ、一つだけ言っていいですか」
「どうぞ」
「タナカがここに来てから一ヶ月、この城が変わりました。王様が変わりました。アレンが変わりました。ロイド卿も、貴族の人たちも、少しずつ変わっています」
「そうでしょうか」
「そうです。タナカはいつも『整理しただけ』とか『やることがあるから』と言いますが、それだけじゃないと思います」
田中は何も言わなかった。
「魔王城でも、同じだと思います。タナカがいると、何かが変わる」
「買いかぶりですよ」
「買いかぶりじゃないです」
レオンは真剣な顔で言った。
「だから、ちゃんと帰ってきてください」
田中は少し止まった。
「……わかりました」
「約束してください」
「約束します」
レオンは頷いた。
それから、少し照れた顔をして、視線をそらした。
「夕食、まだですよね。食堂に行きましょう」
「そうですね」
二人で廊下を歩いた。
石畳の音が響いた。
田中は歩きながら、メモアプリを開いた。
【第一章・完了事項】
・王様との信頼関係:構築完了。
・国内の体制整備:進行中。
・貴族との関係:七割合意、三割継続フォロー。
・アレン:行動ルール確立、成長中。
・ロイド:連携ルート確立。
・魔王軍との交渉:大筋合意。細部承認待ち。
・次のミッション:魔王城訪問。
田中はメモを閉じた。
食堂から、夕食の匂いがしてきた。
異世界に来て、四十二日。
やることリストは今日も減らない。
でも、一ヶ月前とは、少しだけ景色が違った。
あの日、草原で目を覚ましたとき、田中には何もなかった。
今は、帰ってこいと言ってくれる人間が、この城にいる。
田中はそれを、感傷だとは思わなかった。
ただの事実だ。
でも、悪くない事実だと思った。
食堂の扉を開けた。
アレンが先に来ていて、肉を食べていた。
「タナカさん、今日どうでしたか」
「魔王城に行くことになりました」
アレンが肉を吹き出した。
「え?!」
「ご飯中にすみません」
「な、なんで」
「色々ありまして」
「一人でですか」
「たぶん」
「俺も行きます」
「アレンさんは戦闘担当なので、今回は別の仕事をお願いします」
「別の仕事って」
「私がいない間の、城の状況確認です」
「それ、戦わないですよね」
「戦いません」
アレンはしばらく考えた。
「……わかりました。でも、何かあったらすぐ言ってください」
「わかりました」
「本当に」
「本当に」
アレンは少し不満そうな顔をしながら、また肉を食べ始めた。
レオンが隣に座った。
田中も、向かいの椅子を引いた。
食堂には、いつもの夕食の匂いがあった。
パンと、スープと、肉の匂い。
この一ヶ月で、すっかり馴染んだ匂いだった。
田中は椅子に座り、運ばれてきたスープを一口飲んだ。
塩気が強くて、草の風味がした。
最初に飲んだときと、同じ味だった。
ただ、今は、それが悪くないと思えた。
第一章 完




