第十四話 交渉相手も、準備してきていた
第十四話 交渉相手も、準備してきていた
前話までのあらすじ
交渉の準備を三枚の羊皮紙に整理した田中。要求リスト、譲れる点、絶対に譲れない点。絶対に譲れない点は一つだけだった。「この国の民への危害を加えないこと」。
魔王軍からの返答には「食料の問題について話し合いたい」という一文が追加されていた。兵糧不足の仮説は、ほぼ当たっていた。
交渉場所は国境の川沿いの東屋、五日後。
田中は当日持参する資料の作成を始めた。準備はできている。できていない部分は当日に考える。いつもそうやってきた。
四十一日目の朝。
交渉当日だった。
田中は夜明け前に起きて、持参する資料を確認した。
羊皮紙が五枚。
一枚目:この国の現状の概要。
二枚目:停戦の条件案。
三枚目:食料に関する現状と提供可能な試算。
四枚目:双方の情報共有ルートの案。
五枚目:白紙。当日の議事録用。
五枚目を見て、レオンが昨夜言っていたことを思い出した。
「議事録、交渉の場で取るんですか」
「取ります」
「相手が警戒しませんか」
「警戒するかもしれません。ただ、双方が合意した内容を記録しておかないと、後で齟齬が出ます」
「でも魔王軍相手に」
「魔王軍相手でも同じです」
レオンは何か言いかけて、止めた。
田中は資料を革の鞄にまとめた。
いつも会議に持っていく鞄だ。異世界に来てもそれは変わっていない。
城門の前に、ロイドが待っていた。
護衛の騎士五名と、馬が六頭。
「準備はいいか」
「はい」
「合図は確認したな」
「はい。右手を三回上げたら介入、左手を三回上げたら撤退」
「間違えるなよ」
「間違えません」
ロイドは田中を見た。
「緊張しているか」
「少し」
ロイドは少し驚いた顔をした。
「珍しいな」
「相手がどんな人間かまだわからないので。わからないものは、少し緊張します」
「そうか」
ロイドは短く言って、馬に乗った。
田中も馬に乗った。馬に乗るのは異世界に来てから何度かあったが、まだ慣れていなかった。
城門が開いた。
国境の川沿いの東屋までは、馬で二時間だった。
田中は道中、資料を頭の中で反復した。
数字を間違えないようにする。
相手の話を最後まで聞く。
結論を急がない。
この三点だけ守れば、大抵の交渉はなんとかなる。
十五年間の経験が、そう言っていた。
東屋が見えてきた。
川沿いの小さな石造りの建物だった。屋根があって、テーブルと椅子が置いてある。人が二、三人入れる程度の広さだ。
魔王軍の側はすでに到着していた。
東屋の前に、黒いマントの人間が三人立っていた。
田中はその中の一人を見て、少し安堵した。
最初に城に来た使者がいた。
田中は馬を降りた。
ロイドたちは東屋から少し離れた場所で待機した。
魔王軍の三人も、一人が前に出て、残り二人が後ろで待機した。
前に出てきたのは、あの使者だった。
「来ていただけた」
「お招きありがとうございます」
「こちらこそ、返答が早くて助かりました」
二人で東屋に入った。
テーブルを挟んで向かいに座った。
使者が言った。
「改めて自己紹介を。私はシア。魔王軍の渉外担当です」
「田中義則です。この国の王の補佐官をしています」
「渉外担当と補佐官、似たような立場ですね」
「似ていますね」
シアは少し口元を緩めた。
「田中さんは、この国の生まれではないと言っていましたね」
「はい」
「どこから来たのですか」
「遠い場所です。詳しいことは私にも説明が難しくて」
「魔法で飛ばされた系ですか」
「……たぶん、そうだと思います」
「うちの軍にも、たまにそういう人がいます」
「そうなんですか」
「異世界から来た人間が、気づいたら魔王軍にいる、というパターンが稀にあります」
田中は少し驚いた。
「魔王軍に転生する人もいるんですね」
「います。だいたい困惑して、しばらくしたら馴染んでいます」
「……似たようなものかもしれませんね」
「ですね」
シアはテーブルの上に羊皮紙を取り出した。
「では、始めましょうか」
「はい」
「魔王軍側からの要望を最初に伝えます。その後、そちらの要望を聞かせてください」
「わかりました」
田中も鞄から羊皮紙を取り出した。
シアがそれを見て、少し目を細めた。
「資料を持ってきたんですか」
「はい。数字がある方が話しやすいので」
「こちらも持ってきました」
シアが取り出した羊皮紙を見て、田中は少し驚いた。
整理されていた。
項目が分かれていて、数字が入っていて、条件が箇条書きになっていた。
「……準備されていますね」
「田中さんが丁寧な書状を送ってきたので、こちらも丁寧に準備しようと思って」
「そうですか」
「書状を床に投げられてきた過去があるので、丁寧に扱ってもらえると、こちらも丁寧にしようという気になります」
「それは良かったです」
田中はシアの資料を受け取り、自分の資料と並べた。
二枚を見比べて、少し可笑しくなった。
「どうしましたか」
「似ていると思って」
「資料が?」
「構成が」
シアも二枚を見比べた。
少し間があって、シアも小さく笑った。
「本当だ」
「項目の立て方が、ほぼ同じですね」
「現状、要望、条件、という順番で」
「私もその順番で作りました」
シアはしばらく二枚を見てから、言った。
「話が通じそうで、よかったです」
「こちらこそ」
交渉は三時間かかった。
最初の一時間は、双方の現状確認だった。
シアが話した魔王軍の状況は、田中の仮説とほぼ一致していた。
北からの圧力が三年前から強まっている。その対応に兵力を取られ、南への展開が難しくなっている。補給ルートが一部寸断されており、前線の兵士への食料の供給が不安定になっている。
「北の勢力については、百年前の記録で知っていました」
田中が言うと、シアは少し驚いた。
「調べたんですか」
「図書室に記録がありました」
「この国の図書室に、そんな記録が」
「バラバラに置いてありましたが、まとめると繋がりました」
シアはしばらく黙った。
「魔王軍が南に来るのは、北から押されているからだということは、この国の人間は知らないと思っていました」
「知らなかったと思います。ただ、私が来て、調べました」
「なぜ調べたんですか」
「相手の事情がわからないと、適切な対応ができないので」
シアは田中を見た。
「田中さん、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「この国の人間は、魔王軍を倒すことしか考えていないと思っていました。でも、あなたは違う。なぜですか」
「倒すことが目的ではないので」
「では何が目的ですか」
「この国の民が、普通に暮らせることです。そのために何が必要かを考えると、必ずしも魔王軍を倒すことが最短ルートではない場合があります」
シアは少し考えた。
「……魔王軍の中にも、同じように考える人間はいます」
「そうですか」
「ただ、声が大きくないので、なかなか表に出てこない」
「どこの組織も、同じですね」
シアは小さく笑った。
「そうかもしれません」
次の一時間は、条件の擦り合わせだった。
停戦期間については、双方の希望に開きがあったが、段階的に延長する形で落としどころを見つけた。
前線の位置については、現状維持を基本としながら、定期的に確認する場を設けることにした。
食料の問題については、田中が試算を示した。
「この国が提供できる食料の上限はこの数字です。ただし、無償提供は国内の反発が大きいので、形式上は交易という形にしたいと思います」
「交易」
「魔王領からこちらが欲しいものはありますか。形式でいいです」
シアは少し考えた。
「北の山脈で取れる鉱石があります。この国では産出しない種類のものが」
「それを対価とする交易という形にすれば、食料の提供が政治的に通りやすくなります」
「……なるほど」
「実質は支援ですが、形式は交易にする。双方にとって、その方が動きやすい」
シアは田中を見た。
「田中さん、あなたは魔王軍のことも考えて話を組み立てているんですね」
「双方が納得できる形にしないと、長続きしないので」
「長続き、を考えているんですか」
「一回で終わる合意より、継続できる合意の方が、双方にとって価値があります」
シアはしばらく黙った。
それから、静かに言った。
「私が今まで交渉してきた相手の中で、一番話しやすいです」
「ありがとうございます」
「褒めています」
「わかっています」
シアはまた小さく笑った。
最後の一時間は、情報共有ルートの話だった。
田中が提案した。
「月に一度、双方の担当者が簡単な状況報告を交換する形はどうですか」
「状況報告というのは」
「大きな動きがあれば事前に知らせる、という程度でいいです。奇襲をしない、という意思表示にもなります」
「……魔王がそれを承認するかどうか」
「その判断はシアさんにはできませんか」
「私は渉外担当ですが、最終的には魔王の承認が必要です」
「なるほど」
田中はメモに書いた。
シアが覗き込んだ。
「交渉中もメモを取っているんですね」
「議事録です。合意した内容を後で確認できるようにします」
「魔王軍との交渉の議事録を取る人は、初めて見ました」
「記録がないと、後で言った言わないになります」
「……持っていっていいですか、それ」
「もちろんです。双方で持つ方がいいです。内容を確認して、問題なければサインをしてもらえますか」
「サイン」
「合意の証明です」
シアはしばらく議事録を見た。
それから、羽ペンを取って、サインした。
田中も、自分の分にサインした。
「魔王の承認については、いつ頃返答できますか」
「一週間ください」
「わかりました。返答を待っています」
二人は立ち上がった。
シアが言った。
「田中さん、最後に一つ」
「はい」
「魔王が直接話したいと言ったら、来てもらえますか」
田中は少し止まった。
「魔王が、直接?」
「はい。私が報告したとき、向こうが直接会いたいと言う可能性があります」
「……それは、魔王城に行く、ということですか」
「そうなります」
田中は少し考えた。
「その返答も、一週間後に聞かせてもらえますか」
「わかりました」
シアは頷いて、東屋を出た。
田中は一人、東屋に残った。
川の音が聞こえた。
風が吹いていた。
田中はメモアプリを開いた。
【交渉結果まとめ】
・停戦期間:段階的延長の形で合意見込み。
・前線の位置:現状維持+定期確認の場を設置。
・食料問題:交易の形式で提供。対価は北方産の鉱石。
・情報共有ルート:月次報告の交換。魔王の承認待ち。
・追加事項:魔王からの直接面会要請の可能性。返答保留中。
最後の項目を見た。
魔王城に行く。
田中は、この一ヶ月間で初めて、少しだけ手が止まった。
いつもなら、やることが明確になれば動き出せる。
でも今回は、やることは明確なのに、少しだけ、止まった。
ロイドが東屋の入り口に現れた。
「終わったか」
「はい」
「うまくいったか」
「だいたいは」
「だいたいは、か」
「一点、持ち帰りの事項があります」
「なんだ」
田中はロイドを見た。
「魔王城に行く話が、出てくるかもしれません」
ロイドは少し黙った。
「……そうか」
「はい」
「お前が行くのか」
「たぶん」
ロイドはしばらく田中を見た。
「護衛は連れていけないぞ、そこまでは」
「わかっています」
「一人で行くのか」
「たぶん」
ロイドはため息をついた。
「……無茶な話だ」
「そうですね」
「怖くないのか」
田中は川の方を見た。
水が流れていた。
「怖いかどうかより、やることがあるので」
いつもの答えだった。
ただ今回は、少しだけ、間があった。
ロイドはそれを見ていた。
何も言わなかった。
田中は鞄を持って、東屋を出た。
空は晴れていた。
帰り道、田中はずっと無言だった。
ロイドも、何も聞かなかった。
次回「第十五話 王様に報告したら、やっぱりそうなった」へつづく




