第十三話 交渉の準備は根回しと同じだ
第十三話 交渉の準備は根回しと同じだ
前話までのあらすじ
アレンの聞き込みと、ロイドからの情報、図書室の古い記録を合わせた結果、仮説が一つに収束した。
魔王軍は兵糧不足の可能性があり、さらに百年前の記録から、北からの別勢力に押されて南下している可能性がある。
つまり魔王軍もまた、板挟みかもしれない。
王様は停戦交渉に応じる方針を決め、田中が交渉役として赴くことになった。
「剣も魔法も要らない。必要なのは羊皮紙と羽ペンと、話を聞く気持ちだ」
田中のやることリストに、また新しい項目が加わった。
三十五日目の夕方。
田中は地図を広げて、中立地点の候補を三つ選んだ。
条件は四つだった。
どちらの領土でもない。
双方から同程度の距離。
人が来られる場所であること。
逃げ道が複数あること。
最後の条件はロイドに相談したら追加された。
「万が一のときに、逃げられる地形にしろ」
「なるほど、ありがとうございます」
「交渉が決裂した場合も想定しておけ」
「想定します」
ロイドは地図を指で示した。
「この三箇所が現実的だ。北の廃村、国境の川沿いの東屋、山道の峠の小屋。どれも人目が少なく、どちらの軍も駐留していない」
「ロイド卿はこういう場所を把握しているんですね」
「把握しておくのが仕事だ」
「では、この三案で返答書状を作ります」
「護衛は俺が手配する。何人いる」
「五人程度でいいと思います。多すぎると威圧になります」
「五人か。少ないな」
「交渉の場には私一人で入ります。護衛は外で待機してもらう形でいいですか」
ロイドは少し黙った。
「……わかった。ただし、合図を決めておけ。万が一のときに使える合図を」
「合図の内容はロイド卿に決めてもらえますか。私はその分野の知識がないので」
「珍しいな、お前が人に委ねるのは」
「専門家に任せる方が合理的なので」
ロイドは少し目を細めた。
「……そういうところは、素直だな」
「自分でできないことをできると思うより、できる人に頼む方が早いです」
「そうだな」
ロイドは短く答えた。それ以上は言わなかったが、表情が少し柔らかくなったのを、田中は見逃さなかった。
メモに書いた。
・ロイド卿:信頼関係、構築できてきた。
同じ日の夜。
田中は返答書状を書いた。
内容は三部構成にした。
一、停戦交渉の申し入れを受けること。
二、交渉場所の候補三案と、それぞれの日程の提案。
三、交渉に際しての条件。参加人数の制限、武器の持ち込み禁止、議題の事前共有。
書き終えてから、レオンに確認してもらった。
「文章、おかしいところはありますか」
レオンが読んだ。
「……丁寧すぎるくらい丁寧ですね」
「丁寧な方がいいです」
「でもこれ、交渉相手が魔王軍ですよ」
「相手が誰であっても、文書は丁寧な方がいいです。後で記録として残るので」
「記録として」
「交渉が成立したときに、後から『言った言わない』にならないよう、文書で残しておく方が双方のためになります」
レオンはしばらく書状を見た。
「タナカ、魔王軍との交渉を、本当に普通の仕事として捉えているんですね」
「普通の仕事ですよ」
「普通じゃないと思いますが……」
「相手が違うだけで、やることは同じです。情報を集めて、相手の事情を推測して、こちらの要求を整理して、落としどころを探す」
「落としどころ」
「全員が完全に満足する形は難しい。ただ、全員がそれなりに納得できる形なら、作れることが多い」
「前に王様に言ってたやつですね」
「同じことしか言えなくて申し訳ないですが、本当にそれだけなので」
レオンは少し笑った。
「文章、問題ないと思います」
「ありがとうございます。王様に確認してもらってから、使者に届けます」
三十六日目。
田中は王様に書状を見せた。
王様は読んで、一点だけ確認した。
「条件の三番、議題の事前共有とは」
「交渉で話す内容を、事前に双方で確認するということです。当日になって『その話は聞いていない』とならないようにします」
「なるほど」
「議題を絞ることで、交渉が脱線しにくくなります。また、事前に共有することで、相手も準備できます。準備できた相手の方が、話し合いがしやすいです」
「相手が準備しやすくする、か」
「こちらだけ準備して相手が準備できていないと、かえって話が進みません」
王様は少し考えた。
「……それは、余には思いつかない発想だ」
「交渉は勝ち負けではないので」
「では何だ」
「双方が納得できる着地点を見つける作業です」
王様はしばらく黙った。
それから、書状に署名した。
「届けてくれ」
「かしこまりました」
「田中、一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、この交渉で何を得たいと思っているんだ」
田中は少し考えた。
「情報です」
「情報」
「魔王軍の実際の状況がわかれば、この国の今後の方針が立てやすくなります。停戦が成立すれば、それが一番いい。成立しなくても、相手の事情が少しでもわかれば、次の判断に使えます」
「損得で考えているのか」
「そうとも言えます」
「感情はないのか」
田中は少し止まった。
「……魔王軍の兵士が、村に食料を求めに来ている話を聞いたとき、少し、嫌だなと思いました」
「嫌だ?」
「戦争の話ではなく、ただ腹が減っている人間の話に見えたので」
王様は黙った。
「感情といえるかどうかわかりませんが、そういうことが続くのは、避けられるなら避けたい、とは思います」
王様はしばらく田中を見た。
「……お前は、正直な人間だ」
「四回目ですね」
「数えているのか」
「ガルド卿にも同じことを言われたので、合計で」
王様は低く笑った。
三十七日目。
返答書状を使者に届ける手配をしながら、田中は交渉の準備を続けた。
机の上に羊皮紙を三枚並べた。
一枚目:こちらの要求リスト。
二枚目:こちらが譲れる点のリスト。
三枚目:絶対に譲れない点のリスト。
レオンが覗き込んだ。
「三枚に分けるんですか」
「交渉では、何を求めていて、何を譲れて、何を譲れないかを、事前に整理しておかないと、その場で流されます」
「流される?」
「相手のペースに乗せられて、気づいたら不利な条件で合意している、という状況です」
「それを防ぐために」
「自分の立場を先に明確にしておく。それだけで、だいぶ違います」
レオンは三枚を順番に見た。
「一枚目、こちらの要求。停戦期間の設定、魔王軍の前線からの撤退、相互の情報共有ルートの確立……情報共有ルートの確立、これは珍しくないですか」
「相手の状況が定期的にわかれば、こちらの対応が楽になります。逆に言えば、相手にもこちらの情報を一部共有することになりますが、それで信頼が生まれることがあります」
「信頼、ですか。魔王軍と」
「今はまだ仮説ですが」
「二枚目、譲れる点。停戦期間の長さ、前線の位置の細かい調整、情報共有の範囲と頻度」
「相手が求めてくれば、ここは動けます」
「三枚目、絶対に譲れない点」
レオンが読んだ。
「……この国の民への危害を加えないこと、一点だけですか」
「はい」
「他は全部譲れると」
「他は形式の話です。本質はここだけです」
レオンはしばらく三枚を見た。
「タナカ、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「元の世界でも、こういう交渉をしていたんですか」
「似たようなことは」
「相手は魔王軍じゃなくて」
「取引先や他部署です」
「でも、やることは同じ」
「やることは同じです」
レオンは少し考えた。
「タナカの元の世界って、そんなに複雑なんですか」
「複雑といえば複雑ですが、慣れると、だいたいのことは同じ構造に見えてきます」
「同じ構造」
「誰かが何かを求めていて、別の誰かが別の何かを求めていて、その間で折り合いをつける。それだけです」
「それだけ、か」
「それだけです。相手が人間であれば、だいたいそうです」
レオンはしばらく黙った。
「魔王軍も、人間ですか」
「見たことがないので確認はできていませんが、食料を求めて村に来る時点で、腹が減る生き物だということはわかります」
レオンは少し笑った。
「……それ、タナカらしい答えですね」
「事実から始めるしかないので」
三十九日目。
魔王軍から返答が来た。
交渉場所は、田中が提案した三案のうち、国境の川沿いの東屋が選ばれた。
日時は五日後。
参加人数はこちらの条件通り、双方五名以内。
議題についての事前共有は、一点だけ追加の要望があった。
「『食料の問題について話し合いたい』という一文が追加されています」
田中はレオンに読んでもらいながら、メモを取った。
「食料の問題を、議題として明示してきた」
「つまり、兵糧不足の仮説は当たっていた可能性が高いですね」
「高いですね」
レオンが言った。
「タナカ、これ、停戦だけじゃなくて、食料の話もするってことですよね」
「そうなりますね」
「この国が魔王軍に食料を提供する、という話になる可能性も」
「なるかもしれません」
「それは……」
「国民感情的には難しい話ですね」
「難しいどころか、怒る人が出ると思います」
「ですね」
田中は少し考えた。
「ただ、食料を渡すことで戦争が止まるなら、戦争を続けるコストより安いかもしれません」
「計算するんですか、そういうことを」
「計算しないと、判断できないので」
レオンはため息をついた。
「タナカと話していると、感情で考えることがバカみたいに思えてくることがあります」
「感情は大事ですよ。感情がわかれば、人が何を求めているかがわかります」
「感情を、情報として見ているんですか」
「そう言えば、そうかもしれません」
レオンはしばらく田中を見た。
「……複雑な人ですね、タナカは」
「よく言われます」
「それは何回目ですか」
「数えていません」
「絶対数えてますよね」
「……まあ、多分」
レオンが初めて、声を上げて笑った。
田中は少し驚いたが、悪い気はしなかった。
メモに書いた。
・魔王軍からの返答:交渉成立。国境川沿いの東屋、五日後。食料問題を議題として追加。
・確認事項:食料提供の可能性について、王様と事前に方針を擦り合わせる必要あり。
・懸念:国内の反発。貴族への根回しが必要になる可能性。
五日後。
田中は初めて、魔王軍と直接話す。
準備は、できている。
できていない部分は、当日に考える。
いつもそうやってきた。
田中は新しい羊皮紙を取り出して、当日持参する資料の作成を始めた。
次回「第十四話 魔王軍の担当者も、板挟みだった」へつづく




